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お詫びと訂正。 [映画]

昨日の記事で、vertigoは高所恐怖症の意味だと書きましたが、これは間違いで、正しくはacrophobiaが高所恐怖症という意味です。vertigoは映画のタイトルどおり「めまい」です。お詫びして訂正いたします。

知ったかぶりをすると恥をかくという見本のような話ですが、太宰治ではありませんが、私も恥の多い人生を送っております。

少し前にブリスベンに到着しました。これからシャワーを浴びて仕事に行きます。

高所恐怖症(VERTIGO)でも飛行機には乗れます。 [映画]

42-19490964.jpgジェームス・スチュアートはアメリカを代表する映画俳優であるが、彼がヒッチコック監督と組んでいくつか映画を撮っている。「ロープ(Rope)」「裏窓(Rear Window)」「知りすぎていた男(The man who knew too much)」「めまい(Vertigo)」の4作品で、このなかではグレース・ケリーが共演した「裏窓」が一番好きだ。さて、「めまい」以外の邦題は原題直訳でかつ英語も平易であってわかりやすいが、「めまい」だけは「Vertigo=高所恐怖症」を知らないとなぜ「めまい」となるのか理解できないだろう。こんな難しい単語、私も当然知らなかったが、この映画を観たのをきっかけにVertigoの意味をしっかり覚えることができた(私は実は高所恐怖症である)。

今日、午後9時30分発のJAL便でオーストラリア・ブリスベンに行く。明朝午前7時10分、ブリスベン国際空港に着く。その日は市内のホテルに宿泊し、次の日の朝、ブリスベンを発つ。1泊3日の強行スケジュールだ。現地の最高気温は30度近い。湿度が低いとはいえ、暑いことに変わりはない。

皆さんご承知の通り、平均すると私は月にニ回くらいのペースで飛行機に乗って出張している。年を取って体力が落ちてきたせいか、正直言うと、この頃出張が億劫になってきた。若い頃はなんとか屁理屈をつけて出張をこしらえて出張したが、いまは必要最小限の範囲内でしか出張しないことにしている。

さて、飛行機が嫌いという人がいる。私は高所恐怖症であるが、飛行機は何故かわからないが、さほど怖いとは思わない。何トンもの重さを持つ鉄の塊りがどうして空を飛ぶのか理解できない、だから飛行機に乗らないのだ、そう主張する人が昔よくいたが、安全性の面からいえば自動車より飛行機のほうがよっぽど安全なのだから、この理屈は見当違いのような気がする(よく考えてみると、飛行機は十分な訓練を受けたプロのパイロットが操縦しているが、自動車は教習所で少しだけ勉強したアマチュアが運転しているようなものだ)。

飛行機に乗れないのは高所恐怖症ではないとすると、例えば、閉所恐怖症だからという理由が考えられる。この閉所恐怖症、私のまわりにも何人かいるが、これなら何となくわかる感じもする。逃げ場のない機内、エンジントラブル発生、緊急着陸か、昔から映画にあるシーンであるが、実際にこのようなことが先日、ニューヨークのハドソン川で起こったわけだ。

飛行機はそう怖くないと私は啖呵を切ったが、ニューヨークのような状況に実際になったら、自分は何を考え、何をするのだろうかと思う。1981年、台湾での飛行機墜落事故で小説家、向田邦子さんが亡くなられた。それから4年後、今度は東京から大阪に向かうJAL便で歌手の坂本九さんが亡くなられた。死に方というのはやっぱりあると思う。飛行機が墜落する直前まで、家族に宛てた遺書を手帳などに書き綴るという話があるが、私は多分、そんなことはできないと思う。

今日はとりとめのない文章になってしまった(いつものことだが)。これから支度をして成田空港に向かう。

写真は、映画「めまい」でジェームス・スチュアートと共演したキム・ノバック。肉感的ですね。

寅さんもハマちゃんも、成長なしの甘えん坊です。 [映画]

