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人生が二度あれば、予め運命は8割決まっています。 [高円寺]

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シチューのコマーシャルがテレビに流れ始めると、今年もあと少しだだなと思う。年を取ると一年が早く感じるとよくいわれるが、この間本屋に行ったら、年を取ると何故一年が早く感じるのか、というタイトルの本をたまたま見つけたが、まあどうでもいいやと思って買うのを止めた。

このところ、公私ともに、なかなか思うように事が運ばず、さすがの私も多少へこんでいる。愚痴は言わないほうだと思うが、私も生身の人間であるから、たまには弱音も吐きたくなる。48年間も生きていると、後悔することも多い。いや、後悔することばかりだ。あのときこうしておけばよかった、あのときこうするべきではなかったということがたくさんある。人生は一回切りと言うのはわかっているが、井上陽水の曲ではないが、もし「人生が二度あれば」、二回目の人生は一回目の人生よりも上手に送れるかもしれないと感じることもある。

評論家で哲学者でもある西尾幹二さんによれば、個人の生涯は、個人がこの世に生を受けたときに8割方決定されていて、個人が自由にできるのは残りの2割部分だけだそうだ。8割と2割という数字は統計的な根拠があるわけではなく、西尾さんの長い人生経験のなかから出てきた数字なのだろうと思う。運命、宿命という言葉があるが、人間の人生が生まれたときに8割方決定されているとすれば、我々人間は予め敷かれた運命とか、宿命とかいうレールの上を死という終着駅に向かって、ただひたすら走っているだけなのだろうか。

俳優の寺田農さんが去年、ある新聞でこんな話をされていた。「人生はしょせん、なるようにしかならない。でも、懸命にベストを尽くさないと、なるようにすらならない。たかが人生、死ぬまでの暇つぶし。でも、ありとあらゆる所に好奇心と興味を持って首を突っ込み、何事も一所懸命やらないと、人生の暇つぶしなんてできないのだから。」。さらに性格俳優である寺田さんらしい言葉が続く。「やりたいことを毎日やって、最期は『まあ、こんなもんかな』なんて言いながら死にたい。これが究極の夢だな。」。

西尾さんの真意も多分、寺田さんと同じところにあるのではないかと思う。8割は仕方ない、でも、後の2割はベストを尽くそう、そういうことを言いたいのではないだろうか。どんな人間にも辛くて人に言えないことや、人には話したくない秘密などが必ずいくつかはあるはずだ。そういうことを簡単に言えれば楽なのだが、現実にはなかなかそうならない。苦しいところは、ぐっと堪えて、2割の部分でベストを尽くす、それでもダメだったら仕方ない、それが自分の運命、そう考えるしかないのかもしれない。

昨日は無性にホルモンが食べたかったのだが、今日はテレビを見ていてハウスのシチューが食べたくなり、高円寺駅前にあるスーパーに買い出しに行ってきた(引っ越しして初めて台所を汚した)。そこであることを初めて知った。レジ袋が有料になっていたのだ。大きめのレジ袋は5円だった。エコかなんかしらないが、何となく不便な感じだ。

写真は、ハウスの北海道チャウダーのイメージキャラクター、坂下千里子。

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