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あなたのことを知りすぎてしまったので、別れます。 [時事]

b0016565_23512.jpg「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまった。」。これは、脚本家の三谷幸喜さんと女優の小林聡美さんが離婚した理由だ。「考え方」も「価値観」と同義とすると、二人の価値観に溝ができたことが離婚理由と言えそうだ。

このように、芸能人・タレント夫婦の離婚理由の多くは「お互いすれ違いの生活が続いた」「価値観が合わなかった」というものだ。ここでも「価値観」という言葉が登場する。何となく使いやすくて便利で、それでいてちょっとカッコいい言葉、それが「価値観」であるような感じがする。それでは、男女の「価値観が合う」「価値観が合わない」というのは具体的にはどういうことを指すのだろうか。

ある夫婦が自分たちの今後の生き方について話をしている。夫は働いたお金をコツコツ貯めるのではなく、元気なうちに夫婦で旅行などをして使ったらどうかと主張する。これに対して堅実な妻は、老後の備えが必要になるから、そのために現役時代は少しでも節約して、旅行などをするのは夫が会社生活を引退してからにしましょうと主張する。夫婦の今後の生き方という大切なことに関して、意見が分かれてしまった。この男女の場合、「価値観が合わない」という言い方は正しいのだろうか。

もう一つ。ある夫婦は二人とも有名な宗教の信者である。実はこの二人、宗教活動を通じて知り合い結婚することになった。結婚後も熱心に宗教活動を続け、選挙があるときには同じ候補者に投票するなど、宗教が二人をしっかり結び付けているかのように思われた。ところがある日、家事を夫がやるべきかどうかで大激論になってしまい、最近では一日中お互い口を利かない日も珍しくない。この男女の場合、「価値観が合わない」という言い方は正しいだろうか。

この二つの例を、皆さんはどう考えるだろうか。いろいろな考え方が当然あると思うが、どの考え方にも共通することは、「価値観って何のことかよくわからないね」ということではないだろうか。私なりに整理すると、結婚や離婚の際によく使われる「価値観が合う」「価値観が合わない」というのは、もっと平易な言葉に置き換えるとしたら「価値観が合う」=「相手を理解できる(又は、理解したい)」、「価値観が合わない」=「相手を理解できない(又は、理解したくない)」ということのような気がする。

これは以前にも何度か書いたことなのだが、男女はそう簡単にお互いを理解し合えないと思うし、むしろ完全に理解し合わないほうがいいのではないかと思うのである(結婚経験のない私が偉そうに言うことについては大目にみてもらいたい)。生意気なことを言うようだが(いつも生意気ですが)、男女にはお互い理解できないこと、つまり、一方にとって他方の何となく理解できない部分、ミステリアスな部分、秘密の部分、見えない部分、そういった男女間の「穴」のようなものがある程度あったほうが、男女は上手くいくような気がする。だから、例えば女性が男性の「正体」を完全に見破ってしまい、男性の思考パターンや行動パターンをすべて見抜かれてしまったら、この男性はもはや女性にとって何の魅力もない男性ということになってしまうのではないだろうか。

男女は「お互いを理解し合えない」「価値観が合わない」のが普通であって、最初から「価値観が合う」「お互いを理解し合える」というのはありえないような気が私はするのである(恋は盲目だからね。)。


いずれにしろ、言葉の魔術師である三谷さんには、もっと気の効いたコメントを出して欲しかった感じもする。写真は、三谷さんの代表作の一つ「古畑任三郎」。

遊びたいとか、休みたいとか、ついつい思ってしまうのです。 [時事]

RIMG0086.JPG節電ムードのなか、長期間の夏休みを実施する動きが大企業を中心に起きている。ある企業は、20日間の長期夏季休暇を実施するという。社員はその20日間、出社することは許されず(出社すると電気を使ってしまうから)、強制的に夏休みを取ることになる。

大企業だから出来ること、そういう意見もあるかもしれないが、ひょっとしたら、中小企業や零細企業でもやろうと思ったら、実は、そういうことが可能なのかもしれない。日本人は真面目な国民だから、多くの人は一生懸命働くことを美徳と捉えているが、ただ、若い人のなかには、ガツガツ働くことを好まなかったり、そもそも論として、働くことに対して疑問を持ったりしている人が少なくないかもしれない。そういう若い人たちにとって長期夏季休暇は、喜ばしいことに違いない。

