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あの世のみなさま、おひまなら来てね! [時事]

IMG_0119.JPG今朝の産経コラム「産経抄」に「えっ、本当?」というように話が出ていた。アメリカでの話であるが、心臓移植を受けた40代の女性が手術後、食べ物の好みが変わり、性格が男っぽくなった。心臓を提供したドナーの家族を探し出すと、バイク事故で脳死になった18歳の若者の嗜好と一致していることがわかった。いわゆる「記憶する心臓」の一例だそうだ。

このコラムはもちろん、改正臓器移植法下で初めて実施された臓器移植に関連したものであるが、「記憶する心臓」の話は私には衝撃だった。この話が一般的であるとすれば、脳死によって心臓を提供するドナーの性格、食べ物の嗜好などの情報が、移植される患者に「引き継がれる」ということになるわけだから、そうなると、例えば、私が脳死して誰かに心臓を提供すると、私の心臓を移植された患者さんは、その後は私と同じような性格に変わってしまう可能性があるということになる。

私は実は前々から、脳死になったら臓器を提供するつもりでいた。でもこのコラムを読んで、今一度考えてみたくなった。だって、心臓を貰っていただくのはいいが、その後患者さんが、私のような自堕落でいい加減な人間に変わってしまうことは、いかにも不幸なことだからだ。それにしても、繰り返しになるが、「記憶する心臓」というのは凄い話だ。

お盆なので、今日は、人間の死について続けて書いてみたい。ご存知のように、日本中で今、所在不明老人のことが話題になっている。この件について石原東京都知事が「死んだ人間の死を報告もせず、弔いもしない、日本人は一体どうなってしまったのか。」というような趣旨のコメントをしていたが、もっともなことだと思う。

さて、このブログで何度も書いているので、もう飽きたという人もいるかもしれないが、しつこくまた書かせてもらう。私は「あの世」「来世」というものを信じていない。その理由は実に単純で、「あの世」「この世」を見たことも、誰かに見せてもらったこともないからだ。さらに、私は「幽霊」「魂」というものも信じていない。その理由も、「あの世」「来世」を信じない理由と同じである。

だからといって私は、身内の人間が亡くなったら、きちんと役所に届出をするし、弔いも行う。これは、「あの世」「来世」「幽霊」「魂」を信じるとか、信じないとかいう問題ではなくて、一種の「社会的ルール」「社会的儀式」だからである。「人間が死んだのに弔いをしなければ、死んだ人が化けて出てくるかもしれない。だから、人間が死んだらきちんと弔いをしましょうね。」というのは、その内容が真実であるかどうかはあまり重要ではなくて、「そういうもの」として日本では古くから人の死に関するコンセンサスになっている、だからそうすることが社会人として求められているのである。

さっきまで、テレ東で「懐かしの昭和メロディ」を放送していて、それを観ながらこの記事を書いていた。3時間特番で、亡くなられた懐かしい歌手がたくさん出ていた。これもお盆の時期ならではのことか。

写真は、若かりし頃の五月みどりさん。本当にかわいい。番組ではヒット曲「おひまなら来てね」を歌っていた。

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まさまさ

今回は死生論ですか~。

私は、死ぬことは、天に帰ることと思っております。言い換えれば、今この世に生きているのは仮の姿で、仮の姿での行動、生活なのです。この世でいろいろなことを学び、感じ、幸福感をたくさん味わい、悲しい出来事に数多く涙を流した後、天国へ帰るのです。なんてことを思っています。(だから、死とは本当は悲しいことでないことかもしれません)

ですから、死とはまさに寝ているようなもの、ずっと眠りから目を覚まさない状態、そんな風に思っております。

ドナーですか~。ドナーってうまい具合に脳死状態にならないと臓器提供できないですよね?そして、できれば、臓器は若いピチピチのほうがいいですよね?中年のおじさんの臓器でもOKかしらん?
by まさまさ (2010-08-14 19:39) 

たかね

私は、死ぬことは、土に帰ることと思っております(奥田碩が経団連会長を退任するときに記者に老後は何を?と問われたときの応えが「土にかえるだけだ!」だった)。万有引力に少し逆らって、土から生まれ動きだし、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃと、形は違えど時には植物であったり動物であったり、でもいつかは土に帰り、また、時間が経てば、別の形で、意識することはないかもしれないけれど、生まれ変ることもあれば、土のままでいるかもしれない。

つい、生きている世界に、みんながいるような気がするから死ぬ間際に寂しい気持ちになるかもしれないけれど、誰もみな、先祖もみな、居る本来の場所に戻るだけだと思えば。。。

さて、独身ウィーク折返し。

昨日は、カラオケボックスに1年ぶりに行った。先月、お父様(何年か痴呆で入退院していた)を亡くされた以前の会社の同期、今度は母親の痴呆が悪化しだし、第二の介護人生に突入となりつつあり、励ましをかね、他の同期に声をかけて行った。

四十九日前だったが、同期の自宅前のレストランがシダックスだったので、わがままを聞いてそこにした。せっかく入ったのだからと4時間しゃべり倒した後、少し歌わしてもらった。やはり、浪曲(最近、トライしようかと考えていた)より、こっちの方がいい。浪曲界から歌謡界に転進した故村田英夫は先見の明がある。(えらい古い話)

