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タバコは今後、1箱320円ではなく1箱500円にいたします。 [映画]

bogart.jpg宇崎竜童が率いて一世を風靡したダウンタウンブギウギバンドのヒット曲に「スモーキンブギ」というのがある。学生が授業をさぼって一服、トイレで一服するという内容の歌である。生まれてこの方私は、自分でタバコを買って吸った経験がない。バーに行ってホステスさんに無理やり勧められて吸ったことはあるが、自分の意思で喫煙したことがない。このことを私は自慢しているわけではなく、何となくこれまでタバコには興味がなかっただけのことなのだ。また私は、喫煙に反対しようという気も毛頭ない。受動喫煙問題とかあるのは承知しているが、私はタバコの煙はあまり気にならない。

今日の産経で日本財団会長の笹川陽平さんが、タバコを1箱千円に値上げしたらどうかと提案している。笹川さんによると、ニューヨークでもロンドンでも、タバコは1箱千円前後するのに、日本ではわずか320円でしかない。これでは喫煙をやめようとする人は増えないだろうというのだ。あるアンケート調査によると、日本では、1箱500円を超えるとタバコを買い控えると回答した喫煙者が半数以上いたという。このアンケート結果からすると、なるほど1箱千円に値上げすればタバコをやめる人は相当増えるかもしれない。笹川さんはまた、1箱千円にすれば特に未成年者は高いタバコに手を出さないだろうと分析している。

まーもっとものような気もする。1箱千円ではなく仮に1箱1万円だったらどうなるだろうか。喫煙者の暴動が起こるかどうかはわからないが(日本人の性格からいってまずないと思うが)、表面上、タバコを買う人はほとんどいなくなるだろう(当然か)。ところが、誰もタバコを買わなくなってしまうと国が困るのである。というのは、現在でも、1箱320円のうち約62%が税金だからである。国民がタバコを吸わなくなると、国家財政が苦しくなるということである。もう一点考えなければならないことは、タバコは酒などと同じ嗜好品だという点である。少し前にアメリカの禁酒法のことを書いた。禁酒にしたら、密造酒を作る家庭が増えて酒の消費量は禁酒法以前よりも増加し、また、アル・カポネに代表されるギャングによる闇社会が幅を利かせるようになったという話である。タバコについても極端な規制が行われると禁酒法のときのような事態が起こりかねないような気がする。

私はよく知らないが、タバコは原材料だけ手に入れば簡単に作れるのではないだろうか。1箱1万円になったら必ず自分でタバコを作る奴がでてくる。また、闇タバコが横行することになり、この
売上代金がヤクザの活動資金になるに違いない。

物事には程度とバランスというのがある。タバコをやらない私が勝手なことを言うなと愛煙家の方から叱られるかもしれないが、とりあえず1箱500円に一度値上げしてみたらどうだろうか。何もニューヨークやロンドンの真似をしなくても、このくらいの価格だったら、暴動は起こらないだろうし、国家財政も多少豊かになり、タバコを密造する人も出ず、ギャングが世の中にはびこることもなく、そしてなりよりも愛煙家の皆さんがギリギリお金を出せる損益分岐点のような価格ではないかと思う。いきなり1箱1000円だと愛煙家の皆様も辛いでしょう。1箱500円、こんなもので如何でしょうか。

タバコや葉巻きが似合う俳優と言えば、やっぱりハンフリー・ボガード。

少子化対策。教育費軽減と「お見合い」復活で。 [映画]

夕方6時半、ある証券マンと銀座三越ライオン前で待ち合わせをして、その後2階の喫茶店に行って仕事の打ち合わせをした。ブレンドコーヒー1杯840円。うち、500円くらいが多分場所代に違いない。まあそれはいいとして、打ち合わせを終え、有楽町ガード下で焼鳥でもいかがですかと彼を誘ったが、これから会社に帰ってもう一仕事あるというので、私は一人さびしく輝くネオンの街を後にした。証券マンはいつも忙しい。

さて、9時から、島田伸助が司会をするテレビ番組を見た。割と真面目な番組で、番組前半のテーマは少子化対策だった。今日本には内閣府特命担当大臣(少子化担当・男女共同参画)という大臣ポストがあって、現在は上川陽子さんがその任に就かれている。お笑コンビのアンガールズが上川大臣に直接会って少子化対策の提案をする。例えば、30歳までに結婚すれば税負担を軽減するという提案。しかしながら、この案は大臣によって即却下される。また、お見合いパーティーを国が支援したらどうかという提案に対しては、大臣いわく、自治体が実施するお見合いパーティーについてはすでに国が支援しているのだそうだ。

