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「まだ、早い!」、お肉はしっかり焼きましょう。 [銀座]

RIMG0069.JPG富山県の焼き肉チェーン店で生食のユッケを食べて児童二人が集団食中毒で死亡した。本来加熱して食べさせなければならない肉を、お店では加熱せずに客に出していた。報道を見る限りであるが、お店も肉の卸売業者も「確信犯」のようで、赤坂で飲食店を仕切っている私にとっては他人事とは思えない話だ。

さて、私の住んでいる高円寺からJR総武線で3つ目の駅が大久保駅である。駅を降りると大久保通りがあり、ここから西に向かって明治通りにぶつかるまでの一帯が日本一のコリアンタウンである。焼肉店をはじめ、韓国食品を販売する店や、最近ではK-POPSのCDを売る店が繁盛している。

私は一人で焼肉店に入る。一人焼肉は惨めだと言う人がいるが、私は一向に気にならない。店内のお客さんはほとんどカップルか女性同士であるが、年のせいもあるが、私は恥ずかしいと思ったことがない。

網の上でカルビをジュー、ジュー焼いていると、女性店員が焼くのを手伝ってくれるときがある。これはもちろん親切心からの行為だと思うのだが、ちょっと不都合なこともある。焼肉はレアぐらいが好きな私であるが、店員さんはウエルダン、つまりしっかり焼こうとする。店員がどこかに行った隙にレア気味のカルビを網から取り皿に降ろすと、それを見つけた店員さんが足早にやってきて「まだ、早い!」と言って、取り皿にある肉を再び網の上に乗せてしまうのだ。

ちょっと怖そうな店員さんなので素直に従うようにしているが、放っておいてほしいと思うときもある。しかしながら、今回のような食中毒事件があると、どんな肉でも生ではなく、この店員さんがするようにしっかりと焼くのが正解のような気もする。

そういえば先日上野に、一人焼肉の焼肉店がオープンした。一人で焼肉店に行くのが苦手な人のための焼肉店だという。客席数25で、それぞれの席は図書館の自習室のように区切られていて、全員同じ方向に向かって座り客同士が互いに見えないように作られている(写真を見ると、仕切りの幅が狭く、どう見ても窮屈そうな感じがする)。

同じ一人でも、正直言うと、こういう店には行きたくない。それこそ惨めな感じがするからだ。解放感がないというか、味気ないというか、焼肉も不味くなってしまうような気がする。ニッチ(隙間)を狙った商売なのかもしれないが、どうなのだろうという感じがする。


というわけで、今日は部下を引き連れて、久しぶりに数寄屋橋の屋上で成吉思汁を食べてきた。写真に写っている赤身のラム肉であれば、私は何の抵抗もなく食べることが出来る。しかしながら、妻子持ちの部下たちは、富山の件で相当ビビッていて、焦げ目がしっかりついてから食べていた。まあ、仕方ないね。

「形あるものは、いつかは壊れる。」、ということです。 [銀座]

RIMG0039.JPG今から50年以上も前の話であるが、私の母が父の家に嫁いで来たときに、家には父の両親、つまり、私の祖父と祖母が同居していた。当時父は小さな工務店をやっていて、若い大工を数人住みこませ、毎朝早くから大工たちと一緒に仕事に出かけた。家にはこの他に、結婚していなかった父の兄弟が三人同居していて、そんな「大家族」のなかで私は生まれ育った。

母はそんな大変な家に嫁いできたわけだが、当時、我が家で一番怖かった存在はなんといっても明治生まれ祖父だった。祖父はとにかく頑固で怒りっぽく、典型的な明治気質の人間だった。ただ、孫である私にはとても優しくしてくれた。そんな祖父の趣味の一つが盆栽いじりだった。祖父が丹精込めて作り上げた盆栽は子どもの私から見ても、風格と趣があった。

そんな祖父の大切な盆栽の鉢を、おっちょこちょいの母があるとき棚から落としてしまった。台無しになった盆栽を見て祖父は母に対し、烈火のごとく怒った。母はただただ謝るしかなかったが、そんな母の姿を見て口数の少ない祖母が「形あるものは、いつかは壊れる。仕方ないよ。」と励ましてくれた。

