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パンダ、パンダと、騒ぐじゃないよ。 [上野・浅草]

RIMG0031.JPG今から約40年前の1972年という年の出来事を、私はいくつかよく覚えている。なぜなら、記憶に残るような大きな出来事がこの年には他の年より多く発生したからだ。この年の2月、札幌冬季オリンピックが開催された。私は当時小学6年生で(釧路にいました。)、学校の教室にあったテレビで、「飛んだ、決まった」の名実況で有名な、ジャンプ・笠谷選手などの活躍を観た。

同じ2月、連合赤軍による、あさま山荘事件が発生した。巨大な鉄球があさま山荘を打ち砕く様子が延々とライブ放送され、その臨場感にドキドキしたものだ。9月、日中共同声明が北京で署名され、中国との国交が正常化した。時の日本側代表は田中角栄首相、中国側代表は周恩来首相だった。白酒(ぱいちゅー)を飲みながら、両者は何度も大きく腕を上下させて握手した。

その翌月、日中友好の証として、2頭のジャイアント・パンダ(リンリン、カンカン)が上野動物園に中国からやってきた。珍獣パンダの日本初上陸ということで、上野動物園はパンダ見たさのお客さんで連日ごった返した。

それから約40年。パンダは日本人にとってもはや珍しい動物ではなくなった。ところが、ここ2、3日テレビを観ていると、約3年ぶりに上野動物園にやってくる2頭のパンダに関する話題が、菅政権の話題よりも先に報道されているではないか。いくら菅政権が末期状態にあるとはいえ、それはないよね、とうのが私の感想である。要するに、パンダについてテレビは少し「はしゃぎ過ぎ」ではないのだろうか、ということである。

最近よく思うが、スポーツ番組を観ていると、試合などが始まる前の「前段」があまりにも長くて、観ている方からすると、とてもカッタルイのである。幼少の頃から親子鷹の二人三脚で取り組んできたとか、大きなスランプがあったが不屈の精神で復活して今日を迎えているとか、試合直前に親を亡くしたがその悲しみを乗り越えて試合に臨んでいるとか、ハッキリ言うと、観ている方からするとそういったエピソードの類はどうでもいいのである。観たいのは、試合や競技そのものなのであるから。

「劇場型政治」という言葉がある。わかりやすいキャッチフレーズを作り、それを、メディアを通じて広く大衆に訴える大衆迎合の政治手法のことで、日本では、小泉純一郎元首相の政治手法をマスコミがそう称したことがあった。しかしながら、小泉政治を「劇場型政治」と命名したマスコミが今まさに、「劇場型政治」ならぬ「劇場型マスコミ(メディア)」に陥っているのではないだろうか。つまり、マスコミがあまりにも安易な大衆迎合路線に傾いているということで、その結果、菅政権の話題の前に、パンダの話題が来てしまうのである。ちょっと考えなおした方がよいと私は思うのだが、如何だろうか。

写真は今夜のアメ横。私の会社からは歩いて15分くらいのとくろにあるのだが、パンダが上野動物園にやってくると、その経済効果はアメ横だけで200億円以上あるのだそうだ。捕らぬ狸の皮算用、否、捕らぬパンダの皮算用である。

若者よ、スポーツ婚活をして、子どもを増やそう? [上野・浅草]

IMG_0077.JPG昨年7月、プロ野球の北海道日本ハムファイターズが企画した「婚活シート」が話題になった。恋愛、結婚に悩むファンのために球団が一役買うということだったが、結局、約600人近い男女が参加し、60組以上のカップルが成立したらしい。シャイな私はとてもじゃないがこんな企画には参加できないが(そもそも私は日ハムファンではないし、年齢的にも対象外である)、それよりも、野球場に行ったら野球観戦に集中するのが基本ではないかと思う。

さて、今後10年間のスポーツ政策の指針として文部科学省が策定する「スポーツ立国戦略」の原案が明らかになった。若者のスポーツ参加率を向上させるとともに、少子化対策に役立てるため若者たちの交流を目指した「スポーツ婚活」推進も盛り込まれた。

