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天皇賞惨敗、今度は酔っ払いオジサンに聞きます。 [新宿]

DSC_0077.JPG天皇賞、惨敗。優勝した馬なんか一枚も買っていない。こういうときは悔しがらずにさっさと忘れるに限る。ところで、今回のレースは軸馬不在で荒れる可能性はあったが、競馬新聞やヤフーの予想などを見てみると意外にも、印は数頭にかたまっていた。専門家が言うのだから間違いないだろうと思い、彼らが印を付いた馬を幅広く買ってみた。結果はご存知のとおり、18頭中12番人気の馬が優勝。馬連は万馬券と波乱になった。

私はレースの模様を新宿の場外馬券売場の近くで携帯のワンセグを使って見ていた。的中したらすぐ払い戻しを受け、それを軍資金にして誕生日をパーッと祝おうと下心を持っていたのである。出走を今か今かと待っていたとき、突然、場外馬券売場のなかから片手に丸めたスポーツ新聞、もう一方の片手に500mlの缶ビールを持った赤ら顔の痩せたオジサンがふらふらと出てきた。相当酒を飲んでいるようで「天皇賞は荒れるぞ!荒れるぞ!荒れろ、荒れろー!」と大声で何度も叫んでいる。近くにいた警備員の方々は困ったオジサンだなあ、と迷惑顔だったが、私はそのとき瞬間的に「このオジサンの予想、ひょっとしたら当たるかもしれない」、そう思った。

コンピューターを使った緻密なデータ分析にもとづいて予想する専門家の予想は、総じて同じようなものになる。元データは一つだから当然そうなる。また、追い切り情報、競馬関係者の話といったレース直前の「生きた情報」も昔は希少価値だったのかもしれないが、今はどの競馬情報紙にも載っていて価値は以前よりは下がった。そうなると、的中するか外すか、これを分けるものは経験と勘、少しカッコよく言えば上の酔っ払いオジサンが持っているような「皮膚感覚」のようなものに違いない。どんな科学も酔っ払いオジサンのヒラメキには勝てなかったという話だが、でも、この手の話は競馬に限らずどんな世界にもある。

さて、競馬好きで知られた寺山修司は、競馬は勝つための楽しみでやっているのではない、勝てなかったものが勝つときの衝撃に心打たれるものがあって、その愉しさがたまらなくて競馬をやっていると書いている(『馬破れて草原あり』)。思うに、競馬の収支計算は彼にとってはどうでもいいことだったに違いない。あまりお金に困っていなかったということもあっただろうが、逃げ馬の「逃げ」を「逃亡」と言い換える如く、文学者の寺山修司は、競馬のなかに人間社会とどこか酷似する「物語」を見つけようとしていたのかもしれない。

寺山修司は別のところでこんなことも言っている。必勝法を身につけてしまったギャンブラーに何の賭博の楽しみがあるだろう、人生では決して味わえない敗北の味もまた、賭博の楽しみの一つである、と。勝つこともあれば負けることもある、そう了解することがギャンブラーの「資格」だと寺山修司は言っているわけだが、これはなにもギャンブルの世界だけのことではなく、ビジネスの世界、その他もろもろの世界でも言えることのような気がする。

写真は新宿駅西口、アルタ前。天皇賞発走20分前位に様子である。レース直後、大画面を観ていた競馬ファンから溜息が出たに違いない。

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コメント 2

ririco

ええ??
お誕生日???

おめでとーーーー。
これからのkarubiさんの一年が良い一年でありますように!!
by ririco (2009-05-03 21:48) 

karubi

riricoさん、こんにちは。
昨日から、49歳やってます。
来年はいよいよ50歳。
また一つステージが上がって行く
感じがしますね。
この一年もまた酒浸りの日々が続くと
思いますが、よろしくお願いします。

karubi
by karubi (2009-05-04 07:43) 

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