SSブログ

村上春樹はテレビを観ない、ファンタジーが生まれる原因かも。 [銀座]

DSC_0012.JPG小さい頃からラジオが好きだったという話を昨日書いたが、好きだったのはラジオばかりではなくてテレビはラジオ以上に好きだった。就職のとき、放送局を受験しようかと思ったくらい、ラジオやテレビに対する関心は強かったのだ。今はその頃ほどでもないが、家に帰るとすぐリモコンの電源スイッチを入れてテレビを見るし、通勤用の鞄にはいつも携帯ラジオが入っている。長じてからはラジオ、テレビに加え新聞も毎日数紙読むようになったが(仕事上のこともあるのだが)、私の場合依然としていろいろな情報を得る主な媒体はラジオとテレビである(もちろん、インターネットも有力な情報源である)。

村上春樹はテレビを観ない、何かのエッセイにそんなことが書いてあった記憶がある。テレビを観ないで世の中のことが書けるのかなあとそのとき疑問に思ったが、ノーペル文学賞候補になっているのだから、小説はテレビを観なくても立派に書けることはどうやら証明されたのかもしれない。ところで、皆さんは何故テレビを観るのか考えたことがあるだろうか。政治のことを知りたいから、お笑い番組を観て楽しい気分になりたいから、仕事上天気予報を知っておく必要があるから等々、いろいろな目的を持ってテレビを観ているに違いない。

私も、いろいろな目的でテレビを観る。選挙があれば少しでも早く結果を知るために観るし、巨人の試合があれば勝ってくれと願いながら観るし、島田紳助のバラエティー番組があればバカ笑いしながら観るし、とにかく私はテレビをよく観る方だと思う。でも冷静になって考えてみると、私は、本当は特定の目的を持って番組を選びながらテレビを観ているのではなく、テレビという機械装置そのものに関心がある、もう少しはっきり言えば、テレビから流れてくるものであれば何でもかんでも受け入れている(なかにはどうしても生理的に嫌な番組もあるが)、ただそれだけなのではないかと思うことがある。

テレビの向こう側には一体何があるのだろうか。それは巨大だが誰の目にも見えないもの、そう、世の中とか世間というものではないだろうか(単に社会と言い換えてもいい)。結局自分はテレビを通じて世の中、世間と一刻も離れずに生きていたい、そう心の奥深くで常に思っているのかもしれない。それだけ、自分は孤独感に耐えられない人間なのではないかとときどき思うのである。そういうことからすれば、村上春樹という小説家は孤独感に耐えうる強靭な精神力を持っている人間と言えるかもしれないし、事実、彼の小説は現実感のないファンタジーのような世界を描いているものが多いような気もする。

メディアが発達し、流される情報が増えれば増えるほど、孤独な人間の数も増える。私のように一日のうちかなりの時間をテレビやインターネットに割いている人間は多分孤独な人間なのだと思う。孤独じゃない人間は家なんかに居ずに外に出て、友人や同好の士などの仲間と会って、酒でも飲みながら楽しく喋っているか、さっさと布団に入って寝ているはずだ。


さて、今日は風が強くて寒くなったが、午後から用事があって銀座に出かけた。夕方和光をバックに一枚撮ってみた。人出の多さは平日と変わらない。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。