結婚もしていない、もちろん子供もいない私が少子化対策について語る資格はないかもしれないが、そこはお許し願って私の考え方を聞いてもらいたい。結論から言うと、少子化対策の決め手は教育費の負担軽減に尽きるのではないかと思う。財源をどうするのかという問題はこの際無視して言えば、例えば、義務教育である中学校卒業までは学校での費用は一切かからないということにするのはどうだろうか。若い夫婦にはまだ十分な経済力がない。その間は国が面倒をみることにする。子供が高校や大学に行く頃には、夫婦にもある程度の経済力がついてくるだろう。そうなれば、高校からは授業料などを普通に支払うことにすればいい。こういう思い切った制度を導入すれば、結婚して子供を作ろうとする気持ちになる夫婦が出てくるのではないだろうか。

子供を作る前に結婚をしなければならないが(結婚しなくても子供はできるという話は、今はしないことにしよう)、結婚の機会を作るためにお見合いパーティーを推進するのはどうかと思う。なぜなら、お見合いパーティーでは、もてる男ともてない男はいつも決まっているからである。昔、フィーリングカップル5対5という番組があった。男女5人ずつ登場し、意中の人を決めるためにいろいろ質問をし合ってから、最後に好きな異性の番号を押す。そこで一致すればめでたくカップル誕生となる。この番組を見てわかったが、毎回、特定の人に人気が集中するのだ。だから、パーフェクト、つまり5組のカップルが成立することは皆無で、せいぜい2組のカップル成立が精一杯だった。

今日新聞を見ていたら、神戸女学院大学の内田樹教授が面白い話をしていた。結婚を促進させるために「プロジェクト佐分利信」を推進しようというのだ。若い方はご存じないかもしれないが、佐分利信は小津安二郎監督の映画によく出演していた俳優だ。昔よくいた頑固オヤジを演じた。内田教授が記事で言っていたのは要するに、男女の縁を取り持つ手段として、「お見合い」を復活させようというのである。世話好きのおばさんというのがどこにでもいる。これもテレビで以前見たのであるが、ある世話好きおばさんの自宅には、その周辺地域に住む独身男女の経歴などが書かれたファイルがびっしりと整理、保管されている。あるとき、なかなか男性と出会うチャンスのない女性がこの世話好きおばさんの家を訪れる。目的はお見合い相手を見つけること。世話好きおばさんは分厚いファイルからその女性の希望に叶う男性を即座に探し出し、女性が納得すれば「お見合い」の場までセットする。内田教授は、こういう世界を復活させようというのである。

なかなか面白い発想である。それになんといっても、暖かい人間のぬくもりを感じる。私も小津作品は好きであるが、言われてみると、あの映画には世話好きな人間が多く出ていたような気がする。「秋刀魚の味」でも、娘の縁談話が中心だった。内田教授は多分、「見合い」の復活にとどまるのではなく、小津監督が描いた家族、社会を復活させたいと思っているのではないと感じた。

少子化対策。教育費軽減と「見合い」復活でやってみたらどうだろうか。


ロハス、健康と環境。新興宗教との類似とは。 [映画]

奇妙な光景をテレビで見た。横綱朝青龍の主治医である本田医師が自身の出版会見を行った際に、マイクの前でそばを食べているのである。なんでも、本田医師の恋人とされる王理恵さん(ソフトバンク王監督の二女)が、そばを食べるときにヅーヅーと音をたてて食べる本田医師のことを批判したらしいのだ。大の男が彼女から言われたことをいちいちマスコミの前で喋って、さらにそばを食べるというパフォーマンスまで演じる。この本田医師、人柄はよさそうだが、どうも社会的に大人になっていない感じがする。王さんにゾッコン(表現が古い)なのかもしれないが、もう少し毅然としてもらいたいと思う。じゃないと、男としてみっともない。

会社に行く用事があって今朝は6時半頃起きた。それと同時に81.3J-WAVEがかかったのだが、そこに王さんが出演していた。ロハス・サンデーという番組らしい。ロハスという言葉、以前から少し気になっていたので、インターネットで調べてみた。ご存知の方も多いと思うが、LOHASとは、Lifestyle of Health and Sustainability(健康と持続可能性のライフスタイル)の略で、健康や環境問題に関心の高い人々のライフスタイルを営利活動に結びつけるために生み出されたビジネス用語なのだそうだ。Sustainabilityの意味がよくわからないが、まあそれはいいとして、この言葉は2000年にアメリカで生まれた。

ロハスは飽くまでもビジネスマーケット戦略の用語であることがポイントかもしれない。それと、この言葉がアメリカ発というのももう一つのポイントかもしれない。日本では雑誌「ソトコト」を中心にこの活動が展開され、大手広告代理店電通が深く関わっているらしい。なんとなく綺麗事を言って世間の関心を集め、ビジネスチャンスと見たらしっかりと儲ける。

健康と環境を大切にしましょうと言うと、誰も反対する人はいない。でも、そこがミソなのだ。以前、こんな話を聞いたことがある。それは新興宗教の話。どうすれば、新興宗教に多くの信者を集められるか。それは、教祖様のカリスマ性もあるが、もっと大切なことは、教義が単純でごく常識的であることだそうだ。小難しいことが書いてあっても一般人にはよく理解できない。でも、「皆で助け合って生きましょう」とか、「奉仕の精神を大切にしましょう」とか教義にあると、「それはそうだ。この宗教は立派な教義を持っている。私も入会しよう。」ということになるのである。

