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子供の好きなもの、「楽天(?)、朝青龍、マクドナルド」? [新宿]

IMG_0339.JPG昭和を代表する大横綱である元大鵬の納谷幸喜さんが今年の文化功労者に選ばれた。納谷さんは戦後樺太から引き揚げ、北海道弟子屈(てしかが)にある川湯温泉で育った。釧路で生まれ育った私は小さい頃、正月になると家族でよく川湯温泉に出かけたものだった。大鵬がライバル柏戸とともに「鵬柏時代」を築いた頃、子供の好きなものは「巨人、大鵬、卵焼き」と言われた。今ならさしずめ「楽天(?)、朝青龍、マクドナルド」といったところだろうか。

先日、釧路出身の作家、原田康子さんが亡くなられた際に、「サビタの記憶」という作品を私は好きだということを書いたが、感受性に富んだ病弱な女学生が大人の男性と淡い恋に落ちたのが何を隠そう、この川湯温泉だった。作品では確かK温泉と記述されていたと思うが、これは川湯温泉のことである。ちなみに、サビタとは、どことなく物悲しさを感じさせるような白い花を咲かせる花のことである。

その川湯温泉の東方向のそう遠くないところに、別海(べつかい)という大酪農地帯がある。生乳の生産量が全国屈指であることから、有名乳業会社の工場が進出している。中学時代までをこの別海で過ごし、現在34歳になって都内で生活している女に今、世間の注目が集まっている。

結婚詐欺容疑で逮捕されたこの女の知人男性が少なくとも4名、不審死していて、さらに死亡者は増える可能性があり、この事件は大きな展開を見せることにもなりそうだ。それにしても男というのはずいぶん簡単に女性に騙されるものだと思う。どのような甘言に釣られて百万円単位の金を女から詐取されたのか知らないけど、どうして女の本性を見抜けなかったのかなあ。「恋は盲目」という言葉もあるくらいだから、好きになったら彼女のことしか見えなくなってしまったのかもしれないけど、それにしてもねえ。月並みな言い方だけど、いい意味で男は場数を踏んでおかないと、世間のさまざまな敵にやられちゃうと思うね。

写真は今夜の新宿思い出横丁。一杯やろうと思って行ったのであるが、クリーニングに出していた背広とワイシャツを取りに行かなければならなかったことを急に思い出し、一滴も飲まないで泣く泣く帰ってきた。

一球入魂、メジャー、メジャーと騒ぐじゃないよ。 [新宿]

IMG_0338.JPG今月31日、札幌ドームで行われるプロ野球、日本シリーズ第一戦のチケットを申し込んだのであるが、残念ながら抽選で漏れ、チケットを入手することができなかった。想像するに、北海道のプロ野球ファンの大半は日ハムファンか巨人ファンであるから、チケット争奪戦は相当厳しいものだったに違いない。

さて、野球と言えば、花巻東高校の菊池投手が、日本のプロ野球界で活躍することが決まった。どのチームに入団するのかは今週開催されるドラフト会議で決まるが、日本のプロ野球かいきなりメジャーリーグかの選択で、菊池投手は相当悩んだらしい。本当の話なのかどうかは知らないが、ネット上では「菊池は生意気だ」という批判的な書き込みなされ、これも彼を苦しめる一因になったとも言われている。

いろいろな「大人」からのアドバイスがあって今回の結論に至ったのだろうと思うが、小さい頃からメジャーリーグに憧れていたというなら、初志貫徹させてやってもよかったのではないかと私は思う。ひょっとしたらボロボロに打ち込まれるかもしれないし、ひょっとしたらメジャーで通じるかもしれない。また、選手によって日本のプロ野球向き、メジャーリーグ向きというタイプというのもあるかもしれない。要するに、どんなこともやってみなければわからないということだ。

その一方で私は、どうしてメジャー、メジャーと騒ぐのかなという気持ちもある。一般的に、野球のレベルは、日本のプロ野球<メジャーリーグ、というイメージがいまだにあるからかもしれない。菊池投手も昨日の会見で、自分にはまだメジャーリーグで通じる力がないと発言していた。でも、本当にそうなのだろうかと私は思う。

日本は、野球の世界大会であるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で第一回大会、第二回大会を連覇した。第二回大会では、第一回大会の雪辱を期して臨んだアメリカを撃破し、決勝戦では宿敵韓国を破り連覇を果たした。このことは、現状、最も高いレベルの野球を行っているのはアメリカでもキューバでも韓国でもなく、実は日本であるということを厳然と示している。だから、メジャー、メジャーと騒ぎ立てるのはもう必要ないような気がする。