これは、私が母から何度か聞いた話である。「形あるものは、いつかは壊れる。」、怒りっぽい祖父よりも、祖父には一切抵抗しなかったこちらも明治生まれの祖母のほうが「人生の達人」だったに違いないと、後年、私はそう考えるようになった。

東日本大震災で福島第一原発が被災したが、やはり、「形あるものは、いつかは壊れる。」、ということなのだろう。別の表現をすれば「世の中に絶対ということはない。」、そういうことになるのではないだろうか。

「原子力は絶対安全」、そう説明されて、福島県も原発を受け入れたのだろう。その見返りということではないのだろうが、周辺地域にはいろいろな経済的メリットが与えられた。この図式は、沖縄の基地問題に酷似している。

「原発」という嫌悪施設を受け入れる一方、周辺地域は雇用創造と経済的メリットを享受する、一見バランスが取れた取引のように見えるが、原発事故という想定外の事態が発生してしまった今、このバランスは完全に崩壊し、東電(政府)と周辺地域は「共倒れ」してしまった。

東京新聞の昨日の記事は衝撃的だった。福島第一原発の設計を担当した元技術者の証言であるが、彼は当時の上司に「マグニチュード9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定すべき」と進言したのだが、上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑し付したというのだ。だが、その「千年に一度」がまさに今回発生したのである。当時想定した津波の高さは最高5.5メートルで、今回実際に発生した津波の高さは想定をはるかに超える14メートルだったのだ。

人間の作ったものは、必ず壊れる、祖母の言葉を今回改めてかみしめた。

写真は、並木通りのシャネルかディオールのショーウインド。マネキンの女性は綺麗だけど、はかなさも感じる。


バブル到来、銀座高級寿司屋で、ゴチになります。 [銀座]

00000002.JPG北野武の『超思考』という本を読んでいたら、次のような一節が出てきた。
「残酷な話だけど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。」「眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。」。

全くそのとおりだと思う。私も以前から、世の中で才能のある人間なんて1%もいないのではないか、その他の99%以上は平凡な能力しかない。だから、あまり高望みしないで、みんなで生活の知恵を出し合いながら、普通の人は普通にそこそこ生きることを目指すべきだ、そうここで書いてきた。

北野武の冒頭の一説は、私の主張と大体符合する。このような考え方には夢も希望もないと批判する人がいるかもしれないが、現実なのだから仕方ない。我々は夢とか幻想を深追いして、現実の生活を疎かにすることはできない。今日もそして明日も生き抜くために、不味いパンかもしれないが、食べなければならないのだ。

さはさりながら、手の平サイズの夢くらいは欲しいのも人情というものだ。その、手の平サイズの夢さえも描けないのが、今の時代なのではないだろうか。

私が今の会社に入社してほどなく、バブルが到来した。私の勤務している会社はずっと貧乏会社であるが、そのときだけは違っていた。私のところは不動産業もやっていて、不動産の売買部門はウハウハ儲かっていた。今日買った1億円の土地が、1週間後には1.5億円になった。たった一週間で5千万円の利益が出る。そんな時代だった。

その恩恵を、20代の私もたっぷり受けた。毎日のように銀座で飲み歩いた。若手の我々でも、お店のツケがきいた。同伴というと、馴染みのお客さんがホステスさんを食事に誘い、その後一緒にクラブなどに行くことであるが、今でもよく覚えていいるが、何度か私はホステスさんに食事を誘われ、おごってもらい、それからお店に行ったことがあった。

当時、株で毎日10万円単位の利益を出していたホステスさんが少なくなかった。「好きなもの食べてね。」、そうホステスさんから言われ、私は遠慮なく大トロなどの高級な寿司を注文した。でも、彼女たちのことを私はあまり羨ましいとは思わなかった。なぜなら、彼女たちよりも私はかなり貧乏だったが、私なりに、会社生活が充実していたからだ。会社の業績はまあまあだったし、接待費も先輩に頼んでかなり使えたからだ。そして、何よりも世の中全体が明るかった。

