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買ってうれしい花いちもんめ、人身売買成立です。 [高円寺]

IMG_0620.JPG高円寺にお住まいの方ならご存知だと思うが、駅北口に定食屋、レコード店、古着屋、喫茶店などが軒を連ねるあづま通りと呼ばれる小さな商店街がある。以前私はこの商店街の早稲田通り側の角にあるマンションの6階に住んでいた。早稲田通りは都内でも有数の幹線道路で交通量が多く、一日中騒音に悩まされて数か月でそのマンションを出た。騒音問題さえなければ駅に近くて便利な場所だったので住み続けたかったが、夜も眠れない状態では余計な出費を我慢しても出るしかなかった。

このあづま通りで、今でも気に入っていることが一つある。それは、通りに常時懐かしい童謡、唱歌が流れていることである。「春よ来い」「夏は来ぬ」「ちいさい秋みつけた」「ベチカ」等々、四季折々の童謡、唱歌が季節感を与えてくれ、郷愁に誘われたりもする。出来ればずっと聴いていたいところだが、いつもせわしく早足で通りを駆け抜けている。

さて、童謡、唱歌の他にわらべ歌というジャンルがある。例えば、「花いちもんめ」「道りゃんせ」「あんたがたどこさ」などは童謡、唱歌ではなく普通、わらべ歌に分類される。どういう基準に基づいてそれぞれに分類されるのかよく知らないが、寺山修司が劇作家・別役実と対談したなかで次のような話を披露している。

小さい頃寺山は「花いちもんめ」をわらべ歌として歌っていた。そのことをある雑誌に書いたら、ある方から手紙をもらい、この歌は「人身売買」の歌であることを教えられる。花いちもんめとは、女郎の花代が一匁(いちもんめ)という意味なのだ、と。例えば、田舎の女の子が女郎として身を売られる。その女郎を買いたい、水揚げしたいと思い、田畑を売り払って出かけて行って「あの子がほしい」と言う。「あの子じゃわからん」「○○ちゃんがほしい」とやりとりがあり、最後は「買ってうれしい花いちもんめ」「負けてくやしい花いちもんめ」となる。負けてくやしいというのは値切られることだそうだ。

わらべ歌には農村の貧しさがあり、そのことを社会的に正面切って抗議することのできない農民などの被支配層はわらべ歌に偽装し、自分たちの恨みつらみを晴らしたのではないか、寺山はそう見ている。ところで童謡、唱歌、わらべ歌の違いであるが、寺山説はこうである。わらべ歌は農村とか田園の風景をバックボーンに持っていて、唱歌は学校の先生が「さあ、みなさん一緒にうたいましょう」という押しつけの歌、これらに対して童謡は、都会の、それも山の手のものだ。寺山説は面白いが、結局わかったようでよくわからない。唯一わかることは、寺山の都会に対するコンプレックスが童謡の定義に漂っていることである。

今日は札幌日帰り出張。雪まつりも見ないで夕方7時半過ぎ東京に戻る。慌ただしい。新宿で夕ごはんを食べ、一杯だけ飲みたくなり、先日新宿ゴールデン街(写真)で開店したあるママさんのバーに開店祝いも兼ねて寄ってみた。

ママによると、新宿ゴールデン街もめっきりお客さんがいなくなったらしい。不況のせいかもしれないと話していた。せっかく念願の店をオープンしたのにタイミングが悪い。

新宿ゴールデン街は、わらべ歌が似合う街かもしれない。

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