SSブログ

ジャイアント馬場さん、小橋建太は元気です。 [高円寺]

明日から来週の20日まで、出張が3回続く。明日は札幌、週明けの月曜日から北見(北海道)、そして水曜日から一泊二日で上海に行く。こんなに慌ただしい年の瀬はビジネスマンになってから初めてだ。楽な仕事はないと知りつつも、正直、ちょっとだけ楽をしたい気もする。でもそんな弱音を吐くと、天にいる武田鉄矢のお母さんから、「遊びたいとか、楽をしたいとか思ったら、karubi、そのときは死ね」と叱られそうである(海援隊「母に捧げるバラード」)。

ということで、しばらく東京を空けることになるので、今夜は地元高円寺の大衆居酒屋で一杯やることにした(写真、お店のメニュー)。もちろん一人でカウンターに座る。メニューを見るといかにも酒好きが好みそうな料理ばかりである。今夜はお銚子2本に、ぎんたらの煮付け、たこぶつ、いか納豆を頂いた。お店は地元のおじさんばかり。ワイシャツにネクタイ姿は私だけ。でも「そんなの関係ねぇー」である。

さて、政治というのは魑魅魍魎の世界であることは承知しているつもりであるが、昨日の年金問題に関する舛添厚生労働大臣の記者会見を見て、改めて政治という世界の不思議さを垣間見た気がした。ご存じのとおり、来年3月までに年金問題を解決するというのは、自民党の公約だった。年金問題の解決とは、すべての年金記録が正しく整理されるということだ。ただ、国民の方もバカではないから、多少不明な部分は残るだろし(例えば5%以内)、来年3月までという期限についても、2、3か月程度は遅れるかもしれない、そんな感じで考えていたに違いない。

ところが昨日、不明5000万件のうち約20%にあたる970万件の名寄せができない、つまり記録原簿がないことが判明したと発表された。「ないものはない」と舛添大臣は開き直ったが、話が違いませんかという感じだった。また、町村官房長官も、「あの公約は選挙用」と本音をポロリと出してしまった。

いつも言うことだが、物事には理想と現実というものがあって、問題が起こったときの解決というものはこの理想と現実の間のどこかの位置で行われるものであると思う。このことはビジネスでも政治でも変わることはないように思う。ビジネスは現実的、政治は理想的という仕分けがあるように思われがちであるが、そうではなく、どちらも「本来理想は○○あるべきであるが、ただ、△△という観点から、現実的には××のように解決をしたい」という方程式に当て嵌めて物事の解決を図るべきなのだと思う。だから今回の年金問題についても、私なら、「本来すべての年金記録を正しく整理すべきでありますが、ただ、何分調査すべき記録が膨大であります。従いまして、実態を早急に把握するという観点から、記録が確認できるものが何件あり、そうでないものが何件あるのという整理を年内に完了させてその結果を皆様に公表いたします。」と言ったうえで、その結果を踏まえて次のステップに進むという手順を取る。いきなり理想だけを掲げると、今回のような公約偽装のような結果に陥る。

話は突然変わる。小学生の頃私は、プロレスファンだった。当時プロレスは、野球と並んで人気のスポーツだった。テレビ中継も確か夜のゴールデンタイムに行われていたと思う。その頃のスターといえばもちろんジャイアント馬場さんだった。その人気のプロレスが年に一度、釧路に興行でやってくる。幸運なことに、御一行様はいつも私の友人の父親が経営するホテルに宿泊していた。馬場さんのサインが欲しかった私は、馬場さんに会わせてくれないかと友人にお願いした。彼は父親に頼んでくれた。友人の父親は私のわがままをこころよく聞いてくれて、私はホテルに行って馬場さんから直接サインを貰うことができた。馬場さんは途轍もなくデカかったが、親切でとてもいい人に見えたのをよく覚えている。

プロレスラー小橋建太選手のプロレス人生は、そのジャイアント馬場さんの付き人をすることからはじまった。その後順調なプロレス人生を歩んだ小橋選手であったが、その彼を不幸が突然襲った。昨年、腎臓がんであることがわかったのである。腫瘍の摘出手術を行い、長い闘病生活の末、先月2日、564日ぶりに彼はリングに立った。敵の攻撃から決して逃げることのない彼のプロレスが再びリングに戻り、日本武道館に集まった1万7千人のファンは涙しながら彼の復帰に声援を送った。

小橋選手のこの話は、先週のザ・サンデーで放送されたものだ。自分にはプロレスしかない、もう一度必ずリングに立ちたいという小橋選手のプロレスに対する強い思い入れと執念のようなものに心打たれたのはもちろんであるが、私がそれ以上に感動したのは小橋選手の主治医の言葉であった。

その主治医は、がん再発防止という純粋な医学的見地から言えば、小橋選手がプロレスを再開することには反対だった。しかしながら、小橋選手が自分の生きる拠り所、自分の存在価値をリングに求めているという彼の生き方を彼は尊重したいとして、小橋選手が再びリングに立つことを了解したのだ。命を取り留めることはもちろん大切なことであるが、そのことよりも重いものが人間にはあるということをこの主治医は言っているのである。

自分が小橋選手と同じような状況になったときに、自分には小橋選手のように自分の人生をかけるものがあるのかと自問したが、私にはすぐ出せる答えが見つからなかった。なんと情けないことだろうと正直思った。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。