「スポーツ婚活」とはどうやら、各地にスポーツ施設を建設して若い男女に利用してもらい出会いの場としてもらうということらしい。私の率直な感想を言わせてもらうと、つまらないことをよく考えるなというか、余計なお世話という感じがする。若者なんて、放っておいても、くっ付いたり離れたりするもので、そういうことに国がいちいち関わるべきではない。それよりも、若者が何故結婚しなくなったかという根っこの部分を国はもっと分析しなければならないのではないだろうか(私のような、未婚のオジサンの原因分析は必要ありませんが。)。

また、うがった見方をすれば、「スポーツ婚活」という聞こえのいいキャッチフレーズを掲げながら、何とか新たな予算をスポーツ施設建設を通して獲得したいという、文科省の思惑が見え隠れしてくる。いずれにしろ、「スポーツ立国戦略」なんていう大袈裟な話が出たときには、政治家や官僚のいろいろな「腹黒い思惑」が随所に散りばめられているから、我々は鵜呑みにしてはいけない。

さて、昨夜は北海道から来ていたお客さんを、浅草の天麩羅屋で接待した(写真は浅草寺入口)。それから赤坂のバーに移って大カラオケ大会をやり、そのあと私は一人新宿で一杯やった。梅雨も明けたので、今日もこれから飲みに行きます(梅雨明けは関係ないが)。

美貌の女スパイ、ロシアより愛をこめて。 [上野・浅草]

daniela_bianchi_photo_4.jpg007シリーズのなかで私が一番好きな作品はなんといっても「007ロシアより愛をこめて」だ。ストーリー展開の妙もあるが、それよりも私がこの作品を好きな理由は、ソビエトの女スパイを演じたダニエラ・ビアンキの美貌と色気である(写真)。それともう一つの理由は、マット・モンローが歌った主題歌「From Rossia with Love」の素晴らしさだ(たまにカラオケで歌っています)。

冷戦時代がとっくに終結し、ロシアの女スパイ、それも美貌の女スパイがいまだにアメリカで活動しているとは知らなかった。サッカー、ワールドカップの熱狂的なサポーターの姿を見て私は先日、世界の国が本当にわかりあえることは困難なのではないか、そんな多少暴論めいたことを書いたが、今回のスパイ摘発事件をみていると、米ソが口では「友好、友好」と言って握手をしていながら、実際にはいまだに「敵」の様子を探っている実態が浮き彫りになったわけで、ワールドカップを見て抱いた私の感想はそう間違っていなかったように思った。

IMG_0038.JPGさて、株主総会も無事終了し、一息つきたかったのだが、昨夜は会社の○○周年の記念祝賀会が「浅草ビューホテル」の最上階(28階)であって(写真はジオラマ風に撮ったもので、正面遠くに見えるのがスカイツリー、手前右が浅草寺、手前左が花やしきである)、私は司会を務めた。この記念祝賀会の企画自体も私のところで行ったのだが、祝賀会のメインはなんといってもお楽しみ抽選会だった。

62名の役職員が出席してその約8割に商品が当たることになっていて、1等は3万円相当のグルメギフト券で、三越のカタログから好きなもの選ぶことが出来るというものだ(浅草今半の和牛、高級博多明太子、山形のさくらんぼ佐藤錦など、涎(よだれ)の出るような高級グルメ品ばかり)。抽選は順調に進み、最後に1等の抽選が残り、この段階で私はまだ抽選に当たっていなかった。多分ダメだろうと観念し、また、司会者という立場もあるから当たらないほうが正解だとも思っていたら、最後の当選番号札を引いた社長が「当選番号は、A-1番」と高らかに1等の番号を読み上げた。

「A-1」は私の持っていた番号札だった。「ヤバイ」、一瞬そう思いながらも、一方で、「やったー」と快哉を叫ぶ私の醜い心があった。当選番号「A-1」を高く掲げながらそろそろとステージに進む私に向かって、「辞退しろ!」「不正だ!」「ありえない!」などの怒号が飛んだ。その声を聞いた社長が「きちんと抽選しましたから」と助け船を出してくれて、会場は落ち着いた。この件で思ったが、主催者は抽選に参加しないほうがいいかもしれない。ちょっとだけ反省した一夜でした。

チャイナドレスの小姐、あなたは「あの世」を信じますか? [上野・浅草]