アメリカが健康、環境を言いだしたというのも面白い。高カロリーの食生活を送ってきたアメリカ人(今もそうかもしれない)。最も速いスピードで環境破壊を行ってきたアメリカ人。そのアメリカ人がこれではいけないと思って健康、環境と叫び始めた。でも、大切なことは、この健康、環境というキーワードは飽くまでもビジネスに活用するために生み出したものなのである。アル・ゴアが『不都合な真実』で環境保護を純粋に訴えたが、これとロハスは本質を異にすることに注意しなければならない。

ロハス、健康と環境。耳には心地よく響くが、綿密なビジネスマーケット戦略に踊らされているだけかも知れない。

さて、話は変わるが、次はビューティーの話。ミス日本。先月28日、今年のミス日本コンテストが開催され、日大2年生の鈴木理恵さんがグランプリに輝いた。でも私の趣味は、別に特別賞を獲得した11番都甲奈央さん(写真)。17歳だそうだ。ミス日本の第一回受賞者はご存じ、女優の山本富士子。有名どころでは、藤原紀香、玉井美香(叶姉妹妹)などがかつてミス日本に輝いている。でも、両人とも現在の方が受賞当時より綺麗だと思う。今日の一枚、目の保養になっただろうか。


小雪さん、三丁目のストリッパー、色っぽいです。 [映画]

人間ドックを受けるため、JR御茶ノ水駅についたのは午前8時前だった。さっそく駅の近くにある病院に行って受付を済ませたら何と1番だった。新年が今日からスタートする会社もあり、どうやら今日の受診者は少ないようだ。結局、この日のドック受診者は私を含めて4名という少なさで、驚くなかれ、私がすべての検査を終えて病院を出たのは午前9時前であった。検査結果は2週間後に判明するが、血圧は予想通り高く、上は146、下は98という結果だった(これは手動測定の結果で、機械測定では上が159、下は101だった)。

さて、今日はドック休暇ということなので、検査が早く終わったからと言って会社に行くつもりはない。午前9時。これからどうしよう。家に戻るのも何となく寂し感じがする。2時間程度時間を潰すことの出来るものは限られている。ということで、新宿まで戻り、午前10時半過ぎから上映される「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観ることにした。こちらのほうも観客が驚くほど少ない。ざっと20人といったところか。年輩の方が多い。高齢者の割引制度を利用しているに違いない。

映画であるが、あーこれは失敗作だなと思いながら中盤まで観ていたが(観客から欠伸が出そうな雰囲気があった)、終わってみると、私を含めほとんどの観客がしくしくやっていた。そう、映画の終盤、逆転満塁ホームランという感じで盛り返したのである。なかでも、茶川竜之介役を演じた吉岡秀隆の演技力が光っていた。まー、盛り上がったのでよかったのであるが、思うに、この続編は前作と異なり、ヒューマニズムを少し強調し過ぎていたような気がする。「お金より大切なものがある」。これが続編のテーマだと思うが、これは特段昭和34年という時代設定とリンクしているわけではないので(このテーマは普遍的なものだろう)、出来れば、前作のように、高度経済成長期の「坂の上の雲」を目指す時代の雰囲気をもっと強調してくれたらよかったのではないかと思う。それにしても、前作に続き、ストリッパー役を演じた小雪は色っぽかった。

映画館を出たのは午後1時過ぎ。歌舞伎町の中華料理店で回鍋肉定食を食べてから、新宿ルミネの吉本漫才を見ることにした。涙の次は笑いというわけだ。今日は私が現在最も気に入っているタカトシが出ることになっていた。午後2時少し前に会場に入ると、ほぼ満席状態だった。最高列の席だったので、面白くない漫才の最中に席数を数えてみたら、400席以上はあった。入場料は4,500円だったから、満席になると1回の公演につき180万円の売上になる計算だ。公演は1日3回ほどであるから、席が全部埋まるとすると、1日の売上は540万円ということになる。吉本興業、ひいては吉本売れっ子漫才師が儲かるわけである。

話は吉本興業からアメリカ大統領選予備選挙へ。アイオア州の民主党予備選挙は、戦前の予想を裏切り、オバマ候補がヒラリー候補を大差で破り勝利した。第2戦となるニューハンプシャー州での予備選挙を前に、民主党候補者3人による討論会が行われ、その模様がテレビで放映された。私も何度か見たが、どうしてアメリカ人は何とかの一つ覚えのように「CHANGE(変革)」という言葉が好きなのだろうかと不思議で仕方ない。オバマ候補は今回の予備選で「CHANGE」を前面に打ち出して戦っている。第1戦で敗れたヒラリー候補はニューハンプシャーでの討論会で、自分もこれまで「CHANGE」を実行してきたし、これからも「CHANGE」を続けていくと声を荒げて強調していた。「CHANGE」を口にしない候補者はまるで失格者のようなムードが漂っていたのだ。

