バブル到来、銀座高級寿司屋で、ゴチになります。 [銀座]
北野武の『超思考』という本を読んでいたら、次のような一節が出てきた。
「残酷な話だけど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。」「眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。」。
全くそのとおりだと思う。私も以前から、世の中で才能のある人間なんて1%もいないのではないか、その他の99%以上は平凡な能力しかない。だから、あまり高望みしないで、みんなで生活の知恵を出し合いながら、普通の人は普通にそこそこ生きることを目指すべきだ、そうここで書いてきた。
北野武の冒頭の一説は、私の主張と大体符合する。このような考え方には夢も希望もないと批判する人がいるかもしれないが、現実なのだから仕方ない。我々は夢とか幻想を深追いして、現実の生活を疎かにすることはできない。今日もそして明日も生き抜くために、不味いパンかもしれないが、食べなければならないのだ。
さはさりながら、手の平サイズの夢くらいは欲しいのも人情というものだ。その、手の平サイズの夢さえも描けないのが、今の時代なのではないだろうか。
私が今の会社に入社してほどなく、バブルが到来した。私の勤務している会社はずっと貧乏会社であるが、そのときだけは違っていた。私のところは不動産業もやっていて、不動産の売買部門はウハウハ儲かっていた。今日買った1億円の土地が、1週間後には1.5億円になった。たった一週間で5千万円の利益が出る。そんな時代だった。
その恩恵を、20代の私もたっぷり受けた。毎日のように銀座で飲み歩いた。若手の我々でも、お店のツケがきいた。同伴というと、馴染みのお客さんがホステスさんを食事に誘い、その後一緒にクラブなどに行くことであるが、今でもよく覚えていいるが、何度か私はホステスさんに食事を誘われ、おごってもらい、それからお店に行ったことがあった。
当時、株で毎日10万円単位の利益を出していたホステスさんが少なくなかった。「好きなもの食べてね。」、そうホステスさんから言われ、私は遠慮なく大トロなどの高級な寿司を注文した。でも、彼女たちのことを私はあまり羨ましいとは思わなかった。なぜなら、彼女たちよりも私はかなり貧乏だったが、私なりに、会社生活が充実していたからだ。会社の業績はまあまあだったし、接待費も先輩に頼んでかなり使えたからだ。そして、何よりも世の中全体が明るかった。
行き過ぎたバブルは確かにいけないかもしれない。しかし、国民全体の生活水準を少し上げるくらいのミニバブルはあってもよいと思う。今の経済状況はどうだろう。どんどん生活水準は下がっていく。国民の不満は溜まる。一方で、こんな時代でも、リッチな人たちは存在する。ギリギリの生活をしている多くの人たちは、一部のリッチ層の人たちを妬む。ジェラシーが蔓延する世の中。嫌な世の中である。
難しい理屈はよくわからないが、消費税なんか上げたら、日本はもう貧乏な無気力国家になってしまうような気がする。政府はどんどんお金を使い、世の中にお金を回してほしい。金は天下の回りもの。お金を回すということは、一見無駄なように見えるが、みんながそれで少しずつ潤っているのだ。だから、政府はどんどん世の中にお金を供給したらいいと思う。
今日は少し暴走気味になってしまった。写真は一昨日の銀座4丁目交差点付近の様子。銀座は今閑古鳥が鳴いている。久しぶりに、ホステスさんにお寿司をおごってもらう時代に遭遇したいものだ。
「残酷な話だけど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。」「眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。」。
全くそのとおりだと思う。私も以前から、世の中で才能のある人間なんて1%もいないのではないか、その他の99%以上は平凡な能力しかない。だから、あまり高望みしないで、みんなで生活の知恵を出し合いながら、普通の人は普通にそこそこ生きることを目指すべきだ、そうここで書いてきた。
