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花いちもんめ、人身売買相談しよう。 [時事]

konbanya.jpg屋根より高い鯉のぼりもあまり見かけなくなった。小さい頃私の家では文字通り屋根より高い鯉のぼりが端午の節句には上がった。私の家の鯉のぼりは近所でも一番大きく、かつ、高く上がっていたので、とても目立った。そのことが私はとても気恥しかった。両親にとっては自慢の鯉のぼりだったのかもしれないが、私にとってそれは憂鬱なものでしかなく、端午の節句が早く終わることをいつも祈っていた。

文化庁と日本PTA全国協議会は一昨年、親子で長く歌い継いでほしい童謡・唱歌や歌謡曲などを「日本の歌百選」として発表した。「赤とんぼ」「朧月夜」「この道」「里の秋」「春が来た」「椰子の実」「夕やけこやけ」「われは海の子」など、なるほどと思う曲ばかりが選ばれていて、もちろん「こいのぼり」も百選の一つに選ばれている。ご存知のように、童謡や唱歌には作者不詳というのも少なくない。例えば、「こいのぼり」「われは海の子」は作曲者が不詳であるし、「仰げは尊し」「虫のこえ」にいたっては、作詞者、作曲者とも不詳ということになっている。

「日本の歌百選」をよく見てみると、他の歌と「異質」なものを感じさせる歌がある。それは「通りゃんせ」と「ずいずいずっころばし」である。これらの歌の作詞者、作曲者の欄を見るとともに「不詳」ではなく「わらべうた」とある。どうやら、童謡とわらべうたは意識的に区別されているらしい。では、童謡とわらべうたとは何が違うのだろうか。童謡は大人が作ったものであるのに対し、わらべうたは子供の遊びのなかから生まれ伝承されたもの、童謡は歌だけであるのに対し、わらべうたは歌と踊りがセットになっているものとか、調べてみると諸説あるようで、結論としてきちんとした定義がないようだ。

「百選」には選ばれなかったが、「花いちもんめ」はわらべうたに通常分類される。この「花いちもんめ」に関して寺山修司が面白い話を書いている。以前書いたことの再録になるが、寺山は小さい頃「花いちもんめ」をわらべうたとして歌っていた。そのことをある雑誌に書いたら、読者から手紙をもらい、この歌は「人身売買」の歌であることを教えられる。花いちもんめとは、女郎の花代が一匁(いちもんめ)という意味なのだ、と。例えば、田舎の女の子が女郎として身を売られる。その女郎を買いたい、水揚げしたいと思い、田舎の田畑を売り払って出かけて行って「あの子がほしい」と言う。「あの子じゃわからん」「○○ちゃんがほしい」とやりとりがあり、最後は「買ってうれしい花いちもんめ」「負けてくやしい花いちもんめ」となる。この場合、負けてくやしいというのは値切られることだそうだ。

わらべうたには農村の貧しさがあり、そのことを社会的に正面切って抗議することのできない農民の恨みつらみをわらべうたに偽装して晴らしたのではないか、これに対して童謡は都会の、それも山の手のものだ、寺山はそう述べている。都会に対するコンプレックスを持ち続けた彼らしい分析のような気がするし、わらべうたと童謡の違いはこの説明のほうがわかりやすい。

ところで、「百選」には中島みゆき(写真)「時代」、美空ひばり「川の流れのように」などの歌謡曲も数曲選ばれている。これらは確かにいい歌かもしれないが、親子で歌い継ぐには歌詞の内容が子供にはなかなか理解できないと思うのだが。「こいのぼり」を親子で歌った後に、「それじゃ、次は中島みゆきの「時代」を一緒に歌いましょう」とはどう考えてもならないような気がする。

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