これまでのアメリカ大統領選で最も強調され続けた言葉がこの「CHANGE」ではないだろうか。でも、そんなに「CHANGE」というのは大袈裟なことなのだろうか。「CHANGE」なんて政治家がいてもいなくても世の中では常に起こっているし、政治家が職業上、社会のしくみをよりよく「MAKE CHANGE」しようという心構えは当然のことであるから、ことさら、「CHANGE」「CHANGE」と連呼しなくたっていいような気がする。私が思うに、一番「CHANGE」していないのは、アメリカ国民自身のような気がする。


ALWAYS三丁目の夕日、懐かしさのDNA. [映画]

新宿でコーヒーを飲みながらボッーとしていたら、最近映画館で映画を観ていないことに気がついた。少なくとも今年は一度も映画館に行っていない。たまにDVDを買ってはいるが、私が持っている26型の液晶テレビでは映画館並みの迫力はもちろん出ない。ということで、どんな映画が今上映されているのか調べてみたら、2年前に大ヒットした「ALWAYS 三丁目の夕日」の続編が上映されていることがわかった。

昭和33年の東京下町を見事に活写した前作は、老若男女の涙を誘った。涙したものは人情の厚さ以外に、当時の街の雰囲気、懐かしさのようなものだった。当時をリアルタイムで生きていた人が懐かしく思うのは当然のことだと思うが、20代や30代の人たちも「何となく懐かしいなあ」と感じるのはとても不思議なことだ。

我々には、生まれる前のことを感じ取る能力のようなものが備わっているような気がする。それは、よく言われるデジャ・ヴュ(既視体験、初めての体験なのに初めての体験ではないような気がすること)とは異なる感じがする。既視体験というのはよくわからないけれども、以前に似たような体験をどこかで必ずしているときに起こるものなのではないだろうか。ところが「ALWAYS 三丁目の夕日」の懐かしさというものは、過去に全く似たような経験をしていなくても自然と感じることが出来るもののような気がする。うまく説明できないのであるが、日本人の脳裡には「ALWAYS 三丁目の夕日」の場面のようなものがあらかじめ用意されていて、普段その場面が出てくることはないが、似たような場面を映画などで見た瞬間、スイッチのようなものが入り、昔自分が昭和33年に生きていたかのような錯覚に陥るのではないかと思う。

仮に、昭和33年(1958年)のアメリカ版「ALWAYS 三丁目の夕日」を日本人が観ても懐かしさや郷愁を感じることはないだろうと思う。馬鹿バカしいことを言うと思われるかもしれないが、これは、日本人の脳裡にはアメリカのいかなる場面もセットされていないからだろうと思う。

さて、この映画は高度経済成長時代の話である。鈴木オートの短気で怒りっぽい主人を見ていると、向田邦子の「寺内貫太郎一家」の親父を思い出す。テレビでは小林亜星が好演した。向田邦子が人気だった最大の理由は、古い家族を描いたからだと思う。古い家族を描くとは、家族構成員の役割分担を明確にすることだと思う。怒る人は父親、怒られる人は子供、怒られた子供を後からそっと慰めるのは母親と、家族の役割分担を明確にし、徹底している。家族以外の部分でも、向田邦子は役割分担ということを徹底していた。覚えていらっしゃる方もいると思うが、寺内貫太郎の長女(梶芽衣子)の恋人上条(藤竜也)は、想いを寄せるお涼さん(篠ひろこ)が営む居酒屋に顔を出すが、二股をかけている後ろめたさから、お酒を飲むがほとんど喋らない。お涼さんもその事情、雰囲気を察して上条にめったに声をかけることをしない。私はこの場面を観て子供心に、大人とはこういうことかと思った。

高度経済成長は確かに国民経済を豊かにした。それは多分間違いのないことだろうと思う。しかしながら、高度経済成長が終わった途端、家族が少しずつ崩れ始めた。個人の自由、個人の自立、家族内民主主義(造語です)のようなものが幅を利かせるようになり、かつてあった家族構成員の役割分担が不明確になりだしはじめた。それまでは、怒る人は父親と相場が決まっていた。ところが、いままで父親に叱られていた子供が今度は、父親に手を出す事態が起こるようになった。家族内の人間関係がおかしくなったのである。向田邦子の作品はどれも、家族内の人間関係がしっかりしていた。

私は「ALWAYS 三丁目の夕日」は向田作品に底流で相通じる部分があると思う。それにしても、ヒロミ役で出ていた小雪(写真)は綺麗だった。あんな美人が酒場でお酌をしてくれるなら毎日でも通うだろうと思う。


点と線、ビートたけしの空白の4分間は勲章です。 [映画]