「人間はなぜ働くのか」「人間は何のために働くのか」、そういったタイトルの本が結構売られている。高度経済成長の時代には働くことの意味、目的を考えたりする暇がないくらい忙しかったり、また、働けば豊かになれることを多くの国民が実感できたから(映画「三丁目の夕日」を参照)、そのようなタイトルの本が登場する余地はなかったわけだ。

「人間はなぜ働くのか」「人間は何のために働くのか」といった若い人たちの問いに対して私は、「働くことに特別理由はない」、そう答えることにしている。以前、「なぜ人を殺してはいけないのか」という少年の疑問に対する答えは「人は殺してはいけない。そういうものだから」とするのが唯一の答えではないかと書いたが、「人は何のために働くのか」という疑問に対しても「人は働かなければいけない。そういうものだから」と私は答えたい。

経済学者の中谷巌さんが書いた『資本主義はなぜ自壊したのか』にこんな話がある。日本神話では、神様も働いていたというのだ。例えば「古事記」「日本書記」では、神様が機織りをしたり、山彦・海彦の神話のように猟や漁撈をしたりという話が頻繁に出てくる。現在の皇室でも、春になると天皇陛下が田植えをして、秋になれば稲刈りをなさるし、皇后陛下も養蚕をなさっている。つまり、古来日本では、働くことが「神事」だったのだ。

働くことは神事なのだから、働くことに理屈はない、そう考えることができる。とはいっても、なかなか生きにくい今の世の中。遊びたいとか、休みたいとか思うのも人情だ。海援隊のヒット曲「母に捧げるバラード」に、武田鉄矢の母が息子(武田鉄矢)を叱るくだりがある。曰く「人間働いて、働いて、働き抜いて、もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死ね。それが人間ぞ。それが男ぞ。」。

息子をこんな風に諭す(さとす)ことの出来る母親(もちろん父親でもいいと思うが)は現代にはいないと思うし、そんなことを仮に息子に言ったとしたら「頭、おかしんじゃないの」と一蹴させるに違いない。

まあ、いろいろあるけれど、物事はすべてバランスだから、働く、遊ぶ(休む)、働く、遊ぶ(休む)を順番に上手く回していくしかないと思うね。


写真は、今日行ってきた赤坂の焼肉店。肉厚で美味かった。

トイレで昼御飯、「臭い飯」になりますよ。 [時事]

RIMG0082.JPG私がここ数年提案してきた、クールビズ期間でのアロハシャツ着用が認められることになった。環境省は昨日、軽装を徹底するなどしてクールビズを強化するため、6月から「スーパークールビズ」を実施すると発表した。

スーパークールビズでは、従来は認められていなかったアロハシャツやポロシャツの着用が可能になった。また、チノパンの着用も認められ、一定の条件(破れてだらしのないものでないこと)でジーパンもOKになった。ただ、ハーフパンツは依然としてダメということになっていて、これはどうしてなのか疑問が残る(ジーパンよりもハーフパンツのほうを、私は認めるべきだと思う。)。

環境省は「今年の夏は、暗いムードを明るいムーブメントに変え、新しいライフスタイルを提案する「SUPER COOL BIZ」にご協力お願いします。」とスーパークールビズへの協力を求めている。。当然、政府関係者、官庁関係者は率先してスーパークールビズを実施すべきでだし。加えて、金融機関や大企業も積極的に協力してもらいたいと思う。そういうふうになれば、私のいる会社のような零細企業のビジネスマンも堂々とアロハシャツを着て働くことができるようになる。さあ、明日はアロハシャツを買いに街に出かけることにしよう!

