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神様、仏様、これからもよろしくお願いいたします。 [芸術]

RIMG0078.JPGNHKの日曜日美術館の司会者がこの4月に替わり、先週からこの番組をまた観ている。今日は今年で生誕100年を迎える画家、岡本太郎の特集だった。私は以前から彼の書いたものをよく読んでいたが、今日改めて、岡本太郎の桁外れた存在感のようなものを感じた。

どんなにテクノロジーが進歩しても、人間のほうはちょっとも進歩しないとか、例え原子爆弾で悲惨なことがあっても、人間はそれを克服して生き続けるとか、岡本太郎の言葉は今も色褪せていない。

さて、評論家の西部邁さんが昨日あるテレビ番組で今回の東日本大震災に触れ、深刻な原発事故は、テクノロジーに対する人間の過信が引き起こしたのではないかと指摘していた。一見月並みな指摘のようにも思えるが、そうなのかもしれない。少し前にここで、人間が作った形あるものは、いつかは必ず壊れるという、私の祖母の言葉を紹介した。だが、1基500億円かけて造った原子力発電所は絶対安全で壊れない、そう信じた技術専門家が多分たくさんいたに違いない。

今回の原発事故で見逃していけないポイントがもう一つあると私は考えている。それは、自然だ。日本でいつか大地震が起きるだろう、そう想定していろいろな備えをしていたはずである。しかしながら、想像を超える大津波の前では、すべての備えは無駄でしかなかった。だからといって、今回の事態が自然の怖さを日本人が軽視した結果だと決め付けるのは性急かもしれない。でも、我々の心の奥底に、人間はこの世の中で一番偉い存在であり、自然をも征服できるといった「驕り(おごり)」が我々の心のどこかに存在してはいなかっただろうか。

岡本太郎は自らカメラを持って、日本各地の祭りを精力的に取材した。ところで、祭りとは、神や自然に対する祈り、感謝の儀式のことだと言える。我々はその「祭りの精神」みたいものをこの頃忘れているのかもしれない。飽食の時代にあって、海の幸をもたらしてくれる海の神、海の幸以外の恩恵を与えてくれる動物や草木に宿る神などに感謝する気持ちが、現代に生きる我々には希薄であったような気がする。

神の逆鱗に触れたとは思いたくないが、いずれにしろ、今回の大震災には自然以外の「何かの力」が働いたような気がする。


写真は、新宿花園神社の今日の様子。境内の建築物に「ここは神域につき貼り紙厳禁」との警告文があった。「神域」を土足で侵すようなことをすると、天罰が下る、ということか。

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