「コンドーム、無料コンドームです」。新しいタバコの発売だろうか。いや、でも「コンドーム」とハッキリ聞こえる。新宿紀伊国屋前で今日の午後、若い男女数人がこう叫びながらコンドームが3個入った小さな箱を道行く人に配っていた。しかしながら、差し出されたコンドームの箱を受け取っている人はあまりいない。きっと、恥ずかしいのだろう。わかる気がする。私は好奇心から、当面使う当てもないのに、若いお嬢さんからしっかりと一箱頂いた(写真)。

12月1日は世界エイズデーである。それに因んだ啓蒙活動の一環として、エイズ感染防止のためにコンドームを使用しましょうというキャンペーンが行われていたのだ。日本でも1日平均4人弱の人がHIVに感染していると言われる。またHIV感染の潜伏期間は10年間といわれ、かなり長期間であるから、今大丈夫だと思っていても、近い将来発症しないとは断言できないのである。コンドーム装着がHIV感染予防のカギといわれるので、今日の街頭でのコンドーム配布となったわけだ。

さて、ビートたけし主演で、松本清張の「点と線」がテレビ朝日で2夜連続放送された。私も珍しくこの手のテレビドラマを粘り強く観た。思っていたよりもよく出来ていたと思う。ただ、キャストが、4番バッターばかり揃えたかつての巨人のような感じで、いかにも豪華すぎた。主役級ばかりだと目移りしてしまい、どうしても強弱のアクセントがつかず、メリハリがなくなってしまう。不満と言えばそれくらいだ。

「点と線」は松本清張の代表作で社会派推理小説と呼ばれる。単なるカラクリを解くというそれまでの推理小説とは異なり、人間の動機という部分に焦点を当てた推理小説を確立したのだ。「点と線」といえば、東京駅の13番線から15番線が見通せるのは一日のうちでたった4分だった、というのが有名であるが、実はこれだけだと従来のカラクリ解明型推理小説で終わってしまう。松本清張はそこから一歩進み、動機というスパイスを効かせてみせた。例えば、秋田に小さな娘を持つ料亭の女中おときが、何故役人と九州で情死しなければならなかったのか。また、某大臣と親交のある会社社長安田が、何故おときと役人を殺害しなければならなかったのか。主人公の博多東警察署鳥飼刑事(ビートたけし)と警視庁捜査二課の三原刑事(高橋克典)は、これらの動機解明と安田のアリバイ崩しに奔走する。

原作も映画も面白かったが、今回のテレビドラマもなかなかの力作だった。私はビートたけしの暴力シーンの多い映画は好きではないが、鳥飼刑事役はなかなかの好演だったと思う。それにしても劇中で3度流れた津村謙の「上海帰りのリル」は実によかった。

さて、このところ出張が続いているせいかどうかは知らないが、あまり体調がよくない。オジサンであるから仕方ないのであるが、身体のいろいろなところにガタがきている。ただ、ガタがきているのは部分的のように見えるけれども、実際は私の肉体全体にわたってガタがきていて、たまたまガタの程度が強い部分が病気や人間ドックなんかでひっかかったりするのだと思う。

私は高血圧だし、私の家は糖尿病の家系でもある。だからといって高血圧を抑える薬を飲むとか、脂肪分の多い食べ物を控えるとか、酒を止めるとかいうのは、私はできない。こういう偏屈は私だけかと思ったら、そうでもないみたいだ。私はたまたまタバコはやらないが、医者にタバコを止めるように忠告されても、平気で吸っている人を何人も知っている。

人間には変わった欲望があるのではないかと思う。自分の肉体をいじめる欲望だ。不健康になりたい欲望と言い換えてもいい。でも、何故そのようなことをするのであろうか。それは、只今自分が生きていることをテストするためではないだろうかと思う。酒を飲んではいけない、タバコを吸ってはいけないと医者から忠告されてもそれを守らない。忠告に従っていれば健康で生きられるのに。美空ひばりの「愛燦燦(あいさんさん)」の歌詞ではないが、人生って不思議なものですね。


風とライオン、艦隊で攻めましょうか。 [映画]

1か月ぶりに部屋の掃除をした。というか、ここに引っ越して来てから初めて掃除をした。掃除の後クリーニング店に背広、ワイシャツを出し、午後からスッキリした気分で、久しぶりに家でテレビを見てゆっくり過ごした。私はテレビ好きで、家にいるときはいつもテレビをつけている。本を読んだり、パソコンに向かったりするときも、音だけは消して、画像は見られる状態にしている。テレビがないと何となく寂しいのである。そのせいかどうかはわからないが、私は早い時期からメガネをかけていた。暗い部屋の中でテレビの深夜番組を見ていたことが影響したかもしれない。両目とも視力は0.01以下である。この頃さらに深刻なのは、新聞や雑誌などの小さな文字が見えなくなってきた。これは年を取ったことによるものだろうと思う。恥ずかしながら、たまにメガネをはずして顔を新聞などにくっ付くくらい近づけて文字を読んでいる。なんとも情けない話である。

