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あなたのことを知りすぎて、そして、恋は終わった。 [BOOKS]

girls_generation_1.jpg今日はウィキリークスに関する話。ウィキリークスをウィキペディアで調べてみたら「匿名により政府、企業、宗教などに関する機密情報を公開するウェブサイトの一つ」とあった。このウィキリークス創始者であるジュリアン・アサンジ氏がロンドンで逮捕されたという報道が今日なされた。

ウィキリークスで外交公電が次から次と公開されているアメリカは彼に激怒し、彼をアメリカで裁判にかけると息巻いているらしい。一方、情報公開の必要性、権力の暴走阻止の視点からウィキリークスやアサンジ氏を支持する人たちも多いという。

ウィキリークスの活動については賛否があるようだが、外交上の問題とか、情報公開の問題とか、法律の問題とか、そういった堅苦しい視点からではなく、「情報を知る」ということに関する情緒的、世俗的視点から私なりの意見を書いてみたい。

作家の浅田次郎さんに『椿課長の七日間』という小説がある。脳溢血で急死した46歳の椿課長が、冥土の世界から3日間だけ別の人間に姿を変えて現世に戻ることを許可されるのだが、現世に改めて戻ってみると、妻の不倫、同期入社した女性の椿課長に対する思いなど、生きていたときには知らなかった重要事実を次々と知ることになる、そんなような話だ。

この小説は、何でも知りたがる人間の本能がテーマの一つになっている。兎角人間というのは何でもかんでも知りたがものだ。妻が不倫していたことだけでもショックなのに、不倫相手が椿課長の部下だったのだから、椿課長は愕然としたに違いない。この話の教訓は、あまり人のことは知りたがらないこと、何故なら、人には他の人に話したくないいろいろ事情があるから(不倫自体は決して好ましいことではないが)、そういうではないかと思う。

さて、ムード歌謡のロス・インディオスが歌った「知りすぎたのね」という曲は次の歌詞から始まる。
 知りすぎたのね あまりに私を
 知りすぎたのね 私のすべてを
 恋は終わりね 秘密がないから

なかにし礼作詞・作曲の「知りすぎたのね」は名曲だと思うが、この冒頭部分が言わんとしていることは、「知らなくてもいいこと、知らないほうがいいこと、そんなことが世の中には結構ある。」、そういうことではないだろうか。恋人がいる。二人の恋は秘密があるからこそ続くのであって、相手のことをすべて知ってしまい、相手の秘密がなくなり、相手に「謎」がなくなってしまったら、そのとき恋は終わる、なかにし礼はそう言っているのではないだろうか。

『椿課長の七日間』と「知りすぎたのね」を例に挙げたが、これらの小説や音楽が伝えようとすることに私は賛成である。それは、情報過多の時代にあって、何でもかんでも情報を知ろうとしないこと、世の中には、あまり詮索せずにそっとしておいたほうが結果的にはいい情報というのがたくさんある、この二点である。こういった情緒的、世俗的視点に立った場合、ウィキリークスの活動は、あまり感心しない。


今日も自分が撮った写真がない。大変申し訳ないです。ということで、全く脈絡がありませんが、「少女時代」の写真を一つ。歌舞伎町にあるカンちゃんのお店でたまにDVDを観ています。じっーと観るとエロオジサンだと思われるので、たまにチラ日見して目の保養をさせてもらっています。

私もいつか、背板に乗せられて、山に捨てられます。 [BOOKS]

IMG_0219.JPG先日、敬老の日を前に、日本の老齢人口に関する数字を総務省が発表した。それによると、現在、65歳以上の人口は2944万人で、総人口に占める割合は23.1%となり、人口、割合とも過去最高になった。また、そのうち、80歳以上の人口は826万人で、初めて800万人を越えた。

ざっくり言えば、日本人の4人に一人は65歳以上、16人に一人が80歳以上ということになる。少子高齢化の流れは当分続くと思われるので、そうなると、20年後、30年後には、日本人の3人に一人は65歳以上という、「超高齢化社会」になっている可能性が極めて高い。そういう時代になったとき、日本の社会は本当に持つのか、私は心配になる。