IMG_0488.JPG新卒採用の学生面接が先週でようやく終わった。結局今年は女性2名に内定を出した。男性も採用したかったのであるが、面接をしてみると相対的に女性の方が堂々としていて落ち着きがあり、迷わず女性に決めた。面接で私は「どうして当社を希望したのですか」という野暮ったい質問は一切しないことにしている。最近ハマっている作家は誰ですか、どんなアルバイトをしていますか、酒は好きですか、コンパはどこによく行きますかなど、普通の会社ではあまりしないような質問ばかりする。こういった質問をすると学生はイキイキしてくる。何故なら、あまり考えなくてもすべて答えられるからである。

学生をリラックスさせて好きなように喋らせる、これが私の作戦なのだ。肩の力を抜くとその人の「素」が出るからである。学生からすると変な面接だと思うかもしれないが、私からするとそれで初期の目的は達しているのである。

最近ハマっている作家で多かったのは、「容疑者Xの献身」の東野圭吾だった。村上春樹かと思っていたので意外だった。ところで、昔から学生の必読書というのがあって、私の頃でいえば土居健郎『甘えの構造』なんかはその一冊であった。折角の機会だと思い、今の学生の必読書は何か面接した学生にくまなく聞いてみたが、残念ながら答えてくれた人は誰もいなかった(というより、今の学生は本を読まなくなっているのかもしれない)。

『甘えの構造』の内容はほとんど覚えていないが、概略、「甘え」とは人から好意を得たいという気持ちのことで、日本社会はこの「甘え」の社会であるという話だったと思う。この「甘え」で思い出す映画がある。それは、渥美清が「フーテンの寅」こと車寅次郎を演じた「男はつらいよ」シリーズである。釧路にいた頃私の両親は、「男はつらいよ」の新作が出ると一緒に映画館に出かけて行った。涙あり、笑いありの映画で国民的映画ということになっているが、私も何本か観たが、正直言うとあまり好きな映画ではない。

あまり好きではない理由は、いつまでも寅さんが一人前にならないからである。寅さんは生まれ故郷である葛飾柴又の草団子屋の家族に「甘え」ているし、家族のほうも寅さんを厳しく叱ることなく腫れものに触る感じで甘やかしている。寅さんは「確信犯」であるから、多少のワガママは家族が受け入れてくれることをよく知っている。家族のほうもそれを承知の上で寅さんの機嫌を取る。この繰り返しであるから、この映画はいつも似たような展開となってしまい変化に乏しくなってしまう。要は、つまらないのである。

山田洋次監督こそ「確信犯」なのかもしれないが、寅さんをいつまでも甘えん坊で半人前の男に留めておく理由が私にはよくわからない。涙あり、笑いありではあるかもしれないが、「甘え」続けて一向に成長しない国民的キャラクターに私は正直、飽きるのである。そういえば、「釣りバカ日誌」も山田洋次脚本作品であるが、西田敏行演じるハマちゃんも万年ヒラのサラリーマンで、なんとなく寅さんと相通じるキャラクターのような感じがする。

さて、5億円詐欺で捕まった小室容疑者が、母からの手紙に涙したという。母は手紙で「世間様に謝罪しなさい」と叱り、これを受け小室容疑者は「世間の皆様にお詫びしたい」と語ったらしい。以前私は、日本では「世間」という仮想共同体が大切にされるということを書いたが、ここでもやっぱり「世間」が登場してきた。音楽の世界で一度は天下を取った小室容疑者がここに至って初めて「世間の皆様」という表現を使ったのではないかと私は想像する。我が世の春を謳歌していた時期には、きっと地球は自分中心に回っているぐらいに思っていたに違いないから、「世間」のことなんて考えたことはなかっただろう。

1か月以内に北海道出張が4回ある。その合間を縫って京都・大阪にプライベートで行かなくてはならない。実は先週、京都旅行用にと新しいコートを買ったのであるが、その日の夜泥酔していまい、どこかで失くしてしまった。多分タクシーだと思うのだが、いろいろ手続きが面倒臭くて途中で諦めてしまった。全くついていない。

