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将来は、月月火水木金金、になるかも。 [北海道]

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昔、『毎日が日曜日』という城山三郎の小説があったが、近い将来、毎日が月曜日、毎日が火曜日、つまり、毎日が平日という時代が到来するかもしれない。

「節電の夏」、今年の夏はこんなキャッチ・フレーズが似合う夏になるに違いない。電力需要を抑えるため、企業も個人も、とにかく節電に努めることになりそうだ。そんななか、一部の大手メーカーでは、土日に操業を止めるのではなく、平日に操業を止めることを決めた。そうすれば、電力需要が平日に集中することを回避でき、結果、電力需要を平準化できるわけだ。

一方デパートでは、週に一度休日を設け、休日を輪番制にすることを模索している。例えば、伊勢丹は月曜日に休み、高島屋は火曜日に休み、小田急は水曜日に休む、そういった具合だ。この輪番制が目指すところも、電力消費の削減(なるほど、デパートでは物凄い数の蛍光灯が使われている)、そして、電力需要の平準化である。

以上のようなことをやって、電力需要が平準化され、結果として電力供給が少なくて済むのなら、なにも今年の夏だけではなく、これからずっとこのやり方を続けるという手はあるのではないだろうか。

一週間は月曜日から日曜日まで7曜日あり、日曜日がとりあえず休日とされているが、業界によってはデパートのように日曜日が稼ぎ時というものも少なくない。もしそうであるなら、日曜日が休日という考え方をこの際放棄して、月曜日から日曜日の7曜日すべてを「平日」とし、どの曜日を休日にするのかは、業界別に決めることにして、業界のなかでさらに上に述べたデパートの例ように休日を分散すれば、電力需要は7曜日でかなり平準化されるのではないだろうか。

そういえば、不動産業界は昔から水曜日が休みだし、私の生まれ育った釧路では、蕎麦屋は火曜日が休みであった。デパートでも昔は日曜日以外に統一された休日があったのではないだろうか。

整理しよう。国民が一斉に休むのは、憲法記念日とか、子どもの日とか、つまり国民の祝日とされる日に限定する(国民の祝日は現在、15日ほどもある)。それ以外の休日は各業界、各社が独自に決めることにする。そうしてしまうと、現在のように、みんなが休日の日曜日に同窓会とかリクリエーションができなくなるのではと、疑問を呈する人がいるかもしれない。でも、そういう特別な日は一年に何十日もあるわけではないのだが、例えば、5月27日に高校の同窓会をやろうと決めたなら、その日会社がある人は、有給休暇と取ればいいのである。

日本の労働者は恵まれていて、会社に入ってしばらくすると年に40日以上の有給休暇を取得することができる。この他に、夏には夏季休暇、慶弔があった場合には慶弔休暇がもらえるなど、働いている日よりも休んでいる日のほうが多いのではと錯覚したくなるくらい労働者の休日は多いのだ。

さて、このようなことをするメリット、デメリットは何だろうか。電力需要を抑え、平準化することで、限られた電力のなかで不自由なく社会生活が送れる、これが一番大きいメリットであろう。そのほか考えられることは、観光地が活性化する可能性があることだ。月曜日から日曜日まで平均的に観光客が来ることが期待できるから、特にホテル、旅館などは稼働率が高くなる違いない。

一方、デメリットもないわけではない。学校は基本的に日曜日が休みであるから、もしお父さんが月曜日休みになると、親子揃って遊園地に遊びに行くとか、子どもと一緒に出かける機会が減るかもしれない。でも、たまにお父さんが有給休暇を取るという手段もあるし、そもそも、子どもと一緒にいる時間が長ければいいというものでもないだろう(子どものいない私が言うのもなんだが。)。恋人同士だって、たまに逢うから上手くいく場合が少なくない。工夫次第で、親子の問題は解決できるように思う。

せっかくの機会だから、ライフスタイルについていろいろ議論してみればいいと思う。クールビズはアロハシャツでいう私の「暴論」が今年、現実のものになったケースもあるのだ。大胆で、聖域(私の場合「性域」?)のない議論が今必要な気がする。

