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そうだ京都に、行こう。でも首都はやっばり東京ですよ。 [BOOKS]

IMGP0365.JPG宴席が続いたため、ブログの更新を3日間さぼってしまった。昨日は部店長会議がいうのが行われ、北海道からも支店長などが上京していたので、夜は総勢17名で懇親会を銀座で行った。会場は「紅虎餃子房」だったが、昨今の中国産食品に対する不信感のせいかどうかは知らないが、金曜日の夜にもかかわらず店内は空席が目立っていた。この店をご存知の方は多いと思うが、名物はなんといっても鉄鍋餃子である。注文したコース料理にももちろん含まれていたが、もう少し食べたいという声が多く、追加で注文した。

さて、「そうだ京都、行こう」というのはJR東海のコマーシャルコピーであるが、これに触発されたというわけではないが、来月下旬、紅葉を見に京都まで行ってくる。もちろんカメラも持っていく。京都は高校の修学旅行以来であるから、30年ぶりということになる。出発当日東京を早い時刻の便で立ち、日中は紅葉で有名ないくつかの寺院を巡り、夕方、大阪に入り宿泊する予定だ。

北海道と東京でしか生活したことのない私には、京都も大阪も同じように見える。それはちょうど、西洋人からみて日本人と他の東南アジアの民族の違いがよくわからないのと似ている。以前、京都出身の女性と話したときに、彼女の京都人としての誇り、そして反東京精神の激しさに驚いたことがある。文化人類学者の梅棹忠夫京大名誉教授が著した『京都の精神』を読むとこんなことが書いてある。梅棹さんをはじめ京都の方々は、いまでも首都は京都であるということを信じている。京都は旧都ではなく現に首都である。事実、今日まで、遷都令というのは出ていない。京都は永遠の都である、と。

歴史のない北海道に生まれ育った私には、常に日本の政治と文化の中心にあった京都という都市のこだわりのようなものはよくわからない。前出の梅棹さんは強烈に京都を愛する一人であるが、学者らしく、苦言を呈することも忘れてはいない。京都は過去の歴史的蓄積はいっぱいあるが、現代都市としてはダイナミズムに欠け、二流と言わざるを得ない。京都の都市としての生命力はもう衰えているのではないかとも指摘している。

それに比べる、大阪のバイタリティー、現実主義の迫力は力強い。大谷晃一さんの『大阪学』によると、最も大阪人中の大阪人が『夫婦善哉』で有名な作家・織田作之助なのだそうだ。ここでいう大阪的というのは反東京ということと同義で使われている。大阪人は特定の観念やイデオロギーを持たない。生きている人間の現実そのものを大事にする。東京と大きな違いがここにある。また、大阪は権威に従わない。日本中が東京の権威にひれ伏す中で、大阪だけは権威に従わない。京都も内心では反東京であるが、表に出さない。「東京がなんや」としりをまくるのは大阪人だけであり、その代表選手が織田作之助というのだ。

これを読むと、なんとなく京都と大阪の違いが垣間見えてくる感じがする。似て非なるもの、それが京都と大阪なのかもしれない。

さて、今日午後、酒浸りで体中に溜まった毒素を排出させるため、広尾にあるリンパドレナージュのマッサージ店に行ってきた。2時間半たっぷりと揉みほぐしてもらい身体が軽くなった感じでよかったのであるが、その後がいけなかった。マッサージの後は水をたくさん飲まなければいけないのであるが、私は水は水でもアルコールの入った水を高円寺ガード下の焼鳥屋でしこたま飲んでしまった。わかっちゃいるけど止められない、それが酒なのです。

高円寺にはフェチというか、マニアックというか、ニッチというか、細部に特化した店がたくさんある。その一つがガード下近くにある写真バーである。その写真バーをカメラで撮ってみた。

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