IMG_0038.JPG浅田次郎さんに『椿課長の七日間』という小説がある。脳溢血で急死した46歳の椿課長が、冥土の世界から3日間だけ別の人間に姿を変えて現世に戻ることを許可されるのだが、現世に改めて戻ってみると、妻の不倫、同期入社した女性の椿課長に対する思いなど、生きていたときには知らなかった重要事実を次々と知ることになる、そういう話だ。

この小説はいろいろなことを考えさせてくれる。「あの世」の存在。輪廻転生。何でも知りたがる人間の本能、等々。私は現実的、即物的人間なので、「あの世」があるということを信じていない(というより「知らない」と表現した方が正確かも。)。輪廻転生は、人間は「この世」で死んでも「あの世」ではよみがえる、人間は不滅なのだという仏教の考え方であるが、そもそも「あの世」の存在を私は信じていないので、輪廻転生もあるとは思っていない。

人間は何でもかんでも知りたがものだ。妻が不倫していたことだけでもショックなのに、不倫相手が椿課長の部下だったのだから、椿課長は愕然としたに違いない。この話の教訓は、あまり人のことは知りたがらないこと、人にはいろいろ事情があるから(不倫自体は決して好ましいことではないが)、そういうことだと思う。

さて、カンヌ映画祭最高賞に、「ブンミおじさん」というタイ作品が選ばれた。毎日新聞によると、「死亡した妻が病気で死期の近い夫の元に戻ってきたり、長い間失踪していた息子が猿人になって現れたりする、奇怪な物語」だそうで、この映画のタイ人監督は、「多くのタイ人は亡霊の存在を信じている。魂の輪廻は人や植物、動物や霊の間にあり、この物語はそうした境界を取り除いて生と死を表現した」とコメントしている。

どんな映画なのか興味があるが、『椿課長の七日間』と重なる部分もあるような気がする。ただ、この監督のほうは明確に霊の存在、輪廻転生を認めている。思うに、日本人も霊とか輪廻転生を信じている人は多いような気がする。そういえば、一神教であるキリスト教も、霊は永遠の存在だとしている。しかしながら私は単純人間で、死ねばすべてが終わり、そう考えるので、霊の存在はないと思っている。みなさんは、如何でしょうか。

さて、今日から「公式」飲み会4レンチャンの第1日目。今日は上野の中華料理店で会食。セクシーチャイナドレスを来た小姐(お嬢さん)が給仕をしてくれて、料金には目の保養代も含まれていたかもしれない。しこたま紹興酒を飲んでペロペロになったので、酔い覚ましにアメ横まで歩いた(写真)。

上野、新宿、愚かな私は、どんどん愚かになっていく。 [上野・浅草]

erika-sawajiri-00354486.jpg今日は政治の話から。民主党、小沢幹事長にいつもの元気がない。その理由は、政治資金規正法をめぐる問題で、検察が小沢氏を不起訴処分としたのは本来「起訴が相当である」という議決を一昨日、検察審査会が行ったからだ。

それにしても、検察審査会とは一体何なのだろうか。検察審査会はくじ引きで選ばれた11人の有権者で構成される。つまり、法律の素人が起訴すべきとか、起訴すべきでないとか、そういう大切なことを決めるわけだ。そもそも、ずっと私が批判している裁判員制度やこの検察審査会は、「庶民感覚」というものを司法の判断に採り入れていこうという発想で始まっている(もちろん、アメリカのモノマネだが)。

「庶民感覚」と言えば聞こえはいいが、本当にそれでいいのかと私は思う。なぜなら、「庶民感覚」なんて実にいい加減なものだからだ。移り気で、ムードに流されやすく、自分本位で、包容力がない、そんな「庶民感覚」を司法の場に持ち込むべきではない。大切なことは常に「常識的」ということで、検察官が常識的でないというなら別であるが、そうでないのなら、司法に係ることはすべて法律のプロだけで仕切ってもらいたいと思う。

そういえば、スペインの哲学者オルテガは、現代社会は、自己本位で愚かな大衆によって支配されていると説いたが、私も含め、大衆というのはいつも愚かな存在かもしれない。それでは、愚かな大衆はこれから少しずつ賢くなっているのか、それとも、さらに愚かになっているのか。皆さんはどう思われるだろう。私は後者、つまり、大衆はますます愚かになっていくと思う。