さて、今日午後、釧路から戻った。昨日釧路で会社の人と雑談をしていたら、驚くべき話を聞いた。今、昼御飯をトイレの中でとる男子学生が増えているらしいのだ。あるテレビ番組で観たと言っていたが、もしこの話が本当なら、驚くと言うより、日本の将来が不安になってくる。世間とコミュニケーションが出来ない草食系男子学生が増えている、そんな呑気なことを言っいる場合ではなく、深刻な事態と受け止めるべきだと思う。

私のいる会社の20代の男子社員も、さすがにトイレで昼メシは食べていないが(正直、確証はないが)、そもそも酒の付き合いは好まないし、一緒に飲んだときでも会話が弾むことはない。結局私が一方的に馬鹿話ををする羽目になり、それを聞いて彼らはただケラケラ笑うだけ。一時間以上も一方的に喋ると、いくら話し好きの私でもどっと疲れが出る。彼らは、世の中のことにあまり好奇心がないのか、それとも、喋ること自体があまり好きではないのか、その辺の事情はよくわからないが、一緒に飲んでいるときぐらい、場を楽しくするために努力すべきではないかと私は思うのだが、如何だろうか。

写真は、私が持っているアロハシャツ。こういう楽しいデザインのアロハシャツを着ると、仕事も上手くいきそうな感じになる。

あなたの人相は、エッチです。当たり! [時事]

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皆さんは、占いをやりますか。

学生時代、札幌にいた頃、同じ英語研究会にいた女子大生と私は付き合っていた。あるとき、市内のデパートの片隅で営業していた占いコーナーに二人で行って、我々の今後のことについて占ってもらった。それぞれ名前を紙に書いて女性占い師に渡したら、画数などを確認した後「お二人は、あまり長続きしませんね。」と彼女はハッキリ言ったのである。

我々は恋愛絶頂期にあったから、そんなことはないだろうとその時は思った。だが、それからほどなくして、彼女とは別れることになった。それでも彼女とは一年くらい付き合ったから、恋多き学生時代の恋愛としては、そこそこ長続きしたほうではないかと思う。

占いに関する話をもう一つ。これも学生時代のことであるが、下宿の近くに行きつけの安焼き鳥屋があった。肉厚の豚バラが名物で、コンパもこの店でよくやった。この焼き鳥屋の大将が占いをするというのは聞いていた。あるとき、カウンターに座って安焼酎を飲みながら焼き鳥を食べていたら、その大将が私に向かって突然「お兄さん、エッチだね。」と唐突に言ったのである。

どうやら、私の顔、つまり人相を見てそう判断したらしい。でも、私自身、自分は人並み以上にエッチだと感じていたので、この大将なかなかやるなあぐらいにしかそのとき思わなかった。それにしても、姓名判断とか手相占いは占いをする人にこちらから名前とか手を示さないとできないものであるが、人相占いというのは、顔で判断するわけだから、こちらからお願いをしなくても、占いの心得がある人であれば顔を見ただけで「この男性はエッチだ。」とか判ってしまうわけだ。だからといって、顔を隠して人間は生きていけないわけだから、人相占いというのはちょっとだけ困った占い方法だと言わざるを得ない。

さて、今朝の日経新聞にビックリするような記事が載っていた。それは、全国の原発で「30年以内に震度6強以上の地震が起こる確率」が公表されたのだ。ただ、この確率は大震災以前の今年1月1日を基準として作成されていて、驚くなかれ、今回事故を起こした福島第1原発の確率はその時点では「0.0%」(ゼロ)だったのだ。これに対して、菅総理の要請で運転停止が決まった浜岡原発は「84.0%」で、地震発生確率がダントツで高いのだ。ただ、福島第1原発は確率ゼロにもかかわらず大地震が今回発生したわけだから、浜岡原発の「84%」も極めて怪しい数字と言えるのではないだろうか。

占いの世界で行われる「予言」も、自然科学の世界で行われる「予測」「予知」も、多くのものを過去のデータに依拠している。それにもかかわらず「予言」「予測」「予知」は外れることが多いのだが、私が思うに、人間を対象にした占いの「予言」のほうが、自然を相手にした科学的「予測」「予知」よりも圧倒的に当たるような感じがする。これを少し大袈裟に言えば、人間が理解可能なのはせいぜい人間に限られていて(現代では、理解不能な人間も現れているかもしれないが。)、自然のことまで人間が理解するのはそもそも不可能なのだ、となる。地震発生確率を発表するのもいいが、「そんなもの当たりっこないよ。」と、自然界の神様たちは笑っているような気がする。

ところで、海の神様、山の神様はともに女性の神様、つまり女神で、とても嫉妬深いと言われている。だから、漁師の間では女性が海に入ることを忌み嫌うし、鉱山などでは仕事場に女性を入れないようにしてきた。その嫉妬深い女神たちへのお供え物で、あるお寺では、男性のシンボルを表した木を毎年お供えするのだそうだ。女神が他の女性に嫉妬したり、男性のシンボルで慰められたりするところは、人間の世界と同じでとても興味深い。