行き過ぎたバブルは確かにいけないかもしれない。しかし、国民全体の生活水準を少し上げるくらいのミニバブルはあってもよいと思う。今の経済状況はどうだろう。どんどん生活水準は下がっていく。国民の不満は溜まる。一方で、こんな時代でも、リッチな人たちは存在する。ギリギリの生活をしている多くの人たちは、一部のリッチ層の人たちを妬む。ジェラシーが蔓延する世の中。嫌な世の中である。

難しい理屈はよくわからないが、消費税なんか上げたら、日本はもう貧乏な無気力国家になってしまうような気がする。政府はどんどんお金を使い、世の中にお金を回してほしい。金は天下の回りもの。お金を回すということは、一見無駄なように見えるが、みんながそれで少しずつ潤っているのだ。だから、政府はどんどん世の中にお金を供給したらいいと思う。


今日は少し暴走気味になってしまった。写真は一昨日の銀座4丁目交差点付近の様子。銀座は今閑古鳥が鳴いている。久しぶりに、ホステスさんにお寿司をおごってもらう時代に遭遇したいものだ。



あなたは、決して、叶姉妹にはなれません。 [銀座]

20091028060935845s.jpg昨日は築地で、取引先の接待を受けた。オシャレなイタリア料理店で、マスコミにも何度も紹介されたことのある有名店らしいが、イタリア料理を食べつけていないせいか、正直、美味しいとは思わなかった。特に、あまり好きではないオリーブオイルが多用されていたせいか、その店を出た後、お腹の調子が悪くなった。普段粗食に慣れているので、立派な料理は体質的に合わないのかもしれない。

さて、今日は秋分の日。昨夜は築地の店を出た後、部下を連れて久しぶりに銀座のバーに行った。祝日前夜ということもあり店は混んでいたが、そんなことは気にせず、我がチームはカラオケ大会で盛り上がった。「観客」が多いときにはみんなで盛り上げる曲がいいということで、「勝手にしやがれ」「メモリーグラス」などを熱唱、でもその割には周囲のお客さん反応は冷ややかだった。

今朝、ボッーとしながらテレビを観ていたら、あの甲高い声が二日酔いの頭に響いてきた。そう、通販大手ジャパネットタカタ、高田社長の声である。定番のデジタルテレビ、デジタルカメラなどを「安い、お得」を連発しながら売り込んでいたが、しばらくすると甲高い声で頭が痛くなってきたのでチャンネルを替えた。

テレビでは通販番組が花盛りだが、「安い」「お得」「今だけの特別プライス」「大人気商品」などを連発されると、なんとなく買いたくなるのが人情というものだ。でも、よく考えてみると、通販番組のせいで、本来なら買わなくても済む商品を半ば強制的に我々は買わされているのではないだろうか。もし仮に、テレビから通販番組が一切無くなったらどうなるだろうか。多分我々の「買物欲」「物欲」というのは一気に冷め、ムダ遣いをしなくて済むのではないだろうか。

我々の「買物欲」「物欲」を引き起こすものはなにも通販番組に限ったことではない。女性向けに販売される高級月刊誌もその一つだ。一流の家に住み、一流の家具に囲まれ、一流の服を身につけ、一流のアクセサリーで飾り、一流の料理を食べ、そして一流の男性と付き合う、そんなセレブのような、夢の生活が度々雑誌で紹介される。このような雑誌を見ていると女性は誰でも、自分も彼女たちと同じような生活をしたいと願い「もっとお金が欲しい」と思うに違いない。

「買物欲」「物欲」を掻き立てるものが身の回りに溢れているこの世の中で、最低限必要なものはそうたくさんあるわけではないこと、そして、ほとんどの人はセレブのような一流の生活はできないし、月100万円を使えるような贅沢な生活もできないこと、それらのことを普段から承知しておかないと、私たちの生活はカネ、カネ、カネのカネ地獄に堕ちていくに違いない。

