SSブログ

筒形の手の中に、どうぞ射精してください。 [芸術]

img_1298877_37159193_8.jpgこの頃テレビを観ていると、ミッツマングローブさん(写真)、マツコデラックスさんといった女性のような男性がよく出ている。このうちミッツさんは「女装家」として紹介されることが多く、現在は丸の内で女性だけを対象にしたバーを経営されているが、以前は私もたまに行く新宿二丁目のゲイタウン(「芸」タウンでもあります。)でダンサーなどをしていたらしい。

さて、私が今の会社に入社した28年前、現在の大久保病院周辺には女装した男性がたくさん立っていた。目的はもちろん、道行く男性をつかまえてラブホテルに連れて行くことだ。私も声を掛けられたことがあるが(当時、物欲しそうな目をしていたに違いない)、声の太さやどことなく骨太な感じが女性的でなく、無視して足早にその場を去ったのを記憶している。

そのとき疑問に思っていたことがあった。それは、仮にある男性客が「男性娼婦(男娼)」と一緒にラブホテルに行って、いざセックスをする段になりペニスを挿入しようとすると、男娼が実は女性ではなく男性であることがすぐに判ってしまうのではないか、そういう疑問だ。

でも、プロというのはどの世界でもスゴワザを持っているものだ。男娼には通称「レンコン(手筒)」という技巧があるらしい。仰向けになった男娼は、クリームを塗った手を筒形にして自分の尻の後ろから回して股間にあてがい、そこに男性客のペニスを誘導し、手を膣だと錯覚させて射精に至らせるのだ(『性欲の文化史1』井上章一編)。これこそス究極のゴワザだと思うが、レンコンで初めて客はほとんど射精してしまうらしい。


江戸時代、女性だけではなく男性も春を売っていた。男性の相手はその当時は女性だった。つまり、男性の春を買う女性が普通にいたわけだ。それはそれで構わないと私は思うけど、春を売ることを蔑視する人たちがいまだに少なくないことは、ちょっと残念な気が私はする。



キャンディーズ、私の場合、哀愁のシンフォニー、です。 [芸術]

9b69.jpg
元キャンディーズのスーちゃんこと、田中好子さんが55歳で亡くなられた(写真中央)。平均余命80歳以上の現代において、55歳というのはいかにも若い。これも人間の寿命と言えばそれまでだが、人間は誰でもいつか必ず死ぬのだということを、改めて思い知らさせた突然の訃報でもあった。

キャンディーズは私が高校生のときに全盛期を迎えていた。その頃、男子生徒は好みによって、ラン派、ミキ派、スー派に分かれていたが、私は断然ラン派だった。ぽっちゃりとしていて愛くるしかったスーちゃんも結構人気があったように記憶している。

キャンディーズの数あるヒット曲のなかで、私が一番好きなのはなんといっても「哀愁のシンフォニー」である。私の場合、キャンディーズといえば「年下の男の子」でも「ハートのエースが出てこない」でも「春一番」でもなく、ただただ「哀愁のシンフォニー」なのである。

それにはちょっとした理由がある。ここで何度か書いているが、私は中学、高校と深夜放送にのめりこんでいた。当時私は北海道釧路市に住んでいて、深夜になると、ソニー製のラジオを慎重にチューニングしながら、在京のラジオ放送局の周波数に合わせ、星降る夜空を眺めながら深夜番組を聴いていたのだ。その頃よく聴いていた番組は、文化放送の「セイヤング」「走れ歌謡曲」、TBSラジオの「パックインミュージック」などである。

これらの在京ラジオ放送局の他に、私は関西のあるラジオ放送局にまでチューニングを仕掛けていた。それは、ABC朝日放送(周波数1008キロヘルツ)で、私がたまに聴いていたのは「ABCヤングリクエスト」という番組だった。これは、番組名が示すとおり、視聴者のリクエスト曲をどんどんかけていくバラエティー番組で、歌好きの私にピッタリだった。

