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人生が二度あれば、予め運命は8割決まっています。 [高円寺]

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シチューのコマーシャルがテレビに流れ始めると、今年もあと少しだだなと思う。年を取ると一年が早く感じるとよくいわれるが、この間本屋に行ったら、年を取ると何故一年が早く感じるのか、というタイトルの本をたまたま見つけたが、まあどうでもいいやと思って買うのを止めた。

このところ、公私ともに、なかなか思うように事が運ばず、さすがの私も多少へこんでいる。愚痴は言わないほうだと思うが、私も生身の人間であるから、たまには弱音も吐きたくなる。48年間も生きていると、後悔することも多い。いや、後悔することばかりだ。あのときこうしておけばよかった、あのときこうするべきではなかったということがたくさんある。人生は一回切りと言うのはわかっているが、井上陽水の曲ではないが、もし「人生が二度あれば」、二回目の人生は一回目の人生よりも上手に送れるかもしれないと感じることもある。

評論家で哲学者でもある西尾幹二さんによれば、個人の生涯は、個人がこの世に生を受けたときに8割方決定されていて、個人が自由にできるのは残りの2割部分だけだそうだ。8割と2割という数字は統計的な根拠があるわけではなく、西尾さんの長い人生経験のなかから出てきた数字なのだろうと思う。運命、宿命という言葉があるが、人間の人生が生まれたときに8割方決定されているとすれば、我々人間は予め敷かれた運命とか、宿命とかいうレールの上を死という終着駅に向かって、ただひたすら走っているだけなのだろうか。

俳優の寺田農さんが去年、ある新聞でこんな話をされていた。「人生はしょせん、なるようにしかならない。でも、懸命にベストを尽くさないと、なるようにすらならない。たかが人生、死ぬまでの暇つぶし。でも、ありとあらゆる所に好奇心と興味を持って首を突っ込み、何事も一所懸命やらないと、人生の暇つぶしなんてできないのだから。」。さらに性格俳優である寺田さんらしい言葉が続く。「やりたいことを毎日やって、最期は『まあ、こんなもんかな』なんて言いながら死にたい。これが究極の夢だな。」。

西尾さんの真意も多分、寺田さんと同じところにあるのではないかと思う。8割は仕方ない、でも、後の2割はベストを尽くそう、そういうことを言いたいのではないだろうか。どんな人間にも辛くて人に言えないことや、人には話したくない秘密などが必ずいくつかはあるはずだ。そういうことを簡単に言えれば楽なのだが、現実にはなかなかそうならない。苦しいところは、ぐっと堪えて、2割の部分でベストを尽くす、それでもダメだったら仕方ない、それが自分の運命、そう考えるしかないのかもしれない。

昨日は無性にホルモンが食べたかったのだが、今日はテレビを見ていてハウスのシチューが食べたくなり、高円寺駅前にあるスーパーに買い出しに行ってきた(引っ越しして初めて台所を汚した)。そこであることを初めて知った。レジ袋が有料になっていたのだ。大きめのレジ袋は5円だった。エコかなんかしらないが、何となく不便な感じだ。

写真は、ハウスの北海道チャウダーのイメージキャラクター、坂下千里子。

サンシャイン、アリクイの脱走、「檻」にいるのは人間です。 [高円寺]

IMGP0330.JPG昨日の午後、あるお客さんが会社に来られ、いろいろ雑談をしていたら、その彼の家が横浜桜木町にあることがわかった。横浜のことを私はよく知らないのだが、彼の話によると、桜木町のあたりは子供を育てる環境としてはあまり好ましくない場所もあるのだが、野毛山動物園が近くにあることだけはちょっと自慢できると言っていた。子供と一緒に遊ぶ場所として、動物園というのは重宝な場所なのかもしれない。