写真は、フジテレビ「名前をなくした女神」の出演者。右から2人目は木村佳乃さん。妊娠したらしいですね。


ユッケ禁止令を、発令いたします。 [時事]

RIMG0080.JPG一昨日の金曜日、仕事で札幌に行ってその夜、ススキノで一杯やった。二次会のバーで今話題になっているユッケの話になった。あるホステスさんが、北海道では焼肉店に行ってもユッケを食べないと言うので、一瞬「えっ?」と思った。

なるほど、北海道で肉と言えば豚肉と羊肉(ジンギスカン)であるから、牛肉を使って作るユッケはあまりポピュラーではないかもしれない。なるほど、私も北海道にいた23年間を思い起こしてみると、ユッケを食べた記憶がない。

ユッケ好きの人にとって、今回の集団食中毒事件は深刻かもしれない。それにしても不思議なのは、いつ頃からユッケが一般に食べられているのか知らないが、これまでどうして今回と同じような事故が一度も起きなかったのだろうかということだ。不衛生なやり方でユッケを出していた焼肉店はこれまでも多分あったはずなのに。

厚生労働省は生食用の肉に関する規制を強化し、罰則規定も作ることを検討しているという。当然の話だと思う。ある業界関係者が「いつか起きると思っていた」と言っていたが、想像するに、肉の業界関係者も行政も「ユッケは危険」という認識を昔から持っていたのではないだうか。そしてそれが今回初めて現実のものとなった、そういうことのような気がする。

フグ料理は、フグを捌く資格を持った料理人だけが調理できると聞いたことがある。ユッケに関してはそこまで仰々しくやる必要はないのかもしれない。でも、スッキリさせるには、ユッケ好きの方々には申し訳ないが、いっその事、ユッケのように牛肉を生で食べることを禁止したらどうだろうか。そのほうが、手っ取り早くて確実なような気がする。

それでも食べたいという方は、自分の命をかけて隠れてこっそり食べればいいのではないだろうか。菌というのは、目視しただけでは見えないものである。そういえば、原発施設からでる放射能も目に見えない。目に見えないものは危険が一杯、そういうことかもしれない。


写真は、今日午後の新宿。日差しが強く、気温は25度を超え、夏日となった。

クリトリスのベニス化で、人類は生き延びるのです。 [時事]

RIMG0075.JPG今日は「コドモの日」。「ドコモの日」ではありません(つまらないです。)。ところで、皆さんは「コドモ」はどのように通常表記しますか。「子供」、「子ども」、それとも「こども」でしょうか。私は最も字数の少ない「子供」とほとんど表記します。まあ、どう表記しても間違いではないと思いますが、「国民の祝日に関する法律」に祝日として定められている「コドモの日」は、「こどもの日」と、すべてひらがなで表記されています。

この法律の第2条に、「こどもの日」の定義が書かれています。曰く「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」。「こどもの人格を重んじる」こと、多少大袈裟な感じはしますが、まあ、いいでしょう。その次にある「こどもの幸福をはかる」こと、まあ、異論はありません。それでは最後にある「母に感謝する」は、どうでしょうか。私の想像ですが、少し違和感というか、人によっては怒りを覚えた方(主に男性)がいるかもしれません。

「父には感謝しなくていいの?」、違和感と怒りの正体はこの言葉に集約されているのではないでしょうか。感謝する相手が母のみになっている理由は知りませんが、揉め事を避けるためにも、ここは「両親に感謝する。」と一般的な表現にしておけば、無難だったような気がします。

昨日、明石家さんまが司会を務める「ホンマでっか?」というテレビ番組を観ていたら、幼児期の子供と親の関係について、面白い話が披露されていました。正確に覚えていませんが、大体次のような話です。幼児期の子供は、母親が幸福であれば、子供も幸福になるが、母親がもし不幸であれば、子供も不幸になってしまう。つまり、子供の幸不幸は母親の幸不幸に連動する、そういう話です。

それでは、父親と子供の関係はどうでしょうか。世の父親の皆様には大変辛いお話になるかもしれませんが、父親が幸福でも不幸でも、子供の幸不幸には全く影響を与えないのだそうです。言い換えれば、幼児期の子供にとって、父親という存在はあまり重要ではない、そういうことです。

