こんなに辛いことばっかりあるのに、どうして毎日朝9時に会社に行くんだろうね [時事]
ブログの更新、またまたさぼってしまった。時間がないわけではないのだけれど、カッコよく言えば、何かに追われているような感じで、精神的に余裕がないのだ。何に追われているのかというと、それはもちろん、来月1日にオープンを控えた飲食店の準備作業に追われているのだ。
金曜日、注文していた食器、調理器具、その他もろもろの必要品が一斉に店舗に届き、終日、荷解きと食器などの洗浄作業に追われた。そのせいで、昨日の朝起きたとき、情けないことに、肩、手首、腕、腰、ふくらはぎなど、全身に痛みを覚え、まさに満身創痍といった感じだった。運動不足のツケがこんな場面で回ってきたのだ。
さて、今日も準備のために赤坂に行ったのだが、その前に、蟹サラダ用の食器がまだ揃っていなかったので、新宿高島屋に寄った。新宿駅東口を出て高島屋を目指しながらちんたら歩いていたら、私の後ろをしばらく歩いてきた30代と思われる二人組みの女性のうちの一人が「こんなに辛いことばっかりあるのに、どうして毎日朝9時に会社に行くんだろうね。」と私に聞こえるような声で喋るのが聞こえた。
どんな辛いことがこの女性にあるのかもちろんわからないけれど、プライベートも仕事も嫌なことばかり、上手く行っていない、そんな感じがなんとなく伝わってきた。
昨日テレビを観ていたら(番組名は忘れた。)、ユニクロ上海店のオープン準備で苦労する日本人店長の様子が放送されていた。正確な数字は忘れたが、オープンのために採用した約300名の社員のうち、オープン前におよそ2割の社員が退職してしまい、若い日本人店長が頭を抱えるという場面があった。社員の退職理由は、深夜まで勤務が続いてプライベートな時間が持てない、給料のいい他の会社を見つけたなどだったが、日本では多分、同じような事態は決して起きないように思う。なぜなら、日本人は「自分のため」よりも「会社のため」を優先する国民だからだ。
新宿でたまたま出会った女性の発言を聞き、また、ユニクロ上海店オープン前に平気で辞めていく中国人の姿を見て、「幸せ」について改めて考えさせられた。
「幸せ」に「働くこと」をからめらがら、私の考えを少し整理してみたい。まず、「働くこと」についてであるが、「人間はなぜ働かなければならないのか」という問いに対して、私は以前から、「人間はもともと、働くようになっている。特に理由はない。」と主張している。よく、ビジネスで成功した人たちが「何故働くのか」とか、「何のために働くのか」、そういう類の本を書いているが、そこにどんなにもっともらしい答えが書いてあっても、私の答えは実にシンプルで、繰り返しになるが、「人間はもともと、働くようになっている。特に理由はない。」、その一行で済む。
「私は仕事に生きています。」「私の趣味、生きがいは仕事です。」と話すビジネスマンがたまにいる。昔の日本映画に、出世はしなかったが、定年まで会社一筋、仕事一筋で真面目に働いてきた夫が退職してその日、家に帰ると、「長い間、お勤めご苦労様でした。」と言って妻がゆっくりと夫に瓶ビールを注ぎ長年の苦労を労うというシーンがある。「勤め上げる」という言葉があるが、少し前までの日本には、会社勤めで滅私奉公をしながら定年まで働くことを美徳とする考え方があった。
不満を持ちながらも、仕事に生きる、そういうことは決して悪いことではないと思う。何度も繰り返すが、人間はもともと働くことを宿命付けられているから(なかには、大金持ちの家などに生まれて、働かずに生きられる人間もいるにはいるが、それは一握りである。)、働かない人間よりも、嫌々ながらでも働く人間のほうに、私は好感を持つ。
新宿で出会った30代の女性も、会社に毎日午前9時に出勤することに疑問を持ちながらも、多分明日も、午前9時前には会社に行って「おはようございま~す」と元気に挨拶しているに違いない。では、果たして、嫌々ながら毎日出勤していることの女性は果たして「幸せ」なのだろうか。
ユニクロ上海店で退職した社員(仮に中国社員と呼ぶ。)は、新宿の30代女性(仮にAさんと呼ぶ。)とは対照的だ。Aさんは不満を持ちながらも、いろいろなことを総合的に判断して(「総合的」というのは本当に便利な言葉だ。)、結局は自分の利益を後回しにして、「会社のため」「世間体があるから」という理由で会社勤めを続けている。これに対して中国社員は、「会社のため」「世間体があるから」の優先度は極めて低く、彼らの最優先事項は「自分の幸せ」という点にあるに違いない。
中国社員の退社する理由の一つに、「給料のいい他の会社を見つけたから」というのがあったと書いたが、この理由で辞めた男性中国社員は、退職することを日本人店長に告げた正にその日に、新しい会社にすでに出勤していたのである。つまり、事前に何の相談もせずにいきなり退職を申し出て、その日のうちに別の会社に就職していたのだ。こんなことは、日本ではまず考えられない。「幸せ」と「働くこと」について、日本人と他の国民との間にはかなり大きな開きがある、そう考えざるを得ない。