「ABCヤングリクエスト」は月曜日から日曜日まで、毎日放送されていたが、私が必ず聴いたのは日曜日の深夜(つまり、月曜日)だった。というのは、在京のラジオ放送局は日曜日の深夜は大体午前1時頃にすべての放送が終了したのだが、「ABCヤングリクエスト」だけは、平日と同じ午前3時まで放送をしていたのだ。そのエンディングである午前3時が近づく頃、「哀愁のシンフォニー」が何度かラジオから流れてきたのを今でもよく覚えている。この曲が流れてくると、そのなんともいえない切ないメロディーが、深夜の静けさのなかで若い私をセンチメンタルにさせたのである。


ということで、キャンディーズといえば私の場合「哀愁のシンフォニー」だったという話であるが、それはさて置き、最後になりましたが、田中好子さんのご冥福をお祈りいたします。

神様、仏様、これからもよろしくお願いいたします。 [芸術]

RIMG0078.JPGNHKの日曜日美術館の司会者がこの4月に替わり、先週からこの番組をまた観ている。今日は今年で生誕100年を迎える画家、岡本太郎の特集だった。私は以前から彼の書いたものをよく読んでいたが、今日改めて、岡本太郎の桁外れた存在感のようなものを感じた。

どんなにテクノロジーが進歩しても、人間のほうはちょっとも進歩しないとか、例え原子爆弾で悲惨なことがあっても、人間はそれを克服して生き続けるとか、岡本太郎の言葉は今も色褪せていない。

さて、評論家の西部邁さんが昨日あるテレビ番組で今回の東日本大震災に触れ、深刻な原発事故は、テクノロジーに対する人間の過信が引き起こしたのではないかと指摘していた。一見月並みな指摘のようにも思えるが、そうなのかもしれない。少し前にここで、人間が作った形あるものは、いつかは必ず壊れるという、私の祖母の言葉を紹介した。だが、1基500億円かけて造った原子力発電所は絶対安全で壊れない、そう信じた技術専門家が多分たくさんいたに違いない。

今回の原発事故で見逃していけないポイントがもう一つあると私は考えている。それは、自然だ。日本でいつか大地震が起きるだろう、そう想定していろいろな備えをしていたはずである。しかしながら、想像を超える大津波の前では、すべての備えは無駄でしかなかった。だからといって、今回の事態が自然の怖さを日本人が軽視した結果だと決め付けるのは性急かもしれない。でも、我々の心の奥底に、人間はこの世の中で一番偉い存在であり、自然をも征服できるといった「驕り(おごり)」が我々の心のどこかに存在してはいなかっただろうか。

岡本太郎は自らカメラを持って、日本各地の祭りを精力的に取材した。ところで、祭りとは、神や自然に対する祈り、感謝の儀式のことだと言える。我々はその「祭りの精神」みたいものをこの頃忘れているのかもしれない。飽食の時代にあって、海の幸をもたらしてくれる海の神、海の幸以外の恩恵を与えてくれる動物や草木に宿る神などに感謝する気持ちが、現代に生きる我々には希薄であったような気がする。

神の逆鱗に触れたとは思いたくないが、いずれにしろ、今回の大震災には自然以外の「何かの力」が働いたような気がする。


写真は、新宿花園神社の今日の様子。境内の建築物に「ここは神域につき貼り紙厳禁」との警告文があった。「神域」を土足で侵すようなことをすると、天罰が下る、ということか。

桜は咲き、梅はほころぶ、なるほど、なるほど。 [芸術]

RIMG0009.JPG普段酒ばかり飲んでいるせいで、仕事が溜まってしまった。でも、月曜日からはまた飲みたいので、今日午後から会社に行って仕事をやつけてきた。会社は上野だが、帰りは当然、愛する新宿で途中下車。新宿通りのあたりをぶらぶらしていたら、「追分だんご本舗」の前を通った(写真)。写真の右隅に梅の木が見える。そう、今は2月、如月である。

如月の由来は、この時期、寒さで着物を更に重ねて着ることから「着更着」(きさらぎ)とする説が有力とされている。なるほど、なるほどである。

さて、昨日、大阪出張のことを書いたが、羽田・大阪間の飛行機はANAを利用した。その機内オーディオプログラムに、少し前から「オールナイトニッポンClassics」という番組があり、ANAに乗るときは必ずこの番組にチャンネルを合わせている。

