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家電量販店前、有楽町では逢いません。 [時事]

uemura-02.jpgバンクーバー五輪、上村選手はよくがんばった。私はテレビを観ながら上村選手に対し「とにかく転倒だけはしないでくれ」、そう祈っていた。上村選手がメダルに届くか否かは、最終滑走者であるワールドランキング1位のアメリカ選手の出来にかかっていた。思うに、中継を観ていたすべての日本人は心の中でこうつぶやいていたのではないか。「頼むから、転倒してくれ」。

口には決して出せないこの言葉。もしこのアメリカ選手が転倒していたら、上村選手は悲願のメダルを取っていただろう。上村選手はどんな気持ちでこのアメリカ選手の滑りを見ていたの知らないが、日本人のほとんどは「頼むから、転倒してくれ」、そう願っていたに違いない。スポーツ競技の場で、ライバル選手のミスを願う気持ちというのは不謹慎だと言う潔癖症の人がいるかもしれないが、そんなに人間というのはきれいな存在ではない。

さて、先日、玉置宏さんが亡くなられた。昭和33年、彼の司会で放送が開始された「ロッテ歌のアルバム」は19年間続く長寿番組となり、私もリアルタイムで毎週日曜日に放送を観ていた。この番組が始まる前年、つまり昭和32年の11月、ある有名歌謡曲が発売された。それは、フランク永井が歌った「有楽町で逢いましょう」だ。

この曲が発売される半年前、大阪に本社を置いていた「そごう」が有楽町に進出する。「有楽町で逢いましょう」というコピーは実は、当時のそごうデパートが考え出したものだった。玉置さんと仕事、プライベートで生前親交のあった阿久悠さんの『愛すべき名歌たち』によると、当時有楽町は「ラク町」と呼ばれ、戦後闇市の暗いイメージが残る場所だったが、デパートの進出とそれとタイアップするような形で発売された名曲「有楽町で逢いましょう」は、「ラク町」の暗いイメージを払拭したのだという(有楽町は戦後、米軍将校を相手にした街娼(パンパン)のメッカでもあったのだそうだ)。

ご存知のように上述の「そごう」は今から10年前に閉店し、今は「ビックカメラ」になっている。そして、この「ビックカメラ」から歩いてすぐのところにある西武百貨店有楽町店も、顧客のデパート離れや不景気の影響で、年内に閉店することが決まっている。噂によると、「ヤマダ電機」がこの西武跡地への進出を検討しているという。もしこれが実現すると、有楽町家電量販店戦争勃発ということになるが、「有楽町で逢いましょう」を合言葉に、デパートでの待ち合わせはムードがあるが、家電量販店での待ち合わせというのはなんとなく色気がないと思うのだが、如何だろうか。

昨夜はまたまた新宿ゴールデン街で飲み、いつものように午前様になった。最後の店でデジカメを忘れてきてしまい、昨日撮った写真があったのだが、今日は掲載できなくなってしまった。ということで、上村選手の写真を転載させていただきます。

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