今日は札幌に来ている。写真は大通公園で開催されているライラックまつり。ライラックはフランスでリラと言う。「リラ冷え」とは、リラの花が咲く今頃の時期の一時的寒さのことを指す。それにしてもこの言葉、綺麗だね。

計画停電、アロハシャツで乗り切るしかない。 [北海道]

akb9.jpg昨日、午後から会社を早退して、プライベートで札幌に来た。主目的は、新宿ゴールデン街でたまに寄らせてもらっている「SUZY-Q」で、火曜日と土曜日にお店に入っているシャンソン歌手のサカイレイコさんのステージを観ることである。

さて、札幌に来てコンビニに入ってみたが、牛乳も生卵もトイレットペーパーも、普通どおりに店頭に並んでいた。夜、ススキノを歩いてみても、いつも通りネオンは輝いている。大震災の影響はここ札幌ではほとんどないことを実感した。

報道によると、首都圏で実施されている計画停電の影響は、電力需要が一気に伸びる真夏が一番深刻らしい。そのときは、エアコンの設定温度を一段と上げる必要があり、汗タラタラで仕事をせざるを得なくなるだろうという。もうこうなったら、格好なんかは気にしていられない。私はここ数年、クールビズの時期が来ると、ビジネスマンは通気性に優れているアロハシャツで勤務したらどうかと提案してきたが、なんとなく現実味が出てきた(参考:http://karubi53.blog.so-net.ne.jp/2008-05-07 )。

大震災そのものの影響はないといっても、札幌でも被災地を支援しようという大きな動きは起きている。今朝、大通り公園の地下を歩いていたら、若者数名が募金箱を胸の前に抱えながら、被災者支援のための寄付を大きな声で通行人に呼びかけていた。

多少不謹慎かもしれないが、募金活動などの際に見られる呼びかけ人の「絶叫」が私は生理的にダメなのである。歩いていて「絶叫」が聞こえはじめると、私は避けるように「絶叫」が聞こえない場所に逃げ込んでしまう。そもそも私は、大声というのが嫌なのだ(カラオケの大声は別ですが)。だからというわけではないが、私は芝居などの「舞台物」を観ない。役者などが出すあの大声がダメなのだ。

大声は、英語では何というか。直訳でa big voiceというのは不正解で、正解は、a loud voice。また、声は口から出るからといって、big mouthと訳してしまうと、「大口を叩く人」「口先だけの人」「口が軽い人」という全く別の意味になってしまうので、要注意。大声が決してbig mouthにならないよう、気をつけなければいけない。

今、新千歳空港にいます。これから東京に戻ります。

写真はAKB48。彼女たちは大震災に対する義援金を呼びかけ、すでに6億円以上を日本赤十字社に寄付したという。AKB48というのは間違いなく「化け物」だね。

ハリを刺す手に、目がついていました。 [北海道]

RIMG0042.JPG40肩で肩が痛い。50肩というのもあるらしい。私は丁度今50歳なので50肩のほうが相応しいような気もするが、40肩のほうが一般的な言い方のようだ。40肩で何が困るかといえば、腕が上手く回転しないので、背広やコートなどに腕を通す際に激痛が走る、浴室で身体を洗う際に腕が背中に回らないので、背骨の周辺をうまく洗えないなど、日常生活にいろいろ不便なことがある。

ということで、あまりに肩が痛いので、生まれて初めてカイロプラクティックスと鍼灸院に行ってきた。カイロでは、身体のことをいろいろ検査され、足の長さが左右違うとか、肩や首がバリバリに張っているとか、股関節がよくないとか、40肩以外で身体の悪い点をいくつも指摘された。要は、身体がボロボロということらしい。鍼灸院でも同じようなことを言われ、どうやら、「身体の整備」が必要なタイミングにあるらしい。

カイロでも鍼灸院でも、施術をする際に私の身体全体を見て、そして触診をして、どこが悪いのか調べることがわかった。特に鍼灸では、首、肩、お腹、足など、身体の上か下まで軽く押しながら状態を確認し、ハリを刺す適切なポイントを見つけているようであった。