番組進行役(DJ)は、深夜放送番組「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティーの一人であるアンコーさんこと、斉藤安弘さんだ。御年70歳とは思えないほど、声がしっかりしていて発音もクリアーだ。そのアンコーさん曰く、「桜は「咲く」と表現するが、梅が「咲く」とはあまり言わない。梅は、「ほころぶ」と表現されのではないか。私は、このような日本語の繊細な表現力が好きだ。」。こちらも、なるほど、なるほどである。

「オールナイトニッポンClassics」は、60年代から80年代を中心に懐かしい音楽をかけてくれる。今回聴いたなかで私が一番嬉しかったは、カルメン・マキが69年に歌ってヒットした「時には母のない子のように」だった。

ご存知のとおり、カルメン・マキは17歳のときに、寺山修司の「演劇実験室 天井桟敷」に入団している。アンコーさんの話によると、入団試験のときにカルメン・マキは寺山修司の質問に一切答えなかったのだそうだ。そのユニークさが買われ、試験は合格となった。さて、「時には母のない子のように」は寺山修司が歌詞を担当した。一番の歌詞は次のとおりだ。

時には母のない子のように  だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように  ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

正直言うと、昔から、この歌詞が意味するところがよくわからないのだ。「母」とは、寺山修司の母、ハツさんのことなのだろうか。それとも、何か別のことを象徴的に現した言葉なのか。そして特に、三行目の歌詞がわからない。なかでも最後の「だれにも愛を話せない」というのがわからない。要するに、チンプンカンプンなのだ。寺山修司に詳しい方、ご存知でしたら是非、教えてください。

それにしても、深夜放送って、懐かしいね。私は中学生の頃、毎日朝の5時頃まで深夜放送を聴いていた。そうするために、学校から帰ってきて夕飯を家族と食べた後、深夜0時頃まで仮眠していたのだ。ビジネスマンとなった今はこのような生活はできないが、中学生の頃のような生活スタイルに戻れたらどんなに幸せだろう。だって、私は、深夜という時間帯が今でも好きなのだから。

浜崎あゆみの、シンプルセミヌード。 [芸術]

IMG_0211.JPG三連休の今朝、ボーッとしながらテレビの芸能ニュースを観ていたら、歌手の浜崎あゆみがある雑誌でセミヌードになったという話題が出ていた。節目となる50枚目のシングルを出す記念として脱いだらしい。本人は「裸がすごく“今”の気分だったんです。」「今、表現したいのは、作り込んだ感じじゃなく、もっとシンプルで、人間っぽいもの。」とセミヌードになった心境を語っている。

浜崎あゆみに私は全然興味がないので、セミヌードになろうがヌードになろうが構わないのだが、「今、表現したいのは、作り込んだ感じじゃなく、もっとシンプルで、人間っぽいもの。」という彼女のコメントに私は少し興味を持った。

およそ世の中のことはどんどん突き詰めていくと、「作り込んだ」複雑なものではなく、誰にでも理解できるような「シンプル」なものにぶち当たるような気がする。作家で演出家でもある鴻上尚史さんはエッセーで次のようなことを書いている。講演会でも演劇でもミュージカルでも、観客が千人を超えると「愛は素晴らしい」とか「人生は生きるに値する」とか、単純なメッセージしか伝えることができず、「愛は素晴らしいが、暴力でもある」とか「人生は生きるに値するときもあるけど、ないときもある」というような複雑なメッセージは伝えずらい、そう彼は書いている。

観客が千人未満でも同じことが言えるだろうと私は思うが、いずれにしろ、鴻上さんの指摘は示唆に富む。ヒットラーの演説は単純で力強いのは、そのほうが複雑な演説よりも聴衆が受け入れやすいからだという趣旨のことを鴻上さんは指摘しているが、政治リーダーの演説以外でも、例えば、日本の政治の世界で今流行している「マニフェスト」もそうだし、新興宗教の「教義」もまた、「シンプルでわかりやすいこと」が国民、信者を惹き付けるための要諦であるような気がする。

「シンプル」であることは、ビジネスの世界でも重要なポイントだ。多くの部下を私は抱えているが、部下に対する業務の指示は、とにかく「シンプル」にするよう心がけている。そうしないと、部下が迷うからである。もう一つ心がけていることがある。それは、部下に一から十まで自分で考えさせないことだ。指示する際に、答えの半分はヒントを与えてわかるようにして、残りの半分は自分で努力して考えさせるようにする。そうすれば、指示された業務の大体を部下はこなすものだ。

