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ブログ終了のお知らせ。

本日で、ブログを終了します。2006年12月にスタートして以来4年6か月、ありがとうございました。キリのいいところで記事が800になったら止めようと少し前から考えていたのですが、795からなかなか前に進まなくなったので、少し中途半端ですが、今日を最後にすることにしました。

これまでご支援いただいた方々に感謝いたします。また、どこかでお会いしましょう。

karubi

想像力を使いましょう、「便所めし」の学生さん。 [BOOKS]

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先日ここで、男子便所で昼食を取る学生がいる話を書いた。その後、そのような昼食が「便所めし」と呼ばれていることを、小谷野敦さんの『友達がいないということ』という本を読んで初めて知った。

この本によると「便所めし」とは、大学で昼食をとるのに一緒に食べる友達がおらず、そのことを恥ずかしがり、誰にも見られないように、トイレ(男子トイレの大便所)にこもって食べることをいう。この話を聞いて、若い頃あまり友達がいなかった小谷野さんは胸が痛んだという。

さて、一般論でいえば、友達は少ないよりも多いほうがいいような気がするが、小谷野さんは「結局、友達がいない、少ない、できにくい、というようなことは、最終的には、あきらめるしかない」と結論づけている。なぜなら、友達がいない、一人ぼっちというのは「自分自身の性質とか、偶然とかによって」どうしても現実に起こってしまう現象だからだ。

私も友達は少ないほうだと思う(事実、携帯電話が全く鳴らない日が結構ある。)。でも、だからといって淋しいということはない。なぜなら、もともと私は一人でいることがあまり苦にならないほうで、旅行は必ず一人でするし、焼肉屋も平気で一人で行く。家にいれば、テレビ好き・ラジオ好き人間だから、テレビやラジオを相手に喜怒哀楽している。でも私は、周囲の人との協調性は普通に持ち合わせているし、サービス精神も結構旺盛なほうだと思う。

作家の伊集院静さんによると、人間の究極の幸せは、「一人遊びを見つけること」だという。なるほど、生きづらいこの世の中で、自分を見失わないようにするため、お金をかけずに自分なりに楽しいことを見つけることは一つの方法かもしれない。

小谷野さんの言うように、友達がいないというのは現実にあるし、それは別に悪いことではないと思う。たとえ友達がいなくても、伊集院さんが提案するように、楽しい一人遊びを見つけるという方法などで上手く生きていくやり方はいくつかあるような気がする。でも、どんな場合でも、想像力というものはきちんと持っておくべきだと思う。「便所めし」の学生にはこの想像力が決定的に欠けているような感じがする。


写真は、東レが発表した2011年の水着。今年のテーマは「cheerful healig(陽気な癒し)」だそうだ。どういうことなのか、よくわからないね。それに、「癒し」という言葉、あまり好きじゃない。「癒し」より「いやらしい」ほうが断然好きだ。

将来は、月月火水木金金、になるかも。 [北海道]

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昔、『毎日が日曜日』という城山三郎の小説があったが、近い将来、毎日が月曜日、毎日が火曜日、つまり、毎日が平日という時代が到来するかもしれない。

「節電の夏」、今年の夏はこんなキャッチ・フレーズが似合う夏になるに違いない。電力需要を抑えるため、企業も個人も、とにかく節電に努めることになりそうだ。そんななか、一部の大手メーカーでは、土日に操業を止めるのではなく、平日に操業を止めることを決めた。そうすれば、電力需要が平日に集中することを回避でき、結果、電力需要を平準化できるわけだ。

一方デパートでは、週に一度休日を設け、休日を輪番制にすることを模索している。例えば、伊勢丹は月曜日に休み、高島屋は火曜日に休み、小田急は水曜日に休む、そういった具合だ。この輪番制が目指すところも、電力消費の削減(なるほど、デパートでは物凄い数の蛍光灯が使われている)、そして、電力需要の平準化である。

以上のようなことをやって、電力需要が平準化され、結果として電力供給が少なくて済むのなら、なにも今年の夏だけではなく、これからずっとこのやり方を続けるという手はあるのではないだろうか。