動物園の話が出て、そういえば、しばらく動物園に行っていないことに気づいた。動物園といえば少し前までは上野動物園ということになっていたが、この頃は北海道の旭山動物園のほうが有名になってしまった。旭山動物園起死回生の物語は、マスコミが飽きるほど伝えているので改めて説明する必要がないと思うが、一言で言えば、動物の生態を自然に近い形で見せる工夫をしたことが復活の理由だったようだ。ホッキョクグマが来園者目掛けてダイナミックに飛び込んだり、ペンギンが園内をヨチヨチ散歩したり、動物の野生の部分を見せ、かつ、来園者との距離感を縮める工夫が、子供のみならず大人まで楽しませているに違いない。

私は実は、動物園があまり好きではない。親に、動物園に連れて行ってとねだった記憶もないし、彼女と一緒に動物園に行った経験もない(彼女がいた経験自体少ないが)。私が動物園に最後に行ったのは、10年くらい前にプライベートで訪れたシンガポールのシンガポール動物園だったと思う。ナイト・サファリといって、夕方、トラムと呼ばれる乗物に乗り、柵がないところに放たれているタイガー、ライオンなどを見学するのである。暗闇のなかで動物の光る目がこちらをキラッと睨むと、さすがに緊張したのを覚えている。

旭山動物園はいろいろな工夫をしているかもしれないが、所詮、人間が動物を檻に閉じ込めていることに変わりはない。人間は動物園に行って楽しいかもしれないが、動物園にいる動物はどう思っているのだろうか。聞いたことがないのでわからないが、多分、すぐにでも逃げ出したいに違いない。昨日のテレビニュースで、池袋サンシャイン国際水族館にいるアリクイが、2005年に続いて2回目の脱走をしたことを伝えていた。今日現在、まだ見つかっていないらしい。やっぱり動物たちは逃げ出したいのだ、私は改めてそう感じた。

動物園に行って、皆さんは何を感じるだろう。私は、檻に入れられた動物たちを見ていると「檻に入っているのは動物だけではなく、人間も何かの檻のなかに入っているじゃないか。」と感じることがある。動物たちも私たちの姿を見て「君たち人間も大変だね。僕たち以上に不自由しているみたいだね。可哀相に。」といっているような気がする。家族や恋人同士で行くとそういうことを感じることはないかもしれないが、一人で行くとそういうことを感じることがある。動物園は、本当は、一人で行くべき場所なのかもしれない。

無性にホルモンが食べたくなって、高円寺南口にある「ホルモン家」に行ってきた。ホルモン5人前食べてきた。韓国の人たちのパワーの源は焼肉にあるとよく言われるが、本当かもしれないね。ここの店はスタッフが全員韓国の方で雰囲気もいい。店に入ったところになぜか東宝の「西の王将東の大将」(藤田まこと、谷啓)の大きいポスターがある。店主の趣味かなあ。

誤字脱字、偏見、暴論、支離滅裂、ご容赦願いたく。 [高円寺]

image.jpg夕方札幌から戻り、高円寺駅ガード下で飲んでしまった。先週土日、屈辱の酒ゼロという結果になってしまい、今夜はその分も取り返そうというさもしい根性が出て、30分で酎ハイ4杯という猛スピードで飲んだくれてしまった。とういことで、現在かなりの酩酊状態。誤字脱字、偏見、暴論、支離滅裂となるかもしれないが、ご容赦願いたい。

またまた、やんちゃな国、アメリカがやってくれた。リーマン・ブラザース証券が倒産した。この報道を受けて世界同時株安となり、東証市場でも600円を超す大幅な下げを記録した。前から言っているように、今の日本経済、いや世界経済がよくないのは、すべてアメリカ発、はっきりいってアメリカのせいなのだ。どうしてこんな明白なことを誰も言わないのか、不思議で仕様がない。透明性で開かれた市場とか、リスクを軽減するための内部統制とか、時価会計を採り入れた国際会計基準とか、もっともらしいことをアメリカはやってきたが、結果、この失態である。個人的には、アメリカという国家に対して、損害賠償請求をしたいくらいだ。アメリカが素晴らしい国だと思ったら大間違いである。アメリカかぶれの御用学者とかインテリがたくさんいるが、もうアメリカ信奉はやめる時期だと思うね。考えてもみてほしい、たかだか建国200年余りのアメリカと、皇紀2600年を超える日本では、どちらに分があるか。

