健さん、居酒屋兆治には義理も人情もお節介もありますね。 [映画]
今日はお酒の話。山口瞳の小説に『居酒屋兆冶』というのがある。高倉健主演で映画されご存知の方も多いだろう。小さな居酒屋を舞台に織りなされる人間模様を描いた秀作だと思うが、酒好きの私は居酒屋を舞台にした映画がもっとあってもいいのではといつも思っている。
私にとって酒場、特に居酒屋というのは一人になれる数少ない場所のような気がする。健さんほど様にはならないが、私も一人居酒屋のカウンターに座って静かに熱燗を飲むことがよくある。好きな酒を飲んで、好きな肴を食べる。私にとってこんな至福のときはない。一人で飲むならバーもあるが、タバコを吸わない私はバーのような静かな空間ではなんとなく間が持たない。騒然とした居酒屋のなかでなら、私のことを気にする人は誰もいないから楽なのだ。
私は海外出張をよくするが、海外には日本の居酒屋のような酒場はほとんどないのではないかと思う(日本人駐在員向けに日本人が経営する酒場はたまにあるが)。日本の居酒屋は日本独特のものと考えていいのではないだろうか。では、居酒屋は日本人にとってどのような存在なのだろうか。ストレス発散の場、情報交換の場とかいろいろあるかもしれないが、私は、居酒屋はコミュニケーションの場だと考えている。酒は人の気持ちをほぐす作用がある。胸襟を開くという言葉があるが、ほろ酔い気分になってくると正直に、本音で話せるような感じになってくるものである。
酒が入らないと本音の話ができない、何と日本人はなさけないことかと指摘される方がいるかもしれない。確かにそういうことはあるかもしれないが、もともと日本人はしらふで相手に面と向かって本音の話をなかなか出来ない国民であるような気がする。普段思っていることを昼間なかなか言えないが、酒が入ると話すことが出来る、こういうことはあるのではないだろうか。少しウェットな感じがするが、そこが日本人のいいところでもあり、その手助けを居酒屋が果たしているのではないかと私は考えている。
もう一つ居酒屋の果たす役割で大切なことは、仲間、チームなどの連帯感を確認する場を提供することではないかと思う。居酒屋で飲み会が始まる時は「お疲れ様でした」といって取り敢えずビールで乾杯し、飲み会の締めには「それではこれからも頑張りましょう」といって再びジョッキやコップをぶつけ合って乾杯する。これらの行為はどう考えても連帯感の確認行為としかいいようがない。
先日、『若者はなぜ3年で辞めるのか』という本について書いたとき、あまり若者に独立、転職をけしかけることはよくないいと書いた。独立してもやっていれる能力を持つ一匹狼にはこのような居酒屋は必要ないのだろうと思う。そうではない大多数の一般社会人はチームという集団でビジネスを行っているから、どうしてもチームの連帯感を維持していかなければならない。一人でもチームの和を乱したり、単独行動を取ったりするとチームの成績に影響する。そうはいっても厳しい言葉でその人間を責めることは憚れる場合がある。そんなとき居酒屋がチーム融和のための場を提供しているわけだ。
日本人の強さはチームワークだと昔からよく言われる。私もそのとおりだと思う。そのチームワークをうまく機能させるための一翼を居酒屋が担っているのではないだろうか。そういえば、小津安二郎の映画を観るとよく笠智衆が仲間と小料理みたいところで酒を飲むシーンがある。あ互いの仕事の話も出るが、妻や子供などプライベートの話もよく出る。「あまえのところの娘さん、いくつになった。もうそろそろ嫁に行かないとなあ。ところで、いい男性がいるが一度会ってみないか」と、笠智衆の友人が彼に話すシーンが映画「秋刀魚の味」にある(セリフはうる覚えで正確ではないが)。なんとなくお節介でウェットな感じがして、嫌に思う方もいるかもしれないが、私はこういう義理も人情も浪花節もお節介もあるどろどろした居酒屋文化は日本の文化として是非残ってほしいと思っている。
私にとって酒場、特に居酒屋というのは一人になれる数少ない場所のような気がする。健さんほど様にはならないが、私も一人居酒屋のカウンターに座って静かに熱燗を飲むことがよくある。好きな酒を飲んで、好きな肴を食べる。私にとってこんな至福のときはない。一人で飲むならバーもあるが、タバコを吸わない私はバーのような静かな空間ではなんとなく間が持たない。騒然とした居酒屋のなかでなら、私のことを気にする人は誰もいないから楽なのだ。