なぜなら、大衆に対する過剰保護は強まる一方だからである。保護は構わないが、過剰保護はいけない。過剰保護で育った子どもは、総じてわがまま、自己本位で協調性に欠ける傾向を持つが、大衆に対する過剰保護もこれに似ている。弱者救済、消費者保護はいいいけれど、どれも程度問題であり、行き過ぎてしまえば、大衆は自分の権利ばかりを主張し、どんどん愚かになっていくだけだ。

さて、つまらない話はこれくらいにして、次はお酒の話。昨日、珍しく会社に遅くまでいたので(といっても午後7時頃だが)、残業していた社員3名の仕事を強制終了させ、上野駅近くにある大衆中華料理店で飯を食った。注文したのはエビチリ、酢豚、餃子、麻腐豆腐、チャーハンなど実に庶民的というか、芸のないメニューばかり。でも、安くて旨かったし、紹興酒もまあまあだったから、よしとしよう。

私はそれから一人新宿に向かった。ゴールデン街で軽く飲んでから、近くのカラオケができるバーに行き、今仕込み中の松山千春を激唱してきた。結局その店を出たのは午前2時頃。また、やってしまった。

写真はなにかと話題の沢尻エリカ。彼女の写真をいろいろ調べていたら、笑顔の写真があまりないことに気付いた。

癒しより、いやらしいほうが、まだましだ。 [上野・浅草]

m201003310.jpg「癒し」「ロハス」「スローライフ」。こういうのを私は好きではない。どれも現実逃避的な臭いがするからである。「癒されたい」という言い方もよくあるが、聞くたびに身の毛がよだつ。「癒し」より「いやらしい」ほうがよっぽど人間らしくていい(自己肯定?)。

「ゆとり」という表現もこの類だが、小学生の教育は来年から「ゆとり教育」を捨て、「詰め込み教育」に方向転換する。実にいいことだと私は思う。そもそも教育とは詰め込むものだと思う。ゆとりとか余裕とか、子どもに媚びへつらい、甘やかすから基礎学力が落ちてしまうのだ。

教科書のほうもかなり厚くなるみたいで、先生も大変だという話が出ているが、教わる人(下の立場の人)以上に教える人(上の立場の人)が苦労しなければならないのは教育界だけではなく、どの世界でも一緒のことだろうと思う。だから、生徒以上に先生ががんばらなければならないのは当然のことなのだ(教職員組合は選挙に違法な支出をしている場合ではないのだ)。

なぜ、そんなに勉強しなければならないの、そう質問する子どもがいたら、「勉強とはそういうものだから」と答えればいい。なかには、好きじゃない勉強をどうしてする必要があるの、そう聞く子どももいるかもしれないが、そういう子どもには「子どもが勉強するのは当然のことだから」と答えればいい。子どもの個性を尊重するとか、価値観が多様化しているとか、子どもに大人が擦り寄るような姿勢を一瞬でも見せると、子どもはつけあがり、教育は成り立たない。

と、偉そうなことを言ったが、私も会社で部下をきちんと指導できているか正直、自信がない。部下は上司の鏡、そういう気持ちでいつもやってはいるのだが.....。

今日は年度末の3月31日。仕事を終え、経理部の部下を引き連れて上野の焼肉「叙々苑」で打ち上げをやる。食べ過ぎて、飲み過ぎて、上野公園の桜を見るのを忘れてしまった(写真は誰かが撮った上野の桜)。

ホッピー通り、450円煮込みでハッピー! [上野・浅草]

IMG_0470.JPGチリ地震に伴って出された津波警報をめぐって議論が起きている。気象庁は昨日、津波警報は過大だったとして陳謝したが、どうなんだろう、予測が外れたとはいえ、過小の津波警報を出して実際はそれを超える大きな津波が来て被害が出るよりは、今回のほうがまだましだったような気がするのだが。

それよりも私が興味を持ったことは、大津波が来るから避難してくださいと勧告が出たにもかかわらず、実際に避難した世帯はほんのわずかにとどまったという事実だ。今朝の朝日によれば、大津波警報の出た東北3県で、避難所などに実際に移った人は数%しかいなかったという。警報を過小評価する住民の受け止め方が心配と朝日は指摘していたが、なるほどと思う。