酒がまわってきた。話は、突然変わる。北京五輪の感動もようやく一息ついた感じであるが、獲得した金メダル9個のうち、アテネ大会に続いて連続で取った金メダルが7個もあった(水泳2個、柔道3個、女子レスリング2個)。北京大会で初めて金メダルを手にしたのは今アイドル並みに人気を博している柔道・石井選手と上野投手が大活躍した女子ソフトの2個である。こうやって整理してみると、金メダルを取れる人と取れない人というのは、勝負をする前から決まっているような気さえしてくる。もちろん、アテネ大会以降4年間、6選手(水泳北島選手は2個の金メダル)は厳しい練習と精神の修練を積み重ねて連覇したのだと思うが、それにしても同じ選手ばかりが金メダルを取っている。

脳外科の権威で、日本大学の林成之教授は『<勝負脳>の鍛え方』という著書で、スポーツで勝つには「勝負脳」を鍛える必要があると書いている。勝負脳とは教授の造語で、勝負に勝つために戦略を練る知能のことを言うのだそうだ。勝負脳を働かせるためにはいくつかのポイントがあるらしく、面白いなと私が思ったのは、できるだけ陽気にふるまう、あまり悲観的なことは考えないようにすることが必要なのだそうだ。林教授は脳の手術がご専門であるが、陽気で前向きな患者さんのほうが、暗くて悲観的な患者さんよりも、術後の経過がよく回復も早いのだそうだ。

医学やスポーツの世界では確かにそうなのかもしれないが、ことビジネスの世界についていえば、陽気で楽観的な人間が経営者や幹部として相応しいとは必ずしも言えないと思う。経営者がみんな陽気で楽観的であれば、まず会社は潰れる。ビジネスの世界はチームワークであるから、いろいろなタイプの人間が必要なのである。プロ野球の世界でも、ひところのジャイアンツのように、1番から9番まで目立ちたがり屋の4番バッターを並べても勝負には勝てなかったのと一緒である。

河島英五の気分になってきた。飲んで、飲んで、飲まれて飲んで。と、いうことでおやすみなさい。写真は記事とは全く無関係。井川遙さん、最近CM復活されましたね。

お医者様、私の大切なおっぱいは切らないで。 [高円寺]

IMGP0308.JPG総務の仕事に携わるようになった10年前、労働基準法をはじめとする労働法関係の勉強をしたことがあった。労働者に原則1日8時間以上労働させてはならないとか、賃金は直接労働者に全額支払わなければならないとか、これらのことは労働基準法に定められている規定である。といっても、実務の世界では、法律だけでは単純に判断できない事例もたくさん発生する。

弁護士の大内信哉さんが著した『どこまでやったらクビになるか』という本は、労働法をめぐる身近な紛争例を紹介している。例えば、会社勤めをする女性社員が、会社が終わってからクラブ、スナック、キャバレーなどでアルバイト(副業)することは、労働法上適法だろうか、それとも違法だろうか。私もたまに銀座や新宿のバーで飲んでいると、昼間は有名企業で働いているというホステスさんに出会うことがある。

そもそも、社員のアルバイトを認めるか否かは、会社の裁量に任されている。逆に言うと、アルバイトを禁止する法律はないということだ。もし、会社が就業規則で社員のアルバイトを禁止している場合で、女子社員が夜クラブなどでバイトをしていることがバレたら、その女性社員は会社から何らかのお咎めを受けることは間違いない。ただ、お咎め=解雇(クビ)ということにはすぐにはならない。解雇になる場合とは、夜のバイトに精を出し過ぎて昼間の会社での業務に支障が出ている場合とか、バイトが原因で会社の対外的信用を傷つけた場合とかである。いずれにしろ、現在会社に黙ってアルバイトをされている方は、念のために会社の就業規則を確認されたほうがいいと思いますよ(しかしながら、銀座あたりでもしアルバイトホステスさんが全員いなくなったら、夜の銀座は壊滅状態になるかもしれないなあ)。