人からよく言われるが、O型おうし座の私はシンプルというか、実に単純な人間だ。面倒、複雑というのが嫌いだ。いつでもシンプル、単純に生きていたいけど、実際にはなかなかそうはいかない。そこが実に悩ましいところだ。

さて、今日は朝のワイドショーを観てから会社に行った。5時間くらい仕事をして、それから新宿を経由して家に戻った(新宿は必ず途中下車します。)。写真は、午後5時過ぎの新宿歌舞伎町。

婚活、探すのを止めたとき、見つかることもよくある話で。 [芸術]

IMG_0153.JPGカラオケで私がよくお世話になっている井上陽水の代表曲に「夢の中へ」というのがある。ご存知方も多いと思うが、次のような歌詞で始まる。

 捜しものは何ですか? 見つけにくいものですか?
 カバンの中も 机のなかも 探したけれど見つからないのに
 
 まだまだ探す気ですか? それより僕と踊りませんか?
 夢の中へ 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?

最後のあたりが高くて上手く歌えないことが多いのだが、この曲の後半の歌詞に、以前から気になる部分があった。

 探すのを止めた時 見つかる事もよくある話で
 踊りましょう 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか?

「探すのを止めた時 見つかる事もよくある話で」、そんなものかなあ、本当にそうかなあ、とずっと思っていたのである。


先日、人間の「物忘れ」についてあるテレビ番組が特集していた。私のような年寄りになってくると、物忘れが少しずつひどくなってきて、ど忘れや、思い出そうとしてもどうしても思い出せない、そんなことが日常結構起きる。そんんなとき、思い出そう、思い出そうと必死に頭に力を入れてみるのだが、一向に思い出すことができない。そういう経験をされている方も多いはず。

思い出そうとしても思い出せないとき、どうすればよいのか? 専門家の先生によると、答えはズバリ「諦める」のだそうだ。思い出すのを諦めて、違うことを考えたり、行動したりしていると、突然、思い出すことができる、そういうものらしい。この話を聞いたとき、私は「夢の中へ」の気になっていた歌詞が少しわかってきたような気がした。

さて、今朝ラジオを聴いていたら、ちょっと驚く話が出ていた。都内のある病院に「婚活疲労外来」というのがあるという話だ。「婚活疲労」とは、婚活をして理想の異性を見つけようとするのだが、なかなか上手くいかず、精神的に参ってしまい、うつのような状況になってしまうことらしい。とりあえず付き合ってはみたが、何かの理由で別れる。これを繰り返していくうちに、異性からの「拒絶」が全人格の否定のように感じてしまうこともあり、精神的にズタズタになる人もいるという。

「婚活疲労」になったらどうすればよいのか、答えは至極簡単で、「しばらく休む」のだそうだ。物忘れの話もそうであるが、共通していることは、苦しくなったら、諦める、少し休む、というように、根を詰めないということが大事らしい。この教えは、我々の日常生活のあらゆる場面で参考になりそうだ。

さて、今日の午後から釧路にきている。土曜日に、東京に戻る予定だ。写真は、釧路のフィッシャーマンズワーフである「MOO(ムー)」と、手前は幣舞橋。今日はサンマの塩焼きとめんめ(きんき)の塩焼きを食べ大満足で、少し前にホテルに戻った。

踊りへの愛、歌への愛、そして私は酒への愛。 [芸術]

20100624_880839.jpgサザンオールスターズの桑田佳祐さんが食道がんの手術をした。術後麻酔から覚め、すぐに声を出したそうだ。当たり前のことであるが、歌手は歌えてこそ歌手であるから、桑田さんは元通りに声が出るかどうか、本能的に確認したに違いない。いずれにしろ、手術が無事成功してよかった。

さて、一昨日、神楽坂の小劇場で、コンテンポラリー・ダンサーで振付家でもあるJOUさんのソロ公演を観てきた。JOUさんの踊りを拝見するのはこれで三度目になる。そして昨日、南青山のライブハウスで、若手実力派シャンソン歌手、サカイレイコさんのコンサートを観てきた。日頃酒ばかり飲んで自堕落な生活をしているので、たまには芸術に触れて心洗われよう(?)、そう思ったのである。