写真は昨日の新宿。このあたりが私の新宿における定点観測地点である。

女スパイ、禁断の欲望、でも最後はゲロしました。 [映画]

lust460.jpg人の懐具合を云々言うのはみっともないことかもしれないが、それにしてもリーマンブラザーズ日本法人社員約1300人の平均年収が4000万円という報道にはさすがに驚いた。私の記憶が正しければ、上場企業の社長の平均年収は約2700万円であるから、リーマン社員はいかに高給取りだったかがわかる。こういう数字を聞いてしまうと、金融機関、証券会社を必死になって救済することが果たして理屈に合うことなのかどうか、首を傾げたくなる。

さて、3年くらい前のことだったと思うが、イギリスで元ロシア人スパイが毒殺された事件があった。スパイは007シリーズやスパイ大作戦など、映画やテレビだけのお話かと思っていたが、そうではないことをこの事件は教えてくれた。昨年のヴェネチア映画祭で金獅子賞を獲得した「LUST CAUTION」を遅ればせながら観た。日本占領下の上海で抗日運動に身を投じた女スパイ、ワン(タン・ウェイ)の生涯を描いた映画で、ワンが殺害の標的としたイー(トニー・レオン)との愛欲シーン(写真、AV映画並みのエロさです)と衝撃的なラストシーンは見応えがあった。

日本にも戦前、陸軍中野学校というスパイ養成機関があった。この陸軍中野学校を舞台にしたスパイ映画が、市川雷蔵主演で5本作られた「陸軍中野学校シリーズ」である。陸軍中野学校は文字どおり、東京都中野区中野4丁目のあたりにあった。現在でいうと新しく建設された東京警察病院の周辺になるが、このすぐ近くに現在私は住んでいる。そんなことから私はこの日本製スパイ映画に親近感のようなものを覚えている。

5本のうち私の一押しは第1作、その名も「陸軍中野学校」である。共演女優は小川真由美で、小川は雷蔵演じる三好少尉の婚約者の役であるが、小川は紆余曲折を経てイギリス諜報機関の手先(スパイ)になってしまう。このままでは憲兵隊に捕まって厳しい拷問を受ける可能性が高いと判断した三好は、自らの手で婚約者である小川を殺すことを決意する。この映画の監督は「卍」「痴人の愛」など多くの官能的な作品を撮り続けた増村保造である。だからだと思うが、デヴュー間もない小川真由美の見事な肢体が眩しかった。

『スパイのためのハンドブック』というその方面では結構知られた本がある。著者はドイツ生まれで、戦後イスラエル軍に入隊して実際にエジプトでスパイ活動に携わったことのある元プロで、この本は彼が書いたいわばスパイ指南書である。この本の中で彼は、もし敵国に捕まってしまったら、スパイは自分の身分を絶対明かしてはならないとかよくいわれるが、実際は厳しい拷問を受けるとどんなスパイでも下呂してしまうもので、沈黙を守り通すことは不可能だと指摘している。

「LUST CAUTION」でも、ワンを始めとする抗日運動メンバーは、最後は捕まってあっさり自白してしまうのだが、私が?と思ったことが一つある。ワンは組織のリーダーから事前に、もし敵に捕まりそうになったらこれを飲んで自害するようにと、カプセル入りの劇薬を渡されていた。捕まる直前、ワンは当然このカプセルを一気に飲んで自害するものだと思って私は観ていたのだが、そうしなかったのだ。どうしてそうしなかったのか、そこだけがなんとなくスッキリしなかった。この映画を観た方でこの辺の事情、解釈についてご存知の方、教えてください。

谷崎夫人への横恋慕、秋刀魚苦いか、しょっぱいか。 [映画]

autumn_afternoon,_an_209_1024.jpg今日は部屋の掃除をしなければならない日であったが、体調が思わしくなく、明日の朝に掃除は延期した。月曜日は昼から札幌に行かなければならないので、それまでに体調を整えておく必要があり、今日は家で静かにしていた。家にいると余計なお金を使わなくてすると済むというメリットはある。ある占い師に言わせると私は浪費家ということであるから、あまり外を出歩かないほうが、余計なお金をつかわないという意味からはいいのかもしれない。でも、じっとしていられない性分なので、明日は新宿あたりに出かけるかもしれない。

