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酒は、諸悪の根源ではありません。 [新宿]

私はサル以下かもしれない。また飲み過ぎて自己嫌悪に陥った。昨日は難航していたある仕事に目処がついた解放感と金曜日ということもあり、最初からハイペースで飲んでしまった。一次会のスタートは午後5時半。築地駅の近くにある魚料理がメインの小料理店で最初から日本酒をあおった。徳利に手酌で熱燗を注ぐとグイッと一気に飲み干す。倒れた2合徳利の数は4本か5本。辛口の菊正宗がすいすい身体にしみ込んでいった。

勢いがつき、タクシーを拾って銀座6丁目にあるバーに向かった。何の迷いもなかった。その店に着いたのは確か午後8時半前後だったろうか。あまりよく覚えていない。その店では一緒だったメンバーと飲んで歌って大いに盛り上がり、午後10時過ぎにお開きとなった。暴走の徒と化した私は、一人でタクシーに乗り込み、一路新宿歌舞伎町を目指した。先日の記事で書いた20年以上付き合いのある北海道出身のマスターが開いた店に寄ることにしたのである。携帯からこれから行く旨彼に連絡し、初めてだったので風林会館前で待ち合わせすることにした。

数年振りに会うマスターは以前とあまり変わっていなかったが、さすがに髪の毛には白いものが目立った。店は台湾バーで、こぢんまりとしていた。マスターと昔話に花が咲き、新規に入れたシーバスリーガルはもう少しで1本空いてしまう勢いだった。かなり酩酊して、私もこのままでは際限がないと思い、その店を午前2時前くらいに後にした。またタクシーに乗って家に向かった。家の電気をつけて壁時計を見上げたら午前3時になろうとしていた。とにかく飲み過ぎである。それに、歌舞伎町のマスターの店は予想以上に高かった。散財してしまった。またしても反省である。

さて、この人を惑わす酒とは一体何なのであろうか。酒を禁止するとどうなるのであろうか。その実例がある。以前のブログにも書いたが、それは1920年にアメリカで成立した禁酒法である(廃止は1933年)。当時、「酒は諸悪の根源」と考えるある政党がアメリカ全土にその思想を啓蒙し、ついには歴史上稀に見る法律による禁酒が実施されたのである。この禁酒法時代のアメリカの様子は、テレビドラマや映画でお馴染みの「アンタッチャブル」に詳しい。(シカゴのギャング、アル・カポネと捜査官エリオット・ネスの闘いを描いた物語)

禁酒法がなぜ出来たのかと言う理由や経過を探るよりも大切であるが、もっと大切なことは、禁酒法がどのような結果をもたらしたのかということではないかと思う。まず指摘しなければならないのは、酒の消費量が禁酒法以前のそれよりも増加したと推定される事実だ。ご存知のように、禁酒法が施行されてから、密造酒を作る一般家庭が急激に増えたというのだ。この結果、実に滑稽なことに、飲酒運転による摘発件数が禁酒法以前よりも増加したのだそうだ。

次はギャングの暗躍である。酒の密売を大きなビジネスチャンスと捉えたギョングが、非合法的に酒を販売して大きな利益を獲得し、それらが彼等の活動資金源となったのだ。そのギャングの代表格がアル・カポネで、彼は陽気な性格で庶民からは愛された存在だったらしいが、最後は捜査官エリオット・ネスに捕まってしまうのだ。いずれにしても、禁酒法の時代には、社会を脅かす闇社会が大きな力を持つようになったのである。

禁酒法の教訓は、嗜好品や人間の基本的欲望を法律やルールで禁止すると、逆効果になるということだろうと思う。タバコを禁止する「禁煙法」を作れば、多分同じような事態が起こるに違いない。性欲処理の手段を制限する「禁欲法」を作ればもっと深刻な事態になるかもしれない。酒、タバコ、セックス、これらを最も適度な状態に置いておく方法は、「放っておく」、つまり何も制限しないことだろうと思う。人間は、制限しようとすればするほど反発したくなるという基本的性質があることを考えれば、そうなるのではないだろうか。


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