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東京-仙台間のJR運賃は無料になりませんか? [銀座]

IMG_0244.JPGお盆が近いが、家族で帰省される方も多いことだろう。航空機、JR、自家用車と帰省手段はいろいろだが、土日1000円で高速道路乗り放題や節約志向の影響を受けて、JR各社のお盆時期の予約状況が昨年に比べて15%以上落ち込む異常事態になっているらしい。

さて、ゼロサムという概念がある。たとえば麻雀では、勝った人の点数の合計と負けた人の点数の合計を足すとゼロになる。また、競馬でも、JRAの取分を除いた部分については、馬券を当てた人の払戻金は馬券を外した人の掛け金の総和に等しくなっている。このように、相互に影響を及ぼしあう人たちの損得勘定の和がゼロになることを、ゼロサムという。

勝者もいるし敗者もいる、これがゼロサムの特徴であるわけだが、今回の高速道路1000円乗り放題は道路(自家用車)を勝者、航空機、JRを敗者とするゼロサムを作り出した格好だ。民主党は先日発表したマニフェストで、原則、高速道路を無料化することを打ち出した。そうなると、航空機、JRの利用者はますます減るに違いない。

高速道路の無料化についてはいろいろ議論がある。通行料金は高速道路を利用する人が負担するのが原則であって(受益者負担)、高速道路を利用しない人も通行料金を負担するのはおかしいという意見がある(この場合には、税金によって通行料金が賄われることになる)。一方で、海外でも一般的なように、高速道路には受益者負担の考え方がそぐわないとして、無料化を支持する意見もある。

JRは22年前まで日本国有鉄道という政府所有の公共事業体だった。それ以前もそれ以後も、利用者は当然のように運賃を払っている。鉄道の運賃を無料化すべきという議論は寡聞にして知らない。同様に、公共的色合いの強い航空機についても、羽田-新千歳空港間の運賃は無料化すべき、そんなことを言い出す人はどこにもいないだろう。では、何故、高速道路だけ無料化議論が出てくるのだろうか。

夏休みで私は今週、東北新幹線で仙台に行く。片道約1万円。高速道路のことはよく知らないが、土日に利用すれば現状、1000円で仙台に行けるかもしれない。そして近い将来、タダになる可能性があるということなのだろう(もちろん、ガソリン代は負担しなければならないが)。JRと高速道路は本質的に何が違うのだろうか。JRは営利を目的とした民間会社だから運賃を支払う、一方、高速道路は公共機関の所有物だから料金を支払わなくても構わない、つまり、「民」と「官」の違いなのだろうか。

正直、私はよくわからないので、どなたか教えてください。

昨日は仕事上のことでちょっと困ったことが起こり、珍しく午後9時過ぎまで残業した。それから銀座(写真)に出て遅い夕食をとり帰宅したのであるが、マンションのドアの鍵が穴に入らず、家の入れなくなってしまった。よく見ると鍵の先端が微妙に反っていて、穴の奥まで入っていかないのだ。時計を見ると午後11時半過ぎ。これはヤバイ。どうしたらいいだろう。

とりあえず高円寺駅前の交番に行くことにした。すると、私のようなトラブルに遭遇する人が多いのか、すぐに24時間営業の鍵の110番のような店を紹介してくれた。さっそくそこから電話したら、30分後くらいにマンションの前に来てくれた。鍵の複製を作ってもらい、1万7千円の料金を支払った。ついてないときはこういうものである。ちなみに、正規料金はこの金額より1割高いのであるが、交番割引というのがあって、少し安くなったのだ。世の中、知らないことがたくさんあるものだ。

銀座でへべれけ、へべれけ、カラオケ94点。 [銀座]

IMG_0232.JPG個人情報の流出事故が続いている。アリコジャパンでは顧客情報が約13万件流出し、一部顧客のクレジットカードが不正使用された可能性が高いことを一昨日発表した。社内の試験データが流出したことが原因とみられるという。一方住友生命は今日、生保レディーなど約1600人の個人情報が流出したことを発表した。ある社員が個人情報のデータを自宅に持ち帰ってパソコンに移したところウイルスに感染し、流出したとしている。

