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「形あるものは、いつかは壊れる。」、ということです。 [銀座]

RIMG0039.JPG今から50年以上も前の話であるが、私の母が父の家に嫁いで来たときに、家には父の両親、つまり、私の祖父と祖母が同居していた。当時父は小さな工務店をやっていて、若い大工を数人住みこませ、毎朝早くから大工たちと一緒に仕事に出かけた。家にはこの他に、結婚していなかった父の兄弟が三人同居していて、そんな「大家族」のなかで私は生まれ育った。

母はそんな大変な家に嫁いできたわけだが、当時、我が家で一番怖かった存在はなんといっても明治生まれ祖父だった。祖父はとにかく頑固で怒りっぽく、典型的な明治気質の人間だった。ただ、孫である私にはとても優しくしてくれた。そんな祖父の趣味の一つが盆栽いじりだった。祖父が丹精込めて作り上げた盆栽は子どもの私から見ても、風格と趣があった。

そんな祖父の大切な盆栽の鉢を、おっちょこちょいの母があるとき棚から落としてしまった。台無しになった盆栽を見て祖父は母に対し、烈火のごとく怒った。母はただただ謝るしかなかったが、そんな母の姿を見て口数の少ない祖母が「形あるものは、いつかは壊れる。仕方ないよ。」と励ましてくれた。

これは、私が母から何度か聞いた話である。「形あるものは、いつかは壊れる。」、怒りっぽい祖父よりも、祖父には一切抵抗しなかったこちらも明治生まれの祖母のほうが「人生の達人」だったに違いないと、後年、私はそう考えるようになった。

東日本大震災で福島第一原発が被災したが、やはり、「形あるものは、いつかは壊れる。」、ということなのだろう。別の表現をすれば「世の中に絶対ということはない。」、そういうことになるのではないだろうか。

「原子力は絶対安全」、そう説明されて、福島県も原発を受け入れたのだろう。その見返りということではないのだろうが、周辺地域にはいろいろな経済的メリットが与えられた。この図式は、沖縄の基地問題に酷似している。

「原発」という嫌悪施設を受け入れる一方、周辺地域は雇用創造と経済的メリットを享受する、一見バランスが取れた取引のように見えるが、原発事故という想定外の事態が発生してしまった今、このバランスは完全に崩壊し、東電(政府)と周辺地域は「共倒れ」してしまった。

東京新聞の昨日の記事は衝撃的だった。福島第一原発の設計を担当した元技術者の証言であるが、彼は当時の上司に「マグニチュード9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定すべき」と進言したのだが、上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑し付したというのだ。だが、その「千年に一度」がまさに今回発生したのである。当時想定した津波の高さは最高5.5メートルで、今回実際に発生した津波の高さは想定をはるかに超える14メートルだったのだ。

人間の作ったものは、必ず壊れる、祖母の言葉を今回改めてかみしめた。

写真は、並木通りのシャネルかディオールのショーウインド。マネキンの女性は綺麗だけど、はかなさも感じる。


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