さて、先日、こんな話を聞きました。ご存知のように、男性より女性のほうがはるかに長生きする世の中ですが、仮の話ですが、この地球上から男性が一瞬のうちに消え失せ、女性しかこの地球上に存在しなくなったら、一体どうなってしまうのでしょうか?人類は絶滅してしまうのでしょうか。否、そうではないらしいのです。一部の女性が男性化し、人類は絶滅しないのだそうです。

ここからは子供の皆さんには少し刺激的なお話になるかもしれませんが、お許しください。女性の性感帯にクリトリスという器官があります。発生学的には、クリトリスと男性のペニスは源が同じで、クリトリスが隆起してベニスになったと考えられています。でも、ベニスは射精や排尿といった機能を持ってますが、クリトリスにはそのような機能はありません。では、何のためにクリトリスは存在するのでしょうか。それは、ただただ快感を得るだけに存在する器官なのです(『40代からの心と体に効く〔生涯SEX〕のすすめ』)。

さらに驚いたことに、ここからは女性の皆さんにも聞いていただきたいのですが、クリトリスは男性のペニスと同様、陰茎(いわゆる「サオ」)に相当する細長い陰核体と、亀頭に相当する陰核亀頭によって構成されていて、快感を得るための神経が非常に多く集中しているのだそうです。

ここまで生物学的というか医学的にクリトリスとペニスの関係が解明されているのですから、地球上から男性がもしいなくなって女性だけになったとしても、一部女性のクリトリスがベニス化し、種の保存は継続されるという話は、理解できるような感じがします。

結論的なことになりますが、有名なある作家の本のタイトルではありませんが、男というのは所詮、「消耗品」なのかもしれません。

こどもの日にちなんで、「です」「ます」調で今日は記事を書いてみましたが、内容的には適切さを欠いた部分もあるようです。でも、祝日に免じ、お許しください。

写真は、今日の神宮球場の様子です(ヤクルト-中日戦)。私は巨人ファンですが、暇だったので行ってきました。

どうして私が、総理大臣に?自慢話はやめましょう。 [時事]

RIMG0084.JPG今朝、JR高円寺駅のプラットホームに立って周りの企業広告をボーッと眺めていたら、某大学受験予備校のキャッチコピーが目に入った。曰く「どうして私が東大に?」。私なりにこのコピーを解釈してみると、このコピーは多分「勉強が出来なかったダメ受験生であった私が、最難関である東京大学に入学できたのは、後にも先にも●●予備校のお陰です。皆さん是非、●●予備校にお越しください。」というニュアンスを伝えたかったのだろうと思う。

このコピー、私は生理的に全くダメである。理由は、「いやらしい」からである。このコピーのように、一見謙虚を装い、実は自慢しているみたいな「いやらしい」人間というのは、受験生に限らず結構いるものだ。

もし私がコピーライターなら、「私は一生懸命勉強して、東大に合格しました。」と単刀直入に書く。そのほうが、「いやらしさ」はないし、受験生のほうも「そうか、やっぱり東大というのは難関なんだ。気を引き締めて一生懸命勉強しよう。」という素直な気持ちになると思う。「どうして私が東大に?」なんて書いてあると、「出来の悪い私でも、予備校さえ行けば、そょっとしたら東大に合格できるかもしれない。」という、極めて安易な気持ちになり、根性を入れて勉強しなくなるに違いない。

謙譲の美徳、という言葉がある。謙虚な気持ちは尊いという意味で、日本人特有の感性だと思う。適度な謙虚心というのは、周囲の人間にとっても心地良いものだ。でも、謙虚さを強調しすぎたり、過度にへりくだった態度というのは、周囲の人間にとっては逆に不愉快である。

過度にへりくだったりしない、自慢もしない、要するに世の中、自然体でいけばいいのである。過度なへりくだりは嫌味に聞こえるし、自慢ばかりしていると周囲は白け、いつかしっぺ返しをくう。適切な例ではないかもしれないが、今日本で一番有名な企業になってしまった東京電力、そこの社員は超エリートと言われている。