一週間は月曜日から日曜日まで7曜日あり、日曜日がとりあえず休日とされているが、業界によってはデパートのように日曜日が稼ぎ時というものも少なくない。もしそうであるなら、日曜日が休日という考え方をこの際放棄して、月曜日から日曜日の7曜日すべてを「平日」とし、どの曜日を休日にするのかは、業界別に決めることにして、業界のなかでさらに上に述べたデパートの例ように休日を分散すれば、電力需要は7曜日でかなり平準化されるのではないだろうか。

そういえば、不動産業界は昔から水曜日が休みだし、私の生まれ育った釧路では、蕎麦屋は火曜日が休みであった。デパートでも昔は日曜日以外に統一された休日があったのではないだろうか。

整理しよう。国民が一斉に休むのは、憲法記念日とか、子どもの日とか、つまり国民の祝日とされる日に限定する(国民の祝日は現在、15日ほどもある)。それ以外の休日は各業界、各社が独自に決めることにする。そうしてしまうと、現在のように、みんなが休日の日曜日に同窓会とかリクリエーションができなくなるのではと、疑問を呈する人がいるかもしれない。でも、そういう特別な日は一年に何十日もあるわけではないのだが、例えば、5月27日に高校の同窓会をやろうと決めたなら、その日会社がある人は、有給休暇と取ればいいのである。

日本の労働者は恵まれていて、会社に入ってしばらくすると年に40日以上の有給休暇を取得することができる。この他に、夏には夏季休暇、慶弔があった場合には慶弔休暇がもらえるなど、働いている日よりも休んでいる日のほうが多いのではと錯覚したくなるくらい労働者の休日は多いのだ。

さて、このようなことをするメリット、デメリットは何だろうか。電力需要を抑え、平準化することで、限られた電力のなかで不自由なく社会生活が送れる、これが一番大きいメリットであろう。そのほか考えられることは、観光地が活性化する可能性があることだ。月曜日から日曜日まで平均的に観光客が来ることが期待できるから、特にホテル、旅館などは稼働率が高くなる違いない。

一方、デメリットもないわけではない。学校は基本的に日曜日が休みであるから、もしお父さんが月曜日休みになると、親子揃って遊園地に遊びに行くとか、子どもと一緒に出かける機会が減るかもしれない。でも、たまにお父さんが有給休暇を取るという手段もあるし、そもそも、子どもと一緒にいる時間が長ければいいというものでもないだろう(子どものいない私が言うのもなんだが。)。恋人同士だって、たまに逢うから上手くいく場合が少なくない。工夫次第で、親子の問題は解決できるように思う。

せっかくの機会だから、ライフスタイルについていろいろ議論してみればいいと思う。クールビズはアロハシャツでいう私の「暴論」が今年、現実のものになったケースもあるのだ。大胆で、聖域(私の場合「性域」?)のない議論が今必要な気がする。

今日は札幌に来ている。写真は大通公園で開催されているライラックまつり。ライラックはフランスでリラと言う。「リラ冷え」とは、リラの花が咲く今頃の時期の一時的寒さのことを指す。それにしてもこの言葉、綺麗だね。

筒形の手の中に、どうぞ射精してください。 [芸術]

img_1298877_37159193_8.jpgこの頃テレビを観ていると、ミッツマングローブさん(写真)、マツコデラックスさんといった女性のような男性がよく出ている。このうちミッツさんは「女装家」として紹介されることが多く、現在は丸の内で女性だけを対象にしたバーを経営されているが、以前は私もたまに行く新宿二丁目のゲイタウン(「芸」タウンでもあります。)でダンサーなどをしていたらしい。

さて、私が今の会社に入社した28年前、現在の大久保病院周辺には女装した男性がたくさん立っていた。目的はもちろん、道行く男性をつかまえてラブホテルに連れて行くことだ。私も声を掛けられたことがあるが(当時、物欲しそうな目をしていたに違いない)、声の太さやどことなく骨太な感じが女性的でなく、無視して足早にその場を去ったのを記憶している。

