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「好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る」、男もです。 [BOOKS]

belle-au-bois.gif  昨夜も小雨の銀座で飲んでしまった。これで二日レンチャンの銀座飲み会となったわけだが、銀座で飲む機会がこのように多いのは、会社が現在築地にあって銀座が近いという理由が一番大きい。実は来月、会社が上野に移転する。そうなると、銀座に来る機会は多少は減るかもしれないが、銀座線を使えば15分程度で銀座に出られるので、引き続き銀座で飲むことにはなると思う。ということで、私のブログタイトル「銀座、新宿の夜は更けてⅡ」は変更せず、「上野・浅草」を新しいカテゴリーとして追加しようと考えいる。

で、酒ばかり飲んでいるとクルクルパーになってしまうかもしれいので、今日は祝日ということもあり、久しぶりに本を読むことにした。その本の話をする前に、イントロとして歌謡曲の話を一つ。レコード大賞を受賞したジュディ・オングの「魅せられて」に次のような一節があることをご存知の方は多いと思う。
♪ 好きな男の腕の中でも 違う男の夢を見る
この一節にドキッとした男性も多かったと思う。でも、当時18歳だった私は「そんなもんかなあ」くらいにしか思わなかった。

今日は川端康成の『山の音』と『眠れる美女』を読んだ。ともに、62歳と67歳の老人が主人公である(今だったらこの年齢では「老人」と呼ばないかもしれないが)。

『山の音』の主人公・信吾は62歳。信吾には妻の保子と息子の修一、娘の房子がいるが、修一は結婚後浮気をして家に帰らなかったり、娘の房子は二人の子供を連れて出戻りするなど、家族になかなか明るい話題がなかった。信吾は実は、妻である保子の姉にずっとあこがれていて、彼女の面影をいつまでも忘れることができず、信吾のその思いは、息子・修一の妻、菊子に向けられる。もし自分の人生をやり直せるなら、自分は処女の菊子、つまり修一と結婚する前の菊子を愛したのではあるまいか、そんなふうにまで信吾は考えるようになる。

「山の音」とは死期を告知する地底の響きというイメージであるが、この小説は人間の生きることのかなしさとか、老いてもなお衰えることのない情念(パトス)のようなものを描いていると思う。ジュディ・オングの、好きな男性と抱き合いながら、違う男性の夢を見るのは女性だけの専売特許ではなく、男性だって同じようなことをしているかもしれない。

さて、『山の音』の後半に、酔った信吾が若い芸者としけこむシーンがある。「信吾はなにもしなかった。いつのまにか、女は信吾の胸にやさしく顔をすり寄せて来た。媚びるのかと思って見ると、女は寝入ったようだった。信吾はほほ笑んだ。胸に頭をつけて、すやすや眠っている子に、信吾は温かいなぐさめを感じた。」。

全裸で眠る若い少女に添い寝する老人の姿を描いたのが『眠れる美女』である。この小説の主人公は67歳の江口老人。性的には不能になった老人たちが、睡眠薬を飲まされて眠る少女と一晩中添い寝ができる秘密の家を知り合いの老人から紹介され、江口老人も何度かその家を訪れる。

眠れる美女を前にすると老人たちは「近づく死の恐怖」「失った青春の哀絶」「おのれがおかして来た背徳の悔恨」などを、羞恥心を感じることなく、そして自尊心も傷つけられることなく、まったく自由に悔い、そして全く自由に悲しむことができる。してみると、眠れる美女は、老人たちにとって生きた仏のような存在になっていると言える。

『山の音』も『眠れる美女』も、「老い」「老境」といったものがテーマになっている。どちらの作品も全体的に暗く、そして悲しいトーンで貫かれているが、見方を変えると、すべての人間にあてはまる普遍的で、人間的なことがらが描き出されているように感じる。

写真はディズニー「眠れる森の美女」。
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