社員のなかには、自慢げに東電の名刺を出す者もいたに違いない。東電という大看板があれば、信用力はあるし、銀座のクラブあたりでも簡単にツケもきいたであろう。でも、今はどうだろうか。

東電の名刺の「威光」は極端に衰えたのではないだろうか。株価は震災前に比べて4分の1になり、原発の処理方法如何では会社自体の存続に議論が及ぶ可能性もある。そんな状況下、これまで高飛車な態度で世の中に接してきた東電社員に対しては「ざまー見ろ」と思っている人たちも少なくないかもしれない。一方、普段から自然体で、裸の人間関係を築いてきた社員に対しては「辛いだろうけど、応援しているから、がんばってね。」と周囲からエールが送られるに違いない。

この世の中、一寸先は闇である。明日の自分は、今日の自分とは全く違う立場の人間になっているかもしれない。そう思いながら、日々を送ることが大切なことを、今回の東電原発事故は教えてくれたような気がする。


さて、今日は札幌に来ている。仕事の後は支店の皆さんとサッポロビール園でジンギスカンを食べることになっている。その後は、ススキノに突撃する予定。成果(性課?)は後日報告ということで(写真は道庁赤レンガ)。



性交後、成功率は80%? [時事]

RIMG0084.JPG世の中には、あっと驚くような商品があるものだ。今朝の毎日新聞に、厚生労働省が2月に販売を許可した「緊急避妊薬」の話が載っていた。この「緊急薬」を性交後72時間以内に服用すると、妊娠を防ぐことができるのだという。妊娠しないために性交前に飲むピルとか、コンドームのことはもちろん知っているが、「事後」でも妊娠しないように出来る薬があるなんて、ビックリしてしまった。

あるクリニックで、来院した女性を対象に「緊急薬」を必要とした理由を調べたところ、「コンドーム破損」(注1:それにしても「破損」という言葉には感動する。要するに、破れちゃったということだろう。)が一番多くて37%、その次が「避妊せず」で20%、次いで「コンドーム脱落」(注2:またまた「脱落」とは感動する。要するに、外れちゃったということだろう。)の16%と続く。

この数字だけ見ると、コンドームの「破損」「脱落」合計で53%となるから、避妊の失敗の過半はコンドームを適切に使えなかったことが原因であることがわかる(ちょっと下品な話で恐縮であるが、「破損」するくらい「元気」だったのは私の場合、随分昔のことのように思う。失礼しました!)。

「緊急薬」の使用を安易に認めることに反対する人もいるという。避妊をしないで性交をして、それから72時間以内に「緊急薬」を服用すれば妊娠しないわけであるから、そうする人が今後増えるかもしれない。が、これに対して反対論者は、基本的にはコンドームとかピルによる避妊をして(これらの避妊成功率はともに9割程度あるらしい)、万一のときに限り、「緊急薬」を使用するよう主張している。

「緊急薬」の成功率(注3:「性交率」ではありません。)は80%でピルの成功率より劣るが、ピルに比べると吐き気、めまいなどの副作用が少ないらしい。もしそうであれば、成功率が多少劣っていても、副作用の少ない「緊急薬」を使用したいという選択肢はあるわけで、「緊急」ではなく「常用」する薬として位置付けてもいいような気もする(この辺りは、女性側の考え方も聞いてみないといけない)。

いずれにしろ、妊娠を望まない人が妊娠し、妊娠を望む人が妊娠できない、そういう現実があるわけで、世の中はなかなか思うようにいかない、そんなことを改めて感じる話である。

写真は、0.02ミリのコンドーム。「破損」と「脱落」は大丈夫?

そろそろ「通常モード」に戻りませんか。 [時事]

RIMG0070.JPG東日本大震災が起きてからなんとなく慌しくて、ブログを更新できなかった。被災地にはまだ多くの行方不明者がいるし、避難している方々も35万人以上にのぼるという。「悪夢」という言葉がこれほど相応しい災害はそうないのではなかろうか。正直言うと、自分が生きている間に、こんなに大きな災害を遭遇するとは思っていなかった。「自分だけは例外」と思っていたが、甘かった。

さて、無頼派作家と呼ばれた坂口安吾が「堕落論」を書いたのは終戦間もない昭和21年のことだった。第二次大戦の前後で人間は果たして変わったのだろうか、否、人間はいつの時代も変わらない、変わるのは世相の上皮だけだと坂口安吾は喝破し、「生きよ、堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。」というあの有名な一節を書くのである。