どちらの会社のホームページにも、個人情報の重要性を十分認識して、適正に取り扱いますと書いてあるのだが、そういう立派な「宣言」にも係わらず、現実には流出する事故(「事故」という表現は厳密には正しくないと思うが)が絶えないのである。

こんなことを書くと不謹慎と非難されるかもしれないが、会社で個人情報保護責任者になっている私の感想を正直に書くと、個人情報保護法を完全に順守するのは無理だと思う。なぜなら、守らなければならない事項が細かくて多すぎるからだ。いくら教育、啓蒙活動を社員に徹底しても、やってはいけないことをやってしまう社員というのは必ずいるものだ。ましてや、千人単位、万人単位規模の大会社になれば監視するほうも目が行き届かない。

昨日も選挙マニフェストに関連して書いたが、立派な約束事、能書きには必ず「嘘」や「無理」がある。今のビジネスマンというのは、昔とは比べものにならないほどの多くの約束事、能書きに拘束されて生きている。個人情報保護法、セクシャルハラスメント、内部通報制度、男女雇用機会均等法、内部統制等々(一言で言えばコンプライアンス(順法精神)ということになる)、まるでビジネスマンに「聖人君子」になることを求めているようだ。でも、清廉潔白な人間になんか誰もなれない。

私のように不謹慎なことを公言する人は少ないと思うが、実は、私と同じように感じている人は少なくはないのだ。

さて、今日は久しぶりに銀座で飲んだ(写真)。銀座コリドー街にある料理店で20年ぶりに昔の悪友に再会した。一次会で終わるつもりだったが、乾杯の嵐で酔い、二次会に突入。へべれけだった。カラオケの採点をしようというので応じたが、いつものエロエロソングを歌ったら94点で私の圧勝(日頃の一人カラオケボックスの成果が出た)。95点以上だとお店からボトルが進呈されるのだそうだ。次はボトルを目指すことにする。それにしてもへべれけ。おやすみなさい。

全身をゆすり、身体を前後に曲げる、・・・ラジオ体操のことです。念のため。 [銀座]

IMG_0227.JPG今日は夏らしい話題を。私の家の近くにある高円寺中学校のグランドでは今ラジオ体操が行われている。今朝6時半頃近くを歩いていたら、スタンプを押してもらうカードを首からぶらさげた子供たちを何人か見かけた。夏の風物詩の一つであるラジオ体操は私の田舎である釧路でも行われていた。古き良き田舎を思い出すラジオ体操と言いたいところであるが、私には今でもはっきりと覚えている苦い経験がある。

私の通っていた小学校は一学年3クラスしかない小さな学校だった。生徒は学年に関係なく住んでいる地域に応じて「分団」という単位で整理されていた。確か第1分団から第15分団くらいまであって、高学年の生徒が分団長になる決まりになっていた。私も5年生か6年生になったときに分団長に指名され、夏休みに分団単位で行われるラジオ体操を仕切ることになった。

毎朝私の家の前には分団に属する1年生から6年生の生徒が集まってくる。分団長の私は「先生役」として皆と向き合い、模範的な体操をしなくてはならなかった。ラジオ体操第1と第2が終わると、スタンプカードに出席確認のための印鑑を押してもらうため、生徒たちは用意された小さな机の前に並ぶ。私はそのスタンプカードに自分の認印を押す係りでもあった。生徒たちは私からハンコを押してもらうと、足早に自分の家に戻って行った。

あるとき母から「ラジオ体操に行ったのにハンコを押してもらえなかったと、○○君のお母さんから電話があったの。」と言われた。そんなはずはないと思ったが、母の話によるとそのことが悲しくて○○君は泣いていたという。結局母は○○君のお母さんに丁寧に謝ったらしいが、身に覚えのない私は不満だった。釈然としない気持ちで次の日からラジオ体操に行き、元気のほうも無くしてしまったように記憶している。