そのとき疑問に思っていたことがあった。それは、仮にある男性客が「男性娼婦(男娼)」と一緒にラブホテルに行って、いざセックスをする段になりペニスを挿入しようとすると、男娼が実は女性ではなく男性であることがすぐに判ってしまうのではないか、そういう疑問だ。

でも、プロというのはどの世界でもスゴワザを持っているものだ。男娼には通称「レンコン(手筒)」という技巧があるらしい。仰向けになった男娼は、クリームを塗った手を筒形にして自分の尻の後ろから回して股間にあてがい、そこに男性客のペニスを誘導し、手を膣だと錯覚させて射精に至らせるのだ(『性欲の文化史1』井上章一編)。これこそス究極のゴワザだと思うが、レンコンで初めて客はほとんど射精してしまうらしい。


江戸時代、女性だけではなく男性も春を売っていた。男性の相手はその当時は女性だった。つまり、男性の春を買う女性が普通にいたわけだ。それはそれで構わないと私は思うけど、春を売ることを蔑視する人たちがいまだに少なくないことは、ちょっと残念な気が私はする。



あなたのことを知りすぎてしまったので、別れます。 [時事]

b0016565_23512.jpg「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまった。」。これは、脚本家の三谷幸喜さんと女優の小林聡美さんが離婚した理由だ。「考え方」も「価値観」と同義とすると、二人の価値観に溝ができたことが離婚理由と言えそうだ。

このように、芸能人・タレント夫婦の離婚理由の多くは「お互いすれ違いの生活が続いた」「価値観が合わなかった」というものだ。ここでも「価値観」という言葉が登場する。何となく使いやすくて便利で、それでいてちょっとカッコいい言葉、それが「価値観」であるような感じがする。それでは、男女の「価値観が合う」「価値観が合わない」というのは具体的にはどういうことを指すのだろうか。

ある夫婦が自分たちの今後の生き方について話をしている。夫は働いたお金をコツコツ貯めるのではなく、元気なうちに夫婦で旅行などをして使ったらどうかと主張する。これに対して堅実な妻は、老後の備えが必要になるから、そのために現役時代は少しでも節約して、旅行などをするのは夫が会社生活を引退してからにしましょうと主張する。夫婦の今後の生き方という大切なことに関して、意見が分かれてしまった。この男女の場合、「価値観が合わない」という言い方は正しいのだろうか。

もう一つ。ある夫婦は二人とも有名な宗教の信者である。実はこの二人、宗教活動を通じて知り合い結婚することになった。結婚後も熱心に宗教活動を続け、選挙があるときには同じ候補者に投票するなど、宗教が二人をしっかり結び付けているかのように思われた。ところがある日、家事を夫がやるべきかどうかで大激論になってしまい、最近では一日中お互い口を利かない日も珍しくない。この男女の場合、「価値観が合わない」という言い方は正しいだろうか。

この二つの例を、皆さんはどう考えるだろうか。いろいろな考え方が当然あると思うが、どの考え方にも共通することは、「価値観って何のことかよくわからないね」ということではないだろうか。私なりに整理すると、結婚や離婚の際によく使われる「価値観が合う」「価値観が合わない」というのは、もっと平易な言葉に置き換えるとしたら「価値観が合う」=「相手を理解できる(又は、理解したい)」、「価値観が合わない」=「相手を理解できない(又は、理解したくない)」ということのような気がする。

これは以前にも何度か書いたことなのだが、男女はそう簡単にお互いを理解し合えないと思うし、むしろ完全に理解し合わないほうがいいのではないかと思うのである(結婚経験のない私が偉そうに言うことについては大目にみてもらいたい)。生意気なことを言うようだが(いつも生意気ですが)、男女にはお互い理解できないこと、つまり、一方にとって他方の何となく理解できない部分、ミステリアスな部分、秘密の部分、見えない部分、そういった男女間の「穴」のようなものがある程度あったほうが、男女は上手くいくような気がする。だから、例えば女性が男性の「正体」を完全に見破ってしまい、男性の思考パターンや行動パターンをすべて見抜かれてしまったら、この男性はもはや女性にとって何の魅力もない男性ということになってしまうのではないだろうか。