鍼灸師の竹村文近氏が『はり100本』という本を書いている。本のタイトルどおり、竹村氏は大袈裟ではなくハリ治療で100本くらい患者の身体にハリを刺すのだそうだ。それも、普通よりかなり深く刺すので、ハリを刺された患者はかなり痛いらしい。でも、多少痛くても効果抜群ということで、タレントのタモリ、ピアニストの山下洋輔、デザイナーの稲葉賀惠、女優の加賀まりこなどが彼の顧客になっていることも紹介されている。

さて、人間の身体には約300ものツボがあるといわれている。人体には「気」と「血」の運行経路である14本の経絡があるのだが、ツボはその経絡上に存在するのだそうだ。ただ実際には、これら300ものツボをすべて覚える必要がなく、せいぜい30程度覚えていれば治療は可能なのだそうだ。

竹村氏の師匠は彼にこう言ったという。「まず10年間は、按摩(あんま)をみっちり勉強することだ。揉んで揉んで揉み抜きなさい。そうすると、手に目がついてくる。そうでないと鍼は刺せない。手に目がつくと、鍼を刺すべきところで自然に手が止まるようになる。解剖学や鍼灸理論といった机上の学問などしなくてもよい」。「手に目がつく」、なんとも含蓄のある言葉ではないか。

さて、今、新千歳空港の待合室にいる。本来ならもっと早い便で帰京する予定だったのだが、午前中、新千歳空港の滑走路の除雪が遅れたことから、予定より3時間遅い便で新千歳空港を発つことになった。普段の精進が悪いとこういうことになる。

写真は新千歳空港内の様子。私がこれまで行った国内空港の中で、羽田空港も含め、新千歳空港のお土産などの売店、レストランが一番充実しているように思う。

マグロ、マグロと、もう騒がない。 [北海道]

IMG_0624.JPG今日は食べ物の話と飲み物の話を一つずつ。

東京の築地市場をはじめ、全国の主要な市場では昨日、初セリが行われた。ニュースにもなったが、築地市場では、津軽海峡で獲れた300キロを超えるマグロが約3200万円で競り落とされた。この金額は史上最高値だそうだ(はたして、3200万円のうち漁師の取り分はどのくらいなのだろうか?)。

このマグロは、銀座の有名寿司店と香港の業者が共同購入という形で競り落とした。両者とも「縁起もので採算度外視」を強調していたが、1万円や2万円の買い物ではないのだから、決してそんなことはないと思う。一貫2000円くらいで売って、しっかり投資は回収するだろう。

それにしても、いくら大物のマグロといえ、3200万円というのはさすがに尋常な金額ではないと思う。3200万円といえば、クルマはもちろん、家一軒だって買えてしまう金額だ。バブルを経験した私からすると、「バブル再来」の兆しではないかとも思った。

それにしても、日本人はどうしてマグロ、マグロといつも大騒ぎするのだろうか。何度か私はここで書いたが、私は寿司屋に行ってもマグロは注文しない(貧乏なのもあるが。)。マグロよりも、小肌やイカ、穴子のほうが私は好きだからだ。

赤坂の店でも、刺身の盛り合わせにとりあえずマグロを入れているが(刺身といえばマグロというお客さんが多いので)、個人的には、真ダコの刺身一本でいきたいところだ。でも、商売という観点から、ここはぐっとこらえてマグロの刺身も今のところ出している。

マグロの漁獲がこれから制限されるが、たとえマグロが全く食べられなくなっても、死ぬわけではないし、日本人は何も困らないような気がする。そう考えると、現状、あまりにも、マグロ、マグロと日本人は騒ぎ過ぎる、そんな感じがする。

さて、次は酒の話。発酵学の大家である小泉武夫先生はある本で、世界のなかで、日本酒の熱燗のように、酒を温めて飲む習慣を持つのは日本だけだと書いていた。今日、羽田から新千歳に向かうANA便で機内誌を読んでいたら、真冬のヨーロッパでは、赤ワインを温めて飲むことがあると書いてあるので、よく読んでみると、温めるのは赤ワインだけではなく、赤ワインのなかに、水、オレンジジュース、砂糖、りんご、シナモン等、いろいろなものを入れて温めるとある。