さて、今日は新宿お多幸で関東風のおでんを食べた(写真)。熱燗は2合とちょっと控え目。おでんが恋しい季節になってきた。ところで、コンビニの店頭でもおでんが販売されているが、このおでんが一番売れる時期は今頃なのだそうだ。なんとなくま真冬の食べ物のような気がするけど違うらしい。理由は、この時期は暑さが寒さに変わる季節の変わり目で、急に温かい食べ物を人間は欲するようになるからなのだそうだ。

昼時、コンビニのおでんを買っている人がいるが、おでんというのはどうも夜の食べ物のような気がして、私は昼食べる気になれない。

不景気の夜、ガバガバお酒を飲みます。 [新宿]

DSC_0177.JPG私は出張でよく北海道に行く。先週も釧路に二泊し、金曜日の夜には宴会があったのだが、「花の金曜日」だというのに繁華街に人出がない。一次会の居酒屋も席の半分以上は空いていた。午後9時前、行きつけのバーに河岸を変えたのであるが、店を出た午後11時半まで私以外に客はついに来なかった。そのせいかどうかわからないが、売上げを上げるために4人のホステスさんは私の酒をガバガバ飲み、ビールばかり注文する子もいる。ニューボトルも入り、お陰で勘定のほうはどんと高くなってしまった。

札幌のススキノに行ったときも同じようなことを感じたが、北海道は本当に景気が悪い。私はたまたま北海道のことしかしらないが、全国どこでも同じような状況になっているのではないだろうか。

今の経済はどうみてもデフレスパイラルに入り込んでいると思う。一本千円を大きく下回るジーンズが話題になっているが、これによっていくつかの有名ジーンズ専門会社の経営が揺らいでいるという記事が先日出ていた。ブランドジーンズはそう簡単に値下げすることは出来ないのだ。このような低価格競争を続けていくと、最後は最も体力のある会社だけが残り、あとの同業者はことごとく経営が苦しくなったり場合によっては倒産することになる。

そうなると、競争に敗れた多くの会社では社員の給料が下がる。給料が下がると当然、それまで以上にモノを買わなくなり、結果、景気はさらに悪化する。これがデフレスパイラルの構造であるが、今の経済はどうもこのデフレスパイラルに入っているような気がしてならないのである。

国民生活第一で何とか手当を出したり、高速道路を無料化するのもいいかもしれないが、すべての国民に平等で、かつ、景気浮揚を期待できるのはやはり法人税、所得税の大幅な減税しかなのではないかと思う。これによって一時的に税収が落ち込むかもしれないが、景気回復後の増税によって取り返すチャンスもあるわけだから、長い目で見れば、国の財政に負担を与えるものではないと思う。いずれにせよ、減税によって国民の可処分所得を増やすことでしか、抜本的に景気を浮揚される手立てはないような気がする。格好よく外遊するのもいいが、首相にはもっと国内経済の深刻な「現場」を知ってもらいたいと思う。

季節が明らかに変わろうとしている。私も今日はブルゾンを着て新宿に出かけた。写真はJR新宿駅の西口付近であるが、ご覧のとおり、道行く人たちはセーターやコートを着込んでいる。今週金曜日から札幌に行くことになっているが、いよいよコートが必要になるかもしれない。

七色の虹が消えてしまった、ラブユー東京。 [新宿]

IMG_0336.JPGムード歌謡というジャンルがある。銀座や赤坂のクラブなどでは依然として人気の高い。ムード歌謡の代表的なグループには、内山田洋とクール・ファイブ(「長崎は今日も雨だった」他)、鶴岡雅義と東京ロマンチカ(「小樽のひとよ」他)、黒沢明とロス・プリモス(「ラブユー東京」他)、敏いとうとハッピー&ブルー(「星降る街角」他)、ロス・インディオス(「コモエスタ赤坂」他)などがある。

ムード歌謡は総じて素人でも歌いやすい曲が多いので、私もよくカラオケで歌う。なかでも黒沢明とロス・プリモスの「ラブユー東京」「たそがれの銀座」は私の十八番だ。とりわけ「ラブユー東京」はお気に入りの曲で、小学生のときからEPレコードを聴いていた(なんともオヤジ臭い小学生だったのだ)。