私は海外出張をよくするが、海外には日本の居酒屋のような酒場はほとんどないのではないかと思う(日本人駐在員向けに日本人が経営する酒場はたまにあるが)。日本の居酒屋は日本独特のものと考えていいのではないだろうか。では、居酒屋は日本人にとってどのような存在なのだろうか。ストレス発散の場、情報交換の場とかいろいろあるかもしれないが、私は、居酒屋はコミュニケーションの場だと考えている。酒は人の気持ちをほぐす作用がある。胸襟を開くという言葉があるが、ほろ酔い気分になってくると正直に、本音で話せるような感じになってくるものである。
酒が入らないと本音の話ができない、何と日本人はなさけないことかと指摘される方がいるかもしれない。確かにそういうことはあるかもしれないが、もともと日本人はしらふで相手に面と向かって本音の話をなかなか出来ない国民であるような気がする。普段思っていることを昼間なかなか言えないが、酒が入ると話すことが出来る、こういうことはあるのではないだろうか。少しウェットな感じがするが、そこが日本人のいいところでもあり、その手助けを居酒屋が果たしているのではないかと私は考えている。
もう一つ居酒屋の果たす役割で大切なことは、仲間、チームなどの連帯感を確認する場を提供することではないかと思う。居酒屋で飲み会が始まる時は「お疲れ様でした」といって取り敢えずビールで乾杯し、飲み会の締めには「それではこれからも頑張りましょう」といって再びジョッキやコップをぶつけ合って乾杯する。これらの行為はどう考えても連帯感の確認行為としかいいようがない。
先日、『若者はなぜ3年で辞めるのか』という本について書いたとき、あまり若者に独立、転職をけしかけることはよくないいと書いた。独立してもやっていれる能力を持つ一匹狼にはこのような居酒屋は必要ないのだろうと思う。そうではない大多数の一般社会人はチームという集団でビジネスを行っているから、どうしてもチームの連帯感を維持していかなければならない。一人でもチームの和を乱したり、単独行動を取ったりするとチームの成績に影響する。そうはいっても厳しい言葉でその人間を責めることは憚れる場合がある。そんなとき居酒屋がチーム融和のための場を提供しているわけだ。
日本人の強さはチームワークだと昔からよく言われる。私もそのとおりだと思う。そのチームワークをうまく機能させるための一翼を居酒屋が担っているのではないだろうか。そういえば、小津安二郎の映画を観るとよく笠智衆が仲間と小料理みたいところで酒を飲むシーンがある。あ互いの仕事の話も出るが、妻や子供などプライベートの話もよく出る。「あまえのところの娘さん、いくつになった。もうそろそろ嫁に行かないとなあ。ところで、いい男性がいるが一度会ってみないか」と、笠智衆の友人が彼に話すシーンが映画「秋刀魚の味」にある(セリフはうる覚えで正確ではないが)。なんとなくお節介でウェットな感じがして、嫌に思う方もいるかもしれないが、私はこういう義理も人情も浪花節もお節介もあるどろどろした居酒屋文化は日本の文化として是非残ってほしいと思っている。
2008-03-20 19:15
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最近知り合った女性で、酒好きな人がいます。
でも彼女、人と一緒には絶対に飲まないんです。いつも、家で一人で飲むらしい。
何だか、私は彼女の飲み方を聞いてから、彼女の人間性まで嫌いになったーー;
居酒屋でおせっかい、義理人情は私にとっては、陽気に感じます。
家で飲むのもいいけど、彼女のように、皆とは絶対に飲まないというのは、ドロドロしてて怖い感じがします。
by 蝶々 (2008-03-21 01:45)
その彼女、ちょっと変ってるかもしれませんね。
私は酒好きですが、実は家では飲みません。
冷蔵庫には缶ビール1本ありません。
その分、外で飲んでいるということなのですが。
これから成田に行きますが、今回の出張では太原で
白酒(ぱいちゅー)を飲まされそうな予感がします。
アルコール度数50度以上。さすがの私でもこの酒は
きついです。
karubi
by karubi (2008-03-21 05:25)