これでは、まるで赤ワインベースのカクテルのようなもので、決して温めて飲む酒ではないような気がする。機内誌にも書いてあったが、中国の「紹興酒」も温めて飲む場合があるが、これは多分、日本人オリジナルの飲み方であり、本場中国では、常温で飲むのが一般的だと思う。

酒の世界は深くて、書き始めるとキリがないので、この辺で止めにする。

今日、札幌に来たが、暴風雪だ(写真は、札幌駅南口から大通り方面を見たもの)。明日の帰りの便が欠航しないか心配だ。でも、今夜だけは、そんなことを気にせず、ススキノで大いに飲んで、食べて、いろいろ研究(?)したいと思う。

綾小路きみまろさんの、中高年オバサンに対する、深い愛情。 [北海道]

IMG_0538.JPG漫談家である綾小路きみまろさんは、年に100回以上公演を行う。どの公演も常に満席で、観客のほとんどは中高年のオバサンたちだ。その「お客」さんであるオバサンたちに向かって毒舌を連発しながら、それでも綾小路さんはオバサンたちに絶大な人気がある。その秘訣は何なのか? それは「オバサンたちを一つだけ褒めること」にあるらしい。

これは、先日放送されたテレビ番組の話である。この番組を観て私は、綾小路さんのオバサンに対する並々ならぬ深い愛情を感じた。その愛情を感じるからこそ、オバサンたちも彼を支持するに違いない。

さて、木曜日から札幌に行っていたのだが、シャンソン歌手のサカイレイコさんがススキノの銀巴里にゲスト出演しているというので、木曜日の夜、ライブを観に行ってきた。サカイさんとは新宿ゴールデン街で出会ったのだが、抜群の歌唱力と歯に衣着せぬ彼女のトークは多くのファンを惹きつけている。

彼女はライブのトリとして3番目に登場した。その前の二人の歌手も上手だったが、サカイさんの歌唱力は抜群だった。レベルが一つも二つも上、そんな感じだった。

本当のプロと、そうでないプロの違いはどこにあるのか。例えばサカイさんのような歌手の場合はどうだろうか。思うに、歌うこと自体、また、歌おうとしている曲に対する、愛情の強さ、深さの違いにあるのではないだろうか。サカイさんは以前のコンサートのときに、ある曲を上手く歌おうと思ったら、その曲を一日何十回も聴いて練習すればなんとか歌えるようになる、そんな趣旨の話をステージでしていた。

この話を聞いて私は、なるほどと唸った。私も歌が好きでよくカラオケをするが、自分の持ち歌にしようと思う曲でも、練習する回数はどうだろう、せいぜい一日数回ではないだろうか。この、一日数十回と一日数回の差異は、単にプロ歌手と素人という違いだけではなく、歌うこと自体、また、歌おうとしている曲に対する愛情の強さ、深さの違いなのではないだろうか。

銀巴里ではわがままを言って、サカイさんにシャンソンではない安全地帯の「ワインレッドの心」をリクエストして歌ってもらった。歌詞はもちろん暗記していたし、歌も私より数段上手だった(当たり前か。)。彼女は多分、この曲を相当歌い込んでいるに違いなかった。

次に、画家はどうだろう。花を描く、人物を描く、木を描く、描く対象物がどんなものであっても、画家は対象物に深い愛情の眼差しを注いでいるに違いない。綺麗な一輪の花が描かれるとき、普通の人であれば「あー、綺麗な花だ。」と一度切りの感動でそれでおしまいであるが、画家は何度も何度もその花の美しさに感動しながら、愛情を込めてその花の美しさを描こうとしているのだろう。

この手の話は何も芸術に限ったことではない。繁盛するラーメン店の店主にはラーメンという食べ物に対する並々ならぬ愛情があるのだろうし、出世したビジネスマンには、自分の業務に対する真剣な取り組み姿勢があったに違いない。つまり、どんな分野の仕事でも、その世界で秀でる人には、その仕事に対する深く、そして強い愛情があるのだろうということだ。

