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どうして私が、総理大臣に?自慢話はやめましょう。 [時事]

RIMG0084.JPG今朝、JR高円寺駅のプラットホームに立って周りの企業広告をボーッと眺めていたら、某大学受験予備校のキャッチコピーが目に入った。曰く「どうして私が東大に?」。私なりにこのコピーを解釈してみると、このコピーは多分「勉強が出来なかったダメ受験生であった私が、最難関である東京大学に入学できたのは、後にも先にも●●予備校のお陰です。皆さん是非、●●予備校にお越しください。」というニュアンスを伝えたかったのだろうと思う。

このコピー、私は生理的に全くダメである。理由は、「いやらしい」からである。このコピーのように、一見謙虚を装い、実は自慢しているみたいな「いやらしい」人間というのは、受験生に限らず結構いるものだ。

もし私がコピーライターなら、「私は一生懸命勉強して、東大に合格しました。」と単刀直入に書く。そのほうが、「いやらしさ」はないし、受験生のほうも「そうか、やっぱり東大というのは難関なんだ。気を引き締めて一生懸命勉強しよう。」という素直な気持ちになると思う。「どうして私が東大に?」なんて書いてあると、「出来の悪い私でも、予備校さえ行けば、そょっとしたら東大に合格できるかもしれない。」という、極めて安易な気持ちになり、根性を入れて勉強しなくなるに違いない。

謙譲の美徳、という言葉がある。謙虚な気持ちは尊いという意味で、日本人特有の感性だと思う。適度な謙虚心というのは、周囲の人間にとっても心地良いものだ。でも、謙虚さを強調しすぎたり、過度にへりくだった態度というのは、周囲の人間にとっては逆に不愉快である。

過度にへりくだったりしない、自慢もしない、要するに世の中、自然体でいけばいいのである。過度なへりくだりは嫌味に聞こえるし、自慢ばかりしていると周囲は白け、いつかしっぺ返しをくう。適切な例ではないかもしれないが、今日本で一番有名な企業になってしまった東京電力、そこの社員は超エリートと言われている。

社員のなかには、自慢げに東電の名刺を出す者もいたに違いない。東電という大看板があれば、信用力はあるし、銀座のクラブあたりでも簡単にツケもきいたであろう。でも、今はどうだろうか。

東電の名刺の「威光」は極端に衰えたのではないだろうか。株価は震災前に比べて4分の1になり、原発の処理方法如何では会社自体の存続に議論が及ぶ可能性もある。そんな状況下、これまで高飛車な態度で世の中に接してきた東電社員に対しては「ざまー見ろ」と思っている人たちも少なくないかもしれない。一方、普段から自然体で、裸の人間関係を築いてきた社員に対しては「辛いだろうけど、応援しているから、がんばってね。」と周囲からエールが送られるに違いない。

この世の中、一寸先は闇である。明日の自分は、今日の自分とは全く違う立場の人間になっているかもしれない。そう思いながら、日々を送ることが大切なことを、今回の東電原発事故は教えてくれたような気がする。


さて、今日は札幌に来ている。仕事の後は支店の皆さんとサッポロビール園でジンギスカンを食べることになっている。その後は、ススキノに突撃する予定。成果(性課?)は後日報告ということで(写真は道庁赤レンガ)。



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