才能ある二人の女性の踊りと歌を前に、私なりにいろいろと考えるところがあった。「下手の考え休むに似たり」という諺もあるが、そう言わず、我慢して少しだけ付き合ってもらいたい。

JOUさんの踊りを観ていて、踊りは尽きるところ「形(フォーム、シェイプ)」だなとつくづく思った。なぜなら、わかり切った当たり前のことであるが、踊りには歌も楽器もなく、あるのは唯一、肉体が創り上げる「形」だからだ。踊り手にはこの「形」に対する徹底したこだわりがあり、また、愛情も深い。そして、この踊り手のこだわりと愛情が「形」を美しく表現したとき、我々観客は「形」から言葉にならない言葉を聞くのだと思う。

サカイレイコさんも歌に対するこだわり、愛情が並大抵ではない。彼女はコンサートでこんな話をしていた。「エディット・ピアフの曲を上手く歌おうと思ったら、彼女の曲を一日何十回も聴けば誰でも歌える。」。素人がピアフの歌を上手く歌いたいと思っても、彼女の曲を聴けるのは一日せいぜい数回かもしれない。これは、歌に対する愛情というよりは、好奇心の範疇だ。プロには愛情があるから、ピアフの曲を何度聴いても飽きない、そういうことなのだろうと思う。それにしても、サカイさんのシャンソンを聴いていると、プロの歌声というのはまさに「声の楽器」だということがよくわかる。

さて、昨夜は、サカイさんのコンサートの後、新宿で少しだけ飲んだ。毎日のように酒を飲んでいる私であるが、考えてみると、私は酒好きではあるが、別に酒に愛情があるわけではない。もし、酒に愛情なんて持ってしまうと、大変なことになってしまう。多分、一年後くらいには肝硬変になっているかもしれない。

写真は、元バレエダンサー、草刈民代さんのヌード写真。見事な「形」です。

ポルノ規制、オーストラリアセックス党、支持です。 [芸術]

478744-spencer-tunick.jpg今の会社に入社して3年目のときに、私は生まれて初めて海外に行った。会社の語学研修を利用してオーストラリア第二の都市、ブリスベンに3か月滞在したのだ。午前中は大学に行って勉強し、午後からはほとんどフリーで自由行動だったので、たっぷりと社会勉強させてもらった。今考えると、会社のほうもその頃はかなり余裕があったのだ。

ブリスベンの近くにゴールドコーストというオーストラリアを代表する海浜観光地があり、研修期間中に私も何度か訪れた。ここにはカジノがあって、好奇心旺盛な私は短パンにビーチサンダルという軽装で勇躍乗り込んだのであるが、服装コードにひっかかって一旦は係りの人に入場を断られてしまった。でも、はるばる日本から来たのだからとか、いろいろ説得して、結局入れてもらうことが出来た。

ビキナーズラックでそのときの私はついていた。面白いようにゲームに勝つ私に「あなたはどこから来たの?」と話しかけてきたイギリス人老夫婦もいた。でも、欲をかいてはいけないと思い、そこそこ儲けた時点でそのカジノを後にして、近くのホテルにチェックした。私にはそのホテルで楽しみにしていることが一つあった。それは、部屋でエロ映画を観ることだった。

私は当然、ハードコアの映画を観られると思っていた。でも、見えそうで見えない、そんなセックスシーンが延々と続き、私は完全に欲求不満状態になった。その後ブリスベンに戻っていろいろと聞き込みをしてみたら、どうやらオーストラリアではハードコアの映画は厳しく規制されていて、一般には観られないことが判った。

それでもなかなか諦め切れない私は、市内のビデオ店で買ったポルノ映画のビデオ(当時はまだDVDが普及していなかった)をスーツケースに入れて帰国した。実は帰国間際に立ち寄ったそのビデオ店の店員から「オーストラリアと日本ではビデオの規格が異なるので、このビデオを買っても日本では観られない」と説明を受けていたのであるが、自ら確かめないと納得できない私は店員のアドバイスを無視して日本に持ち帰ったのだ。でも、結果はその店員の言うとおり、日本のビデオデッキでは再生することができなかった。