男女は「お互いを理解し合えない」「価値観が合わない」のが普通であって、最初から「価値観が合う」「お互いを理解し合える」というのはありえないような気が私はするのである(恋は盲目だからね。)。


いずれにしろ、言葉の魔術師である三谷さんには、もっと気の効いたコメントを出して欲しかった感じもする。写真は、三谷さんの代表作の一つ「古畑任三郎」。

遊女は頭じゃないのよ、アソコ、アソコ。 [映画]

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私は会社で社員採用の仕事もしているが、その際一番気を使うのは「男女平等」という観点だ。といっても実質的には、女性に不利にならないように対応することがポイントになる。

そんななか、九州大学理学部数学科の来年度試験で、将来的に理系女子の研究者を増やす目的から「女性枠」を設けることが検討されていて、これに対して「男子差別」「男女不平等」との批判が出た。

単純な疑問だけれども、何故理系女子の研究者を増やすことが必要なのだろうか。邪推になるかもしれないが、殺風景な数学科の教室に「もっと華がほしい」ということなのだろうか。もうそうであるならば、「女性枠」というのは男性の性的欲求に基づくものということになってしまう。もちろん、そういうことではないと信じるが、いずれにしろ、天下の九州大学としては少々思慮に欠けた行動だったのではないだろうか。

さて、先日初めて歌舞伎を観た。中村吉右衛門主演の作品で、舞台は吉原遊郭。歌舞伎だから演じるのは全員男性なのだが、なかでも中村福助演じる花魁・八ツ橋の妖艶さには自称「ノンケ」の私も思わずうっとり、ムクムクしてしまった。

吉原といえば映画「吉原炎上」をすぐ思い出す(写真)。名取裕子主演の名作だと思うが、登場する花魁のなかで私が一番好きだったのは花魁・九重を演じた二宮さよ子さんだった。美貌で色気ムンムン、名取裕子とのレズシーンは私にとって、この映画のベストシーンだ(写真)。

このレズシーンは、花魁の筆頭格である九重が、名取裕子演じる新人遊女・若汐に、遊女の女作法を文字どおり体を張って教え込む場面だ。九重は若汐に「廓(くるわ)の女は頭じゃない、頭じゃないんだよ。ここだよ、ここ!」と言って若汐の股間の部分を何度も叩く。そうやって廓の女作法を教え込んでいた九重であったが、若汐にもともと魅力を感じていた九重は、自分自身が廓の女であることを忘れ、若汐の愛撫に悶え、そして絶叫するのである。このレズシーン、何度観てもそそられる。

さて、歌舞伎であるが、中村吉右衛門演じる佐野次郎左衛門は花魁道中で一目ぼれした花魁・八ツ橋のもとに通いつめ、近々身請けするまでになっていた。ところが、八ツ橋の情夫であった浪人・繁山栄之丞がそのことを知り、八ツ橋に愛想尽かしをするよう強要する。不承不承の八ツ橋であったが、結局、次郎左衛門が開いていた大きな宴席で「身請けはもともと嫌だったし、もう私のところには来てくれるな。」と八ツ橋は次郎左衛門に愛想尽かしをし、満座のなかで次郎左衛門は恥をかいてしまう。

その4か月後、国(栃木県)に戻っていた次郎左衛門は再び吉原に来て、八ツ橋を呼び寄せる。二人きりになったとき、次郎左衛門は恥をかかされたに八ツ橋対して刀を抜き、一振りで切り殺す。以上が私の観た歌舞伎のあらすじであるが、遊郭吉原の世界には独自のしきたりや言葉があることがわかり、勉強になった。それにしても、「身請け」という制度はなんとなく凄い感じがする。現代にも似たようなものはあるのかなあ。

遊びたいとか、休みたいとか、ついつい思ってしまうのです。 [時事]

RIMG0086.JPG節電ムードのなか、長期間の夏休みを実施する動きが大企業を中心に起きている。ある企業は、20日間の長期夏季休暇を実施するという。社員はその20日間、出社することは許されず(出社すると電気を使ってしまうから)、強制的に夏休みを取ることになる。

