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池田満寿夫、エロティシズムはイマジネーションです。 [芸術]

imgIkedaMasuoImage.jpg大学受験に失敗して、札幌の予備校に1年間私は通った。1979年のことだ、家の経済状況から二浪は絶対許されなかったので、私は自分なりに一生懸命勉強した。もちろん、浪人生に盆も正月もなかった。この年のお晦日のことは昨日の出来事のようによく覚えている。下宿の浪人生仲間がほとんど帰省するなか、私は年末年始も下宿にいた。12月31日の大晦日、夕方食事を済ませた後、下宿の近くにある銭湯に行った。午後8時を過ぎた頃だったと思う。銭湯は空いていた。なんとも寂しいお晦日だなと落ち込んでいたら、番台にある小さなテレビからジュディ・オングの「魅せられて」が流れてきた。どうもこの年のレコード大賞を獲ったらしい。華やかな衣装を纏った彼女は輝いていた。それに比べて今の自分はなんと惨めだろう。銭湯から雪道をとぼとぼ歩いて下宿に戻り、小さな机の蛍光灯を再びつけた。

前置きが長くなったが、ジュディ・オングがレコード大賞を受賞した「魅せられて」は、池田満寿夫原作の映画「エーゲ海に捧ぐ」のイメージソングだった。池田満寿夫はその2年前、原作の「エーゲ海に捧ぐ」で芥川賞を受賞していた。版画、絵画、陶芸、文学など幅広い分野で活躍し、若い頃から愛とエロスを過激に追求して女性の肉体を描いてきた池田満寿夫であるが、彼が最後に辿り着いたのはエロスとはほど遠い仏教の経典「般若心経」だった…. これが今日の「新日曜美術館」のテーマだった。

彼は「エロティシズムとは一種の想像力、イマジネーシェン」だという。先日、エロティシズムとは人間が死というものを意識するようになったときに初めて生まれたものであり、死を意識するようになったそのときから人間と他の動物は決定的に分岐したという話を書いた。「死の意識」とは「生の意識」のことでもあり、これは表裏一体のような関係にあると考えられよう。そうするとエロティシズムとは「生きること」そのもののであり、「生きること」とは彼の言葉を借りれば「想像力、イマジネーション」であるということになるのではないだろうか。

我々が最も知りたいこと、それは天才池田満寿夫が何故「般若心経」に辿り着いたかということだ。世の中のすべてのことは「無常」と教える仏教に、それまで愛とエロスをひたすら追求してきた芸術家がなぜ取りつかれたのか。実に興味深い疑問だ。彼は「般若心経を書いていると無心になれる。どんなことにも無心になる、これが仏教の教えで、いいところだ」と語っている。彼の「般若心経」の世界は陶芸作品を通して表現された。山梨県に自分の窯を作り、晩年は陶芸に没頭し死の直前まで作品作りは続けられた。陶芸で作られたある大きな仏塔を前に彼は、そこに「永続性」を感じると話していた。

私は番組を見ていて、池田満寿夫のエロティシズムの時代と般若心経の時代をそれぞれいくつかのキーワードで整理できるような気がした。それは、エロティシズムの時代=「動的」「即興性」「イマジネーション」、般若心経の時代=「静的」「永続性」「無心」ではないだろうか。そして、最大の疑問とされている、彼は何故エロティシズムから般若心経に行ったのか、その溝を埋めるものは何かということであるが、私は、それは取り立てて大袈裟な理由というものが彼にあったのではなく、60歳を前にして、一人の人間として自然に仏教に惹かれていったのではないかと思う。

作品は番組で紹介されていた1966年の「SPRING AND SPRINGS」。

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