震災前、日本政治の体たらく見ていて、坂口安吾の言うように政治は一度堕ちるところまで堕ちたらどうなのか、半ばやけっぱちにも似た心境になっていた。そんな矢先、今回の大震災が発生し、一瞬、日本全体が「堕ちた」ように私には思えた。

こんなことを書くと菅総理にとても失礼かもしれないが、今回の大地震は菅総理のせいで起きた、そんな心境にも私はなった。これはもちろん根拠のないことであるが、怒りや不満をぶつける矛先がとりあえず、菅総理しか思い浮かばなかったのである。

日本は地震大国である。世界で発生するマグニチュード6以上の地震の約2割が、日本で起こっている。ご存知のように、日本列島は4つの大きなプレートの上に乗っかっているわけで、地質的に見て、日本列島に地震が多いのは当然のことなのだ。したがって、地震などで放射能汚染を起こす可能性がある原子力発電所というのは、そもそも論として、日本で建設するには無理がある施設なのだ(参考: http://karubi53.blog.so-net.ne.jp/2009-07-27 )。

そろそろ、日本全体のムードを明るくしていかないといけない。我々の生活も苦しいが、それ以上に被災地域の方々は苦しい。各個人の出来うる範囲内で義捐金を拠出するのは当然だが、だからといって、将来への備えなどと称して被災しなかった我々が消費を過剰に控え、結果、日本全体が「沈没」する「二次災害」だけは避けなければならない。

そろそろ、「通常モード」に戻るタイミングではないだろうか。そうすることによって、世の中が少しずつ上手く回りはじめるような気がするのだが。

写真は、新宿の老舗洋風居酒屋「どん底」。ピンチをチャンスに転じさせ、「どん底」から一日でも早く抜け出そう。

カンニングで、石打ち刑は、ちょっと酷です。 [時事]

RIMG0038.JPG昨年、イラン人女性が姦通罪の罪で石打ち刑による死刑宣告がなされ、人権団体などが抗議したことがあった。日本でも昔は姦通罪が刑法にあったが、今は廃止されている。この姦通罪の「姦」という漢字は不倫などを意味し、総じて道徳的に否定的な熟語のなかで用いられる(姦通、姦淫、強姦、近親相姦など。)ところで、「姦通罪」はこの罪の内容を知らない人でも、漢字を見ただけで朧(おぽろ)げに罪の内容をイメージできるところがあるのでないだろうか。でも、同じ刑法に関する法律用語でも、何のことかさっぱりイメージできないものもある。

京大などの入学試験問題が、試験中にインターネット上の掲示板である「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、京大は「偽計業務妨害罪」の疑いがあるとして京都府警に被害届を提出した。報道によると、携帯電話を使って「ヤフー知恵袋」に試験問題を投稿した受験生は仙台在住の19歳男性で、本日、仙台市内で逮捕された。

人を欺いて他人の業務を妨害すること、これがどうやら「偽計業務妨害罪」ということらしい。今回の場合、京大が実施する公平な入学試験という「業務」を、仙台の受験生が携帯電話を使って不正に正解を入手したことで「妨害」した、こんな感じになるのだろうか。

一連の報道を見ていると、どうやらマスコミなどは仙台の受験生を「罪人」「悪人」扱いにしようという雰囲気が感じ取れる。なるほど、悪いことをしたのだから当然なのかもしれないが、一方で、今回受験生がやったことはいわば「カンニング」であるわけだから、「偽計業務妨害罪」なんて大袈裟なことを言わなくてもいいような気もする。

また、大学のほうは、現代社会におけるインターネットの利便性、携帯電話の多機能性などを十分熟知しているはずだから、入学試験の際に携帯電話を一切持ち込ませないようするなど、必要な対応が取れていたのではないだろうか(海外では同様のことが既に起こっていたという指摘もある。)。その点からすると、大学が一方的に被害者のように装うのは如何かという感じもする。大学にも責任の一端があるのではないだろうか。

19歳の青年を「魔女狩り」のようにするのは、ちょっと酷なような気が私はする。

写真は今夜の新宿歌舞伎町。今週は一度も新宿で飲んでいない。明日は必ず新宿に立ち寄ろう。

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