その黒沢明とロス・プリモスのメインボーカルを務めていた森聖二さんが一昨日、心不全で亡くなられた。70歳だった。ご冥福をお祈りしたい。

さて、日曜日に行われたゴルフの日本オープンで、プロ9年目の小田選手が石川遼選手などとのプレーオフを制し優勝した。ツアー初優勝だった。この試合で、勝つときはこんなものかなという珍事が8番ホールで起こった。

小田選手の打った第一打は大きく左にそれ、ボールはギャラリーのなかに。ところが、ボールはギャラリーの一人に当たりフェアーウエーの中央に戻ってきた。結局このホールをパディーで上がった小田選手だったが、あわやOBになるボールが当たったのは、なんと小田選手の奥さん。彼女はなかなか勝てない小田選手を励まし、彼の出場する試合はすべてギャラリーとして見守ってきたという。

この珍事はどう考えても、神様が仕掛けたハプニングとしか言いようがない。お涙頂戴話は好きなほうではないが、今回の小田選手の優勝はよかったなと素直に思う。そういえば、優勝を逃した石川選手は6番のバンカーショットのとき、携帯電話の「カシャッ」という撮影音でその後リズムを崩したという。このことも考え合わせると、今回の日本オープンは小田選手を優勝させることを、神様は最初から決めていたのではないかと思えて仕方ない。

話は変わるが、蝶々さんの新宿ゴールデン街での展覧会が好評のうちに無事終了した。会場となった原子心母(写真)では毎日ドラマが繰り広げられた。嵐のように過ぎた4日間。蝶々さんは必ずまた新宿に上陸すると思います。乞うご期待。

めくら花、in 新宿ゴールデン街。 [新宿]

IMG_0330.JPGブログ仲間で、名古屋在住の日本画家、蝶々さんの作品が今日から16日まで、新宿ゴールデン街花園三番街にあるバー「原子心母」2階ギャラリーで展示されています(写真)。作品名は「めくら花」。静謐(せいひつ)なエロティシズムとバランスの取れた構図は、パリのサロンで実力を認められた蝶々さんの面目躍如と言えます。お時間のある方は是非一度、新宿ゴールデン街まで足を運んでください。


酔っ払って少し前に家に戻ったので、本日は以上です。

アジアは一つ、幻想かもしれませんよ。 [新宿]

DSC_0171.JPGこの三連休、奇跡的に酒を一滴も飲まなかった。なにもそう自慢げに話すことはないのだが、私にとっては兎に角レアな出来事なのである。

さて、鳩山政権が発足して1か月が経ったが、しばらくは黙って見ていようと思っていた私であるが、言いたいことがいくつも出てきたので、今日はそのなかから一つ書いてみたい。あまり面白くない話になるかもしれないけど、少しお付き合いください。

私が書きたいのは「東アジア共同体構想」について。鳩山首相と中国の温首相、韓国の李大統領は一昨日北京で会談し、3首脳は、鳩山首相が提唱する「東アジア共同構想」の実現化協力を確認した。そもそも「東アジア共同体構想」とは何かというと、民主党のマニフェストによれば「アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立し、東アジア共同体の構築を目指します」ということらしい。

これだけ見ると何となく素晴らしい政策のように思うが、具体的に何を目指すのかこれではさっぱりわからない。アジアは一つだから、手に手を取り合って一緒にやっていきましょうということなのかもしれないが、この手の「綺麗事」はまず実現しないと考えたほうがいい。「世界に平和を」と叫ぶことだけで世界に平和は決して訪れないのと同じ構図である。

アジアは一つのように見えるが、そうではない。これは文化勲章受賞者である文化人類学者・梅棹忠夫さんが名著『文明の生態史観』で行った重要な指摘だった。「「おたがいアジア人だから」というようなことばが、いったいどれほどの内容をもちうるのか、たいへん疑問だとおもう。感覚的、あるいは観念的な意味においてのみ、アジアは同質なのであって、論理的、あるいは実質的な意味においては、けっして同質であるとはいえない。日本は、とくにそうである。」。