前置きが長くなったが、ポルノに対する規制が比較的強いオーストラリアで、入国の際に「あなたはポルノを所持していますか」という質問に回答することが義務付けられた。ポルノと言えば一般的には雑誌であるが、ご承知のとおり今は、パソコンや携帯に写真や動画を保存されていることが多い。ところで、この措置の目指すところは、児童ポルノなどの違法ポルノなどを水際で食い止めることだそうだ。

この措置に対しTHE AUSTRALIAN SEX PARTY(オーストラリアセックス党)が、オーストラリアを訪問する人たちのパソコンや携帯の中を覗き込むことを可能にする「ゾッとするようなプライバシーの侵害」として反発している。参考のためにオーストラリアセックス党のホームページを調べたら、この党はポルノに対する規制(CENSORSHIP)に対し何でもかんでも反対するという方針ではなく、プライベートな性の部分と、それ以外の性の部分の区分とバランスを図ることを党の基本方針としていて、児童に対する性教育の実施なども訴えている。

さて、今どき、ポルノ雑誌を機内に持ち込む人なんていないと思う。問題となるのはやはり、パソコン、携帯ではないだろうか。ここで質問。オーストラリアに出張する際、あなたのパソコンに、ハードコアの動画が入っていて、パソコンを起動するといつでもその動画を観ることができる。また、あなたの携帯には、彼女のあらわな全裸写真が保存されている、とする。そのとき、オーストラリアの入国審査官から「あなたはポルノを持っていますか」と尋ねられたとき、あなたはどう答えるだろうか。イエス、それともノー?

私ならハッキリ、ノーと答える。もしイエスと答えたら、多分、パソコンと携帯は税関に没収されるに違いない。今回の措置についてはいろいろ議論のあるところだと思うが、いつも言うように、酒、タバコ、性という、人間の本能に根ざした「嗜好品」については、あまり厳しく規制をかけるとかえって世の中がおかしくなってしまう。その代表的な実例は、アメリカの禁酒法の失敗であろう。

今回の措置に対しては、私はなんとなくオーストラリアセックス党の意見に賛成したいところである(入党してみようかな?)。

写真は、集団ヌード写真家として有名なスペンサー・チューニック氏が今年3月、オーストラリア・シドニーのオペラハウスで撮った集団ヌード写真。見事な芸術作品だと思うが、これを当局はどうして取り締まらなかったのだろうか。

ドゥドゥビ ドゥビドゥビ ドゥビドゥヴァー 灯がともる。 [芸術]

DSC_0159.JPG20代のとき、当時付き合っていた彼女が横須賀に住んでいて、毎週のように横浜でデートをしていた。待ち合わせは決まって西口にある岡田屋モアーズ地下の喫茶店。ここを起点に、元町、港の見える丘公園、山下公園など、定番のデートスポットによく行ったものだ。でも別れてからは、横浜に行くのはせいぜい年に一回程度になった。

ということで、昨日、久しぶりに横浜に行ってきた。今は湘南新宿ライナーという便利な電車があって、新宿から横浜まではわずか30分程度で行ける。ところで、今回の横浜散歩の目的は二つあって、一つは牛鍋を食べること、そしてもう一つは青江三奈「伊勢佐木町ブルース」の歌碑(写真)を見ることだった。

牛鍋は、今のすき焼きのことで、明治初期、横浜で生まれた。江戸末期に横浜が開港すると、居留地の外国人が牛肉を食べるなか、それまで牛肉を食べる習慣のなかった日本人が牛肉を食べるために工夫した料理が牛鍋だったと言われる。文明開化の味がするとされる牛鍋。以前からどんなものなのか興味があったのだが、実際食べてみると今私たちが日常的に食べているすき焼きと違いがないことがわかった。しかしながら、今まで見たこともない牛肉の塊を目の前にして、当時の料理人たちが悪戦苦闘する姿に思いを馳せると、格別のものがあった。

さて、横浜にまつわる歌謡曲は多い。「ブルーライト・ヨコハマ」(いしだあゆみ)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし)、古くは美空ひばりの「港町十三番地」もそうだし、私のカラオケ十八番の一つ、中村雅俊「恋人も濡れる街角」も横浜を歌った曲だ。そんななか、異彩を放っているのが青江三奈「伊勢佐木町ブルース」だと思う。この曲の作詞は「月光仮面は誰でしょう」「誰よりも君を愛す」「おふくろさん」など、多くのヒット曲を手がけた川内康範。