そのテレビのニュース番組で、拉致被害者家族会の横田滋さんが10年間務めた会長を正式に退任することが今日決まったことを伝えていた。長らくお疲れ様でしたと声をかけたい。拉致被害者の奪還は本来日本政府の責務であるから、どんなことがあってもすべての拉致被害者を日本に連れ戻してもらいたいと思う。

同じニュース番組で、六カ国協議において、最近アメリカと北朝鮮が急接近していると報じていた。アメリカはどうやら、拉致問題の解決なくして北朝鮮のテロ国家指定解除なしという日本政府の要請を無視する構えを見せている。残念ながら、私は多分こうなるだろうと思っていたので、そう驚きはしなかった。

私は、日本政府が何もかもアメリカ追従の姿勢を見せることにあまり賛成ではない。昨日のブログ記事ではないが、日本の「個性」を徹底的に貫けばよいのではないかと思う。アメリカは正直なところ、日本の拉致問題にはほとんど関心がないと思う。先日行われた福田総理とブッシュ大統領との日米首脳会談においてもブッシュ大統領は「拉致問題は忘れていない」と発言したが、これはどう見ても外交辞令としか受け取れない。だって、「申し訳ないけど福田総理、お宅の国の拉致問題のことはすっかり忘れていました」とは口が裂けても言えないでしょう。

少し冷静になって考えてみるといい。人間でも国家でも、何か自分の利益になることがあると判断した場合にのみ、相手に協力するものでないだろうか。ボランティアというのは違うぞと言う人がいるかもしれないが、本当にそうだろうか。結局アメリカは、テロ国家指定を解除して北朝鮮と仲良くすることが国益に叶うと判断しただけのことなのである。拉致問題解決というのはアメリカにとっては優先順位がかなり低かったということなのである。実はこれがアメリカの「個性」であって、このような「個性」はどの国にも存在するものなのである。

私は中国、ベトナムにここ数か月で6回、ビジネスマンになってからもう20回以上行ったが、彼らの損得勘定はアメリカ以上にシビアだと思う。これらの国にはいまだに日本の国家レベルでの有償、無償の支援がなされているが、その限りにおいて、これらの国は実に日本および日本人に対して感謝の意を表してくれる。彼らから「ありがとう」と笑顔で言われると、こちら側も気分がいいものである。そうなると、また何か支援してやろうかという気になる。日本はお人好しといわれるが、そうかもしれない。でも気をつけなければいけないのは、彼らは日本、日本人を本当に好きかどうかわからないということである。はっきり言うと、嫌いかもしれない。彼らの最優先事項は、自分の国が成長することであって、決して日本、日本人と仲良くなることではないのである。残念ながら、現実はそういうことなのだ。

さて、日本は北朝鮮と二国間で拉致問題について解決を図るべきだと思う。30年くらい前のアメリカ映画に『風とライオン』というのがあった。モロッコの海賊が(海賊の長はショーン・コネリーだった)アメリカ人の未亡人一家3人を誘拐する。時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトは、人質奪還のために艦隊を派遣するという話である。国家とはこういうものなのである。艦隊を派遣しろとは言わないが、もっと遠慮せずに大きな声で北朝鮮と交渉して、横田めぐみさんを始めとする多くの拉致被害者を全員日本に奪還してほしいと思う。どの国も日本に協力してくれる国はないと思って、日本だけで戦うしかないのである。

ところで、日本のパスポート(写真)には昔、「このパスポートは、北朝鮮を除くすべての国家及び地域で有効です(This passport is valid for all countries and areas except North Korea)」という記載があったが、あるときからこの「北朝鮮を除く」という記載がなくなった。その理由は知らないが、北朝鮮と国交を急ぐ必要は全然ないのではないかと思う。今の状態で誰がそれを望んでいるのかさっぱりわからない。


女性専用車両、汗臭いのは勘弁です。 [映画]

私は毎日、午前6時半頃には家を出る。起床は大体その1時間前。もう習慣化してしまったので、特段苦にならない。私が乗るのはいつも、午前6時40分高円寺発の中央線快速である。このあたりの時間帯では、女性専用車両の設置がまだないが、ラッシュアワーを迎える午前7時半頃になると、1両目が女性専用車両となって、我々男性陣はこの車両から完全にシャットアウトされる。一度くらい女性専用車両に乗ってみたい気もするが、実行すると多分ボコボコになって車外に放り出されるに違いない。

今日の新聞朝刊に、女性専用車両に関するアンケート結果が出ていた。アンケートの回答者はすべてOLである。それによると、76%のOLが女性専用車両は必要と答えている。面白いのはその理由で、「痴漢対策」「男性の汗や臭いのストレスを感じたくない」というのが主なものだった。痴漢対策はわかるにしても、男性の汗や臭いが女性のストレスとなっているのは、オジサンとしては、ムーディー勝山のように右から左に聞き流すわけにはいかない。