今日は終日宅建の法定講習。とにかく眠かった。講師の方々はどうしてテキストをただ棒読みするのかなあ。目つきの悪い監視員のおじさんがたまに教室内にやってきて、寝ている受講生の肩を叩いて起こすのだけれど、あんなお経のような講義なら寝るなというほうが無理だよね。医者の場合もそうかもしれないが、一度取った資格は「手入れ」を継続していかなければ使えなくなってしまう。例えば宅建で言えば、建築基準法、税法などは毎年のように改正になるし、新しい法律も出来る。一生のうちで一番高価な買物といわれる不動産(土地、建物)をお客さんに売るプロであるから、知識がありませんでしたとか、経験が浅いものですからという言い訳は本来できるはずがないのである。

資格の水準を維持したいと国が本当に願うのであれば、講習などという生易しいものではなく、きちんと資格更新試験をやるべきだと私は思う。さすがに毎年というのはきついと思うので、5年に一度のペースでやったらどうだろうか。宅建も医者も、その資格更新試験で不合格となったら、免許を取り消すということにすればよいのである。一見厳しい提案のように思う方がいるかもしれないが、命にかかわることと不動産の売買にかかわることは人生のなかで重要度としてはトップクラスではないかと思う。資格更新試験制度を作れば、資格を失いたくないと思うから、現在資格を持っている人は一生懸命勉強して精進するはずである。先日のニュースで、乳がんではない女性患者の乳房を間違って切除してしまったという記事が出ていた。唖然とするしかなかったが、間違って乳房を切られた女性にしてみれば、生きてはいるものの女性として「殺された」に等しい行為で泣くに泣けなかったに違いない。

講習疲れもあり、夜高円寺の沖縄料理店で一杯やった(写真)。私はマンションの管理業務主任者の資格も持っているが、昼の不動産屋というよりは、夜の不動産屋のほうが私には向いている気がする。

高円寺阿波踊りの女性、網笠、薄手の浴衣、うなじにそそられました。 [高円寺]

IMGP0118.JPG昨日夜遅く札幌から戻り、午後10時半過ぎから高円寺ガード下の焼鳥屋で一杯やっていたら、店にある14型のブラン管テレビに、北京オリンピック男子400メートルリレー決勝の様子が映し出された。ひょっとしたらメダルに手が届くかもしれないといわれていた種目だけに、店に居合わせた客の目は一斉にテレビに向けられた。結果はご存知の通り、オリンピックの男子短距離トラック競技では史上初となるメダルを獲得、特にアンカーを務めた朝原選手は競技生活の最後の最後で見事栄冠を掴んだ。銅メダルが確定した瞬間、店中から拍手が沸いた。見知らぬ客同士が日本、日本人という繋がりで一体となった瞬間だった。

さて、今日から高円寺で阿波踊りが始まった。本場徳島を凌ぐ規模となった高円寺の阿波踊りであるが、今日は夕方から小雨が降り始め、残念ながら最後まで止むことはなかった。私は踊りがスタートする30分前である午後5時半から傘を差しながら一人場所取りをして、本番スタートを待った。雨もさることながら、この時期にしては異常に寒く、半袖では鳥肌が立つくらいだった。私は若いふりをしてピンクの半袖で行ったのであるが、結果的には失敗であった。家に戻ったら喉が痛くなっていた。

今日は、そもそも日本の祭りとはなんぞやとか、阿波踊りの起源はいつだとかそういう面倒な話はよして、私が風邪を引きながら撮った写真を何枚かご覧いただきたい。最初に断わっておくが、男性は一切撮っていない。また、写真は暗かったりピンボケになったりしているものもあるが、ズブの素人が撮った写真なのでご容赦願いたい。

冒頭の写真、今日の私のベストショットです。女性は浴衣、網笠を深くかぶり、化粧は少し厚め。色っぽくて素敵です。

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女性たちの後ろ姿。何となくお尻のひねり具合がセクシーです。