大企業だから出来ること、そういう意見もあるかもしれないが、ひょっとしたら、中小企業や零細企業でもやろうと思ったら、実は、そういうことが可能なのかもしれない。日本人は真面目な国民だから、多くの人は一生懸命働くことを美徳と捉えているが、ただ、若い人のなかには、ガツガツ働くことを好まなかったり、そもそも論として、働くことに対して疑問を持ったりしている人が少なくないかもしれない。そういう若い人たちにとって長期夏季休暇は、喜ばしいことに違いない。

「人間はなぜ働くのか」「人間は何のために働くのか」、そういったタイトルの本が結構売られている。高度経済成長の時代には働くことの意味、目的を考えたりする暇がないくらい忙しかったり、また、働けば豊かになれることを多くの国民が実感できたから(映画「三丁目の夕日」を参照)、そのようなタイトルの本が登場する余地はなかったわけだ。

「人間はなぜ働くのか」「人間は何のために働くのか」といった若い人たちの問いに対して私は、「働くことに特別理由はない」、そう答えることにしている。以前、「なぜ人を殺してはいけないのか」という少年の疑問に対する答えは「人は殺してはいけない。そういうものだから」とするのが唯一の答えではないかと書いたが、「人は何のために働くのか」という疑問に対しても「人は働かなければいけない。そういうものだから」と私は答えたい。

経済学者の中谷巌さんが書いた『資本主義はなぜ自壊したのか』にこんな話がある。日本神話では、神様も働いていたというのだ。例えば「古事記」「日本書記」では、神様が機織りをしたり、山彦・海彦の神話のように猟や漁撈をしたりという話が頻繁に出てくる。現在の皇室でも、春になると天皇陛下が田植えをして、秋になれば稲刈りをなさるし、皇后陛下も養蚕をなさっている。つまり、古来日本では、働くことが「神事」だったのだ。

働くことは神事なのだから、働くことに理屈はない、そう考えることができる。とはいっても、なかなか生きにくい今の世の中。遊びたいとか、休みたいとか思うのも人情だ。海援隊のヒット曲「母に捧げるバラード」に、武田鉄矢の母が息子(武田鉄矢)を叱るくだりがある。曰く「人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね。それが人間ぞ。それが男ぞ。」。

息子をこんな風に諭す(さとす)ことの出来る母親(もちろん父親でもいいと思うが)は現代にはいないと思うし、そんなことを仮に息子に言ったとしたら「頭、おかしんじゃないの」と一蹴させるに違いない。

まあ、いろいろあるけれど、物事はすべてバランスだから、働く、遊ぶ(休む)、働く、遊ぶ(休む)を順番に上手く回していくしかないと思うね。


写真は、今日行ってきた赤坂の焼肉店。肉厚で美味かった。

トイレで昼御飯、「臭い飯」になりますよ。 [時事]

RIMG0082.JPG私がここ数年提案してきた、クールビズ期間でのアロハシャツ着用が認められることになった。環境省は昨日、軽装を徹底するなどしてクールビズを強化するため、6月から「スーパークールビズ」を実施すると発表した。

スーパークールビズでは、従来は認められていなかったアロハシャツやポロシャツの着用が可能になった。また、チノパンの着用も認められ、一定の条件(破れてだらしのないものでないこと)でジーパンもOKになった。ただ、ハーフパンツは依然としてダメということになっていて、これはどうしてなのか疑問が残る(ジーパンよりもハーフパンツのほうを、私は認めるべきだと思う。)。

環境省は「今年の夏は、暗いムードを明るいムーブメントに変え、新しいライフスタイルを提案する「SUPER COOL BIZ」にご協力お願いします。」とスーパークールビズへの協力を求めている。。当然、政府関係者、官庁関係者は率先してスーパークールビズを実施すべきでだし。加えて、金融機関や大企業も積極的に協力してもらいたいと思う。そういうふうになれば、私のいる会社のような零細企業のビジネスマンも堂々とアロハシャツを着て働くことができるようになる。さあ、明日はアロハシャツを買いに街に出かけることにしよう!