結論であるが、多くの日本人は、自分にとって何が「幸せ」なのか、そういうことをあまりにも意識しないで暮らしているのではないだろうか。少しでもお金持ちになること、それが自分の「幸せ」だと漠然と考えている人が多いのかもしれない。でも、その目標に向かって黙々と具体的に努力し目標を実現できる人は、ほとんどいないと思っていい。だから、そもそもお金持ちになれないのなら(ほとんどの人はお金持ちになれない、厳しい現実があることを認識すべきだと思うが。)、これも以前から書いていることだが、我々が見つけるべき「幸せ」は「一人遊びを見つけること」「安く済む自分なりの楽しみを見つけること」だと思う。日本人に、「あなたの一人遊びは何ですか?」「あなたの安く済むあなたの楽しみは何ですか?」と聞くと、ほとんどの人は多分、答えられないのではないかと思う。
勘であるが、日本人以外の国民は、「一人遊び」「安く済む自分なりの楽しみ」といった「幸せ」探しがとても上手なような気がする。「本を読むこと」「料理をすること」「ガーデニングをすること」「家族を愛すること」、そういった日常的な自分の楽しみのうちに小さな「幸せ」を見出すテクニックに長けているような感じがするのだ。これに対し日本人は、「幸せ」をあまりにも「働くこと(言い換えれば、「お金」かもしれないが。)」のなかに見出そうとするから、冒頭のAさんのように、「こんなに辛いことばっかりあるのに、どうして毎日朝9時に会社に行くんだろうね。」といった言葉が出るようになってしまうのではないだろうか。
長々ととりとめのない文章になってしまったが、久々の更新ということで、ご勘弁願いたい。写真は今日の新宿の様子。
金曜日、注文していた食器、調理器具、その他もろもろの必要品が一斉に店舗に届き、終日、荷解きと食器などの洗浄作業に追われた。そのせいで、昨日の朝起きたとき、情けないことに、肩、手首、腕、腰、ふくらはぎなど、全身に痛みを覚え、まさに満身創痍といった感じだった。運動不足のツケがこんな場面で回ってきたのだ。
さて、今日も準備のために赤坂に行ったのだが、その前に、蟹サラダ用の食器がまだ揃っていなかったので、新宿高島屋に寄った。新宿駅東口を出て高島屋を目指しながらちんたら歩いていたら、私の後ろをしばらく歩いてきた30代と思われる二人組みの女性のうちの一人が「こんなに辛いことばっかりあるのに、どうして毎日朝9時に会社に行くんだろうね。」と私に聞こえるような声で喋るのが聞こえた。
どんな辛いことがこの女性にあるのかもちろんわからないけれど、プライベートも仕事も嫌なことばかり、上手く行っていない、そんな感じがなんとなく伝わってきた。
昨日テレビを観ていたら(番組名は忘れた。)、ユニクロ上海店のオープン準備で苦労する日本人店長の様子が放送されていた。正確な数字は忘れたが、オープンのために採用した約300名の社員のうち、オープン前におよそ2割の社員が退職してしまい、若い日本人店長が頭を抱えるという場面があった。社員の退職理由は、深夜まで勤務が続いてプライベートな時間が持てない、給料のいい他の会社を見つけたなどだったが、日本では多分、同じような事態は決して起きないように思う。なぜなら、日本人は「自分のため」よりも「会社のため」を優先する国民だからだ。
新宿でたまたま出会った女性の発言を聞き、また、ユニクロ上海店オープン前に平気で辞めていく中国人の姿を見て、「幸せ」について改めて考えさせられた。
「幸せ」に「働くこと」をからめらがら、私の考えを少し整理してみたい。まず、「働くこと」についてであるが、「人間はなぜ働かなければならないのか」という問いに対して、私は以前から、「人間はもともと、働くようになっている。特に理由はない。」と主張している。よく、ビジネスで成功した人たちが「何故働くのか」とか、「何のために働くのか」、そういう類の本を書いているが、そこにどんなにもっともらしい答えが書いてあっても、私の答えは実にシンプルで、繰り返しになるが、「人間はもともと、働くようになっている。特に理由はない。」、その一行で済む。
「私は仕事に生きています。」「私の趣味、生きがいは仕事です。」と話すビジネスマンがたまにいる。昔の日本映画に、出世はしなかったが、定年まで会社一筋、仕事一筋で真面目に働いてきた夫が退職してその日、家に帰ると、「長い間、お勤めご苦労様でした。」と言って妻がゆっくりと夫に瓶ビールを注ぎ長年の苦労を労うというシーンがある。「勤め上げる」という言葉があるが、少し前までの日本には、会社勤めで滅私奉公をしながら定年まで働くことを美徳とする考え方があった。