ここで何回か書いたことだが、人間の究極の幸せは、作家の伊集院静さんが言うように、「一人遊びを見つけること」だと思う。これは、「安く済む自分なりの楽しいことを見つけること」と言い換えることができるだろう。モノと情報が溢れる今の時代はとても厄介な時代かもしれないが、モノと情報が少なかった昔も、別の意味で厄介な時代だったに違いない。結局、いつの時代も、ほとんどの人にとって、上手く生きることは大変なことかもしれない。

写真は、セレブの代表、叶姉妹の妹、叶美香。それにしても、大きいオッパイだね。

ゴーンさん、日給240万円以上、だってグローバルだもんね。 [銀座]

IMG_0026.JPG私のいる会社の定時株主総会も来週に迫り、さすがの私も少し緊張してきたが、出来る準備はやったので、今は人事を尽くして天命を待つ、そういう心境だ。さて、金融庁の指導で今年から、上場会社を対象に、1億円以上の役員報酬を支払っている場合は、その役員の氏名、報酬額を有価証券報告書に記載することが義務付けられた。

年額1億円ということは、月額約833万円、日額約27万円ということになる。土日祝日も含め、毎日27万円ずつ給料が出るわけだから、1億円の役員報酬というのは半端な金額ではない。もし自分がそういう身分になったら、毎日銀座や新宿の繁華街で死ぬほど飲むだろうと思うけど、その結果、本当に死んでしまうかもしれない。

日産自動車のカルロス・ゴーン社長は昨日行われた定時株主総会で、自身の役員報酬は8億9千万円であることを明らかにした。この金額について世間では、いろいろな意見が出ているようだ。容認派の意見は、例えば、2期ぶりに黒字決算を実現したから、日産を再建してきたのは彼の功績だから、というようなものがある。反対派の意見は、例えば、黒字はいいが無配は許せないから、日本企業の役員報酬としてはあまりにも高すぎるから、というよなものがある。

賛否両論いろいろあるかもしれないが、少し違う視点で私なりに整理してみる。ゴーン社長は報酬が高すぎるという批判に対し、「他の同じ規模のグローバル企業のCEO(最高経営責任者)報酬額の平均に比べて低い」と説明し、株主の理解を求めた。この発言から、ゴーン社長は自分の報酬を「グローバルレベル」で考えていることがわかる。この点が、日本企業のサラリーマン社長と決定的に異なる点だと思う。

ゴーン社長は、「社長業」というものを、弁護士、公認会計士、調理師などと同じ「スペシャリスト」として捉えていて、それも世界的に流動性のある「スペシャリスト」と考えていると私は見ている。どういうことかというと、もし自分が日産の社長を辞めると宣言したら、役員報酬を10億円以上支払いますから当社に来てください、そういうオファーをする世界規模の会社がいくらでもありますよ、ゴーン社長はそう言っているのだ。

これに対し、日本企業のサラリーマン社長は、ほとんどの人がその会社で社長を退任したらそれで「一丁上がり」となり、世界規模の会社からスカウトされる可能性はゼロに等しい。ゴーン社長が「グローバルレベル」の社長なら、日本企業のサラリーマン社長は「ドメスティックレベル」の社長なのである。8億9千万円はそう高くないと主張するゴーン社長には、「社長業」に関して日本企業のサラリーマン社長と全く異なる思想を持っている、そう考えると今回の件は理解できるような気がする。

さて、飲食店の2軒目の物件を探しに午前中、銀座に行ってきた。結果はイマイチだったが、考えてみると、いい物件なんてそう簡単に見つかるものでもない。もう少し苦労しなければならない。帰り際、銀座のアップルコンピューターまで行ってみた(写真)。予想通り、アイフォン4を買い求める客が長蛇の列を作っていた。自社製品がこんなにヒットすると、会社はウハウハだね。昨日の話ではないが、若者はアップル・ジャパンに転職したいと思うわけだよ。


ワイキキビーチのモッコリには、負けました。 [銀座]

XxjpsgE000025_20100530_TPPFN1A001.jpg今日から私の会社でもクール・ビズが始まった。高温多湿の東京で、今日から9月末までの4か月間、上着とネクタイから開放されると思うと、ホッとする。毎年この時期が来ると、私はこのブログで、ある提案をしている。今年でもう3回目になると思う。