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またまたセクシーな後ろ姿。黄色と赤の浴衣がそそります。

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網笠をかぶらない、男踊りをする女性の写真を1枚。ヤマトナデシコは力強いのです。

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手前の女性、真剣です。凛々しいですね。

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出発前のある女性。緊張感が伝わります。

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女性のうなじ、いいものです。

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これはオマケ。ベリーダンスのパフォーマンスをやってました。一枚撮らせてもらったら「投銭」の催促があり、千円寄付しました。それにしてもお腹引き締まってました。

明日まで阿波踊りやってますので、是非足を運んでください。













誰かがやらなくてはならない仕事、そういうものがあるのです。 [高円寺]

IMG_0349.JPGこの頃都内を歩いていると、警察官を多く見かける。洞爺湖サミットを目前に控え、警備が強化されているらしい。会社の札幌支店の話によると、新千歳空港の手荷物検査は異常なくらい厳しくなっていて、受け取りに相当の時間がかかっているという。警察官はどういう基準で不審者を見つけだすのかは知らないが、実は私も以前新宿歌舞伎町でリュックサックを背負い、街並みをデジカメでパチパチ撮っていたら、職務質問されたことがある。休日だったとはいえ、一応身なりは整えていたし、決してバンチラ写真を撮っていたわけでもない。どうして私に職務質問するのですかと聞きたかったが、そこはぐっと堪えて、言われるままにリックの中を見せた。もちろん何も問題はなかったが、警察官に訳もなく呼び止められるというのはやはり不愉快な気分になるものである。

昨日久しぶりに高円寺ガード下の焼鳥屋で一杯やった。店にはブラウン管式の小さなテレビが1台あり、昨日は巨人、ヤクルト戦にチャンネルが合っていた。冷酒を飲みながら中継を見ていたのであるが、4回終了時点で4-4の同点、ところが5回表、巨人の2番手投手・越智がヤクルト打線につかまり、3点を献上、4-7で巨人は大きくリードされた。今日はなんとなく流れはヤクルトにあるなという感じで焼鳥を頬張りながら試合を見ていた(試合は結局そのままヤクルトが逃げ切った)。

巨人劣勢のまま6回から巨人のマウンドに立ったのは3番手投手・山口だった。私は彼の投げる姿を見ていてあることを感じた。ご存知のように投手には大きくいうと、先発、中継ぎ、抑えというのがある。山口は中継ぎであるが、1点差や2点差の緊迫する場面での登板と、5点以上も差がついていて試合の大勢が決している場合での登板とは、マウンドに向かうときの気持ちや力の入れ具合というものは自ずと異なるだろう。もちろん前者のほうが、緊張感は高く、試合の展開によっては勝ち投手になれるかもしれないという期待感もあるだろう。しかし例えば7回で5点リードされていれば「今日はがんばって投げても勝てないな」という気持ちに正直なところなるだろう。

チームがどんなに劣勢にあるときでも、野球は9回まで続けなければならないわけで、途中で試合を放棄するわけにはいかない。だから、たとえ10点リードされていて負けが濃厚でも、投手をマウンドに立たせなければならない。そういう場面でマウンドに立つ投手の役割というものは何なのだろうと私は昨日テレビを見ながら考えていたのだ。

話が飛躍するようだが、誰もがやりたくない、しかしながら、誰かがやらなくてはならない仕事というものが世の中にもあるような気がする。それは誰からも大して褒められる仕事ではないが、だからといってやらないでほったらかしてはおけない仕事、そういう仕事というのがあるのではないだろうか、なかなか上手く表現できないのであるが。

誰でも投手ならば先発完投で勝利投手となったり、1点リードの9回に抑えとしてマウンドに立ったりして3者3振でセーブをつける、そんなヒーローでありたいと思うであろう。でも、そういうヒーローばかりでは野球は成り立たない。勝ち負けはつかないが、中継ぎをしっかりやって味方打線の反撃に期待する、そういう役回りの仕事というのも必要なのだろうと思う。そういうふうに考えると、世の中の仕事で「無駄な仕事」というのは無いのかもしれない。

