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怪僧ラスプーチン、悲しき願い、ダンシング・クイーン! [銀座]

IMG_0325.JPGこの頃、1970年代のディスコミュージックを聴いている。正確に言うと、聴いているだけではなくて、「YOU TUBE」を利用して歌の練習もしている。ところが、どの曲も原曲キーがえらく高く、キーを下げないと到底歌えない。なぜディスコミュージックかと言えば、新宿で先日飲んでいたときにアースウインド&ファイアー「宇宙のファンタジー」がBGMで流れてきて、急に若いころを思い出してしまったのだ。

アラベスク「ハロー・ミスター・モンキー」、サンタ・エスメラルダ「悲しき願い」、ボニーM「怪僧ラスプーチン」、ジンギスカン「ジンギスカン」、アースウインド&ファイアー「セプテンバー」、ビージーズ「ステイン・アライブ」、アバ「ダンシング・クイーン」等、皆さん、踊ったことのある懐かしいナンバーがたくさんあるでしょう。

さて、次は仕事の話。仕事の話で愚痴を言うのは好きじゃないけど、ちょっとだけお付き合いを。別に仕事のことに限らないけど、自分の思っていることが周囲の人に伝わっていないなあと感じることが、誰にでもあるのではないだろうか。でもひょっとしたら、あなた自身も、周囲の人の言いたいことを正確に受け止めていないかもしれない。こういうコミュニケーションのズレのようなことは、どうして起こるのだろうか。

思うに、人間には、他人の話を無心に聞こうという姿勢がもともとないのかもしれない。どういうことかというと、虚心坦懐に、心を無にして他人の話を聞こうと臨んでも、いざ相手とのコミュニケーションがスタートすると、最初のうちは確かに相手の言っていることを素直に受け入れているが、だんだん時間が経つにつれて、「自分はこう聞きたい」という「意思」のようなものが自然と湧き上がってくるのではないだうか。

この話は言葉に関することであるが、見ることに関しても同じようなことが言えるような気がする。例えば、あるモノが目の前にある。それを見た人間に映るものは、どれも同じように映っていなければ理屈としてはおかしい。でも、実際どうかと言えば、同じモノ(人間でも構わない)を10人が見れば、10通りの「見え方」というのがあるに違いない。これは単に10人の「感じ方」が違うということではなく、「自分はこう見たい」というものを10人がそれぞれ無意識のうちに持っていることから起きる現象のような気がする。

冒頭、ディスコの歌を練習していると書いたが、歌はもちろんすべて英語だ。そういえば学生の頃、英語の授業で、「hear」と「listen」の違い、「see」と「look、watch」の違いについて勉強したのを覚えているだろうか。「see」「hear」は受動的で「見える」「聞こえる」、「listen」「look、watch」は能動的で「聞く」「見る」というように習ったような気がする。でも、人間にはこの中間に位置する気持ちとして「聞きたい」「見たい」というものがあるように思うのである。この半ば「意思」を感じさせる「聞きたい」「見たい」という気持ちが、コミュニケーションのズレを起こしているのではないか、この頃そう感じるのである。

今日もまた、支離滅裂な文章になってしまった。

写真は台風一過の墨田川上空。見事な雲が広がっている。会社があるビルから撮った。

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