高円寺駅の近くに「やよい軒」という定食屋があって、たまに利用する。とんかつ定食、さば味噌煮定食、生姜焼き定食など定食を出す店で、若者や私のような独身男性の利用が多いようだ。ここでの私のお気に入りはチキン南蛮定食である。昨日も仕事の帰りに立ち寄ったら、新メニューとしてさんまの塩焼き定食が出ていた。さんまは釧路産のさんまを使っているらしく、釧路産のさんまがこちらではブランドになっていることを知って、釧路出身の私としては少し嬉しかった。

小津安二郎監督の遺作に「秋刀魚の味」という名作がある(英語ではAn Autumn Afternoon)。父親役は小津作品には欠かせない笠智衆、その娘役は岩下志麻(写真)である。ストーリーは小津監督得意の嫁入り話である。映画を何度か観たが、タイトルになっている秋刀魚が登場するシーンは一つもない。そうすると、秋刀魚は何かを象徴するものとしてタイトルに使用されたということになる。

作家、詩人である佐藤春夫の代表的な詩に「秋刀魚の歌」というのがある。このなかに有名な「さんま さんま、さんま苦いか 塩つぱいか。」というくだりがある。この「苦いか 塩つぱいか」というのは、秋刀魚自体の味を表現しているものではなく、男が一人食卓で秋刀魚を食べるときの孤独感のようなものを謳ったものとされる。ご存知のように佐藤春夫は作家谷崎潤一郎夫人に恋していたと言われ、この詩はその谷崎夫人に対する切ない想いのようものが背景にあるのではと言われている。さて、映画は、娘(岩下志麻)を嫁に出す父親(笠知衆)の孤独感を描いたので「秋刀魚の味」というタイトルをつけたのではと私は勝手に想像しているが、特に深い意味はなくなんとなく「秋刀魚の味」になったという説もあり、本当のところはよくわからない。

今月下旬には釧路出張が予定されているので、せっかくなので秋刀魚の塩焼きではなく、秋刀魚の刺身でも食べることにしよう。東京の皆さん、秋刀魚の刺身って食べられたことありますか?

元気が出る素、ヌードカレンダーを作ってみたい。 [映画]

GraceKelly_unk_03.jpg風邪をひいてしまった。身体がだるくて仕方ない。集中力が落ちて仕事も思うように進まない。風邪にはどうやら特効薬はないらしい。主婦と生活社『最新家庭の医学百科』によると、風邪というのは鼻とか喉にウイルスが感染し、急性炎症を起こすことをいうのだそうだ。風邪を引いたら暖かくして安静にするのが一番で、卵酒や葛根湯を飲んでぐっすり寝ると早く治るらしい。酒は、風邪を引いたときは飲んではいないと書いてある。でも昨日飲んでしまった。

今月の文芸春秋に、読者約1万人が投票した「20世紀世界の美女」ランキングが載っていた。第一位は断トツでオードリー・ヘップバーン、第二位はグレース・ケリー(写真)、そして第三位はイングリッド・バーグマンという結果になった。上位はすべて映画女優であるが、それ以外ではイギリスのダイアナ妃が第五位にくい込んでいる。私の第一位はグレース・ケリーである。あの気品のある美貌がたまらない。彼女が出演した数少ない映画のなかでは、ケリー・グラントと共演した「泥棒成金」が一番好きな映画で、ジェームス・スチュアートと共演した「裏窓」もよかった。21世紀の美女ランキングは100年後くらい発表になるかもしれないが、グレース・ケリーを超える絶世の美女は出てくるのだろうか。

私の会社では毎年、北海道の自然をテーマにしたオリジナルカレンダーを作っている。作ったカレンダーはグループ各社にも配布し、得意先などに使ってもらっているが、評判はまずまずである。先日、来年のカレンダー作成の打ち合わせを行ない、使用するカラー写真6枚を決めた。写真はプロカメラマンが撮ったものであるが、年々いい写真が増えてきているように思う。なぜ北海道の自然がテーマなのかというと、私のいる会社も含めグループ会社はほとんど全部「北海道出身」の会社だからである。

