SSブログ

流れ流れて東京は、中途半端な根無し草。 [銀座]

IMG_0275.JPG学生時代によく五木寛之の小説やエッセイを好んで読んでいた。『蒼ざめた馬を見よ』『さらばモスクワ愚連隊』『青年は荒野をめざす』など、初期の小説は優れたエンターテイメント性があって躍動感に溢れていたが、いつしか五木氏は小説家から仏教の伝道師になってしまった。当時彼のエッセイを読んでいて初めて知った言葉があった。それは、デラシネというフランス語である。

五木氏は、自分はデラシネだと言っていた。デラシネとは、根無し草、転じて故郷や故国を何らかの事情で去り、帰れない人のことを指す。戦争などで祖国を追われ、帰ることの出来ない現実のデラシネは悲惨であるが、自嘲気味に自分のことをデラシネと表現することは文学的でなんとなく格好がいいものだ。

昨日、夏の高校野球は決勝戦を迎え、愛知県代表の中京大中京が新潟県代表の日大文理を接戦の末下し、優勝した。負けたとはいえ、この試合で見せた日大文理の9回二死からの猛攻は球史に残るものになるだろう。日大文理のこの驚異の粘りについてある新聞が今日「越後の誇り」と書いていた。「新潟の誇り」ではなく「越後の誇り」という表現に、熱い郷土愛がひしひしと感じられる。

私は生まれ育った北海道を離れ、花の都東京に来て今年で26年になる。釧路、札幌と北海道で生活した期間が23年だから、東京で生活している期間のほうがもう長くなってしまった。だからといって私は「江戸っ子」ではないし、かといって「道産子」と胸を張るのも気恥ずかしい。要するに、中途半端なのだ。あえて言うならば、単に北海道出身の東京生活者ということになるのかもしれない。

東京で生活しているからといって、西東京代表の日大三高を今回応援したのかといえばそうではなく、やはり、出身地である北北海道代表の旭川大高校を応援していた。そういう点でも私はデラシネになりきれず、やっぱり中途半端な生活者なのだという気がする。

さて、仕事上の懸案事項が今日ようやく片付き、一杯飲みたい気分だったので、部下を3人誘って築地の焼き鳥屋で飲み会をやった。その後彼らは帰ったが、私は一人銀座で出た。写真は銀座8丁目、ウォーター・フロントビル前の様子。新規オープンの店に向けて、同業者などから豪華な花が送られる。こういう風習は銀座に今も残っている。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

蝶々

名古屋は、このお祝い花。『盗んでOK』なんですよ^^v
最近、不景気で数も減りましたが、私は見かけると必ず、盗んでいました。
完全犯罪。やめられませんよ。
by 蝶々 (2009-08-26 16:38) 

karubi

東京でもそれはOKだという話を聞いたことがあります。
写真は実は一部で、実際はこれの3倍くらいのスタンド花が
立っていました。
華やかな街銀座には、景気がどうであろうと、このような
豪華さがあってほしいと思います。

karubi
by karubi (2009-08-27 06:56) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。