冒頭の綾小路さんの話に戻るが、中高年のオバサンたちの悪口ばかり言っていながらも、彼女たちに圧倒的に支持されている綾小路さんは、心の中では、中高年のオバサンたちに深い敬意を払っているに違いない。そういう気持ちが心底ないと、彼の毒舌は単に毒舌だけで終わってしまうだろう。

そんなことをつらつらと考えながら、それでは一体自分は、今何に愛情を注いでいるのか、そう自問してみた。結論は残念ながら、「ない。」ということだった。果たして、それでいいのだろうか。多分、よくないのだろうと思う。この話は別の機会に、また書いてみたい。

写真は、北大のポプラ並木。昨日の朝、撮ったものだが、数日前だともっと黄色が鮮やかだったらしい。

グルメブログ、ちょっと注意が必要かも。 [北海道]

IMG_0200.JPG先々月、休暇を取って大阪に行く際、大阪で何を食べるか、私はグルメサイト、食べログなとで事前調査をしてから行った。食べログは実際にお店を訪れた人の評価、感想が掲載されているので大いに参考になる。11月オープンを目標に今準備を進めている飲食店も食べログに掲載してもらい、集客に繋げて行こうと考えている。

その食べログをめぐり、今ある裁判が佐賀県で行われている。佐賀市内のある飲食店経営者が、「自分の店の情報を掲載されたくない」として、食べログを運営する会社に店舗情報の削除を求める訴えを、佐賀地裁に起こしてる。

この経営者は、「望んでいないのに無断で掲載された。店のホームページと食べログの違いをお客さまに説明しづらく、混乱を招いている」「料理を掲載されると、盛り付けやメニューの変更がしづらくなる」などと主張しているらしい。これに対し食べログを運営する会社は、「写真のページには『最新の情報とは異なる可能性があります』と注意書きをしており、利用者が書き込んだ当時の事実に合致しているので違法性がない」として、反論している。

この裁判は、大切な問題提起をしているように思う。一つは、経営者が掲載を望んでいないのに、勝手にインターネット上で店舗の情報を流すことの適法性、もう一つは、店を訪問した客が商品を勝手に写真で撮り、インターネット上で掲載する権利があるのかどうか、この二点である。

最初の問題はどうだろうか。私は法律の専門家ではないので、もちろん素人としての意見ということになるが、皆さんはどう思われるだろうか。少し前になるが、インターネット検索の大手グーグルがグーグルマップ上で一般住宅の写真を公開した際に、一部住民から「表札などを写すのは個人情報保護の侵害に当たる」などとしてグーグルと争いになったことがあった。このケースでは結局、グーグルが一部住民の要求を受け入れだが、佐賀飲食店のケースはこれに類似している点がある。

インターネットは現在、世の中で最も強力な情報流通の場になっている。ひとだびインターネット上で情報が公開されれば、世界中の人たちが閲覧可能になる。私のブログでも、アクセス解析をしてみると、記事がフランス語、中国語などに翻訳されて閲覧されていることがよくある。日本語の記事でも、パソコンの翻訳機能を活用すれば、日本語以外の言語で読むことは可能なのだ。そのくらい、インターネットの世界というのはグローバルなものだが、使い方を一つ間違うと「凶器」にもなる。

ちょっとわき道に逸れたが、結論としては今回の場合、一点目については、飲食店経営者の主張は受け入れられるべきだと思う。すなわち、店主が望まない食べログの掲載はなされるべきではないと、私は思う。

さて、二点目であるが、こちらのほうが問題としては深刻だと思う。コンパクトデジカメや携帯電話の性能が向上し、誰でも簡単に綺麗な写真を撮ることができるようになり、また、個人のホームページ、ブログが簡単に作成することが可能になったおかげで、食べ物の写真を中心にしたグルメホームページ、グルメブログが花盛りである。

「行列のできる法律相談所」で以前、こんな問題が出た。小さな鰻屋に来た客が、自分のブログに掲載するために、うな重の写真を撮っている。その様子をたまたま見た写真嫌いの店主は烈火の如く怒りながらその客に詰め寄り、写真を撮らないよう強く求めた。しかしながら客は「個人のブログだから問題ない」と反論する。さて、どちらの主張が正しいだろうか。