写真は今日午後10時過ぎのJR高円寺駅。今日は神田神保町で飲み過ぎてしまった。

ジャイアント馬場さん、小橋建太は元気です。 [高円寺]

明日から来週の20日まで、出張が3回続く。明日は札幌、週明けの月曜日から北見(北海道)、そして水曜日から一泊二日で上海に行く。こんなに慌ただしい年の瀬はビジネスマンになってから初めてだ。楽な仕事はないと知りつつも、正直、ちょっとだけ楽をしたい気もする。でもそんな弱音を吐くと、天にいる武田鉄矢のお母さんから、「遊びたいとか、楽をしたいとか思ったら、karubi、そのときは死ね」と叱られそうである(海援隊「母に捧げるバラード」)。

ということで、しばらく東京を空けることになるので、今夜は地元高円寺の大衆居酒屋で一杯やることにした(写真、お店のメニュー)。もちろん一人でカウンターに座る。メニューを見るといかにも酒好きが好みそうな料理ばかりである。今夜はお銚子2本に、ぎんたらの煮付け、たこぶつ、いか納豆を頂いた。お店は地元のおじさんばかり。ワイシャツにネクタイ姿は私だけ。でも「そんなの関係ねぇー」である。

さて、政治というのは魑魅魍魎の世界であることは承知しているつもりであるが、昨日の年金問題に関する舛添厚生労働大臣の記者会見を見て、改めて政治という世界の不思議さを垣間見た気がした。ご存じのとおり、来年3月までに年金問題を解決するというのは、自民党の公約だった。年金問題の解決とは、すべての年金記録が正しく整理されるということだ。ただ、国民の方もバカではないから、多少不明な部分は残るだろし(例えば5%以内)、来年3月までという期限についても、2、3か月程度は遅れるかもしれない、そんな感じで考えていたに違いない。

ところが昨日、不明5000万件のうち約20%にあたる970万件の名寄せができない、つまり記録原簿がないことが判明したと発表された。「ないものはない」と舛添大臣は開き直ったが、話が違いませんかという感じだった。また、町村官房長官も、「あの公約は選挙用」と本音をポロリと出してしまった。

いつも言うことだが、物事には理想と現実というものがあって、問題が起こったときの解決というものはこの理想と現実の間のどこかの位置で行われるものであると思う。このことはビジネスでも政治でも変わることはないように思う。ビジネスは現実的、政治は理想的という仕分けがあるように思われがちであるが、そうではなく、どちらも「本来理想は○○あるべきであるが、ただ、△△という観点から、現実的には××のように解決をしたい」という方程式に当て嵌めて物事の解決を図るべきなのだと思う。だから今回の年金問題についても、私なら、「本来すべての年金記録を正しく整理すべきでありますが、ただ、何分調査すべき記録が膨大であります。従いまして、実態を早急に把握するという観点から、記録が確認できるものが何件あり、そうでないものが何件あるのという整理を年内に完了させてその結果を皆様に公表いたします。」と言ったうえで、その結果を踏まえて次のステップに進むという手順を取る。いきなり理想だけを掲げると、今回のような公約偽装のような結果に陥る。

話は突然変わる。小学生の頃私は、プロレスファンだった。当時プロレスは、野球と並んで人気のスポーツだった。テレビ中継も確か夜のゴールデンタイムに行われていたと思う。その頃のスターといえばもちろんジャイアント馬場さんだった。その人気のプロレスが年に一度、釧路に興行でやってくる。幸運なことに、御一行様はいつも私の友人の父親が経営するホテルに宿泊していた。馬場さんのサインが欲しかった私は、馬場さんに会わせてくれないかと友人にお願いした。彼は父親に頼んでくれた。友人の父親は私のわがままをこころよく聞いてくれて、私はホテルに行って馬場さんから直接サインを貰うことができた。馬場さんは途轍もなくデカかったが、親切でとてもいい人に見えたのをよく覚えている。