その提案とは、夏の時期、日本版アロハシャツを導入したらどうかという提案だ。アロハシャツはワイシャツに比べて格段に快適だと思う。それに、総じて貧弱な体格の日本男子に、ネクタイなしのワイシャツは体格の貧弱さをさらに強調する結果になる。アロハシャツならだっぷりと着れて貧弱な体型をカバーできるし、洒落たデザインは体格の難を隠す効果もある。

私が初めてアロハシャツを着たのは今から約20年前、初めてハワイに行ったときだ。ご存知のように、アロハシャツはあちらではフォーマルな服装の一つだ。そのとき私はすぐに「これだ!」と思った。ハワイよりはるかに高温多湿な日本の夏にはアロハシャツだ、瞬間的にそう思ったのだ。

さて、ハワイで思い出したのだが、カナヅチの私もとりあえず天下のワイキキビーチデヴューをしようと思い、現地で海パンを買うことにした。いろいろ迷った挙句、何を血迷ったか、ショッキングピンクのド派手海パンを買ってしまったのだ。その海パンで恐る恐るワイキキビーチの端っこになんとかデヴューを果たしたのであるが、しばらくすると、ド派手海パンに対する恥ずかしさではなく、違う恥ずかしさを私は感じはじめたのだ。

それは、ビーチを歩く欧米人の男性の体格の良さと、「あそこ」のボリューム感に圧倒され、それに比べていろいろな意味で「小さい」私がとても恥ずかしくなったのだ。彼らには勝てない、そう思ったのだ。

つまらない話で失礼しました。上の写真は、先日中国で開催されたビキニ・コンテストの受賞シーン。審査のポイントはビキニが似合うということなのだろうか。よくわからないが、我々男性陣の目の保養になることだけは確かだ。


さて、昨日は久しぶりの銀座で大爆発。どうやって家にたどり着いたのか、よく覚えていない。とういうことで、今日は完全に死亡状態であるが、これから先週に引き続き、札幌に行く。いつもならススキノで飲むのが楽しみなのだが、今夜は酒のほうは控えめにしようと思う。

不老不死に興味なく、銀座でポックリ、それもよし。 [銀座]

IMG_0497.JPG久しぶりの痛飲。昨日、取引銀行の方々を銀座で接待し、注がれるままに熱燗を一気飲みし一次会ですでに酩酊状態。当然これだけでは収まらず、この4月に課長になった部下の昇格祝いと称し、二次会はその彼と某クラブで歌いまくり。さらに勢いは増し、タクシーを飛ばして一人新宿歌舞伎町に乗り込み、ここでも大合唱。大ヘベレケ状態で家に着いたとき、時計は午前2時を軽く回っていた(と、思う)。

さて、先日の日曜日、テレビ東京で面白い番組を放送していた。水だけ飲んで何年も生きている人間、20年以上眠らない人間、病気をしない人間、サーベルを背中から刺されても死なない人間など、いわゆる世界ビックリ人間の登場なのだが、考えてみると、70億人もの人間が世界にいるのだから、そういう「超人」が何人かいても驚くことはないのかもしれない。

不老不死を願うのは人情かもしれないが、90歳、100歳まで長生きすることがそんなにいいことなのか、私にはよくわからない。何度かここで書いたことだが、医学の進歩や極端な健康志向が人々を長生きにしてしまっているせいで、いびつな社会になっていることは年金や介護の実情を見るとよくわかる。少子化の一方で老人は長生きする、一方で経済のほうは低成長で給料が上がらないとくれば、現役若年層の負担が一方的に重くなるのは当然のことなのだ。

仏教に、生病老死(しょうびょうろうし)という言葉がある。人間が持つ4つの苦しみを表現したものだが、現代は老いも死も、そう苦しいものではないように見える。私は出張でよく北海道に行くが、行く先々で出会う現役OB組と思料されるツアー客の活気には驚かされる。とにかく明るいし、お金も持っているようだし、彼らに老いは全く感じられない。そういう彼らの姿を見て羨ましいとか、自分も将来そうなりたいとか、全然私は思わないし、どちらかと言うと、正直疲れる。