飲食店などの店主には、その店の管理について一定の権限があり、料理の写真などを撮ることを店主が望まなければ、客に撮影禁止を要求できるというのが法律の立場らしい。したがってこの鰻屋のケースの場合、店主の主張が正しいという結論になる。

この放送を見たとき、私もそうだろうなと納得した。ただし現実には、店側と客側の写真撮影に関するこうしたトラブルを防止するために、店の入口に「店内での写真撮影はご遠慮願います」等の注意書きをすることが必要になると思う。

先日私は高円寺阿波おどりに行って写真を撮りまくったが、参加者(踊り手)は観客が写真を撮ることを予め了解している。だから、「写真を撮るな!」と叫ぶ踊り手なんて誰もいない。だが、佐賀の飲食店経営者や鰻屋の店主のケースはこれと全く異なるわけだ。

ということで、二点目については、店側の了解がある場合に限り、料理などの写真を撮影してブログ等に掲載することが可能、と私は考える。ただ、「店内での写真撮影はご遠慮願います」と貼り紙をしたり、貼り紙がなくても、鰻屋の店主のように店内で客を怒鳴り散らしたりしたら、客の足は遠のいてしまうだろうし、「あの店はトンデモナイ店だ」と逆恨みした客が自分のブログで攻撃するかもしれない。そのあたりが本当に難しい問題で、インターネット時代ならではの悩ましいところなのである。

さて、今日から札幌。写真は旧道庁赤レンガ。いつもだと明日土曜日に帰るのだが、土曜日はプライベートでもう一泊しようと思っている(怪しい行動?)。

「あなたは、押尾被告のファンですか?」って、なしです。 [北海道]

IMG_0169.JPG元俳優押尾学被告の裁判員裁判が今日、東京地裁で行われた。芸能人に対する裁判員裁判はこれが初めてだという。今朝、めざましテレビを観ていたら、いつもよく出てくる元東京地検特捜部のある弁護士が、妙なコメントをしていた。

「裁判の公正を期すために、裁判員選任の際、「あなたは押尾被告のファンですか?」と裁判員に質問する可能性があります。」と、コメントしたのだ。この質問の意味するところは、裁判員がもし押尾被告の熱烈なファンであった場合、押尾被告に有利な判断をしていまう恐れがあるから、それを事前に排除しようということらしい。

そんな質問をする必要があるというなら、逆の質問、つまり「あなたは押尾被告が憎い、または、嫌いですか?」という質問もする必要があるのではないだろうか。なぜなら、押尾被告のことを憎んでいたり、嫌いな裁判員は、彼に不利な判断をする可能性が高いからだ。

裁判の公正を期すという目的から、被告に対する「好き嫌い」「思想」の問題を事前に確認するというのはやってはいけないことだと思う。例えば、過激な右翼構成員の被告がいるとしよう。もし右翼思想に傾倒している裁判員がいたなら、事件の内容がどんなに悲惨なものであっても、その裁判員は被告に有利な判断を下すだろう。これはなにも裁判員だけではなく、プロの裁判官でも同じことが言える。

会社で私もいろいろな裁判に関わってきたが、どうみても偏った考え方(例えば、極端に右寄り、極端に左寄りの考え方)を持った裁判官がいるのは事実であることは、裁判を経験したことがある人なら誰でも知っていることだ(裁判官だけではなく、弁護士にも言えることだが。)。でも、だからといって、自分たちの都合のいいように裁判官を我々は選べないし、もしそれをやってしまったら、裁判制度というものが機能しなくなってしまう。残念だけれども、そのあたのが裁判制度の限界で、正直不満もあるが、受け入れざるを得ないのだと思う。

改めて言うが、裁判員選定に際して「あなたは押尾被告のファンですか?」と聞くのは、やってはいけないことではないだろうか。


さて、釧路二日目。今日は、東京から来ている金融機関の支店長さんに、市内をご案内した。午後、少し足を伸ばして摩周湖まで行ってきた(写真)。霧の摩周湖ならいいが、残念ながら今日は雨の摩周湖になってしまった。それでも、幻想的な摩周湖もそれなりにいいものだ。これから、懇親会で繁華街に消えます。

