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アジアは一つ、幻想かもしれませんよ。 [新宿]

DSC_0171.JPGこの三連休、奇跡的に酒を一滴も飲まなかった。なにもそう自慢げに話すことはないのだが、私にとっては兎に角レアな出来事なのである。

さて、鳩山政権が発足して1か月が経ったが、しばらくは黙って見ていようと思っていた私であるが、言いたいことがいくつも出てきたので、今日はそのなかから一つ書いてみたい。あまり面白くない話になるかもしれないけど、少しお付き合いください。

私が書きたいのは「東アジア共同体構想」について。鳩山首相と中国の温首相、韓国の李大統領は一昨日北京で会談し、3首脳は、鳩山首相が提唱する「東アジア共同構想」の実現化協力を確認した。そもそも「東アジア共同体構想」とは何かというと、民主党のマニフェストによれば「アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立し、東アジア共同体の構築を目指します」ということらしい。

これだけ見ると何となく素晴らしい政策のように思うが、具体的に何を目指すのかこれではさっぱりわからない。アジアは一つだから、手に手を取り合って一緒にやっていきましょうということなのかもしれないが、この手の「綺麗事」はまず実現しないと考えたほうがいい。「世界に平和を」と叫ぶことだけで世界に平和は決して訪れないのと同じ構図である。

アジアは一つのように見えるが、そうではない。これは文化勲章受賞者である文化人類学者・梅棹忠夫さんが名著『文明の生態史観』で行った重要な指摘だった。「「おたがいアジア人だから」というようなことばが、いったいどれほどの内容をもちうるのか、たいへん疑問だとおもう。感覚的、あるいは観念的な意味においてのみ、アジアは同質なのであって、論理的、あるいは実質的な意味においては、けっして同質であるとはいえない。日本は、とくにそうである。」。

「日本は、とくにそうである。」とあるが、梅棹さんによれば、日本は世界的にも独自の文明、文化を持っている国だという。世界中の人に聞いたわけではないから正確なことはもちろん言えないが、「日本は不思議な国」「日本人は特異な民族」、世界にはきっとそう映っているに違いない。日中韓のことに限定すれば、何人かの専門家がそのことを明確に述べている。例えば、中国四川省に生まれ、一昨年日本に帰化した評論家の石平(せきへい)氏、韓国系三世として中国瀋陽市に生まれ、日中韓の文化を研究している金文学氏などの著作を読むと、日本文化の特異性(嬉しいことに、総じて彼らは日本、日本人に好意的である)、日中韓は残念ながら実質的な部分で相容れないことがよくわかる。

私は、日本は中国、韓国そして他のアジア諸国と仲良くすべきではないと言っているのではない。「おたがいアジア人だから」という安易な発想だけでは物事は何も変わらないし、場合によっては悪いことも起こるかもしれないと考えているのだ。梅棹さんは、岡倉天心の「アジアは一つ」以来、くりかえし言われ続けたアジアは一つという思想が、ヨーロッパ支配からの独立を謳い日本を中心とした共同体を作ろうとした戦前の「大東亜共栄圏」の思想的根拠になったのではないかと指摘し、アジアは一つという安易な思想がアジアにかつて不幸をもたらした原因ではないかと述べている。

アジアの国々はそれぞれ異質のものを持っている。例えば中国のことについて言えば、私もこれまで仕事で北京、上海、大連など中国に30回以上行き、そのことを痛感した。大切なことは、お互い異質であることを認め合うことからスタートすることだと思うが、残念ながら異質であることを認めるだけでは何も変わらない。では、どうすればよいのか。正直なところ、無責任のようだが私にもわからない。

さて、鳩山首相は沖縄の普天間基地移設問題に関して先日、「時間とともにマニェストは変わる可能性がある」と明からな「失言」をしてしまった。本音が出たというか、ボロが出たというか、ブレはじめたというか、「それを言っちゃお終いよ」と言いたくなる発言であるが、いくら理想を掲げても現実というのは実に厳しい、そのことを民主党はひしひしと今感じ始めているに違いない。

写真は今夜の新大久保駅付近コリアンタウン。

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