苦しい、痛いというのは嫌だけど、適当に病気をして、適当に老いて、適当なタイミングで死ぬ、人間はもともとそういうふうに創られているような気がする。不老も不死も本来、願うべきものでも、憧れるべきものでもないように思うのだが。

ということで、今夜は札幌から出張できた社員と懇親会を銀座で開いた(写真)。銀座レンチャンなのだが、一日置いて木曜日も銀座で飲み会がある。そして金曜日は地元浅草で飲み会と、今週は死にそうなくらい宴会がある。なにせいやしいものだから、ちびちび飲むとか、ゆっくり飲むというのが出来ない。とことん飲んでしまう。こんなことやってるとポックリ行くかもしれないが、それはそれでいい。

フカヒレ、大トロ、無くても大丈夫です。 [銀座]

IMG_0492.JPG年のせいか、風邪の治りが遅い。鼻水や喉の痛みは無くなったが、身体がだるい。別の病気じゃないのと周囲から冷やかされているが、思い当たる節はない。ただ、こんなときでも仕事はどんどんやってくるし、夜のお付き合いも減らない。今夜は銀座、そして明日は赤坂で飲み会がある。

赤坂の中華料理店はフカヒレが美味しいことで評判なのだが、私はフカヒレがそんなに美味しい食べ物だと思ったことはない(安いフカヒレしか知らないせいもあるが)。だから、絶滅の恐れがある野生動物の国際取引を規制するワシントン条約の締結国会議においてサメ類の商取引が制限されようがされまいが、私はあまり関心がない(制限に猛烈に反対しているのはもちろん、フカヒレ消費大国の中国である)。

ご存知のように、先週行われたこの会議で、日本人が大好きなクロマグロの取引制限が圧倒的多数で否決された。この決定にクロマグロ関係者は胸をほっとなで下ろしたようだが、私はマグロもそんなに好きな食べ物ではないので、関係者には悪いが、こちらのほうも採決結果について興味はなかった。

人間は実に勝手なもので、大義名分がどうであろうと、自分(自国)の利益を侵害するものについては反対するが、自分(自国)の利益に関係のないものについては無関心なものだ。ずっと以前、冷害によるコメ不足が起こった際に、「コメがなければパンを食べればいいじゃないか。」ともっともらしいことを言った日本人がいたが、ご飯が大好きな私はこの発言に大いに怒ったものだ。こういう手の問題は理屈じゃなくて、きわめて生理的、本能的問題なのだ。

ということで、今夜は雨の銀座で一杯やった(写真)。関係会社の若手社員6名、それも全員男性(先週の札幌での女子社員7名とは真逆状態)ということで、多少むさくるしく、かつ、マグロの寿司も高級なフカヒレも一切なかったが、談論風発、ワイワイガヤガヤとっても楽しかった。こういうのが一番いいね。

銀座キャバレー、オジサン、ダンサーに釘付け。 [銀座]

trd0901241730007-l3.jpg三連休だというのに風邪でダウン。鼻水が止まらず、身体もだるい。昨日、今日と外出せずに家で大人しくしている。風邪の原因は日頃の不摂生と気の緩みだと思うが、北海道出張が多かったことも関係しているかもしれない。

そんな体調不良のなか、大切な取引先の接待が金曜日にあった。先方の社長さんは70歳を過ぎているにもかかわらず大の肉好きということもあって、すき焼きを食べることにした(この頃、すき焼きを食べる機会が多い。)。その社長さん曰く、コレステロールだの、血糖値だの、血圧だのといちいち健康のことを気にしていたら人生はつまらない、食べたいときに食べたいと思ったものを食べる、それが自然というものなのだそうだ。なるほど、なるほど。

話もさることながら笑い方のほうも豪快なその社長さんと私はウマが合うのか、飲み会をやるといつも盛り上がる。そして勢いがつくと、酒の次は色ということで、バーやキャバレーに行くことも多い。社長さんはこちらのほうも「お盛ん」で、今回は銀座3丁目にある老舗キャバレー「白いばら」に突撃した。ここはショータイムが充実していて(写真)、エロエロオジサンとエロエロオジーサンは涎を垂らしながらダンサーの肢体を目で追った。

