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西村賢太と市橋達也に、天国と地獄を見た。 [BOOKS]

RIMG0010.JPG今週発売された新刊本を二冊読んだ。一冊目は、英国人英会話教師だったリンゼイさんを殺害した市橋達也の『逮捕されるまで』。2年7カ月という長期にわたる逃亡の様子を市橋自身が綴ったものだ。

この本は、警察の追っ手から必死に逃れようとする市橋の姿は克明に伝えるものの、肝心要である、リンゼイさんを何故殺害したのかという点については一切記述がない。それはさておき、この本を少し紹介してみたい。

自分の身分を隠し逃亡するために、人間は何を考え、どう行動するものなのか、そのあたりのことをこの本は生々しく伝えてくれる。市橋が福岡と名古屋の病院で整形手術を受けた話は逮捕される少し前から報道されていたが、実は、市橋は自分自身でハサミや針を使い、鼻と下唇を切っている。また、顔にあった二箇所のホクロもカッターで切り落としている。とにかく逃げたかった市橋は、顔を変えることにこだわった。

青森、沖縄、大阪、福岡、名古屋などを転々とした市橋であるが(やはり、寒い北海道に行くつもりはなかったようだ。)、途中、四国で遍路の旅をする。リンゼイさんが生き返ることを祈り始めた旅であったが、それは叶わないことだとしばらくして気づく。当然のことだ。市橋は四国を歩き続けながら「考えることは食べること、トイレのこと、眠る場所を見つけることの三つだけ考えた」という。食べ、用を足し、そして眠るという人間の「原始的欲求」に極まったわけで、一般的に人間の基本的な欲求の一つとされる「性欲」は、追い詰められた人間には後回しになることがわかる。

市橋には文才があると思った。この本は、捕まってから書いた手記ではなく、あらかじめ練って書かれたシナリオのような感じがした。そのシナリオに沿って市橋は行動した、そんな感じさえ受けた、逃亡の経路がハッキリしているし、見たもの、聞いたもの、感じたことの描写が詳細で、抜群の記憶力だ。3年前に何があったのか思い出せと言われても、私なら全く思い出せない。その点市橋は、すぐれた記憶力を有している。

さて、二冊目は、芥川賞を受賞して今話題の西村賢太さんが著した『苦役列車』だ。中卒で風俗大好きの西村さんであるが、芥川賞の候補になるのはこれが三回目なのだそうだ。それではというので、受賞作の『苦役列車』を早々買って、読んでみた。

来月1日に発行される「文藝春秋」に、選考委員の選評が出るので、それも読んでみたいが、文学オンチの私にとって、この本はあまりドキドキ、ワクワクする本ではなかった(もともと、その類の本ではないのだろうけど。)。さて、西村さんは受賞の際に、「自分のことしか書けない」と述べ、『苦役列車』は「私小説です」と明言していた。

日雇い労働で生活する中卒の貫多(もちろん、西村さんのこと。)はある日職場で、同世代の日下部に出会い、孤独だった貫多にもようやく友達ができるのだが、恋人もいる日下部との関係は結局長続きせず、貫多は再び孤独になってしまう。そんな若者の閉塞感のようなものを描いたのがこの小説ということに一般的にはなるのだろうか。

私なりに整理すると、貫多=下層社会の孤独な青年、日下部=教養至上主義の下で育った恵まれた青年、という感じであるが、この図式は、先日ここで書いた、吉田修一さんの『悪人』や、黒澤明監督の「天国と地獄」に似た図式であるような気がする。結局、下層社会の孤独な青年は、救われず、ツキもなく、人生のババを引く、これらのどの作品も詰まるところ、そういうことを言いたかったような気がする。

市橋達也の実家は確か、医者だったと思う。本の最後のほうで市橋は「事件を起こすまで、僕は親や周りの人たちからたくさんのチャンスをもらってきた。でもそのことに気づかなかった。それが恵まれた状況だということを、僕は全然考えようともしなかった。」と述べている。下層の人間から見て「恵まれた状況」は、恵まれた人間にとっては恵まれたこととして映らない、そういうことなのだろう。

現実のことを考えてみよう。少し前までは、西村賢太さん=下層社会の孤独な青年、市橋達也=教養至上主義の下で育った恵まれた青年、だったはずだ。でも、今はどうだろう。西村さんは芥川賞を受賞して、これからは印税がどんどん入ってきてリッチになる。言ってみれば、地獄から天国に登りつめたわけだ。一方、市橋は全くその逆で、天国から地獄に堕ちていったわけだ。ここで私がとても興味のあることは、「自分のことしか書けない」と言った西村さんが、今後とも、自分のことだけを書く、つまり、自分のリッチな生活のことを書くのだろうかという点だ。

『苦役列車』の後半に、ようやく「苦役」の意味がわかる箇所が登場する。すなわち「自分の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくこを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。」とある。

このように、日雇い労働者(西村さん本人。)の閉塞感、劣等感だからこそ読者の心に響くわけで(どうやら、これまでの西村作品は「貧困」が大きなテーマだったようだ。)、ある日突然貧困を脱した西村さんが、今後どのようなテーマで作品を生み出していくのか、興味のあるところだ。そして、最後にもう一言だけ言わせてもらえば、生きるか死ぬかの2年7カ月を過ごした市橋達也の圧倒的なリアリティーの前に、いくら貧困な人生を送ったとはいえ、西村作品は市橋作品の前に、正直、平伏したような気がした。

さて、今日は最終便で釧路に来た。午後8時半頃、市内のホテルにチェックインした。それからすぐにマイナス5度以下の寒さのなか、繁華街に向かい、熱燗をやりながら食事をした。東京だったら軽く3人前はあるだろうと思われる、たちのポン酢などを鱈腹いただいた。

写真は幣舞橋のたもとに停泊する漁船の様子。手前に雪が見える。
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リカ

とてもわかりやすい感想ですね。↑

「苦役列車」、いくつか、わからない漢字(単語)が出てきました。

西村さんは、一生懸命に生きながらも よく勉強されていたんじゃないか

と思います。積み重ね、積み重ね、+に転じさせた。

今までつらかった分、しあわせになってほしいと思います。
by リカ (2011-02-03 18:49) 

karubi

リカさん、はじめまして。
コメントありがとうございました。

西村さんは明らかに異色の作家ですね。
これまでは、生活は大変だったのかもしれませんが、
一方で文章の才能は確かなものがあったわけです。
売れっ子になって、これまで持っていたモチベーションが
維持され続けるのか、それとも新境地を拓くのか、
興味のあるところですね。

karubi


by karubi (2011-02-04 07:32) 

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