さて、今日午後、釧路から戻った。昨日釧路で会社の人と雑談をしていたら、驚くべき話を聞いた。今、昼御飯をトイレの中でとる男子学生が増えているらしいのだ。あるテレビ番組で観たと言っていたが、もしこの話が本当なら、驚くと言うより、日本の将来が不安になってくる。世間とコミュニケーションが出来ない草食系男子学生が増えている、そんな呑気なことを言っいる場合ではなく、深刻な事態と受け止めるべきだと思う。

私のいる会社の20代の男子社員も、さすがにトイレで昼メシは食べていないが(正直、確証はないが)、そもそも酒の付き合いは好まないし、一緒に飲んだときでも会話が弾むことはない。結局私が一方的に馬鹿話ををする羽目になり、それを聞いて彼らはただケラケラ笑うだけ。一時間以上も一方的に喋ると、いくら話し好きの私でもどっと疲れが出る。彼らは、世の中のことにあまり好奇心がないのか、それとも、喋ること自体があまり好きではないのか、その辺の事情はよくわからないが、一緒に飲んでいるときぐらい、場を楽しくするために努力すべきではないかと私は思うのだが、如何だろうか。

写真は、私が持っているアロハシャツ。こういう楽しいデザインのアロハシャツを着ると、仕事も上手くいきそうな感じになる。

あなたの人相は、エッチです。当たり! [時事]

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皆さんは、占いをやりますか。

学生時代、札幌にいた頃、同じ英語研究会にいた女子大生と私は付き合っていた。あるとき、市内のデパートの片隅で営業していた占いコーナーに二人で行って、我々の今後のことについて占ってもらった。それぞれ名前を紙に書いて女性占い師に渡したら、画数などを確認した後「お二人は、あまり長続きしませんね。」と彼女はハッキリ言ったのである。

我々は恋愛絶頂期にあったから、そんなことはないだろうとその時は思った。だが、それからほどなくして、彼女とは別れることになった。それでも彼女とは一年くらい付き合ったから、恋多き学生時代の恋愛としては、そこそこ長続きしたほうではないかと思う。

占いに関する話をもう一つ。これも学生時代のことであるが、下宿の近くに行きつけの安焼き鳥屋があった。肉厚の豚バラが名物で、コンパもこの店でよくやった。この焼き鳥屋の大将が占いをするというのは聞いていた。あるとき、カウンターに座って安焼酎を飲みながら焼き鳥を食べていたら、その大将が私に向かって突然「お兄さん、エッチだね。」と唐突に言ったのである。

どうやら、私の顔、つまり人相を見てそう判断したらしい。でも、私自身、自分は人並み以上にエッチだと感じていたので、この大将なかなかやるなあぐらいにしかそのとき思わなかった。それにしても、姓名判断とか手相占いは占いをする人にこちらから名前とか手を示さないとできないものであるが、人相占いというのは、顔で判断するわけだから、こちらからお願いをしなくても、占いの心得がある人であれば顔を見ただけで「この男性はエッチだ。」とか判ってしまうわけだ。だからといって、顔を隠して人間は生きていけないわけだから、人相占いというのはちょっとだけ困った占い方法だと言わざるを得ない。

さて、今朝の日経新聞にビックリするような記事が載っていた。それは、全国の原発で「30年以内に震度6強以上の地震が起こる確率」が公表されたのだ。ただ、この確率は大震災以前の今年1月1日を基準として作成されていて、驚くなかれ、今回事故を起こした福島第1原発の確率はその時点では「0.0%」(ゼロ)だったのだ。これに対して、菅総理の要請で運転停止が決まった浜岡原発は「84.0%」で、地震発生確率がダントツで高いのだ。ただ、福島第1原発は確率ゼロにもかかわらず大地震が今回発生したわけだから、浜岡原発の「84%」も極めて怪しい数字と言えるのではないだろうか。

占いの世界で行われる「予言」も、自然科学の世界で行われる「予測」「予知」も、多くのものを過去のデータに依拠している。それにもかかわらず「予言」「予測」「予知」は外れることが多いのだが、私が思うに、人間を対象にした占いの「予言」のほうが、自然を相手にした科学的「予測」「予知」よりも圧倒的に当たるような感じがする。これを少し大袈裟に言えば、人間が理解可能なのはせいぜい人間に限られていて(現代では、理解不能な人間も現れているかもしれないが。)、自然のことまで人間が理解するのはそもそも不可能なのだ、となる。地震発生確率を発表するのもいいが、「そんなもの当たりっこないよ。」と、自然界の神様たちは笑っているような気がする。