不満を持ちながらも、仕事に生きる、そういうことは決して悪いことではないと思う。何度も繰り返すが、人間はもともと働くことを宿命付けられているから(なかには、大金持ちの家などに生まれて、働かずに生きられる人間もいるにはいるが、それは一握りである。)、働かない人間よりも、嫌々ながらでも働く人間のほうに、私は好感を持つ。
新宿で出会った30代の女性も、会社に毎日午前9時に出勤することに疑問を持ちながらも、多分明日も、午前9時前には会社に行って「おはようございま~す」と元気に挨拶しているに違いない。では、果たして、嫌々ながら毎日出勤していることの女性は果たして「幸せ」なのだろうか。
ユニクロ上海店で退職した社員(仮に中国社員と呼ぶ。)は、新宿の30代女性(仮にAさんと呼ぶ。)とは対照的だ。Aさんは不満を持ちながらも、いろいろなことを総合的に判断して(「総合的」というのは本当に便利な言葉だ。)、結局は自分の利益を後回しにして、「会社のため」「世間体があるから」という理由で会社勤めを続けている。これに対して中国社員は、「会社のため」「世間体があるから」の優先度は極めて低く、彼らの最優先事項は「自分の幸せ」という点にあるに違いない。
中国社員の退社する理由の一つに、「給料のいい他の会社を見つけたから」というのがあったと書いたが、この理由で辞めた男性中国社員は、退職することを日本人店長に告げた正にその日に、新しい会社にすでに出勤していたのである。つまり、事前に何の相談もせずにいきなり退職を申し出て、その日のうちに別の会社に就職していたのだ。こんなことは、日本ではまず考えられない。「幸せ」と「働くこと」について、日本人と他の国民との間にはかなり大きな開きがある、そう考えざるを得ない。
結論であるが、多くの日本人は、自分にとって何が「幸せ」なのか、そういうことをあまりにも意識しないで暮らしているのではないだろうか。少しでもお金持ちになること、それが自分の「幸せ」だと漠然と考えている人が多いのかもしれない。でも、その目標に向かって黙々と具体的に努力し目標を実現できる人は、ほとんどいないと思っていい。だから、そもそもお金持ちになれないのなら(ほとんどの人はお金持ちになれない、厳しい現実があることを認識すべきだと思うが。)、これも以前から書いていることだが、我々が見つけるべき「幸せ」は「一人遊びを見つけること」「安く済む自分なりの楽しみを見つけること」だと思う。日本人に、「あなたの一人遊びは何ですか?」「あなたの安く済むあなたの楽しみは何ですか?」と聞くと、ほとんどの人は多分、答えられないのではないかと思う。
勘であるが、日本人以外の国民は、「一人遊び」「安く済む自分なりの楽しみ」といった「幸せ」探しがとても上手なような気がする。「本を読むこと」「料理をすること」「ガーデニングをすること」「家族を愛すること」、そういった日常的な自分の楽しみのうちに小さな「幸せ」を見出すテクニックに長けているような感じがするのだ。これに対し日本人は、「幸せ」をあまりにも「働くこと(言い換えれば、「お金」かもしれないが。)」のなかに見出そうとするから、冒頭のAさんのように、「こんなに辛いことばっかりあるのに、どうして毎日朝9時に会社に行くんだろうね。」といった言葉が出るようになってしまうのではないだろうか。
長々ととりとめのない文章になってしまったが、久々の更新ということで、ご勘弁願いたい。写真は今日の新宿の様子。
2010-10-03 21:09
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コメント(3)
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かるびさん、おはようございます。
>「人間はもともと、働くようになっている。特に理由はない。」、
この言葉に、私も強く同意します。
追加があるとすれば、働くことによって何かの役にたっていることを感じることが、ひいては幸せ感、満足感につながっていくのでは?と思っています。
11月1日、楽しみにしていますです、はい。
by まさまさ (2010-10-04 09:34)
その昔、私めも出勤拒否状態近しの状態がありましたが、会社に行く行かないということを考える前に、とりあえず、朝ぼーっとしている間に会社に行ってしまうことが意外と大事なことでは?と思ったりもしました。
by まさまさ (2010-10-04 09:37)
まさまささん、おはようござます。
返事遅れまして、すみません。
働くことで何かの役に立っていることを感じることが
幸せということですが、私なんか、世の中の何の役にも
立っていないような気がします。
さて、昨日も終日開店準備に追われてましたが、美味しい
料理をお出しできると思いますので、ご期待ください。
karubi
by karubi (2010-10-06 08:08)