「日本は、とくにそうである。」とあるが、梅棹さんによれば、日本は世界的にも独自の文明、文化を持っている国だという。世界中の人に聞いたわけではないから正確なことはもちろん言えないが、「日本は不思議な国」「日本人は特異な民族」、世界にはきっとそう映っているに違いない。日中韓のことに限定すれば、何人かの専門家がそのことを明確に述べている。例えば、中国四川省に生まれ、一昨年日本に帰化した評論家の石平(せきへい)氏、韓国系三世として中国瀋陽市に生まれ、日中韓の文化を研究している金文学氏などの著作を読むと、日本文化の特異性(嬉しいことに、総じて彼らは日本、日本人に好意的である)、日中韓は残念ながら実質的な部分で相容れないことがよくわかる。

私は、日本は中国、韓国そして他のアジア諸国と仲良くすべきではないと言っているのではない。「おたがいアジア人だから」という安易な発想だけでは物事は何も変わらないし、場合によっては悪いことも起こるかもしれないと考えているのだ。梅棹さんは、岡倉天心の「アジアは一つ」以来、くりかえし言われ続けたアジアは一つという思想が、ヨーロッパ支配からの独立を謳い日本を中心とした共同体を作ろうとした戦前の「大東亜共栄圏」の思想的根拠になったのではないかと指摘し、アジアは一つという安易な思想がアジアにかつて不幸をもたらした原因ではないかと述べている。

アジアの国々はそれぞれ異質のものを持っている。例えば中国のことについて言えば、私もこれまで仕事で北京、上海、大連など中国に30回以上行き、そのことを痛感した。大切なことは、お互い異質であることを認め合うことからスタートすることだと思うが、残念ながら異質であることを認めるだけでは何も変わらない。では、どうすればよいのか。正直なところ、無責任のようだが私にもわからない。

さて、鳩山首相は沖縄の普天間基地移設問題に関して先日、「時間とともにマニェストは変わる可能性がある」と明からな「失言」をしてしまった。本音が出たというか、ボロが出たというか、ブレはじめたというか、「それを言っちゃお終いよ」と言いたくなる発言であるが、いくら理想を掲げても現実というのは実に厳しい、そのことを民主党はひしひしと今感じ始めているに違いない。

写真は今夜の新大久保駅付近コリアンタウン。

六尺フンドシを着用する女性、くい込みます。 [新宿]

aya-sugimoto-00237070.jpg土曜日はいつもどこかで飲むのだが、日曜日に朝早くから会社で会議が行われることになり、一昨日の土曜日は酒を一滴も飲まずに久しぶりの休肝日となった。その反動が昨日の夜出てしまった。仕事を終え新宿ゴールデン街で午後9時過ぎから飲み始めたのであるが、完全に勢いがついてしまい、飲んで飲んで飲みまくった結果、家に戻ったのは今朝の5時になってしまった。

何もそこまで飲まなくてもという声が聞こえてきそうだが、植木等ではないがわかっちゃいるけど止められないのが酒というものである。よく、飲む、打つ、買うと言われるが、私は博打と女性のほうはあまりやらないので(?)、飲むのだけは一生懸命なのかもしれない。そういえば、若い頃酒を飲み過ぎて身体を壊してしまい、55歳を過ぎた頃から酒を一滴も飲めなくなった人が私の会社にいる。私は、彼のようにだけはなりたくないと思っていつも彼を見ている。

さて、次はSMの話。SMという言葉が一般使われるようになったのは昭和20年代の後半からと言われるが、それより以前の昭和22年に、日本初となるSM総合雑誌「奇譚クラブ」が創刊された。この「奇譚クラブ」の誕生から昭和50年の廃刊までの様子をSM業界に長年かかわってきた濡木痴夢男さんが『「奇譚クラブ」とその周辺』という本で詳しく書いていて、これがなかなか面白い。

この本を読んで私が知ったことは、人間には性に関する果てしのない妄想力、空想力、欲情欲があるということだ。フンドシを愛し、いつも六尺フンドシを着用する女性、ウエストを縄でぎりぎりまで細く締め付けられた女体を愛する男性、女性器を嫌い、性交をせずに女性にフェラチオだけをさせる男性、縄で縛られることだけが男女の性行為だと信じ、誰とでも性交してしまう人妻など、一般的には変態、アブノーマル、マニアック、フェチと映るものを、この雑誌は文章、絵、写真など使用して紹介してきた。

