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桜は咲き、梅はほころぶ、なるほど、なるほど。 [芸術]

RIMG0009.JPG普段酒ばかり飲んでいるせいで、仕事が溜まってしまった。でも、月曜日からはまた飲みたいので、今日午後から会社に行って仕事をやつけてきた。会社は上野だが、帰りは当然、愛する新宿で途中下車。新宿通りのあたりをぶらぶらしていたら、「追分だんご本舗」の前を通った(写真)。写真の右隅に梅の木が見える。そう、今は2月、如月である。

如月の由来は、この時期、寒さで着物を更に重ねて着ることから「着更着」(きさらぎ)とする説が有力とされている。なるほど、なるほどである。

さて、昨日、大阪出張のことを書いたが、羽田・大阪間の飛行機はANAを利用した。その機内オーディオプログラムに、少し前から「オールナイトニッポンClassics」という番組があり、ANAに乗るときは必ずこの番組にチャンネルを合わせている。

番組進行役(DJ)は、深夜放送番組「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティーの一人であるアンコーさんこと、斉藤安弘さんだ。御年70歳とは思えないほど、声がしっかりしていて発音もクリアーだ。そのアンコーさん曰く、「桜は「咲く」と表現するが、梅が「咲く」とはあまり言わない。梅は、「ほころぶ」と表現されのではないか。私は、このような日本語の繊細な表現力が好きだ。」。こちらも、なるほど、なるほどである。

「オールナイトニッポンClassics」は、60年代から80年代を中心に懐かしい音楽をかけてくれる。今回聴いたなかで私が一番嬉しかったは、カルメン・マキが69年に歌ってヒットした「時には母のない子のように」だった。

ご存知のとおり、カルメン・マキは17歳のときに、寺山修司の「演劇実験室 天井桟敷」に入団している。アンコーさんの話によると、入団試験のときにカルメン・マキは寺山修司の質問に一切答えなかったのだそうだ。そのユニークさが買われ、試験は合格となった。さて、「時には母のない子のように」は寺山修司が歌詞を担当した。一番の歌詞は次のとおりだ。

時には母のない子のように  だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように  ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

正直言うと、昔から、この歌詞が意味するところがよくわからないのだ。「母」とは、寺山修司の母、ハツさんのことなのだろうか。それとも、何か別のことを象徴的に現した言葉なのか。そして特に、三行目の歌詞がわからない。なかでも最後の「だれにも愛を話せない」というのがわからない。要するに、チンプンカンプンなのだ。寺山修司に詳しい方、ご存知でしたら是非、教えてください。

それにしても、深夜放送って、懐かしいね。私は中学生の頃、毎日朝の5時頃まで深夜放送を聴いていた。そうするために、学校から帰ってきて夕飯を家族と食べた後、深夜0時頃まで仮眠していたのだ。ビジネスマンとなった今はこのような生活はできないが、中学生の頃のような生活スタイルに戻れたらどんなに幸せだろう。だって、私は、深夜という時間帯が今でも好きなのだから。

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コメント 6

syun

生まれて初めて受ける愛が母親からの無償の愛で、それがないと他人を愛するようにはなれない・・・という意味ではないのでしょうか?
それにしても、朝の5時って"深夜放送"じゃないじゃないですかwww笑
by syun (2011-02-13 22:54) 

karubi

syunさん、おはようございます。
「時には母のない子のように」の歌詞に関する解釈、
ありがとうございました。これについてはもう少し
自分で調べてみたいと思います。

朝5時までが深夜放送と呼ぶのは当時からも一般的
でしたし、今もそうだと思います。
例えば、NHKラジオの人気番組「ラジオ深夜便」の
放送時間帯は午後11時過ぎから翌朝5時までです。
午前5時というのは切りのいい時刻で、これ以降新しい
一日がスタートする、そんな感じだと思います。

karubi
by karubi (2011-02-14 07:01) 

