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こんなときだから、歌謡曲、講談、漫才、ラジオドラマで楽しみましょう。 [BOOKS]

7046194.jpgようやく、通常モードのテレビ番組が放送されるようになってきた。大震災以来すべてのことが自粛ムードになっていたが、少しずつ普段の生活が戻りつつある。

今から10年前の9月11日、アメリカ同時多発テロが起きた。当時、ニューヨーク市長だったジュリアーニ氏は市民に対し、経済への影響を避ける目的から、「普段通りの生活をしよう」と呼びかけた話は有名だ。テロと自然災害(大地震)という違いはあるにしろ、「有事」における指導者の言葉には重いものがある。

学習院大学教授である井上寿一さんの『戦前昭和の社会1926-1945』に次のような話が書かれている。日中戦争が始まった1930年代後半の頃、庶民が情報を得る主な手段はラジオであった。日中戦争開始直前、首相に就任した近衛文麿は、自身の印象操作のためにラジオを巧みに利用した。近衛の口調は穏やかであったが、戦時にあって団結をラジオを通して国民に直接語りかける手法は、国民の支持を得たという。

ラジオは一方で、国民を慰安する役割も果たした。当時のラジオは、現代におけるテレビだと思えばいい。その当時、国民がラジオに期待したものはもちろん戦況などのニュースもあったが、1937年の聴取状況調査によれば、聴取率が75%以上になったものとして、浪花節、歌謡曲、講談、漫才、ラジオドラマなどの娯楽番組があった。

これらのラジオ番組は時局柄相応しくないとする意見があった一方で、「国民は国策遂行のためには増税も物価の騰貴も欣然と負担する。節約も貯蓄も励行する。そのあらゆる物資生活の対する緊張は、精神生活で慰安されなければならない。」として、戦時下における娯楽番組の放送を擁護する意見も少なくなかったという。

今引用したカギ括弧の部分は、今回の大震災でも同様のことが言えるのではないかと私は思う。相当のことを我慢しなければならない、賢明な我が日本国民は皆そのことを十分理解している。ただ、なんでもかんでも我慢しなさいと言われると、精神的に参ってしまう。そうならないために必要なことは、日常生活を普段通りに送り、娯楽に接することだと思う。「これはこれ、あれはあれ」、そういうバランス感覚を指導者が持ち、そのことを国民に呼びかけることが、政府に今求められることではないだろうか。

写真は上野公園の桜(誰かが撮った写真です)。今年は誰も上野で花見をしませんね。寂しいことです。
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