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「あの世」はあるか? お彼岸のおはぎに聞いてみましょう。 [新宿]

IMGP0335.JPG今日は秋分の日。お彼岸の中日である(中日ドラゴンズではない)。「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるが、お彼岸のころは季節の変わり目である。ところで、彼岸とはそもそも仏教から来た言葉であるが、大雑把にいえば、あの世、この世という場合のあの世のことである。煩悩に満ちた俗世界であるこの世に対し、あの世(彼岸)は安らぎがある悟りの世界である。お彼岸に先祖を供養するのは、ご先祖様が彼岸まで行くことができるように願うためである。

あの世というのを、皆さんは信じているだろうか。人間はこの世で死んでも、あの世で生まれ変わるとか、人間は不滅なのだという考え方があるが、これは仏教では「輪廻転生」と呼ばれているもので、キリスト教にはないなかなかユニークものだ。調べたことはないが、日本人のかなりの方がこの考え方を持っているような気がする。

冒頭にも書いたように、この世は煩悩に満ちた世界だ。煩悩に満ちた世界とは、生きていくことが苦しい世界ということである。そうであれば、人間は「輪廻転生」の輪の中にいる限り、いつまでも苦しんで生きていかなければならないことになってしまう。それでは大変というので、お釈迦様はこの「輪廻転生」の輪から抜け出せる方法を考えた。それが「解脱(げだつ)」と呼ばれる方法だ。

では具体的にどうしたら、「解脱」することが出来るのだろうか。それは、実はそう難しいことではなくて(本当はこれが一番難しいことなのかもしれないが)、この世のことはすべて「無常」であるということを悟ることなのである。この世のことはすべて「無常」と悟ることができたときに人間を超えたすぐれた存在になり、そのとき初めて「輪廻転生」の輪から抜け出すことができるとお釈迦様は考えたのだ。そして、この人間を超えたすぐれた存在のことを「仏陀」とか「如来」と呼んだのである。

なかなかよく出来た話だ。でも私自身は、あの世とか来世とかいうものが存在するとは考えていない。理由は単純で、現在生きている人間の中には死後の世界の経験をした人は一人もいないから、死後の世界がどうなっているのか誰も知れえないからである。浅田次郎さんの『椿課長の七日間』のように、一度死んだ人間がこの世に生き返って、死後の世界に関する「情報」を我々に伝えてくれることが可能ならいいが、これは飽くまでもフィクションであるから、現実にはそういうことありえないのである。

この世のことはすべて「無常」であるという悟りを求めて生きるのではなく、先日の俳優・寺田農さんの話のように「やりたいことを毎日やって、最期は『まあ、こんなもんかな』なんて言いながら死にたい。」と、一度切りの人生を淡々と生きていくことの方が、私は正解のような気がする。

さて、彼岸に食べるものと言えば「おはぎ」である。「ぼたもち」という言い方もあるが、違いはあるのだろうか。インターネットの検索で、「おはぎ」、「ぼたもち」と入力して調べてみたら、どうやら根本的な違いはないようだ。春の彼岸には牡丹の花にちなんで「ぼたもち」、秋の彼岸には萩の花にちなんで「おはぎ」と呼ぶ、どうやらこれが一般的なようだ。いずれにしろ、口の中に放り込んでしまえばどちらも同じ味がするわけであるから、名称にこだわる必要はないだろう。

ということで、今日は新宿の追分だんご本舗(写真)で「おはぎ」を買ってきた。ここでは「ぼたもち」ではなくやはり「おはぎ」だった。つぶ餡とこし餡の2種類があったが、つぶ餡のほうが旨かった。

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