人の趣味や嗜好は誰にも説明できない、そういう意味の諺が英語にあるが、性に関する趣味、嗜好については、この諺がピッタリくる。誰にも、人にはあまり言えないような性癖のようなものが必ずあるに違いない。だからといってそれは決してアブノーマルでも変態的なことでもないと私は思う。さらに言えば、人に言えないような性癖が一つや二つあるほうが人間的で私は好きだ。ところで、「奇譚クラブ」は後年、青少年の健全な成長によくない影響を与える「悪書」として当局から目をつけられたらしいが、濡木さんも書いているが、世の中に良書も悪書もない、私もそう思うし、他人の自由な考え方におせっかいをしないというのが民主主義の大原則だとという意見にも私は賛成したい。

写真は杉本彩。SM映画「花と蛇」で主演した(写真は映画とは無関係です)。

新宿ゴールデン街、こんな夜に発射できないなんて、ビンビン(?) [新宿]

IMG_0298.JPG鳩山政権が昨日、スタートした。総理大臣に指名された後に行った記者会見で鳩山総理は「国民の皆様」という言葉を15回使い、国民主権の政治を行うことを印象付けた。また、政治家主導の政治を実現するため、脱官僚依存体質についても言及した。でも、記者会見を聞いていて一番気になったのが、国民に求めた「寛容」と「忍耐」だった。

これまで、マニフェストの完全実施を目指すと強気の発言をしていた鳩山総理であるが、昨日は一転、「試行錯誤のなかで失敗もあるかもしれない」「「未知との遭遇で経験のない世界に飛び込む」など、弱気な一面を見せた。以前にも私は書いたが、マニフェストの完全実施なんて常識的にありえないのだから、選挙のときに「できないものもあるかもしれない」くらいのことは言うべきだったのである。

「国民の皆様」は鳩山総理が考えるほど寛容ではないし、忍耐にいたっては無いに等しい。マニフェストの一つでも実現できなければ、「話が違う」として国民は逆上するに違いない。そのときマスコミも民主党政権を容赦なく攻撃するだろう。そういうことが良いか悪いかは別にして、現実というのはそういうものなのだ。

鳩山政権にはがんばってもらいたい気持ちもあるが、あまりにも「格好良すぎる」のだ。私はどんな場面でも、この「格好良すぎる」というのがどうも生理的に嫌なのだ。「格好良すぎる」ところには必ず致命的な「嘘」が隠れているような気がするからだ。

ところで、一昨日の夕刊フジ。姓名判断の専門家によると、鳩山総理の人間関係に関する画数は26画凶で「だまされやすい」、総合結果も「独善的で自滅する」34画凶で、これは自民党の福田元総理、麻生前総理と同じらしく「短命政権になる不安がある」そうだ。占いだから当たるも八卦外れるも八卦だけど、なんとなく不吉な予感がしないでもない。

さて、今日は仕事を終えてから一人、新宿ゴールデン街で一杯やった。よく行くお店の常連さんとも顔見知りになり、お店でお会いするといつも馬鹿話で盛り上がる。今でこそ初めてお会いする方とでも物怖じせず話ができるが、小学生の頃までは人前に出ると緊張して挨拶一つできないシャイな少年だった。信じられないと思いますけど。それにしても今夜の下ネタ話、「こんな夜に発射できないなんて!」ビンビンという感じ(?)。

写真は今夜の歌舞伎町。今夜もネオンがビンビン輝いてるね。

九州男児、女性の手の平の上で踊っています。 [新宿]

015photo111.jpg昨夜は新宿ゴールデン街をハシゴしてまた午前様になってしまった。最初に行った店で面白い話を聞いた。たまたま昨日はその店に九州出身の女性三人と、男性一人がいて、九州男児に関する話で盛り上がった。彼らの話を一言で言うと、九州男児は一見勇ましく見えても、所詮、女性の手の平の上で踊っているだけだ、ということだった。それだけ九州の女性はしっかりしているということらしい。

男性とその彼女が、二人の共通の女性友達と話をしている。男性が彼女そっちのけで、その女性友達ととても楽しそうに話をする。男性の彼女は心の中で不愉快に思いながらも、その場はにこにこしながら話を合わせる。ところが、男性とその彼女が二人っきりになったとき彼女は「さっきのへらへらした態度はどういうこと!ふざけんじゃないわよ!」と男性を怒鳴りつける。すると男性は「すみませんでした。今後、気をつけます」と反省の弁を述べるという。

彼らによると、九州の人間は「メンツ」というものをとても大切にするらしい。上の話にあるように、「公の場」では男性の「メンツ」を立てる。しかしながら二人っきりになったとき、女性は男性に「ケジメ」をつけさせる。ちょっと怖い感じもするが、九州出身の女性はそうやるらしい。