北野武の冒頭の一説は、私の主張と大体符合する。このような考え方には夢も希望もないと批判する人がいるかもしれないが、現実なのだから仕方ない。我々は夢とか幻想を深追いして、現実の生活を疎かにすることはできない。今日もそして明日も生き抜くために、不味いパンかもしれないが、食べなければならないのだ。
さはさりながら、手の平サイズの夢くらいは欲しいのも人情というものだ。その、手の平サイズの夢さえも描けないのが、今の時代なのではないだろうか。
私が今の会社に入社してほどなく、バブルが到来した。私の勤務している会社はずっと貧乏会社であるが、そのときだけは違っていた。私のところは不動産業もやっていて、不動産の売買部門はウハウハ儲かっていた。今日買った1億円の土地が、1週間後には1.5億円になった。たった一週間で5千万円の利益が出る。そんな時代だった。
その恩恵を、20代の私もたっぷり受けた。毎日のように銀座で飲み歩いた。若手の我々でも、お店のツケがきいた。同伴というと、馴染みのお客さんがホステスさんを食事に誘い、その後一緒にクラブなどに行くことであるが、今でもよく覚えていいるが、何度か私はホステスさんに食事を誘われ、おごってもらい、それからお店に行ったことがあった。
当時、株で毎日10万円単位の利益を出していたホステスさんが少なくなかった。「好きなもの食べてね。」、そうホステスさんから言われ、私は遠慮なく大トロなどの高級な寿司を注文した。でも、彼女たちのことを私はあまり羨ましいとは思わなかった。なぜなら、彼女たちよりも私はかなり貧乏だったが、私なりに、会社生活が充実していたからだ。会社の業績はまあまあだったし、接待費も先輩に頼んでかなり使えたからだ。そして、何よりも世の中全体が明るかった。
行き過ぎたバブルは確かにいけないかもしれない。しかし、国民全体の生活水準を少し上げるくらいのミニバブルはあってもよいと思う。今の経済状況はどうだろう。どんどん生活水準は下がっていく。国民の不満は溜まる。一方で、こんな時代でも、リッチな人たちは存在する。ギリギリの生活をしている多くの人たちは、一部のリッチ層の人たちを妬む。ジェラシーが蔓延する世の中。嫌な世の中である。
難しい理屈はよくわからないが、消費税なんか上げたら、日本はもう貧乏な無気力国家になってしまうような気がする。政府はどんどんお金を使い、世の中にお金を回してほしい。金は天下の回りもの。お金を回すということは、一見無駄なように見えるが、みんながそれで少しずつ潤っているのだ。だから、政府はどんどん世の中にお金を供給したらいいと思う。
今日は少し暴走気味になってしまった。写真は一昨日の銀座4丁目交差点付近の様子。銀座は今閑古鳥が鳴いている。久しぶりに、ホステスさんにお寿司をおごってもらう時代に遭遇したいものだ。
2011-02-18 01:52
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ジェラシー
愛の言葉は
愛の裏側
ジェラシー
・
・
ワンピースを 重ね着する君の心は
このくだり 昔から不思議な気持ちでしたが
とてもすきなのです。
本論
お金
量だけでなくそのスピード(回転:回りもの)の積数
まとめて レバレッジというもかもしれません
この積数
人間の欲望の和に比例してないと、
バブルといわれたり、デフレと言われたりする
と私は解釈しております。
そんな日々の泡沫(うたかた)に 漂い翻弄される
今日は久々に新宿に行きたい気分なのです。
(上さん愚痴はないですが)
by たかね (2011-02-21 18:18)
たかねさん、こんにちは。
たかねさん、井上陽水お好きなんですね。
ジェラシーは私も最近歌うようになりました。
でも、少し難しい歌です。
バブル、デフレ。どんなことも程度問題。
極端はいけません。
この頃は明らかにデフレが極端です。
いろいろなものがシュリンクしている。
少しばかり、バブルな世の中になってほしい。
そう願っています。
また新宿でお会いしたいですね
karubi
by karubi (2011-02-22 14:13)