深山七郎『楢山節考』は、姥捨て山の話だ。貧しいある山村では食料が乏しく、その村の老人は70歳になると楢山に捨てられるという掟がある。老人を捨てることは、少ない食料などを分け合いながら残った家族が生き延びていくための手段なのだ。老いた母親を背板に乗せ、息子は母親を捨てるために楢山に登る。『楢山節考』は単に切ない話ということに留まらず、我々にいろいろなことを考えさせる。

『楢山節考』は民話の世界の話であるが、自分の親を養っていくために経済的、精神的な余裕がなくなってきた現在も、時代という「舞台」は異なるにせよ、かなり多くの人にとって自分の親が「負担」になっているのは事実のような気がする(介護に疲れて親を殺したり、清水由貴子さんのように介護疲れで自殺するケースもある)。

老人を大切にすべき、子どもは親の面倒をみるべき、当たり前のように聞こえる道徳観であるが、一方で、そのような美辞麗句を並び立てた一種のヒューマニズムだけではどうしても解決できない厳しい現実が今の世の中には存在する。私は以前、極論として非難させることを覚悟で書いたが、人間はあまり長生きすべきではないような気がする。平均余命が80歳、90歳になったことは、決して喜ぶべきことではないのではないか。低成長時代にあって、自分の生活を維持することだけで精一杯なのに、長生きする親の面倒を最後までみるというのは、正直言って地獄だと思う。

果たして解決策はあるのだろうか。私は抜本的な解決策を知らない。どなたか、いいアイディアがあるのであれば是非教えて欲しい。でも、いいアイディアがもしないのであれば、現代版『楢山節考』がいつか現実のものになるような気がして仕方ない。


写真は、昨夜の新宿「思い出横丁」。「思い出横丁」というけど、一体何を思い出すのだろうか。これもどなたか教えてください。

滋養強壮、甘酒は、夏の飲み物でした。 [BOOKS]

682_top_5.jpgこの時期、、決まって一週間夏季休暇を取って海外旅行をする女子社員がいる。夏期休暇は9月末までに取ることになっているので、ルール違反ではないのだが、正直言うと、もう少し早く取ってほしいという気もする。

彼女がこの時期に夏期休暇を取る理由は単純で、海外旅行のチケット料金がピーク時に比べてかなり安くなるからだ。先日、私のところに休暇届けを彼女が持ってきたので、今年はどこに行くのと聞いたら、「アラスカです。」と答えた。アラスカ。私もチャンスがあったら行ってみたいと考えていた場所だ。

発酵学の権威である小泉武夫先生の本を読んで、アラスカには独自の酒がないことを知った。世界中のあらゆる国、地域で酒が作られているのに、アラスカだけが独自の酒文化を持っていないというのがちょっと意外で、酒好きの私としては、本当にそうなのかこの目で確かめたかったのだ。

もう一つの理由は、これも小泉先生の別の本で知ったのだが、アラスカにはキビヤックと呼ばれる発酵食品があって、これが先住民族イヌイットのビタミン源になっているのだが、このキビヤックの作り方が普通ではなくて、一度食べてみたいと思ったのだ。

キビヤックの作り方であるが、アパリアスと呼ばれるウミツバメを、羽を取らずにそのまま捕獲したアザラシのお腹の中に詰め(150羽以上のアパリアスを詰めるらしい)、太い糸で腹を縫い、そのまま地中に埋めて3年間待つ。3年後、アパリアスはほとんど原形を留めていて、食べ方は、まず尾の羽根を取り(スポッと抜けるらしい)、アパリアスの肛門から発酵してドロドロになった内臓などを吸い、肉はそのまま食べる。極寒の地にあってこのキビヤックはビタミンの宝庫なのだそうだ(ただし、かなり臭いらしいが)。

さて、夕方、スーパーマーケットに買い物に行ったときに、甘酒を買ってきた。甘酒というと冬の時期の飲み物と思われがちであるが、俳句の世界では甘酒は夏の季語なのだそうだ。ここからは再び小泉先生の受け売りであるが、江戸時代、甘酒は滋養強壮のために夏の時期に飲まれていたのだそうだ。当時、夏には食中毒が多く、日射病などもあり多くの人が夏の時期に死んでいた。