「伊勢佐木町ブルース」には斬新というかユニークな歌詞が二箇所ある。一つはイントロの「あーっ、あーっ」という艶っぽいため息(正確には歌詞ではないかもしれないが)。もう一つは、各番の最後に出てくる「ドゥドゥビ ドゥビドゥビ ドゥビドゥヴァー」。これ、意味というものはないのかもしれないが、結構私は好きだ。伊勢佐木町に行かれた折には、歌碑にあるボタンを押すと昼間から「あーっ、あーっ」を聞くことができますので、試してみてください。

昨日の横浜は風が強く、寒かった。横浜から伊勢佐木町までは、横浜市営地下鉄を利用した。その車内で、えっと思う放送を聞いた。「横浜市営地下鉄では、全席、優先席になっております」。全席、優先席。最初聞いたときはとてもいいことだなあと思ったのたが、時間が経つうちに「本当にそれでいいのかなあ」と疑問になってきた。

高齢や身体が不自由な方々に心遣いを示すことは大切なことだ。でも、全席優先席と言われると、一般の乗客は席に座りにくくなる。なぜなら、座ったはいいものの、高齢や身体の不自由な方々が近くにいないかどうか常に緊張して周囲に注意を払っていかなければならなくなるからだ(当然、座って眠ることなんてできない)。それならいっそのこと最初から座らないほうがいい、そう思う人も少なくないに違いない。全席優先席と声高に叫ばなくても、高齢や身体の不自由な方々には席を譲りましょうと啓蒙を続けていけば、たとえ優先席でなくてもそのような方々に席を譲る一般乗客は増えてくるのではと思うのだが、如何だろうか(全席優先席にかえって反感を覚える一般乗客もいるような気もする)。

さて、酒浸りの日々が続いているので、たまに身体の「手入れ」をしようと思い、横浜の帰り、鶴見にあるアロマリラクゼーションサロンに行って、トリートメントを受けてきた。今回初めてラストーンセラピーというのを体験した。ラストーンセラピーでは、玄武岩などを使った温かい石と、大理石などを使った冷たい石を使いながら血行を促進させ筋肉をほぐし、温と冷の温度差を利用することによって免疫機能などを促進させるのだそうだ。こちらのサロンの美人オーナー上田さんからいろいろなことを教わり、身体のほうもスッキリして鶴見を後にしたまではよかったのだが、その後新宿で多めの「色つき水分補給」をしたのは少し失敗だった。

日本版アロハシャツ「かりゆし」でダンス、ダンス、ダンス! [芸術]

IMG_0152.JPGクールビズが一昨日から始まったので、私も半袖一枚で通勤している。上着もない、ネクタイもない、実に快適である。社内を見渡しても、半袖と長袖の違いはあるけれど、ネクタイをしている人は皆無だ。今朝の産経に、麻生総理大臣以下、閣僚全員が沖縄版アロハシャツである「かりゆし」を着て閣議に臨む様子が掲載されていた。とても楽そうだし、何よりも涼しそうなのがよい。高温多湿の日本の夏を乗り切るにはこれしかないと私は思うが、この閣僚の「かりゆし」姿について民主党の鳩山代表が「パフォーマンスのような形でクールビズをやりたくない」と述べたのだそうだ。どうして鳩山さんはこう陰気臭いのだろうか。冗談の一つも言うとか、もっと気の利いたコメントをしたらどうなのだろうか。もし彼が国の最高権力者になったら国民まで陰気臭くなりそうで嫌だ。

さて、今日は仕事を勝手に早めに切り上げ(コラッ!)、ダンサー、奥田純子さんの踊りを観るために神楽坂に行ってきた(「洞察ノ放ツ衝動」)。彼女の踊りを観るのはこれが二回目。ダンスを観ながら想像力を働かせたり、腹を抱えて笑ってみたり、日頃使うことのない身体の一部が振動したような気がした。奥田さんの踊りを観ていると正に表現者と言う言葉がピッタリくる。それに比べ、ビジネスマンである私は一体何を表現しているというのか。帰り際、若干自己嫌悪に陥ってしまった。

神楽坂を後にして、新宿に向かった(写真)。明日、新宿で飲むことになっている。そのためにも今夜は飲まずに帰ることにした。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

この広告は180日新規投稿のないブログに表示されます