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オレ、オレ、オレ、オレ、オレもコテコテ日本人。 [時事]

20100615-00000304-spn_wcup-socc-view-000.jpgサッカーのワールドカップで、日本は強豪カメルーンを破り初戦を飾った。私は昨夜も新宿で飲んでいて、試合の様子は今朝のテレビではじめて観た。試合開始前、日本選手は全員で肩を組みながら「君が代」を歌い、自らのファイティングスピリットを鼓舞していた。

「君が代」を聞くと厳粛な気持ちになったり、自分が日本人であることを再確認したりするものだ。この「君が代」は、法律で国歌と定められている。「国旗及び国歌に関する法律」があって、今から11年前の平成11年に制定された。その第1条に、国旗は、日章旗とする、第2条に、国歌は、君が代とする、とそれぞれ規定されている。この法律をめぐっては特に教育現場でいろいろ揉め事が起こっていて、なかには裁判まで発展しているものもある。

スポーツの大きな国際大会で「君が代」や「日章旗(日の丸)」を見て違和感を覚える日本人は少ないと思うが、なかには、あまりいい気持ちじゃないという人もいるのである。彼らが「君が代」や「日章旗」に反対する主な理由というものは、「君が代」「日章旗」は「ナショナリズム(民族主義)」に繋がりかねないとか、「君が代」は天皇を称える歌だからとかいったものであるが、こういう議論は如何なものかと思う。

さて、こう書くと暴論とまた言われるかもしれないが、ワールドカップとかオリンピックを見ていると、世界の国々は本当に上手く付き合っていけるのか、いつも疑問に思うのである。と言うより、ハッキリ言うと、上手く付き合っていくことは不可能なんじゃないか、そう思うのである。テレビ中継を観ていると、どの国のサポーターも、自国の選手に熱狂的声援を送りながら、一方で、敵国の選手がエラーをしたときには歓喜乱舞するという、人間のいやらしい本能というものがむき出しになる場面に何度も遭遇する。

ヒットラーは、1936年のベルリンオリンピックを民族の祭典、国威発揚の場と位置づけたとされ、このスタイルが今のオリンピックの原型になったとも言われる。民族の祭典、国威発揚という言葉がそのまま今のオリンピックに生きているとは思わないが、その精神、本質的な部分はいまだに生き残っていると思う。現代のオリンピックは、近代オリンピックの提案者であるクーベルタン伯爵の思惑とは異なる方向に進んでいるのかもしれないが、ただ、いくら国家、民族の枠を超えたスポーツの祭典をと美辞麗句を並べてみたところで、各国のナショナリズムが露骨にぶつかりあう場になってしまっているオリンピックやワールドカップでは、そのように理想を実現することは到底出来ないように私は思う。

いろいろあるが、日本には次のオランダ戦にも勝利してほしい。結局私も、コテコテの日本人なのであります。写真は、勝利を喜ぶ日本人サポーター。

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コメント 2

まさまさ

国対国の真剣勝負、それはそれでいいじゃないですか。それにしてもあのカメルーン戦の時に街で飲んでいる人がいるとは、すご過ぎです。すごすぎ晋作改め、高杉晋作。かるびさんに京福電鉄改め、敬服です。
by まさまさ (2010-06-16 11:20) 

karubi

まさまささん、コメントありがとうございます。
私は元来、熱心なサッカーをファンではないので、
どうしても酒の誘惑のほうに行ってしまいます。
なんでも先日の試合の瞬間最高視聴率は50%
と深夜にもかかわず驚異的な数字だったようで、
私は観なかったもう半分のほうに入っていたようです。
次のオランダ戦も土曜日夜の予定なので、
ひょっとしたらそのときもどこかのバーでヘベレケに
なっているかもしれません。

karubi
by karubi (2010-06-16 13:18) 

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