甘酒には多くのブドウ糖と、ビタミンB1、B2、B6など人間が必要としているビタミンがすべて含まれていて、甘酒はいわば、夏バテ防止の栄養ドリンク剤的役割を果たしていたのだ。ということで、夏バテ防止ではないのだが、一昨日、昨日と酒漬けだったので、柄でもないのだが、ちょっとだけ身体に気を遣ってみたくなり、甘酒を買ってきて飲んだのである(たまに飲むと、甘酒も旨い)。

発酵の世界、知れば知るほど面白い。

写真は、今年のミス・アラスカ(中央)。なんとなくであるが、全員、とてもたくましく見える。

太陽が眩しいから、夏にご用心。 [BOOKS]

js_pro039.jpg秋田県出身の歌手、桜田淳子に「夏にご用心」という曲がある。

 夏は心の鍵を甘くするは ご用心
 恋はドレスの裾をくすぐるのよ ご用心
 それでもがまんなど 出来なくなる
 なやましげな なやましげな そよ風吹けば

 夏はいけない夢を見たくなるわ ご用心
 恋がくちびる寄せてささやくのよ ご用心
 それでもがまんなど 出来なくなる
 キラキラした キラキラした 太陽の下

残暑というと、盛夏よりは少し過ごしやすくなったが、それでもまだ暑さが残るという感じがあるが、今年の場合は、残暑の時期になっても盛夏と変わらない暑さと不快感がある。

アルベール・カミュの『異邦人』で、主人公ムルソーはちょっとしたことから殺人を犯してしまう。ムルソーは犯行の動機を裁判で聞かれ、「太陽が眩しかったから」と答える。この小説はよく「社会の不条理を描いた」ものと言われるが、すべての現実から目を逸らして現実を直視しようとしないムルソーの姿勢は、現代の「草食系男子」に代表される「やる気のない」青年の原型であるような気もする。いずれにしろ、ギラギラした夏の太陽は、人を殺人に駆り立てる魔力を持っているのかもしれない。

ということで、「むしゃくしゃしたから」という動機で起こることの多い無差別大量殺人事件について少し調べてみた。日本で起きた過去10年間の主要事件に絞って調べてみた。

・宇都宮宝石店殺人事件(6人死亡、2000年6月11日事件発生)
・武富士弘前支店強盗殺人事件(5人死亡、2001年5月8日事件発生)
・附属池田小事件(8人死亡、2001年6月8日事件発生)
・歌舞伎町ビル火災(44名死亡、2001年9月1日事件発生)
・加古川7人殺人事件(7人死亡、2004年8月2日事件発生)
・秋葉原通り魔事件(7人死亡、2008年6月8日事件発生)
・大阪個室ビデオ店放火事件(16人死亡、2008年10月1日発生)

歌舞伎町ビル火災は放火の可能性が高いとされるが、はっきりした原因はいまだにわかっていない火災であるが、一応含めてみた。これら、過去10年間に起きた主だった無差別大量殺人事件7件の、発生月を整理してみると、

・5月  → 1件
・6月  → 3件
・8月  → 1件
・9月  → 2件(大阪個室ビデオの10月1日は9月にカウントした)

こうしてみると、7件のうち実に6件が、6月~9月の夏の時期に起こったことがわかる。だからといって私は、人間が「むしゃくしゃする」時期は夏場に偏っていると言うつもりはないが、なんとなくではあるが、冬場よりも夏場のほうが、人間の気持ちは開放的、やけくそ気味になるような気はする。桜田淳子の冒頭の歌詞で言えば、人を殺してはいけないことはわかってはいるが、「それでもがまんなど 出来なくなる」ということか。

写真は、桜田淳子。可愛いけど、時代も感じる。

♪なぜ なぜ あなたは 「好きだ」と 言えないの?この慎み深さはどこに行ったの? [BOOKS]

noriko-aota-00225011.jpg「恋の予感」「真夜中すぎの恋」「ワインレッドの心」、これらは私がカラオケでよく歌う安全地帯のヒット曲である。安全地帯のボーカルといえばもちろん、玉置浩二であるが、彼は私と同じ北海道出身、また、年齢も近いということもあり、多少の親近感を持ちながら彼の曲を歌ってきた。