○○君はどうして自分に直接クレームを言ってくれなかったのか、どうして子供同士の問題に母親が「介入」して勝手にけりをつけてしまうのか、私は腑に落ちない気持ちを抱きながらその夏を終えることになった。取るに足らないささいな出来事であるが、社会にはいろいろなことがある、いろいろな力学が働いている、そんなことを子供心に感じ、ラジオ体操というと私はいつもこの出来事を思い出す。

先週金曜日から今日まで連続6日間、酒を飲んでいない(正確にいうと、全英オープンを観ながら缶チューハイを一本だけ飲んだ)。酒飲みの私にしては奇跡的なことなのだが、夏は他の季節に比べると酒を飲まない傾向がある。なぜかというと、夏は体調がよくない日が多いからだ。その原因はエアコンの冷房であることははっきりしている。夏が来ると早く冬が来ないかなと毎年願う。冬になれば万全の体調で美味しく熱燗を飲むことができる。

明日は一週間ぶりに銀座で飲む予定が入った。でも翌日の釧路便が早いので、二次会には行かないつもりだ。写真は銀座天賞堂の天使像(中央の白い服を着た女性ではありません。)。銀座の恋のキューピット役として最近銀座の名所の一つになっている。

不倫は文化、マメで女性にモテモテ、石田さん。 [銀座]

IMG_0223.JPG人間、会社、経済、どんなものにも良い時と悪い時があるものだ。政治の世界でいえば、民主党は今、結党以来一番勢いのある良い時代を迎えているに違いない。先日の都議会議員選挙を例にとっても、告示数日前に突然立候補表明した民主党新人が当選し、経験豊富な自民党候補者が落選するといった状況は、民主党の勢いを如実に示す一例と言えよう。こういう大きな流れのときは、いくら自民党がもがいてみても民主党には太刀打ちできない。そういうものである。

フォローの風が吹いているときは気持ちのいいものだが、あまり調子に乗りすぎると痛い目に逢うこともある。自民党の古賀選対委員長から衆議院選挙での出馬を要請された宮崎県の東国原知事は、自分を自民党の総裁候補にしてくれるなら出馬してもよいと条件を付けた。この辺りから彼に逆風が吹き始める。自民党からは生意気であるとか、宮崎県民からも県政を途中で投げ出すのかといった批判が続出した。その状況を見て彼の「師匠」であるビートたけしさんが彼を呼びつけ「とにかく謝れ。謝って宮崎に帰れ」と厳しく叱責したという話が今朝の産経に出ていた。

経済の世界でも浮き沈みは当然ある。今朝の日経などによると、米金融大手、ゴールドマンサックスの今年4月~6月期の最終損益が過去最高を記録したそうだ。昨年の金融危機で国の支援を受けていたゴールドマンであるが、証券市場の回復などがあって業績は一気に回復し、政府から借り受けていた公的資金100億ドルも先月一括返済した。でも、やっている業務はこれまでと何も変わっていないわけだから、ちょっと不思議な感じもする。

話は変わるけど、俳優の石田純一とプロゴルファー東尾理子が結婚するらしい。「不倫は文化」と名言を吐いた石田であるが、もし結婚すると三回目の結婚になる。東尾理子は自身のブログでスランプなどに陥ったとき、石田の人生や仕事に対する前向きな姿を見ると勇気づけられる、と書いている。それにしても石田純一は女性にもてる。きっと、彼は女性に対して物凄くマメなんだろうね。私には絶対出来ないけど。

芸能ネタをもう一つ。俳優の佐藤隆太が昨日、結婚会見をした。今いろいろもてはやされていて絶好調の彼であるが、私も彼が出演したドラマを観たことがあるけれども、正直言うと、彼は主役級の俳優ではないような気がする。同じことは大泉洋についても感じる。好き嫌いはあるかもしれないが、唐沢寿明、織田裕二、キムタクなどは主役を演じるのに相応しいムードを持っている。佐藤隆太フャンや大泉洋ファンの方々からは叱られるかもしれないが、私の正直な感想である。