銀座にキャバレー?と思われる方も多いと思うが、白いばらは昭和6年創業の老舗キャバレーで、銀座にはキャバレーは他にない。このキャバレーのウリはいつくかあると思うが、一つは明瞭会計であること、一つはホステスさんが若いこと、そしてもう一つはほぼすべての都道府県出身のホステスさんを揃えていることだと思う。特に最後の、すべての都道府県出身のホステスさんを揃えていることが人気の秘訣のような気がする。北海道出身の私なら、同郷のよしみで北海道出身のホステスさんを指名してみたくなるものだ。

ということで、ここまで書いて熱が出てきた。風邪にもかかわらずキャバレーなんぞで遊興するからこうなるわけだが、オトコの付き合いというのもあるのである。

青森イタコ、秋田きりたんぽ、並木通りは下着でダバダ。 [銀座]

IMG_0434.JPG今日はちょっとだけ、おセンチな話から。今朝6時過ぎ、自宅を出てJR中野駅に向かって薄暗い冬道を歩いていたら、前方左側の小さな一戸建て住宅から黒いコートを着た小柄な男性が出てきた。私と同じで随分早い出勤だなあと思っていたら次の瞬間、薄緑のセーターを着た奥さんと思われる女性が夫を追いかけるように家から飛び出してきた。

次の角を左に曲がるまでの数十秒間、奥さんはずっと夫の後姿を見ていた。そして、角を左に曲がる直前、夫はこちらを振り向き奥さんに軽く手を振った。奥さんもそれにこたえて短く手を振り、最後に丁寧にお辞儀をした。多分、50代の夫婦だったと思う。こういう夫婦が今どきいることに新鮮なものを感じ、この家庭の団欒の様子が伝わってくるようだった。私のように毎日飲み歩くようなことを、この夫は決してしないに違いない。

さて、毎日新聞にこんな記事が出ていた。青森県の八戸観光コンベンション協会がJR八戸駅でイタコの口寄せを昨年開いたところ、「次はいつやるのか」との問い合わせが殺到し、昨年に続き今月、3人のイタコを呼んで口寄せを開くのだそうだ。霊は家族、親族、友人に限り、料金は一人当たり4500円、時間は一人15分程度ということだ。

一昨年6月、イタコに関連して私は次のような記事を書いた。「寺山修司がはじめて恐山を訪れたとき、奇妙な事件が起こった。若い夫が、死んだ妻の口寄せをしてもらった。イタコに乗り移った妻は「私のほんとうに好きだった男はあなたではなく、隣の正造さんだった」と言った。ここで終わればこの話はちょっとした笑い話で済んでしまうのであるが、残念ながらそうはならなかった。この言葉を聞いた夫はかっとなり、死んだ妻のつもりで、盲目のイタコの首を絞めて殺してしまったのである。あまりに信心深かったこの夫は重罪の科をうけて、網走監獄に送られてしまった。」。

このとき私は、知り過ぎることは決してよいことではない、そんなような趣旨のことを書いた。死んだ妻のことを、イタコの口寄せを利用してまで知る必要はなかったのだ。円満そうに見えた冒頭の夫婦の場合だって、お互いの心のなかには相手に知られたくない様々な思いみたいものがあるかもしれない。でも、そういうものは触らずそっとしておく、放っておくことが大切なことのように思う。どんなに親しい間柄でも、知られたくない心の秘密は必ずあるものだ。そういうことを無理矢理知ろうとしない、それが世の中で上手くやっていくためのコツのような気がする。

さて、今夜は北海道から上京してきた社員と一緒に銀座で、きりたんぽ鍋を頂いた。前回、石狩鍋のことに触れたら、なんとなく鍋料理を食べたくなったのだ。きりたんぽ鍋は秋田料理。秋田といえば日本酒。ということで、今夜は甘口の日本酒をぐいぐいやる。いつものようにへべれけに酔っ払い、それから銀座のバーを2軒ハシゴ。途中、並木通りの下着屋さんで一枚。真ん中の下着、セクシーです。エロオジサン全開。おやすみ。

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