玉置浩二は誰もが認める「天才アーティスト」だから、天才にありがちなさまざまな「脱線」は仕方ないと思うが、青田典子(写真)との結婚にいたるまでの彼の言動を見ていて、これはさずかに如何なものかと思った。決定的だったのが、芸能レポーターたちを前に行った熱いキス。玉置浩二が「僕のこと好き?」と聞くと、青田典子が「好きよ」と答える。これを受け玉置浩二も「僕も好きだよ。じゃー、キスしよう」と言って二人は何の躊躇もなくキスをするのだ。キスが悪いと言っているのではない。愛を確かめる会話やキスは、別のところで二人だけでやってください、そう言っているのだ。

さて、新潮選書に『裸はいつから恥ずかしくなったか 日本人の羞恥心』(中野明著)という本がある。今から約150年前、アメリカのペリーが日本にやってきた頃であるが、その頃はまだ、日本の浴場の多くは混浴で、たくさんの老若男女が利用していた。このことは、当時の日本人には、公衆の面前で全裸になることに対する羞恥心というものがなかったことを意味している。したがって、今日のように暑い日には、男女は家の中でも外においても、上半身裸で暮らしていたという。

明治になり、訪れる多くの外国人に配慮する観点から(当時外国では、公衆の面前で裸体を晒すことは不道徳と考えられていた)、混浴禁止、裸体に関する取締り(屋外での裸体露出禁止、猥褻物の販売禁止など)などを明治政府は実施する。しかしながら、これらの取締りが徹底されるのにはもちろん時間がかかった。もしペリーによる開国が遅れ、鎖国がもっと続いていたならば、我々の祖父や祖母の時代(明治後期)には混浴はまだ一般的なことであったかもしれない。

外国人の目を気にすること、このことが、裸に関する羞恥心を日本人に植えつけるきっかけになったわけだが、だからというわけではないが、玉置浩二も青田典子も、もっと他人の目を気にした、言い換えれば、もっと羞恥心を持った言動をしてほしいとつくづく思う。

男女の合体時は、いくー、いくーです。 [BOOKS]

IMG_0051.JPG私のカラオケレパートリーの一つに、内山田洋とクールファイブが歌った「長崎は今日も雨だった」という曲がある。その一番の歌詞は次のようになっている。

あなたひとりに かけた恋 愛の言葉を 信じたの
さがし さがし求めて ひとり ひとりさまよえば
行けど切ない 石だたみ ああ 長崎は 今日も雨だった

You Tubeでこの曲を何度も聴いて練習しているうちに、あることに気付いた。それは、「行けど切ない」という部分を、ボーカルの前川清があるときは「いけど切ない」と歌い、またあるときは「ゆけど切ない」と歌っていて、統一感がないということだ(「いけど切ない」と歌っているほうが圧倒的に多い)。

「ゆけど切ない」のほうが私は歌いやすいので、カラオケではいつもそう歌っていたが、呉智英(くれともふさ)さんが久しぶりに出された『言葉の煎じ薬』という本を読んで、本来、「ゆけど切ない」と歌うのが正しいことがわかった。

「遠足に行く」「海外に行く」などの「行く」も、正しくは「いく」ではなく「ゆく」である。「いく」というのは「ゆく」の口語表現なのだそうだ。大晦日のテレビ番組「行く年、来る年」も、「いくとし」ではなく「ゆくとし」だ。また、「行方不明」というのも、「いくえふめい」ではなく「ゆくえふめい」である。

ただ、俗語、卑語の「行く」は必ず「いく」と読む。セックスをしていて「行く、行く(普通は、「イクーッ、イクーッ」かもしれないが?)」と叫ぶときは「ゆく」ではなく「いく」が正解である(因みに、新明解国語辞典を調べてみたら、「男女の合体時にクライマックスに達する」場合、「行く」と表現すると書いてあった。それにしても、この辞典的表現、私は結構好きです。)。