ところで、海の神様、山の神様はともに女性の神様、つまり女神で、とても嫉妬深いと言われている。だから、漁師の間では女性が海に入ることを忌み嫌うし、鉱山などでは仕事場に女性を入れないようにしてきた。その嫉妬深い女神たちへのお供え物で、あるお寺では、男性のシンボルを表した木を毎年お供えするのだそうだ。女神が他の女性に嫉妬したり、男性のシンボルで慰められたりするところは、人間の世界と同じでとても興味深い。

写真は、フジテレビ「名前をなくした女神」の出演者。右から2人目は木村佳乃さん。妊娠したらしいですね。


全裸スッポンポン、最適温度は29度です。 [高円寺]

img9ffb4391zik9zj-247ef.jpg私のいる会社でも今日からクールビズが始まった。といっても、ネクタイをしていないだけで、スーツに長袖のシャツというスタイルは変わらない。

今朝あるラジオ番組で面白い話をしていた。全裸、つまりスッポンポンの状態では、体感温度が29度のとき、快適さがマックスになるのだそうだ。ご存知のように、クールビズでは事務所の設定温度を28度にすることを政府は推奨しているが、この設定温度というのはエアコンの設定温度のことで、体感温度のことではない。実際の事務所ではたくさんの人間が働いているので、体感温度としては29度か30度くらいに上がっているに違いない。その状況のなかで、スッポンポンではなくパンツやシャツを身に纏っているわけだから、設定温度28度というのは労働環境としては辛い温度なのである。

クールビズというのは、涼しい格好をする代わりに、設定温度を上げで節電することである。しかし、である。設定温度を上げ過ぎると、今度は、仕事の能率が落ち、結果、残業が増える。残業が増えると残業代も増えてしまうということになり、企業にとっては節電によるコスト減よりも、残業増によるコスト増のほうが大きくなってしまい、なんのためのクールビズなのかわからなくなってしまう危険性がある。

ステテコが流行っているという報道を先日テレビで観たが、さすがにステテコ姿で出勤というのは如何かと思うが、私が以前から提案しているように、日本版アロハシャツに短パンという格好なら、涼しいのはもちろん、いろいろなデザインを楽しむこともできるから、もはや亜熱帯と化した日本の夏にうってつけのような気がする。

さて、話は全く変わるが、先日、官能小説で有名な団鬼六さんが亡くなられた。最近では、映画「花と蛇」(写真)の原作者ということで改めて知られることになったが、「花と蛇」は杉本彩主演の2作と小向美奈子主演の最新作、合計3作全部を私は観た。結論から言うと、第一作が一番いい出来で、次に第二作、そして第三作、つまり、だんだん出来が悪くなってきている。特に最新作の小向作品は全体に散漫で焦点がボケていて、酷いとしか言いようがない。杉本彩も小向美奈子もオッパイが大きくて肉感的なところは共通しているが、内面に持っているものが全然異なっているような気がする。

実は今、かなり酔っ払って書いている。今日は会社の飲み会があったのだが、一次会終了後、私は一人高円寺の焼き鳥屋のカウンターで一杯やってきたのだ。店の隅にあるブラウン管テレビを観ながら焼き鳥を頬張っていたのだが、隣に座っていた若い二人連れの男性が、業界関係者らしいのだが、タレントの誰を知っているとか、お笑い芸人の誰と先日一緒に飲んだとか、周囲に聞こえるような大きな声で何度ものたまっているのだ。

くだらない人間の典型だと思いながら横で聞いていたのだが、この手の話は本当に不愉快千万である。私もさっさとその店を出ればよかったのであるが、彼らがどのくらいアホなのかを見極めたくて、思わず長居をしてしまった。ということで、また飲みすぎてしまった。生ビール2杯と酎ハイ4杯を飲んだ。多少今、気持ち悪い。

以上。

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