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生ビールの中を2杯、レモンサワー2杯、赤ワイン2杯、国民酒場ではありえません。 [銀座]

IMG_0170.JPG関川夏央さんの『汽車旅放浪記』を読んでいたら「国民酒場」のことが書いてあった。第二次世界大戦当時、酒類は統制販売制であったが、酒類を管轄する当時の大蔵省は昭和19年、業務用酒類の一部を東京などの一般労働者に販売することを決めた。関川さんによると、昭和19年5月、東京では104か所の「国民酒場」が指定され、午後6時から午後8時の間に限り、一人日本酒一合かビール1本が供されたらしい。驚くほど少ない量であるが、この大衆酒場である「国民酒場」には毎日行列ができたという。

当時と今を比較してみようと思い、月曜日の夜、出張先の札幌ススキノでどのくらい酒を飲んだのか思い出してみた。一次会のジンギスカン屋では、生ビールの中を2杯、レモンサワー2杯、赤ワイン2杯。二次会のクラブではウィスキーの水割りを7杯か8杯。私としては決して少なくもなく多くもない、標準的な量だ。「国民酒場」の時代にもし私が生きていたら、日本酒一合だけでは収まりきらず、きっと「どぶろく」を隠れて作って飲んだに違いない。

養老孟司さんではないが、百年に一度の不況だと世間は騒いでいるが、第二次世界大戦のころの大変さに比べるとそう大騒ぎすることはないのかもしれない。食糧事情は関して言えば、昭和19年頃から急激に悪化したという。当時どんなものを食べていたのかよく知らないが、食べたくても食べ物そのものがなかった、そういう時代だったに違いない。それに比べると、今回はいくら不景気といっても、食べること自体に苦労しているわけではないし、衣料にしても、安くて品質のよいものは溢れている。そう考えると、第二次世界大戦の頃の悲惨さ、国民の苦労は、今回の比ではなかったのだろう。

さて、今日は今月から経理部に来たニューカマーの歓迎会を東銀座の「羅豚」でやった。生ビール2杯にレモンサワーを5杯。当然勢いがついて、二次会に突入。銀座8丁目のクラブでウィスキーの水割りを10杯ぐらい飲み干す。へべれけで少し前に家に帰ったが、銀座は少し活気を取り戻しているような気がした。明日あたり、ひょっとしたら日経平均は1万円を突き抜けるかもしれない。そうなると、不動産も動きを活発化して、景気は全体的に盛り返してくる可能性もある。日本経済の復活を願いつつ、今夜も私は飲むのであった(こじつけね)。

写真は今夜の銀座。

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