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29歳、独身女性契約社員の日常、共感です。 [BOOKS]

IMG_0653.JPGルイ・マル監督に「死刑台のエレベーター」というフランスのサスペンス映画がある。青年ジュリアンは自分が勤める会社の社長夫人フロレンスと不倫関係にある。二人は社長のカララ殺害を計画、実行する。完全犯罪に思われたが、殺害に使ったロープを現場に置き忘れたことに気づいたジュリアンは会社に戻るが、その際乗ったエレベーターが突然止まってしまい、ジュリアンはエレベーターの中に閉じ込められてしまう。必死で脱出を図り、ロープを伝って降りていくと、管理人が戻ってきて電源のスイッチを入れエレベーターが動き始めるが寸前でエレベーターは止まり、ジュリアンはかろうじて一命をとりとめる。

この映画のコアになるシーンであるが、映画のタイトルにあるように、エレベーターが死刑台の比喩になっている。このところ、エレベーターの死亡事故が絶えない。先日新宿で、エレベーターのかごが来ていないのに1階乗り場の手動式扉が開き、そば店経営者が地下部分に転落し死亡したと思ったら、今度は兵庫県の食品会社で、パート従業員が荷物専用エレベーターの2階から転落して死亡した。痛ましい事故としか言いようがないが、これだけ死亡事故が相次ぐと、エレベーターはもはや死の機械と化している。

さて、先日第140回芥川賞が津村紀久子さんの『ポトスライムの舟』に贈られた。ナガセという独身女性契約社員の日常を綴った作品で、私もさっそく文藝春秋を買ったが、選評を読んでみると、この作品に対する評価は分かれていて、例えば、宮本輝氏、山田詠美氏などは支持、村上龍氏、石原慎太郎氏などは不支持で、どうやら全会一致の受賞ではなかったようだ。

今朝の読売文化欄で、津村さんがこの作品について述べていて、面白い。そのまま引用すると「「出会わない」系の小説を書こうと思ったことが発端だった」「常々、出会うことの価値が謳い上げられ、さまざまな作品が「出会う」ことから始まるのに対して、でも出会うのってめちゃくちゃ運が良くないとなあ、と考えていた」。ドラマによくある幸運な偶然の出会いはめったにない、あくまで生活感覚と日常の実感から書いている作家らしい発言、と記事は書いている。

津村さんのこの感性、私は結構好きだし、作品もいいと思う。昨日、「ザ・ベストハウス123」というテレビ番組を観た。茂木健一郎さんが、天才たちがどのように世紀の発明、発見をし、それはどのようにして可能だったのか、そして、我々はそれから何を学ぶべきなのか、そういう話を延々としていたが、私は途中でぐったりしてしまった。「私には関係ない」、そう思ったからだ。「へー」「凄いねー」とは思うが、大衆にとって世紀の発明とか発見は日常生活には全く縁のない話で、そこから何かを学べといわれても、ピンとこないのである。それよりは「それ、よくわかる」「そういうこと、あるよね」といった、生活実感のある話のほうが我々にはよく理解できるものだ。津村さんの作品にはこの「それ、よくわかる」「そういうこと、あるよね」が詰まっていて、読む者の共感を呼ぶ。

そういえば、太宰治は、自分の小説を読んでも読者の生活は楽にならないし、偉くなるわけでもない、なんにもならないと言っている。彼独特の照れがあるにしろ、作家のこのスタンスって、結構大切なような気がする。「何かを学べ!」と迫られると、こちらはどっと疲れる。


北海道から関係会社の役員が上京したので、銀座でおでんを食べた。超酔っ払い、日付変更線を越えて帰宅。気分最悪。

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