プロレスラー小橋建太選手のプロレス人生は、そのジャイアント馬場さんの付き人をすることからはじまった。その後順調なプロレス人生を歩んだ小橋選手であったが、その彼を不幸が突然襲った。昨年、腎臓がんであることがわかったのである。腫瘍の摘出手術を行い、長い闘病生活の末、先月2日、564日ぶりに彼はリングに立った。敵の攻撃から決して逃げることのない彼のプロレスが再びリングに戻り、日本武道館に集まった1万7千人のファンは涙しながら彼の復帰に声援を送った。

小橋選手のこの話は、先週のザ・サンデーで放送されたものだ。自分にはプロレスしかない、もう一度必ずリングに立ちたいという小橋選手のプロレスに対する強い思い入れと執念のようなものに心打たれたのはもちろんであるが、私がそれ以上に感動したのは小橋選手の主治医の言葉であった。

その主治医は、がん再発防止という純粋な医学的見地から言えば、小橋選手がプロレスを再開することには反対だった。しかしながら、小橋選手が自分の生きる拠り所、自分の存在価値をリングに求めているという彼の生き方を彼は尊重したいとして、小橋選手が再びリングに立つことを了解したのだ。命を取り留めることはもちろん大切なことであるが、そのことよりも重いものが人間にはあるということをこの主治医は言っているのである。

自分が小橋選手と同じような状況になったときに、自分には小橋選手のように自分の人生をかけるものがあるのかと自問したが、私にはすぐ出せる答えが見つからなかった。なんと情けないことだろうと正直思った。


女を飾るために男は泥まみれになるのです。 [高円寺]

昨日から来週にかけて出張が続く。釧路を皮切りに、3連休最後の17日から札幌。翌18日に帰京し、1日置いて20日からは中国大連に行き22日土曜日、日本に戻る。私の心配事は仕事のことではなく、着る服のことだ。出張が続くと着る服がなくなってしまう。何十着も背広やシャツがあればいいのだが、私はほとんど最低限の数しか持ち合わせていない。まあ、何とかなるだろう。楽観的なO型はいつもそう考えることにしている。

安倍総理の辞任発表後、世間の関心はすでに後継総理のことに移っている。安倍総理は過去の人になり、辞任の真相のことはもうどうでもよくなっている。国政を担う最高責任者が誰になるのか、関心があるのは当然かもしれないが、それにしても世間の変わり身の早さには改めて驚く。

さて、昨日の産経抄に面白い話が載っていた。京都大学霊長類研究所の新たな発見が話題になっている。アフリカのギニアで、野生のチンパンジーのオスが、意中のメスにパパイアの実を贈って愛情を伝えていたという。農作物を盗み出すという危険を冒した見返りに、オスはメスと交尾をしたり、毛づくろいをしたりしてもらうそうだ。

作家の開高健は「女を飾るために男は泥まみれになるのである」という名言を吐いた。恋愛成就のために、昔の男はパパイアならぬ宝石などのプレゼントや食事の場所に神経を使っていた。それに比べて現代の男性は、恋愛、結婚にがっつかないという。恋人のためにお金をためて、プロポーズの言葉とともに婚約指輪を差し出す光景は、テレビドラマでもお目にかからなくなった。最近、よく耳にするのは、「自分へのご褒美」という言葉。男性からのプレゼントを期待しない女性が増えてきたとことではないかと記事は結んでいる。

なるほどと思う反面、本当かなという気もする。何となく私は、今の時代にも開高健の言葉は厳然として生きているような気がする。自分へのご褒美といって、女性が自分自身に何かを買うようになったのは男性が女性に対してプレゼントをしなくなったことが原因ではないように思う。

少し前に、団塊世代の男性が自分へのご褒美だとして、高級な靴、鞄、時計などを買っているという話を書いた。私は「自分へのご褒美」という言葉が好きではない、彼らは一種のナルシストではないかと意見を述べた。自分自身にプレゼントを買う女性も団塊世代の男性と全く同じことではないかと思う。