さて、昨日は梅雨の晴れ間で、これは飲むしかないと思い、新宿ゴールデンに行ってきた。「琥珀」に久しぶりに行ったら、別のお店でバイトをしているSさん(女性)が来ていて、いろいろ楽しい話で盛り上がったのだが、なかでも私が一番愉快だったのは、彼女が平日の朝酔っ払ってJR山手線に乗り込み、5周したという話だ。JR山手線5周というと、大体5時間はかかる。酔っ払って1周とか2周した話はたまに聞くが、さすがに5周というのは初めて聞いた。

再び呉さんの本によると、「山手線」は今では「やまのてせん」と呼ばれていているが、1971年までは「やまてせん」と呼ばれていたのだそうだ。日本語の「山の手」にはもともと、単に住宅街ということではなく、上流階級の人々が住む町という意味があって、現在では、世田谷区とか目黒区あたりがこれに該当するかもしれないが、下町とされる上野、日暮里などがある台東区、荒川区などは「山の手」というイメージはない。つまり、山手線(やまのてせん)と言いながら、「山の手」以外のところも走っているが「山手線」なのである。

参考までに調べてみたら、JR山手線には29の駅がある。そうすると、5周すると145駅通過したことになる。Sさんに聞いたら、190円の切符を買ったということなので、一駅当たり1.3円という、「爆安」でJRを利用したことになる。

写真は、今日の新宿駅西口付近。

事件も学問も、現場で起きています。 [BOOKS]

miki-mizuno-00232203.jpg民俗学者の梅棹忠夫さんが亡くなられた。90歳だった。梅棹さんの『文明の生態史観』を読んで私は、日本文化は決して西洋文化のコピーではなく、世界のどの国の文化とも異なる、特異な文化であることを知った。

そしてもう一つ私が学んだことは、アジアは一つではないということ。梅棹さんの言葉をそのまま引用すれば「「おたがいアジア人だから」というようなことばが、いったいどれほどの内容をもちうるのか、たいへん疑問だとおもう。感覚的、あるいは観念的な意味においてのみ、アジアは同質なのであって、論理的、あるいは実質的な意味においては、けっして同質であるとはいえない。日本は、とくにそうである。」。

鳩山前総理はマニフェストで、アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立し、東アジア共同体の構築を目指すとした「東アジア共同体構想」をぶち上げ、中国、韓国のトップに理解を求めたが、結局、具体的な進展は何一つもなかった。私は梅棹さんの考え方を踏まえ、この「東アジア共同体構想」は実現性がほとんどゼロのもの、つまり、「構想」ではなく「幻想」であろうと直感的に思ったが、実際、そうなった。

梅棹さんは「踊る大捜査線」の青島刑事のように、現場主義を貫いた。名著『文明の生態史観』も多くの国を実際に訪ねてまとめられたものだ。それと、私が梅棹さんのいくつかの著作を読んで学んだことの一つに、「平易な文章」というのがある。つまり、専門用語とか、学術論文的な堅苦しさが全くなく、素人の私でも丁寧に読めば理解できるということだ。このスタイルを私はビジネスの場で応用している。簡潔明瞭、素人でも一度読めばわかる文章、そういう文章を作るように、自分自身も含め、部下にも指導している。

梅棹さんのご冥福をお祈りいたします。


さて、株主総会、そして会社の周年行事が終わり、大きなイベントはこれで一段落した。これからは飲食店オープンの準備に専念する。コンサルタントとか面倒くさい人たちに一切頼らず、ド素人が一から十までやっているので、なかなかスムーズに進まないところもあるが、苦労はすべて自分の血となり肉となることを信じて、もがいていきたい(ちょっと格好良すぎたかなあ)。

写真は、「踊る大捜査線」で柏木雪乃役で出演している水野美紀さん。今回の映画には出ていないが、映画やテレビでもこのくらいの色気があるといいね。

よく飲み、よく歌い、よく踊る、沖縄の生きる知恵。 [BOOKS]

DSC_0176.JPG「酒とバラの日々」というスタンダード・ナンバーがあるが、さしずめ今の私は「酒と仕事の日々」である。と、格好良く言いたいところであるが、割合的には酒のほうが圧倒的に高く、だから正確を期すと、「酒と酒の日々」ということになる。そんなこともあって、ブログの更新も遅れてしまった。