今日は、昔の陽水のCDを家中探した。クローゼットの一番奥、子供の衣服ケースの裏側に発見した。それを夜聞いている。あの曲、あの曲を昨日思い出したが、曲名が出てこない。今日はそれがどんな曲だったかも忘れてしまったので、一から全部聞きなおそうと思う。

昼間は「趙紫陽 極秘回想録」を読みだした。鄧小平の庇護のもと、改革を実行した総書記だが、豊田章一郎のもとトヨタの国内シェア4割を復活させた奥田氏がだぶる。前者は天安門事件で失脚し、子供のおもちゃ箱の奥から子供用の京劇などのカセットテープに独白がRECされていたものだ。後者は「土にかえる」と言いながら、まだまだバリバリ働いている。逆風の中でも郵政の西川社長続投を公言したその気骨は実は好きだ。

おもちゃ箱の奥の陽水のCDと独白テープとでは歴史の重みに天と地の開きがあるのだが、死は天も地も同じかと思うと、今の生にやる気が沸いてきそうだ。頭が禿げたら、もっとギラギラしたジジイになろう、となぜか昨日思った。
by たかね (2010-08-14 22:05) 

karubi

まさまささん、こんばんは。
今日は、8月15日。
日本人には特別な想いがある日ですね。

人間の死って何なんだろう、死ぬとどうなるのだろう、
どんな人でもそういうことを一度か二度は考えてみた
経験があると思います。

あの世に行って、再びこの世に帰ってきた人はいない
わけですから、ある世のことは誰も知らないわけです。
いろいろな宗教があの世について語っていますが、
そのこと自体が、あの世のことは生きている人間の
想像物でしかないことを物語っています。

ですから、私は死のことについていろいろな考え方が
あるのは当然だと思いますし、自分の考え方を人に
押し付けるようなものでもないと思っています。

この時期、先祖のことに思いを馳せていると、人間の
死についてどうしても考えてしまいますね。
でも確実なことは、誰にも死は必ずやってくるという
ことですね。人間はいつ死ぬかわからないが、でも、
いつかは必ず死ぬ、このことだけは誰もが認める
ことですね。

karubi


by karubi (2010-08-15 21:52) 

karubi

たかねさん、こんばんは。
独身ウィーク、満喫されているみたいですね。

私は飲食店オープンのための準備が佳境に入ってきて、
昨日も午後から会社に行って、食器の選定作業などを
やってました。

夕方、会社がある上野から新宿に移動。カラ館で一人
カラオケをやってきました。10人くらい入る広い
部屋に通され、思う存分歌ってきました。

それからゴールデン街に行ったのですが、琥珀も含め、
私がよく行くお店はことごとくお盆休みで、ひょっとしたら
と思い、かんちゃんのお店に電話したらラッキーなこと
に営業しているとのこと。さっそく行って、ガバガバ飲み、
そしてガンガン歌い、結局月光を出たころは日付が変わって
いました。

趙紫陽は鄧小平の庇護のもと、改革を実行したとありますが、
鄧小平が可愛がったもう一人の政治家が、趙紫陽の前の
総書記である胡耀邦でした。真の改革派で、親日家としても
知られていました。彼がもう少しリーダーを続けられる度量が
中国にあったのなら、日中関係はもっと良好なものになって
いたと思います。

中国の政治権力闘争に関する本を読むと、日本の政治の世界
で起きている争いごとなんて、子どものままごとのように
見えてきますね。政治のことに限ると、残念ながら日本は
中国のしたたかさに永久的に勝てない、そう私は思います。

karubi
by karubi (2010-08-15 22:29) 

蝶々

karubiさん、残暑お見舞い申し上げます。

飲食店オープンに向けて、お休み返上で頑張っておられるのですね。
お体に気をつけて下さいね。

記憶する心臓のお話・・・すごく衝撃的でした。
以前、脳梗塞の手術を受けられた方が、看護婦さんのお尻ばかり触るので担当医が『開頭手術による性格変化』かと思ったそうです。
頭を開いても性格が変わったりするんですね。
その方は、もともとの性格だったそうで、なんら問題はなかったそうですが・・・臓器移植・・・たぶん私とは無縁なものですが、臓器をもらった人の気分て、どんなでしょうね。
by 蝶々 (2010-08-16 19:31) 

karubi

蝶々さん、こんにちは。
残暑厳しいですね。熱中症にはお気をつけください。

他人の心臓を移植されると、性格や嗜好が変わる、
なんとも不思議な感じがしますね。
結局、人間の心臓にはその人間の個性が宿っている、
そういうことなのでしょうけど、でもやっばり不思議です。

今年の4月、私の母も開頭手術をしたのですが、術前と
術後では、話し方が微妙に違うことに気付きました。
もっと言うと、術後には「別の母」が私の目の前に現れた
ような気がしました。

人間の内臓、臓器は、一旦皮膚に外側に晒されると、何かが
変化するのではないか、そんな推論ができそうです。

karubi

するのではないか、

by karubi (2010-08-17 08:13) 

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