日本の秋、さんま苦いかしょっぱいか。 [北海道]

IMG_0124.JPG私は会社で人事も担当していて、新卒採用、中途採用など、社員の採用に関する仕事をやっている。ここ2年間はいろいろあって新卒採用を見合わせているが、できることなら少しでも早く、優秀な新卒社員を採用したいと思っている。

報道によると、今年の新卒者のうち、正社員として就職できなかった学生が10万人以上いたらしい。経済が低迷して企業の新卒採用が減っていることがもちろん最大の要因であるが、このような現状に対して日本学術会議というとても権威のある機関が、「卒業後、最低3年間は新卒者として企業は扱うべき」という内容の報告書を文部科学省に提出するらしい。

今年就職できなかった10万人の学生(卒業してしまった学生ももちろんいるだろう)は、現状では、来年の新卒者として企業は扱わない。「新卒者」というくらいだから、来年について言えば、来年4月に卒業予定の学生のみを「新卒者」として取り扱うのは至極自然なことだ。このような現状では、「既新卒者」がいつまでも就職できない、だから、卒業して3年以内の学生も「新卒者」とみなしてください、というのが日本学術会議の提案だ。

どう考えてもこの提案は変だと、私は思う。就職できない学生が増えてしまう根本問題は、新卒者を採用したくても出来ない、企業の厳しい経営環境にある。映画「三丁目の夕日」を観ればわかるが、大きな会社も小さな会社も、一生懸命働けば会社の業績が伸びて、従業員の給料も上がった時代であれば、猫の手も借りたいほど、労働需要があるわけだ。地方の中学卒業者が「金の卵」と呼ばれて東京、大阪で就職し、当時の日本経済を支えたことはよく知られているところだ。

であるから、提案すべきは、菅政権に対して、雇用をもっと創造出来るような活気ある日本経済にしてください、そういうことではないか。「卒業して3年間は新卒者として扱ってほしい」などというのは、小手先的で、全く本質を逸脱した提案だと私は思う。

さて、今日は釧路に来ている。数えられないくらい今年は釧路に来ている。新事業の関係で出張が増えているせいもあるが、いずれにしろ、たまには北海道以外に出張したいところだが、なかなか用事がない。今取り掛かっている飲食店プロジェクトで、ランチの定食に漬物をつける予定でいるが、残念ながら北海道には適当な漬物がない。結局、古くから漬物文化が発達している京都のある老舗の漬物を使用することにした。

都内のあるデパートに出店しているのでそこから買おうと思っているが、何とか屁理屈をつけて、京都の本店を視察しようと今たくらんでいる。そのついでに、商売の神様である大阪の今宮戎神社に行ってお参りをしてこようと考えているのだが、きっと周囲からは物見遊山と批判されるに違いない。でも、ここは何と言われようと、強行突破することにしよう。そういうのも、たまにはいいだろう。

写真は、釧路の幣舞橋。右に見える船は、サンマ漁の船。今年はサンマが不漁で、昨日から大型船の漁が解禁されたので、挽回に期待したい。そして、旨いサンマの塩焼きを食べたい。

みんな、みんな、恥だらけの人生を送っています。 [北海道]

IMG_0070.JPG先日、劇作家の、つかこうへいさんが亡くなられた。私は彼の小説、エッセイなどをほとんど読んだが、ただ、劇場で彼の作品を観たことは一度もなかった。彼の作品テーマは一言で言えば「コンプレックス」だったように私は思う。どの作品にも、M的性格、コンプレックスを持った人間が登場し、彼らは痛々しいまでに自虐的だ。そこがコミカルであり、かつ、悲しくもあった。

友人などに宛てたつかさんの遺書が公開された。その冒頭に「思えば恥の多い人生でございました。」と書かれていたが、この言葉はもちろん、太宰治『人間失格』の冒頭文を引用したものだ。太宰治が自虐的、道化的精神の代表作家であることを考えれば、つかさんの作品に登場するM的でコンプレックスを持った人間というのは、今思えば、つかさん自身だったような気がする。ひょっとしたら、つかさんは太宰治に自分自身を投影していたのかもしれない。天才つかさんのご冥福をお祈りいたします。