この話を女性の部下に話したら、やはり男性の汗臭いのは嫌だと言っていた。一方、同じ話を男性の部下に話したら、女性の厚化粧の臭いだって嫌ですよと、反論めいた答えが返ってきた。私自身は、女性の化粧品の香りは嫌いではない。というより、好きだ。どこのデパートでも大体1階は化粧品売場になっているが、私はフロアー全体に漂うあの高級化粧品独特の香りを心地よく感じる。

男性の汗臭さを好きな女性もいると思うが、満員電車という密閉された空間では、不快に感じる女性が多いというのが、冒頭のアンケート結果に出たのであろう。臭い(smell)と香り(perfume)。この二つは似て非なるものらしい。

原巨人がセ・リーグの優勝を果たした。さんざん原巨人の悪口を言ってきた私であるが、正直、昨日は嬉しかった。シーズン終盤、手堅い中日、勢いの阪神に猛烈に追い上げられ、日替わりで首位が入れ替わる大激戦となったか、結局は5シーズンぶりに巨人が優勝した。昨夜のゲームも劇的であった(銀座で飲んでいてライブは見ていないが)。9回裏2死満塁から、勝利の一打を決めたのが、ジャイアンツ生え抜き、いぶし銀の清水だったというのが、巨人ファンとしてはこれまたしびれた。

ところで、原監督は、今期で通算4年目であるが、うち、2度リーグ優勝している。この数字だけ見ると、原監督は名将といっていいのかもしれない。ただ、楽天なんかとは異なり、十分すぎるくらいの駒(選手)が揃っている条件下での優勝であるから、単純に彼の監督としての能力を賞賛するのは早計のような気もする(特に今年は、小笠原、谷という大型補強を行った)。

監督としての能力という点からすれば、楽天を一時はAクラス争いまで押し上げた野村監督や、古くは、ヤクルトを球団史上初めてリーグ優勝に導き、その後西武の黄金時代を築いた広岡達郎などのほうが、一枚も二枚も上ではないかと思う。また原巨人の批判めいたことを書いてしまったが、私はずっと巨人ファンです。

写真は、映画「Perfume The story of a murderer」


黒谷友香、さらりとした肢体。 [映画]

私はチョーヤ梅酒のCM(「さらりとした梅酒」)に出ていた頃から黒谷友香のファンである(写真)。身長170センチの長身でスタイル抜群。美人の割には気取ったところがないのは、彼女が大阪出身ということもあるのだろうか。今年32歳の彼女が昨年、映画「TANNKA 短歌」で初主演した。映画の原作は女流詩人・俵万智が書いた長編小説『トリアングル』で、黒谷はこの映画で、仕事と恋に生きる30代フリーライター薫理(かおり)を演じている。

薫理には、年上の彼氏(村上弘明)と年下の彼氏(黄川田将也)という二人の彼氏がいる。黒谷は、年下の彼氏と何度も激しいベッドシーンを演じ、ヌードも初披露している。その長くて見事な肢体に私は改めてうっとりしてしまった。まさにファン必見の一本という感じだ。ところで、この映画の監督は、作詞家、女優、小説家の阿木燿子。そして音楽は阿木の夫である宇崎竜童が担当している。なかなかの強力コンビという感じがするが、映画としての評価は残念ながらイマイチではないだろうか。この映画は黒谷友香の美しさを観るための映画だと思う。

さて、昨夜は、銀座の酒飲み仲間3人と、中野駅北口で飲み会をやった。焼鳥1本80円~100円と激安のオープンカフェ風?焼鳥屋を皮切りに、地元ではちょっと名の知れた魚の旨い居酒屋、そして北海道出身で気風のいいママがいる小さなスナックと3軒回った。土曜日の中野駅北口は活気があって楽しい。学生からオジサンまで入れ乱れているが、この辺りで飲む人は割りと地元客が多くて、スナックなんかでも普段着で気軽に来ているオジサンが結構いる。昨日行ったスナックにもラフな格好をしたオジサン3名が店のカラオケ用テレビでサッカー(日本vsオーストラリア)を見ていた。後から店に入った我々もサッカー観戦に付き合い、日本勝利でオジサンたちと抱き合いながら祝杯を上げた。その後カラオケタイムに移行し、10曲くらい歌った後、お開きになったのは午後11時近くだった。私は帰り際一人で近くの吉野家に寄って、牛丼特盛、生卵、みそ汁を注文した。酒を飲んだ後、寝る直前に脂ぎったものを食べると必ずメタボリックになるらしい。私もわかってはいるのだが、やはり酒の勢いには勝てない。

このところ、閣僚の「失言問題」が矢継ぎ早に起きている。「女性は子供を産む機械」発言の厚労大臣、「原爆はしょうがない」発言の前防衛大臣、そして昨日、外務大臣が「アルツハイマー」発言をして世間から非難を受けた。失言というのは、言ってはいけないことを思わず言ってしまうことだ。だから、前言(失言)を撤回し、世間に謝るということは、各大臣が、前言が失言であったと認めたということになる。当たり前ではないかと言うかもしれないが、失言問題はよく考えると奥が深い。