警報は出たけれど大したことはないだろう、ほとんどの人が楽観的にそう考えたに違いない。地震が起こるたびに津波警報は出るが、毎回ほとんど被害がない、だから今回も多分大丈夫だろう、この思考回路はいわゆる「狼少年」である。でも、そもそも論として、日本人は楽観的な国民だということがあるような気がする。

台風、地震など自然災害の多い日本であるが、被災した住民にインタヴューする様子をよくテレビで観ていると、家が浸水したり倒壊したりしたにも関わらず深刻に受け止めている感じがないので(なかにはニコニコ顔の人もいる)、ちょっと不思議に思うこともある。「なんとかなる」、この楽観的と言おうか、生活力があると言おうか、そういう精神が我々日本人の身体には一本通っているような気がする。

さて、引っ越し早々、北海道から関係会社社長が上京してきたので、「新居」をご披露してから、夜、浅草で懇親会をやった。たまには少し贅沢させてもらおうと思い、「今半」ですき焼きを頂いた。霜降りの牛肉はさすがに旨かったが、値段もそれなりであった。いつもであればこの後バーにでも行ってカラオケ大会になるのであるが、上野、浅草のバー開拓がまだ進んでいない状況なので、止むを得ず今日は近くにある煮込み通り(ホッピー通り)に行き(写真)、寒い中「オープンカフェ」を気取ってホッピーを飲み、煮込みを食べた。霜降りの牛肉も旨かったが、寒い中で食べる煮込み450円も格別だった。

オリンピックの聖地、祭神ゼウスも嘆き悲しみます。 [上野・浅草]

IMG_0465.JPGバンクーバー・オリンピックも終盤戦を迎えている。注目はもちろん、女子フィギュア。明日行われるフリー演技で、浅田、安藤の両選手には是非メダルを獲得してもらいたい。

さて、現在4年に一度行われているオリンピックは、古代ギリシャで行われていた古代オリンピックと区別する意味で、近代オリンピックと呼ばれる。ご存知のように、フランスのクーベルタン男爵が提唱して始まった近代オリンピックは1896年、オリンピック発祥の地ギリシャのアテネで第一回大会が開催された。

そのオリンピック発祥の地ギリシャが今、大変な事態になっている。財政再建のために政府が打ち出した賃金凍結、増税、社会保障費抑制などの政策に反対し、労働者250万人以上がゼネラル・ストライキ(大規模な労働争議のこと)を行い、全国の行政機能が完全にマヒしているらしい。ギリシャが何故ここまで深刻な財政危機に陥ったのか。その一端を今朝の朝日新聞が伝えている。

それによると、公務員優遇策と脱税天国、この二つが今の財政危機を招いた大きな要因だという。ギリシャでは、1983年以前に採用された公務員については、15年間勤務すればその後退職してもすぐに年金が支払われることになっていた。ということは、例えば22歳で公務員になり、15年間勤め上げて37年で退職すれば、そのときからすぐに年金が支給される、そういうことになる。なるほど、これはおかしい。

もう一つは脱税。富裕層、低所得者層を問わず、ほとんどの国民が脱税しているという。例えば昨年12月、政府は医者300人の納税状況を調べたら、ほとんどの医者が本来納めるべき税金をはるかに下回る税金しか納めていなかったことが判明した。低所得者層の労働者もいろいろな手を使って脱税するらしい。なんとも、驚くばかりである。

近代オリンピックを取り仕切る国際オリンピック委員会(IOC)が定めた「オリンピック憲章」の前文には次のようなことが書かれている。「オリンピズム(注:クーベルタンの目指したオリンピック哲学のようなもの)の目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることである。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進するところにある。」。

オリンピック発祥の地ギリシャが、「人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進する」ことに反するようなことを行うようではシャレにならない。こんなことを続けていると、ゼウスを始めとするオリンピアの祭神たちも嘆き悲しむかもしれない。

さて、来週から事務所が上野に移転するが、内装工事が出来上がったということで確認のために午後から上野に行って来た。1時間ほどかけて新事務所を細かくチェックし、OKを出してきた。せっかく上野まできたので、浅草まで足を伸ばし、旨い食い物屋がないか探しながら、浅草寺に行った(写真)。ここは観光客でいつもごった返してはいるが、ここに来るとなんとなく落ち着くから不思議である。さあ、明日はいよいよ引越しです。

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