私の本音を言うと、自然をテーマにした写真よりも、人物、それも女性ヌードをテーマにした写真を使ってカレンダーを作りたい。私が入社したころ、某石油会社がヌードカレンダーを毎年作っていた。私も何度か貰ったことがあるが、男にとって女性ヌード写真は「なごみ」というよりは「元気が出る素」なのだ(そういえば、オードリー・ヘップバーンとかグレース・ケリーのヌード写真って見たことないな)。昨今、セクハラ(性的嫌がらせ)、セクハラと世の中がやかましくなり、週刊誌の女性ヌードグラビアを見ているだけでセクハラだと訴えられてしまう。ヌードカレンダーについても、人によっては不快感を示すものとして、セクハラの対象になってしまうのだ。なんとも窮屈な世の中だ。私は総務の仕事もしていて、役職員には研修などを通じて「セクハラは絶対いけません。パワハラも絶対いけません。」と啓蒙する立場にあるのであるが、正直言うと、そういうことはあまりやりたくない。総務失格といわれそうだが、人間としてすでに失格しているのでそう言われても構わない。

キターッ! 織田裕二と北川景子がキターッ! [映画]

IMG_0385.JPG「キターッ!」はお笑い芸人山本高広のものまねギャグであるが、そのものまねされている織田裕二主演のテレビドラマ「太陽と夏の教室」を観ている。織田裕二が好きで観ているのではなく、このところ月曜日はたまたま飲まないでおとなしく家に帰っている関係で、第一回の放送から続けて観ているのだ。彼の演技はオーバーアクションだと誰しも感じていると思う。踊る大捜査線の青島刑事もそうだったし、役者以外の部分では世界陸上のキャスターもそうだった。でもそのキャラクターがかえってウケて、最近ではお笑いのネタにもなっているのだ。

「太陽と夏の教室」は昔からある青春学園ドラマと同様、熱血青年教師がダメ生徒に人間の生き方のようなものを教えていくという話だ。「飛び出せ!青春」の村野武範、「われら青春!」の中村雅俊、もっと古くは青春学園ドラマの元祖「青春とは何だ」の夏木陽介(若い方はご存知ないかもしれませんね)、みんな正義感に溢れた青年教師だった。青春学園ドラマにはなぜか青年教師をひそかに慕うマドンナが必ず登場する。「飛び出せ!青春」の酒井和歌子、「われら青春!」の島田陽子といった具合だ。「太陽と夏の教室」では北川景子がマドンナ役を演じている(確かに可愛いけど少しインパクトに欠ける気もするが)。

織田裕二の演技力は別にして、どんなドラマでも一回分の放送のなかに一つか二つ、必ずいいセリフというものがあるものだ。何となく気恥しくなるセリフもあるが、たまに「なるほどいいこと言うな」と思うセリフもある。一昨日の第三回放送でこんな場面があった。血を流して負傷した男子生徒の傷口を織田裕二が手当てしようするが、真面目な北川景子が「あなたは医師の資格があるのですか」といって織田の行為を制止しようとする。それに対して織田は「誰もやりたくなくても、誰かがやらなければならない仕事があるんだ」といって「治療」を続行する。結局、差し迫った現場の臨場感に圧倒されて、北川も男子生徒の救出に協力することになる。

北川は、真面目で、ルール、原理原則を重んじる人間として象徴化されている。一方織田は、原理原則を承知していながらも、差し迫った目の前の問題を解決するためには、ときにはルールを無視することもある、そんな臨機応変な対応ができる人間として象徴化されている。踊る大捜査線の名ゼリフ「事件は現場で起きている」ではないが、織田は理屈よりも現場、現実重視の立場に立とうとしている。この織田の姿勢は、正しいと私は思う。原理原則だけで世の中はうまく回らない。そういうことは誰しも感じていることなのではないだろうか。

「誰もやりたくなくても、誰かがやらなければならない仕事があるんだ」。手垢のついた陳腐な言葉のようではあるが、なかなかいい言葉だと私は思う。人は目立つ仕事、みんなから褒められる仕事をしたいと思う。実に人情だと思う。でも、誰からも褒められないし、そもそも誰にも気付いてもらえない、けれども誰かがやらなければ世の中がうまく回って行かない仕事、そういうものが確かにあるような気がする。そう考えると、無駄な仕事というのは世の中には一つもないのかもしれない。