前言撤回をすぐ行うケースは稀である。何故かというと、失言した大臣は、本当は失言を失言と思っていないからである。厚労大臣は今でも女性は子供を生む機械と思っているに違いない。つまり、失言で言った内容は大臣の信念とか、考え方を語ったものであるから、そう簡単に変えることはできないのである。本音を言えば撤回も謝罪もしたくないのであるが、内閣の支持率が落ちるとか、国会運営に支障を来たすなどの理由で、しぶしぶ前言撤回等に応じるのである。しかしながら、自分が閣僚として発言したことが正しいと思うなら、前言撤回などせずに、正々堂々と自分の主張を貫いてみたらどうかと私は思う。そして、もし総理大臣が自分の主張は間違っていると考えるなら、自分を罷免してしださいと言うくらいの度胸と迫力があってもいいのではないか。一方、失言問題については、マスコミや世間も少し過敏になっているのではないかという気もする。先日クレーマーに関する記事を書いたが、何でもかんでもイチャモンをつける風潮がこの国にはないだろうか。「日本総クレーマー時代」、そんな嫌な社会になりかけているような気がしてならない。


香港、Hong Kong2. [映画]

今朝の香港はどんよりとした曇り空で、今にもザッーと雨が降り出しそうな重苦しい雰囲気である。ただ昨日と違うのは、今日から仕事再開になり街に人がどっと繰り出してきたことである。私も朝食はホテルの近くにある小さなコーヒーショップに行って、地元の人達に混じってフレッシュオレンジジュースと巨大バナナマフィンを食べてきた。

昨日は「香港全聚徳烤鴨店」という中国ではよく知られた北京料理店で夕食をとった。メインは北京ダックで、もちろん1羽は食べ切れないので半羽にしたが、それでもかなりのボリュームがあり、結局少し残してしまった。料金のほうは2千円くらいだから、東京とは比べ物にならないくらい安い。飲み物は青島ビール、そして花彫という紹興酒を飲んだ。中華料理にはやはり紹興酒がいい。中国には白酒(ぱいちゅう)というアルコール度数50%~60%という強烈な酒があり、よく宴会で飲まれる。白酒は小麦、米、コウリャンなどを原料に作られる蒸留酒で、有名なところでは貴州省の芽台酒(まおたいしゅ)がある。

これに対して紹興酒は黄酒といわれ、一般には老酒(らおちゅう)とも言われる。こちらのほうはアルコール度数17度前後で白酒に比べると圧倒的に軽くて飲みやすい。私は初めて中国本土に出張したとき、白酒で何度も乾杯して倒れ、しばらくトイレから出てこられなくなった経験がある。そのときは正露丸も全く効果がなく、頭がガンガンして酷い目にあった。ただ、中国の宴席では白酒で乾杯するところがいまだに多く、特に都市部から離れた地域でその傾向が強い感じがする。ところで、乾杯とは読んで字のごとく、杯を乾すことであるから、白酒の乾杯は一気に飲み干すのが普通のやり方である。だから酔いが一層早くなるのである。

さて、今日は仕事を無事終え、夕食までには少し時間があったので、ホテルに帰る途中、ビクトリアピークに行ってきた。100万ドルの夜景が見下ろせる場所として、また、映画「慕情」の舞台にもなった場所として世界的に有名な観光スポットだ。私はここに登るのは2度目だが、ピークトラムという登山電車に乗るのは初めてだった。さっそく頂上にある展望台から香港の風景を一枚撮ってみた(写真)。この写真を見ると、香港というのは狭い土地にペンシルビルのような超高層ビルが密集していることがよくわかる。これは地震のない土地だからできることで、日本ではまず建築不可能な建物のような気がする。

今夜は予定どおり広東料理。それも日本では超高級で知られる「福臨門海鮮酒楼」。東京にある福臨門は昼でも2万円くらいはするのではないか。本場香港はどんな感じなのか思い切ってチャレンジしてみることにした。フカヒレ、干しアワビなど定番の高級料理を注文したが、それでも東京の福臨門の、2分の1位の値段であった。ところで、この店に入って一時間くらい経った頃、日本人の団体客が10人位入ってきて円卓をかこんだ。そのなかにどこかで見たことのある顔があった。神田うのだった。化粧は薄めだったのですぐには気づかなかったが、例の独特の話し方でわかった。ちょっとだけ得した気分になった。

福臨門を後にして、香港の六本木と言われる繁華街で一杯飲んだ。そこはバーの密集地帯で、客はほとんどが白人であった。そのなかに混じって、カクテルを2杯飲んだ。今度香港に来るときは、ゆっくり時間をとって大いに遊びたいと思う。


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