さて、昨日から釧路に来ている。飲食業の会社にも係わることになってから、食べたり、飲んだりすることが一種の仕事のようになってきている(とかなんとか言ってますが、要するに、食べたり飲んだりを会社の経費で落とそうとたくらんでいるのです。)。

昨日、今日と、とにかく食べ、とにかく飲んでいる。おかげ様で、さすがの私も死にそうである。ギャル曽根ちゃんのような大きい胃袋が羨ましい。今、改めて思うが、飲食業は大変な商売だし、でも同時に、実に奥の深い仕事だと思う。

写真は釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)。幣舞橋のたもとに、美川憲一「釧路の夜」の歌碑がある。しこたま飲んで食べたあと、あるスナックに行き、減量対策も兼ねて美川憲一「さそり座の女」を歌ったら、別に席にいた男性のお客さんから「おひねり」をいただいた。飲食業でもし失敗したら、流しの歌手でもやろうかな。

「アホの坂田」、本当はアホではありません。 [北海道]

IMG_0046.JPG北海道出身の私は東京に来て今年で27年目だけど、他の北海道出身者と話しているとたまに北海道弁が出ることがあるし、北海道人独特の抑揚の無い平坦な喋り方はいまだに全く変わっていない。

北海道弁に「たくらんけ」というのがある。私の父も私が小さいときにこの言葉をたまに使っていたが、これは「馬鹿者」という意味である。なんとなくであるが、「馬鹿者」より「たくらんけ」のほうが馬鹿さの程度が高い感じがして、私は「たくらんけ」と父に叱られるといつも不快感を覚えたものだ。

「馬鹿」という言葉は「全国区」の言葉だろうと思うが、同じような意味を持つものに、今述べた北海道の「たくらんけ」の他に、東海地方には「たわけ」という言葉があると聞いたことがある。この「たわけ」もその語感から「馬鹿者」よりも馬鹿さの程度が高い感じがして、方言というのは実に面白いものである。

大阪の吉本興業に「アホの坂田」ことコメディアンの坂田利夫さんがいる。坂田さんの場合、「アホの坂田」はいわば愛称のようなもので、誰も彼のことを本当の「アホ」だと思っていないだろうし(ひょっとしたら「アホ」と思っている人がいるかもしれないが)、坂田さん自身もそのことは十分認識した上で、「アホの坂田」を営業上の「ウリ」として利用しているところもあるかもしれない。

さて、日本相撲協会は一昨日、野球賭博問題に関し、関与した力士、親方などに対する処分を発表した。元貴闘力の大嶽親方については予想通り「解雇」処分になったが、処分を受けたあとのインタヴューで大嶽親方は何度も「自分はアホ」という表現を使っていて、私はとても気になったといか、少し違和感を覚えた。どう気になったのかというと、「アホ」だとちょっと軽いノリだし、「アホの坂田」ではないが、なんとなく「許せてしまう」感じがしたからだ。

「そーかー、あいつ(大嶽親方)はアホだったのか。アホなら賭博をしても仕方ないな。」、そんな風に世間が感じることをわざわざ計算して大嶽親方が発言したのなら、昨日の発言は大嶽親方に「軍配が上がる」と思うが、まさかそこまで彼に深謀遠慮があったとは思えない。いずれにしろ、4人の子どもがいる大嶽親方はこれから新しい道でがんばるしかないわけだが、私の経験からすると、男は女とギャンブルに一旦ハマってしまうと、そこから足を洗うことは困難なような気がする。なぜなら、女狂い、ギャンブル狂いは一種の病気だからである。

さて、今日は札幌に来ている。先週金曜日、会社の○○周年記念祝賀会を行ったことは前回書いたが、この祝賀会は札幌、釧路でも開催することになっていて、私はどちらでも司会進行役を務めることになっているのだ。また一等賞を取ると周りから顰蹙(ひんしゅく)を買うので、北海道では抽選会に参加しないことにしている。写真はススキノ交差点のシンボル、髭のニッカウヰスキー。今夜も飲みすぎて死亡。

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