たかね

karubiさん こんにちは

最近、新宿が通勤経路でなくなったせいか ご無沙汰し放しです。
年末年始に行ったきり。ボトルが当ったのに、
最近家庭が比較的平和なせいか、愚痴る衝動に駆られることもなく。

人生エロエロ masamasaさん↑(目の前)がよく言ってますね。
私はだんだんどんどんエロさに興味が・・・ 懐かしささえ感じてきます。
ぷっ

つるこうと中島みゆきが好きでしたね。
え~んかえんかえ~ねんか
がちがちに興奮してラジオの調節をして聞いてましたね

話題が散漫になりますが、
串勝つのはナシ、三宮の駅前にやっす~イ串勝やが昔ありました
今の上さんと行ったときに、連れが箸で食べていたら
「うちは、はしかつやちゃうで!」と
怒られてました。変な風情がありましたね

時には母のない子のように
この歌を聞くと、なぜか「弟よ」を思い出します。

笑われますが、はや、哀愁の世代に突入なのかもしれません。。。

by たかね (2011-02-14 13:54) 

karubi

たかねさん、おはようございます。
たまには新宿に来てくださいね。

私が好きだった深夜放送は実は、文化放送のセイヤングと
TBSラジオのパックインミュージックでした。
セイヤングのパーソナリティーでよく聴いたのは、
土居まさる、谷村新司、せんだみつおで、どれも70年代
に番組を担当したパーソナリティーでした。

80年代のパーソナリティーは私からすると新しい時代の
方々で、青春の思い出と言えばやはり、70年代ということに
なります。そういうば、落合恵子さんもセイヤングを
やっていて、当時はレモンちゃんと呼ばれて人気が
あったのですが、その後、ちょっと理屈っぽくなっちゃい
ましたね。

昨夜はヘラヘラしながら酒を飲んでいたら大雪に遭遇
してしまい、大変な目に遭いました。
今日は雪道でも滑らない北海道仕様の靴で、新宿を飲み
歩くつもりです。

karubi

by karubi (2011-02-15 09:31) 

まさまさ

かるびさん

お久しぶりぶりです。

深夜放送ですか~。懐かしいですね。ご多分にもれず私めもラジオ、カセットラジオを両親にねだって買ってもらい(あの当時カセットラジオは2、3万円したように記憶していますが)、始めのうちは、CBCビップヤングとか地元の深夜放送を聞いていましたが、それでは飽き足らず、東京の文化放送、日本放送にチューニングしていました。谷村新司とばんばひろふみがやっていたセイヤング「天才、秀才、ばか」シリーズはもう最高でした。

(その何年後かに、偶然古本屋でその「天才、秀才。ばかシリーズ」の本を何冊か見つけ、衝動買いしてしまいました。ずっと、本棚にその本15冊くらいをいれてあったのですが、あるとき、うちの息子たちが見つけ読んだらしく、大うけしていました)

録音もできたでしょうが、リアルタイムで聞いていましたね。

(鶴光のオールナイトニッポンも聞いていたな~)

支離滅裂。お許しあれ。
by まさまさ (2011-02-18 16:16) 

karubi

まさまささん、こんにちは。
お久しぶりです。

我々の世代は、深夜放送は青春そのものでしたね。
私も、在京のラジオ局ばかりではなく、大阪のABC放送
なんかもよく聴いていました。

電波って、深夜になるとよく通じるようになりますが、
午前5時を過ぎると、もうダメなんですね。
深夜の星空を見上げながら「あー、今、全国のリスナーと
自分は繋がっている」、大袈裟じゃなくそう思いました。

「天才、秀才、ばか」、よく知ってますよ。
とにかく馬鹿馬鹿しかったですね。
馬鹿馬鹿しいことに笑うことって、この頃なくなってしまった
ような気がします。

またコメントください。

karubi


by karubi (2011-02-20 11:57) 

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