さて、先週、釧路にまた行って来た。もちろん仕事で行ったのであるが、プライベートの用事も少しあった。実は、母が先月大きな出術をして今市内の病院に入院している。不肖の息子、親不孝の息子で心配を掛けてきたことも病気の原因かもしれない。帰り際、母の見舞いに行ってきた。

釧路にいる妹が毎日病院に行って母の世話をしているのであるが、母が入院している脳外科のベテラン看護師さんから聞いた話を妹が教えてくれた。生真面目で自立心の強い人は脳の病気になりやすく、物事をあまり深刻に考えず他人を頼って生きている人は割りと脳の病気にはなりにくい、そんな内容の話だった。

この話の真偽のほどはともかく、私の母は確かに真面目で正直、いい加減なことが嫌いなタイプの人間だ。その点私はちゃらんぽらんで酒ばかり飲んでいる人間だから、年を取ると母と違う病気、例えば肝臓病、糖尿病などに罹る可能性が高い。「生老病死」とは仏教の言葉であるが、不生も不老も不病も不死も、克服できる人間は誰一人いない。

少し暗い話になってしまったが、次も明るい話とはいえない。次は沖縄の話。沖縄といえば今、普天間基地の移設問題であるが、先日鳩山総理が沖縄を訪れた際、県外移設の約束を反故にしようとする鳩山総理に対して沖縄県民は猛抗議した。「沖縄をもうこれ以上いじめないでくれ」、そんな悲痛な叫びが聞こえてきそうだった。

画家の岡本太郎さんが著した『沖縄文化論 忘れられた日本』を読むと、沖縄は古くから過酷な税の取立てに苦しんできたことがわかる。年貢のほかに、海産物、船具などの物納税があり、この他に強制労働の制度もあったというから半端ではない。

岡本さんは、厳しい税の取立てからくる貧困の地に文化とか芸術が創造される余地は全くなかったと指摘する。ただ、面白いことに、歌と踊りだけは別だった。歌と踊りは生活そのもので、これらなしに生活すること、生きることはできなかったという。そういえば、沖縄の方はよく飲み、よく歌い、そしてよく踊る(岡本さんは酒のことには言及していなかったが、多分、酒も生活そのものではなかったかと思う。)。

「沖縄をもうこれ以上いじめないでくれ」、この悲痛な叫びは昨日、今日始まったものではないようだ。

写真は、今日の歌舞伎町。作家の吉行淳之介は「しょせんこの世は色と食」と言ったが、新宿には数え切れないほどの「色」と「食」がある。

京都36歳女性、イケメン、年収2千万円希望です。 [BOOKS]

DSC_0163.JPG今日、久しぶりに一人カラオケを新宿でやってきた。昨日、あるイベントに出席するため、日帰りで札幌に行ったのであるが、そのイベントに来ていた松山千春さんがアカペラで「大空と大地の中で」を熱唱したのに感動し、彼のヒット曲を自分も歌ってみようと思い立ち、歌舞伎町のカラ館VIPルームで一人歌いまくったのだ。私という人間は実に単純なのです。

さて、酒浸りの日々で、体調があまり芳しくなく、このところ本もほとんど読んでいなかったので、カラオケの後、読みかけていた本を二冊、一気に読んだ。言文一致の文体で書かれた初めての小説と言われる、二葉亭四迷の『浮雲』に関する本を読んだ。「関する」というのはそのものズバリ『浮雲』ではないということなのだが、原文は相当読みづらく途中で投げ出してしまいそうだったので、評論家の小谷野敦さんが現代風に訳された『もてない男訳 浮雲』と、二葉亭四迷の人物像とその時代背景を知る目的から、関川夏央さんの『二葉亭四迷の明治四十一年』の二冊を読んだ。

役人を免職された優柔不断な内海文三と、彼の二つ先輩で如才のない本田昇が、文三の従妹で割と派手好きなお勢を取り合うという話であるが、最初は文三のことを想っていたお勢であるが、文三が無職になったせいもあり、お勢は出世欲が強くお金も持っている本田に少しずつ惹かれていく。果たして結末は如何に、と言いたいところなのだが、何が結末なのか正直よくわからないのだ。小谷野さんの解説によると、この小説は未完だという専門家もいるそうだ。