高円寺ガード下の居酒屋に一昨日行った。新規開拓の店で、おでんがメイン、焼魚なども充実していて値段もリーズナブルだ。女将さんが気さくな方で、世間話などいろいろしていたら、彼女の出身が北海道根室であることがわかった。私は隣の釧路出身ですよと言ったら、一気に意気投合してしまった。

彼女の話によると、今から40年前、美容師になりたくて上京、山野愛子美容学校に入学した。もちろん両親は東京に出ることに大反対したそうだ。上京後結婚、出産、離婚を経験したそうだ。人に言えない苦労はあっただろうと思うが、笑顔が素敵で、美容師を目指しただけあった髪は奇麗に櫛が入っていた。ゴーッゴーッと電車が通るたびに店が揺れるガード下の小さな居酒屋での出会い、私はこういうのが好きなのである。

写真は高円寺ガード下の焼鳥屋。


高円寺デヴュー、純情酒場の焼鳥屋で一杯。 [高円寺]

大阪世界陸上が閉幕したが、結局、日本人が獲得したメダルは女子マラソン、土佐礼子選手の銅メダル一つに留まった。目標がメダル5個だそうだから、惨敗といっていいいだろう。選手の皆さんは全力を尽くしたのだからご苦労様と言いたいが、気になるのは何故日本開催という地の利を生かせたにもかかわらず、このような結果になったのかということだ。

私のような素人が偉そうなことは言えないが、新聞などを見てみると、基礎体力の欠如という指摘が一番多いような気がする。その次は本番に弱いという、精神的脆さ。その他では、自国開催ということで、周囲が選手に過大な期待を持ちすぎ、選手がかえって実力を出し切れなかったとする指摘もあった。どれが本当の原因かわからないが、いずれにしろ北京五輪に暗雲が立ち込めた感はある。

この間テレビを見ていたら、女子フィギュアスケートの世界チャンピオンになった安藤美姫選手のコーチの話が出ていて興味深かった。このコーチは安藤選手以前にも、トリノ五輪で金メダルを獲得した荒川静香選手など、五輪、世界選手権の優勝選手を何人も輩出させた現代の名伯楽なのだそうだ。トリノ五輪で惨敗し、その後なかなか勝てなかった安藤選手を世界選手権で見事復活させたのもこのコーチの力量に拠るところが大きいとされる。

土佐礼子選手には心強いパートナーがいた。夫の啓一さんだ。昨日のレースでも、40キロ直前で5位に落ちた妻の姿を見て啓一さんはいてもたってもいられず、沿道に駆けつけ「粘れ  粘れ」と声をかけ妻と並走した。夫の姿を見た妻はその直後、渾身の力を振り絞って3位に浮上したという。もちろん土佐選手の生来の粘り強さがあったことは間違いないが、夫の存在も大きかったことは確かなのだろう。

私は何を言いたいかというと、選手にはいいコーチが必要だということである。土佐選手の夫はコーチではないが、文字通り二人三脚で大会に向けてがんばってきた最も身近なパートナーだ。この前、小学校の学習指導要領改定に関する話をしたとき、生徒を教える教師の質向上が肝心と書いたが、この生徒と教師の関係は、選手とコーチの関係と同様と考えることもできると思う。

いずれにしろ北京五輪に向けて態勢を整えて挽回してもらいたいが、それにしても世界陸上のキャスター、織田裕二はどうにかならないものだろうか。「凄い!」「感動した!」の連発でボキャブラリーの欠如も甚だしい。横にいる中井美穂も、どうやら陸上競技のことはよく知らないようで、用意された原稿をただただ読むだけだ。二人の息も全く合っていない。こう感じたのは私だけだろうか。

さて、今日いよいよ高円寺繁華街デヴュー。廃刊の噂があるビジネスマンのお供「夕刊フジ」の記事を読みながら、駅ガード下の大衆焼鳥屋で一杯。レモンサワー片手に焼鳥の串を横に引いた。純情商店街の高円寺にある純情酒場で乾杯(写真はJR高円寺駅北口)。


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