この「メンツ」というのは「見栄を張る」という性質に転化することもあるという。福岡出身という男性によると、自分は、酒席などで女性にお金を払わせたことなんて一度もないと豪語していた。ワリカンなんて考えられないという。私はもともと、男性というのは女性に尽くすためにある存在だぐらいに考えているので、女性にお金を払わせないことをそう自慢しなくてもと聞いていたが、いずれにしろ、九州男児は「見栄っ張り」らしい。

その点、北海道出身の人間は「メンツ」「見栄」というものに九州出身の人ほどこだわりがないと思う。歴史が浅いというのがその最大の要因だと思うが、例えば、離婚率が長年全国第一位か第二位というのは、世間体をあまり気にしない北海道人の性格を象徴するデータであるような気がする。

楽しい話を聞かせてもらい酒のほうも進んできたので、九州出身の女性二人と一緒にもう一軒行った。カラオケのある店で、私は新宿ゴールデン街ではじめてカラオケをやった。さっそくいつもカラオケボックスで練習している中村雅俊の「恋人も濡れる街角」を歌おうと思ったら二人のうちの一人から「私、中村雅俊嫌いなの」とクレームが入り、それじゃ沢田研二はどうと聞いたらジュリーならいいというので、急遽「勝手にしやがれ」に変更した。なるほど、九州出身の女性ははっきりしている。

九州出身の芸能人、タレントは数え切れないほどいるが、エビちゃんことモデルの蛯原友里さん(写真)は東国原知事の宮崎県出身だそうだ。

君たちキウイ・パパイア・マンゴーは1個1万2千円だね [新宿]

IMG_0278.JPG性犯罪を裁く初めての裁判員裁判が昨日、青森地裁で行われた。被告は二人の女性に暴行をはたらいたという。裁判の冒頭、被害者のプライバシーを守るため、被害者の名前、住所などを述べないよう裁判長が異例の発言をした。これを受け、二人の被害者はAさん、Bさんとだけ呼ばれた。

裁判のことはよく知らないが、この報道を聞く限り、これまでの裁判では被害者は実名で呼ばれていたのだろう。性犯罪を受けた女性が、裁判をせずに泣き寝入りせざるを得なかった背景の一つがこの実名問題だったのかもしれない。ところが裁判員制度が始まり、「被害者のプライバシーを守るため」という目的で個人が特定できないように配慮された。ということは、これまでは「被害者のプライバシー」に配慮していなかった、あまのじゃくな私はそう理解した。

裁判員制度が始まり、裁判をよりわかりやすくするために、図表などが多用されるようになったことも指摘されている。プロの裁判官、検察官、弁護士だけの裁判では、わかりやすさは必要なかった、あまのじゃくな私は再びそう理解した。

裁判員制度は、裁判を国民に身近なものにする目的でスタートした。でも、裁判なんて身近なものでなくて結構だと思う。裁判は国民から遠いところにあり、なかなか近寄り難い存在であるからこそ、我々は多少の恐怖感を覚えながらも敬意を払うのであり、安易に国民に解放されてしまったら、裁判は安物になり権威を失墜してしまうのではないだろうか。また、司法に対する信頼を回復する、これも裁判員制度の目的として挙げられているが、信頼性を取り戻す努力をなすべきは司法関係者自身であり、日々生きることだけに精一杯な庶民を巻き込むのは勘弁してもらいたい。

さて、話は変わり、高級フルーツの話。得意先の社長さんが入院され今自宅で療養しているという情報が入り、当社の社長とも懇意にしていることから、お見舞いを手配することにした。秘書の女性に頼んで日本橋にある有名くだもの店に行ってもらったら、国産のマンゴー1個1万2千円、メロンが1個1万5千円のセットがあるという。先方はとてもハイソな方なので、ここは奮発してこのセットを注文することにした。それにしても、マンゴー1個1万2千円というのは恐れ入る。

今夜は部下二人を引き連れてその日本橋で一杯やった。カジュアルなイタリア料理店で、お腹一杯食べてお勘定は1万3千円。マンゴー1個とほぼ同じ値段である。モノの値段とは一体何なのだろう、そんなつまらないことをちょっと考えてみたくもなった。

私はそれから一人新宿で飲んだ(写真)。それにしても涼しい、いや少し寒いぐらいだ。このまま秋に突入してくれると私は助かるのだが。

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