ちょっと寄り道を。先日、銀座のバーで飲んでいたら、京都と茨城出身のホステスさんがやってきた。バカ話で大いに盛り上がっていたら、年齢の話になった。気を許してくれたのか、本当の年齢を彼女たちのほうから話してくれた。偶然だったのだが、二人とも今年36歳だった。そして偶然だったのは年齢だけではなく、結婚願望が非常に強いという点も共通していた。

綺麗だからその気になればいつでも結婚できるでしょうと言ったら、二人とも、40歳が近いので焦っている話してくれた。どんな男の人と結婚したいのと月並みな追加質問をしたら、京都の女性が「若くて、年収2000万円くらいの男性」と答えたので、一堂、吹っ飛んだのだが、彼女はどうやら本気のようだった。

話を『浮雲』に戻すが、無職で収入のない文三はお勢に恋心を寄せるのだが、小谷野さんによると、英米の結婚恋愛思想では、男に十分な収入があって初めて結婚を申し込むことができるのであって、収入がないのに結婚を申し込むのは不道徳とされているのだそうだ。日本ではどうだろうか。カネ、カネ、カネというのは卑しいという道徳観があるが、一方で現実のことを考えれば、ある程度の収入と財産がないと結婚生活はできないということも厳然としてある。「愛こそすべて」という言葉は美しいが、愛だけでは限界はある。京都の女性のように高望みされると困るが(もちろん希望は個人の自由ではあるが)、いずれにしろ、男は泥まみれになり、ボロボロになりながら女性のために働き、そして尽くす、古今東西を問わず、いつの時代においても、男はそういう存在であるのかもしれない。

写真右は先日オープンした新宿のヤマダ電機。新宿の家電量販店戦争。消耗戦はもうそろそろ止めにしたらいいと思うのだが。

吉原遊女、性域に聖域なし。 [BOOKS]

IMG_0463.JPG江戸幕府に唯一公認された遊郭、吉原。そこで春をひさぐ遊女たちの姿を描いた映画が「吉原炎上」である。主演の名取裕子ももちろん綺麗だったが、私は筆頭花魁、九重を演じた二宮さよ子の妖艶さにうっとりした。初見世で失態を演じた名取演じる若汐に対し、先輩格の二宮演じる九重が廓(くるわ)の作法を身体を張って教え込む濃厚レズシーンは、恥ずかしながら何度見ても興奮してしまう。

さて、雑誌「東京人」最新号は吉原特集だ。読んでみていろいろ勉強になったが、遊女たちが吉原を出るためには三つの方法があるという話をここでは簡単に紹介してみたい。まず一つ目は、年季を勤め上げること。ちなみに映画「吉原炎上」では6年が年季とされていた。二つ目は、金のある馴染み客に身請けされること。身請けとは要するに、金持ちが金を出して遊女を娶る(めとる)ことをいう。そして三つ目は、死ぬこと。以上の三つだそうだ。

雑誌を読んでみると、吉原が全体的に美化されているような気がしてならなかった。格の高い遊女は教養も持ち合わせていたとか、馴染み客には操を立てる、つまり処女性を大切にしたとか、絢爛豪華な衣装をまといながら、そこに女の素が覗く、そのギャップが人の心を打つとか、あの場所でしか生きられなかった女もいた、ある意味、そこでの暮らしが幸せだったかもしれないとか、吉原で働く遊女がまるで「聖人」(「性人」ではなく)のように書かれている。

先日、有楽町は昔「ラク町」と呼ばれ、戦後、米軍将校を相手にするパンパン(街娼)のメッカだったという話をここで書いた(写真は、今日の有楽町マリオン)。同じ春をひさいでも、吉原の遊女と有楽町のパンパンでは「格が違う」ということなのかもしれないが、果たしてそうなのだろうかと思う。しきたり、ルールにうるさい吉原も、さっさと「コト」を済ませる有楽町のパンパンも、突き詰めれば人間の「性欲」処理の問題なのだから、本質的にどちらが上とか下とか、そういうことの差は全く無いように思う。

何度も書いているが、人間の基本的欲望の一つが「性欲」なのだから、性に関して表現方法がどうとられようとも、「性欲」に根ざしたものである限りすべて「人間的」なのだと思う。

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