今日も暑かった。少しだけ喉のほうを潤して帰ろうと思い、中野駅北口の焼鳥屋「鳥雅」に寄った(写真)。この店のおススメは、白レバー焼と牛すじの煮込みである。多少高めの値段設定であるが、それなりのことはある。さて、明日は夕方5時過ぎの便で札幌に行く。札幌も最高気温が30度くらいあるらしい。残念ながら避暑にはなりそうもない。

浮気、ペニスと睾丸切られちゃいますよ。 [映画]

8.jpgまたまた弾けてしまった。釧路の夜に弾けてしまった。昨日、関係会社各社の定時株主総会があり、その打ち上げで訪れた料理店で時知らず(鮭)と行者ニンニク(アイヌネギ)という旬の海の幸、山の幸を食べてきた。時知らずとはこの時期北海道で獲れる若い鮭のことで、秋口に獲れる秋鮭に比べて身が柔らかくて甘い。塩焼きにして醤油を少しかけ、大根おろしと一緒に食べると美味しい。行者ニンニクは春先に獲れる山菜の一つで、ご想像の通りこれを食べると強烈なニンニク臭がする。デートの前に食べると恋人に嫌われる、そんなやっかいな食べ物であるが、これが実に美味い。醤油漬けにしたり、天ぷらにしたりして食べるが、昨日は天ぷらで頂いた。これを何本も食べると二次会のスナックでひんしゅくを買うと思い、2本だけにセーブした。

午後8時頃一次会が終了し、その後スナックを3軒ハシゴした。いわゆる「檀家回り」なのであるが、たまに釧路に来て馴染みのママさんやホステスさんがいるとほっとする。再会を祝して飲みまくり、へべれけになって最後の店を出たのが午前1時半。そうしたら焼肉をどうしても食べたいという若いお嬢さんがいて、仕方なく付き合うことにした。カルビ、トントロなど就寝直前に脂っこいものを食べるという、メタボには最悪のバターンになってしまった。というわけで、今日は二日酔い。

ところで、昨日集まった数人の関係会社社長の年齢を調べてみたら、一人を除き昭和22年から昭和25年生まれの、いわゆる「団塊の世代」であることがわかった。「団塊の世代」は戦後日本の高度経済成長を担ってきた世代とよくいわれるが、でもよく考えてみると、その彼らが活躍する戦後日本の基盤を作ったのは「団塊の世代」の親たちの世代だ。戦争を経験し、敗戦のどん底から立ち上がり、今の社会や経済の枠組みを作ってきたのは終戦当時すでに社会人として活躍していた「団塊の世代」の父親たちであった。だから、本当の苦労というのは実は彼らがしたのだと思う(「団塊の世代」が苦労をしていないとは言わないが)。昨日集まった社長さんたちの話をいろいろ聞いていると、「団塊の世代」はなんだかんだ言っても結構幸せな時代を生きてきた人達ではないだろうかというのが私の感想だ。

さて、タレントの杉本彩がまたまたエロスに挑戦する。阿部定事件をテーマにした映画「JOHNEN定の愛」に主演するのだ(写真)。阿部定事件とは昭和11年、女中の阿部定が痴情の末、東京尾久の待合で愛人石田吉蔵を性交中絞め殺し、その後石田のペニスと睾丸を切り落として逃走した事件である。男女の愛欲に関する事件としては昭和を代表するものといっていいだろう。この事件をもとにした映画がいくつか製作されているが、なかでも一番有名なのは大島渚監督の「愛のコリーダ」だろう。阿部定を松田英子、石田吉蔵を藤竜也が演じ、私は修正版で観て興奮というより少し恐怖を感じた記憶がある。当時この映画は猥褻として裁判になったが、結局無罪となり、今は嬉しいことにノーカット版を観ることができる。

