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ピンク映画「痴漢電車 下着検札」、オスカー「おくりびと」の原点かも。 [映画]

81_039.jpg「ピンク映画は先生であり、学校。社会の縮図でもある。そこから人生を学んだ」。この言葉、誰の言葉かご存じだろうか。実はこれ、今をときめく「おくりびと」の滝田洋二郎監督が、明日から渋谷のシアター・イメージフォーラムで開かれる「WE ARE THE PINK SCHOOL! 日本性愛映画史 1965-2008」の上映に合わせ寄せた言葉である(読売夕刊)。

若松孝二(「壁の中の秘事」)、高橋伴明(「歓びの喘ぎ 処女を襲う」)、山本晋也(「特殊三角関」)、滝田洋二郎(「痴漢電車 下着検札」)、周防正行(「変態家族 兄貴の嫁さん」)などの監督作品、全42作品が上映される。ピンク映画といえばタイトルの妙ということなるが、「行く行くマイトガイ 性春の悶々」「姉妹どんぶり 抜かずに中で」「痴漢電車 びんかん指先案内人」「荒野のダッチワイフ」など、思わず噴き出したくなるものばかりだ。

大学生のとき、ピンク映画をたまに観に行った。館内では映画を観ながらマスターベーションをしている奴、一人で喘いでいる奴、ホモっている男性同士など、ちょっと変わった連中がいた。そういう連中から極力離れた席に座るようしたが、男性の腕が後ろから突然私の股間に伸びてくるのではと、多少恐怖心に怯えながら観ていた記憶がある。ピンク映画を観に行ったのに、なんとなく気分はサスペンス、そんな変な感じだった。

経済学を多少でも勉強された方なら、経済学者である中谷巌さんの名前を知らない方はいないと思う。今月の文藝春秋に「竹中平蔵君、僕は間違えた」という中谷さんの論文が掲載されたが、これが今月号のなかで一番面白い論文ではないかと私は思った。中谷さんが間違えたもの、それは小泉元総理、竹中元大臣主導で進められた構造改革だ。

端的に言えば、構造改革とは市場原理主義を徹底させるということだ。中谷さんも竹中さんも、どちらも優秀な学者で、二人ともアメリカで研鑽を積み、市場原理主義の信奉者になっていた。しかしながら、現在の日本経済の惨状を目の当たりにして、中谷さんは自分のやってきたことは間違いだったと、公の場で認めたのである。一方の竹中さんはどうかというと、景気が悪いのは構造改革を途中で止めてしまったからで、構造改革は間違っていないという考え方だ。

優秀と言われる学者ほど、理論に溺れ、理論に酔うところがあるような気がする。少し前まで中谷さんもそうだったのかもしれない。でも中谷さんは当時を振り返りつつ「社会に生きる人々への視線が欠けていた」「社会の価値がマネー一色に染められていくことがこれほど危険なこととは思わなかった」「私は自責の念を持ちつつ、「社会」というものの重要性を改めて痛感した」と「懺悔」し、「人と人とがつながりを持つ「社会」への視点」が重要である、そう考えるようになった。

芥川賞受賞作「ポトスライムの舟」に関して、作家には生活実感という感性が大切ではないかと昨日書いたが、政治に係る人たちにも同じようなことが言えるのではないだろうか。家柄とか高学歴だけで国の政治がよくならないことはすでに立証されたわけだから、これからは、社会に生きる普通の人々に目配せ出来る、普通の政治家に政治を司ってもらいたいと思う。

写真は「おくりびと」の広末涼子。滝田監督の映画の原点、それはピンク映画だったのだ。

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