「愛のコリーダ」裁判では当時大島監督が「猥褻、なぜ悪い」と発言した裁判として有名になった。大島監督の主張は、「チャタレー裁判」(伊藤整)「サド裁判」(澁澤龍彦)のように文学作品の芸術性という観点から作品の合法性を主張するのではなく(芸術性があるから猥褻性はないとする主張)、猥褻そのものの正当性を主張するという一歩踏み込んだ形の主張であった。さて、大島監督によると、阿部定事件のようなことは、男女の愛欲においては起こりうることだそうだ。男性のみなさん、あまり浮気をするとペニスと睾丸切られちゃうかもしれませんよ。

築地焼鳥屋、ホッビー(HOPPY)でハッピー(HAPPY)な気分。 [映画]

hoppy330_large.jpg部長クラスが半年に一回集まって営業報告などを行う会議が昨日あり、夕方、懇親会を築地の焼鳥屋で行った。いつも懇親会といえば寿司屋か居酒屋と相場が決まっているのだが、たまには嗜好を変えてみようと思い、焼鳥屋の2階を借り切ることにした。焼鳥が美味しかったこともあり、評判は上々だった。それに何よりも寿司屋なんかと比べると値段が安い。お腹一杯食べて、ぐでんぐでんに酔っぱらっても一人5千円以内で収まる。今後は当分焼鳥屋で一次会をすることにしよう。

さて、一次会は大いに盛り上がり午後8時前には終わった。私はホッビーをかなりのハイスピードで飲んだせいか、いつになく酔っていた。この安くてすぐ酔うことができ、かつ、カロリーが低い夢のようなアルコール飲料ホッピー、実は北海道にホッビーはあまりない。私も東京に来て初めて飲んだ。どうして北海道にホッビーが少ないのか知らないが、私も含め北海道出身者は飲みやすくて美味しいと思うので、北海道で本格的に売ればきっと人気が出るような気がする。ホッピーを飲んでハッピーな気分になったので、銀座までまた足を伸ばしてしまった。8丁目のバーでウィスキーをガブガブ飲み、結局昨日も午前様になってしまった。今週3回目のサルになったのである。

次は映画の話。靖国神社をテーマにした日中合作のドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を取り止める映画館が相次いでいる。上映を取り止めた理由は新聞などを読む限りでは、次のことのようだ。一つは、上映を中止するよう右翼団体から抗議された映画館があったこと。もう一つは、もし上映したら右翼団体に脅されたりするかもしれないと考えた映画館が多かったこと。つまり、映画館側が右翼団体の存在を恐れて上映を取り止めたということらしい。

このような状況に対して日本新聞協会が次のような声明を一昨日発表した。「公開が決まっていたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止という事態が生じたことは残念でならない。映画の内容をどう評価するかは個々人の問題であるが、その評価、判断の機会が奪われてしまうことは、表現・言論の自由を擁護する立場から看過できない。表現活動が萎縮(いしゅく)する社会にしてはならないと考える」(原文どおり)。

この声明文、ちょっと変だと思いませんか。「正義の味方」である新聞社らしい声明文だと思うが、この書き方だと、表現と言論の自由を犯したのはあたかも映画の中止を取り止めた映画館にあるようである。表現と言論の自由を守ることが新聞社、メディアの使命であるとするならば、彼らが主張すべきことは、映画館に上映を中止するよう実際に抗議をしたり、実際に抗議しないまでも映画館に恐怖心を与えたりして「靖国」の上映を妨害している右翼団体の言動を非難することなのではないのだろうか。弱い立場にある映画館に攻撃の矛先を向けるのは見当違いというものではないか。

新聞社もきっと右翼団体が怖いに違いない。もし右翼団体を攻撃するようなことを書いたり、声明文などを出したりしたら、彼らから執拗な嫌がらせを受けるかもしれないと考えたのかもしれない。もしそういうことなら、上のような「カッコいい」声明文なんてわざわざ出さなければいいのである。新聞社だって人間が経営しているのである。だから万能ではない。表現や言論に関する今回のような「事件」が起きたときは、表現や言論の自由を守ることを使命としているメディアとして「カッコいい」一言を世間に対して発信したい気持ちはわかるが、無理をすると上のようなヘンテコな声明文を出す羽目になってしまう。

「どうしようもないこと」「仕方ないこと」というのが世の中にはあるものだ。そのことをメディアに身を置く人間は知るべきだと思う。間違っても自分を万能の神だと思い込んではいけない。

健さん、居酒屋兆治には義理も人情もお節介もありますね。 [映画]

04j.jpg今日はお酒の話。山口瞳の小説に『居酒屋兆冶』というのがある。高倉健主演で映画されご存知の方も多いだろう。小さな居酒屋を舞台に織りなされる人間模様を描いた秀作だと思うが、酒好きの私は居酒屋を舞台にした映画がもっとあってもいいのではといつも思っている。

私にとって酒場、特に居酒屋というのは一人になれる数少ない場所のような気がする。健さんほど様にはならないが、私も一人居酒屋のカウンターに座って静かに熱燗を飲むことがよくある。好きな酒を飲んで、好きな肴を食べる。私にとってこんな至福のときはない。一人で飲むならバーもあるが、タバコを吸わない私はバーのような静かな空間ではなんとなく間が持たない。騒然とした居酒屋のなかでなら、私のことを気にする人は誰もいないから楽なのだ。

私は海外出張をよくするが、海外には日本の居酒屋のような酒場はほとんどないのではないかと思う(日本人駐在員向けに日本人が経営する酒場はたまにあるが)。日本の居酒屋は日本独特のものと考えていいのではないだろうか。では、居酒屋は日本人にとってどのような存在なのだろうか。ストレス発散の場、情報交換の場とかいろいろあるかもしれないが、私は、居酒屋はコミュニケーションの場だと考えている。酒は人の気持ちをほぐす作用がある。胸襟を開くという言葉があるが、ほろ酔い気分になってくると正直に、本音で話せるような感じになってくるものである。

酒が入らないと本音の話ができない、何と日本人はなさけないことかと指摘される方がいるかもしれない。確かにそういうことはあるかもしれないが、もともと日本人はしらふで相手に面と向かって本音の話をなかなか出来ない国民であるような気がする。普段思っていることを昼間なかなか言えないが、酒が入ると話すことが出来る、こういうことはあるのではないだろうか。少しウェットな感じがするが、そこが日本人のいいところでもあり、その手助けを居酒屋が果たしているのではないかと私は考えている。

もう一つ居酒屋の果たす役割で大切なことは、仲間、チームなどの連帯感を確認する場を提供することではないかと思う。居酒屋で飲み会が始まる時は「お疲れ様でした」といって取り敢えずビールで乾杯し、飲み会の締めには「それではこれからも頑張りましょう」といって再びジョッキやコップをぶつけ合って乾杯する。これらの行為はどう考えても連帯感の確認行為としかいいようがない。

先日、『若者はなぜ3年で辞めるのか』という本について書いたとき、あまり若者に独立、転職をけしかけることはよくないいと書いた。独立してもやっていれる能力を持つ一匹狼にはこのような居酒屋は必要ないのだろうと思う。そうではない大多数の一般社会人はチームという集団でビジネスを行っているから、どうしてもチームの連帯感を維持していかなければならない。一人でもチームの和を乱したり、単独行動を取ったりするとチームの成績に影響する。そうはいっても厳しい言葉でその人間を責めることは憚れる場合がある。そんなとき居酒屋がチーム融和のための場を提供しているわけだ。

日本人の強さはチームワークだと昔からよく言われる。私もそのとおりだと思う。そのチームワークをうまく機能させるための一翼を居酒屋が担っているのではないだろうか。そういえば、小津安二郎の映画を観るとよく笠智衆が仲間と小料理みたいところで酒を飲むシーンがある。あ互いの仕事の話も出るが、妻や子供などプライベートの話もよく出る。「あまえのところの娘さん、いくつになった。もうそろそろ嫁に行かないとなあ。ところで、いい男性がいるが一度会ってみないか」と、笠智衆の友人が彼に話すシーンが映画「秋刀魚の味」にある(セリフはうる覚えで正確ではないが)。なんとなくお節介でウェットな感じがして、嫌に思う方もいるかもしれないが、私はこういう義理も人情も浪花節もお節介もあるどろどろした居酒屋文化は日本の文化として是非残ってほしいと思っている。

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