今日は暑さのせいか、ボッーとして最後は少々筆が滑ってしまった。写真は今日昼頃の銀座和光。抜けるような空とは今日のような空のことか。



♪セブン・イレブン、いい気分、 になれない。 [銀座]

IMG_0181.JPGご存知のとおり、セブン・イレブンの一部店舗で行われていた弁当、おにぎりなどの値引き販売について、公取委がセブン・イレブン・ジャパン(SEJ)に対して排除命令を出した。簡単に言うと、フランチャイズ契約において販売価格は店舗側が自由に決められることになっているにもかかわらず、それをやってはいけませんとSEJが店舗側に圧力をかけていたのだ。定価100円(推奨価格というらしい)のおにぎりは飽くまでも100円で売ってください、賞味期限が切れたら廃棄してください、というのがSEJの指導であるが、廃棄してしまうと70円でSEJから仕入れした店舗側は70円丸々損をすることになる。それでは大変ということで、一部店舗は賞味期限直前に50円に値下げして売っていたのだ。

値引き販売した主な理由は廃棄することが「もったいない」からということではなく、少しでも儲けを増やしたいからということであった。スーパーで閉店間際によく行われる値引き販売も同様の理由によるものであろう(もちろん「もったいない」ということも多少あるかもしれないが)。

マスコミ報道を聞いていると、値引き販売をする店舗が増えてくれば「多少高いけど便利である、というコンビニのビジネスモデルが崩れる」として危惧する論調もあるが、消費者にメリットが出ればそれでいいのではないだろうか。全国一律おにぎり1個100円を維持したいとSEJは考えているかもしれないが、本当に消費者のためのセブン・イレブンを標榜するのであれば、賞味期限間際に値引き販売に対して圧力をかけるべきではないし、逆に、どんどん値引きして売ってくださいと店舗を指導すべきではないのだろうかと思う。

SEJは結局、廃棄原価(上例でいえば70円)の15%(10円)を負担することにした。廃棄コストの一部負担は結構なことであるが、肝心要の値引き販売そのものに対する対応はまだ発表されていない。廃棄コストの一部を負担するから値引き販売は止めてくださいというSEJの意図がみえみえである。

フランチャイズビジネスはフランチャイザー(本部)だけが儲かるシステムで、フランチャイジー(加盟店)はフランチャイザーにひたすら上納するだけ、これは以前からよく言われていることである。確かにフランチャイザーの「ブランド力」「暖簾(のれん)」は一朝一夕に出来上がったわけではないから、フランチャイジーがそれらを利用させてもらう対価としてロイヤリティーなどをフランチャイザーに支払うのは当然の経済行為であろう。ただ、SEJの社長の会見を聞いていると、どうも「上から目線」でフランチャイジーを見ている雰囲気がある。

弱者がモノを言える時代になった。マクドナルドの現役店長が残業代の支払いを求めて訴訟を起こしたというニュースは記憶にあたらしい。今回のSEJの件はいわば「フランチャイジーの反乱」と言えよう。これからは、フランチャイズシステムを採用しているビジネスで、フランチャイジーがモノを言う場面がどんどん出てくるだろうと私は思う。フランチャイズビジネスはフランチャイジーのがんばりがあってはじめて成り立つことをフランチャイザーが認識しないと、痛い目に遭うかもしれない。

さて、明後日26日は私の会社の定時株主総会。私は総会運営の総責任者として総会を無事終わらせる責任がある。今は人事を尽くして天命を待つという心境である。

写真は今日昼過ぎの銀座4丁目交差点。空はどんよりとしているが、これから少しして晴れ間が出てきた。

不倫とは、男女関係が人の道に背くこと? [銀座]

IMG_0173.JPG今年は太宰治生誕100年にあたり、彼の生き様や文学に関する企画、イベントが目白押しだ。今朝の産経に、彼に関するちょっとしたコラムが載っていた。太宰が山崎富栄と玉川上水に身を投じたのは昭和23年6月。当時太宰には妻子がいて、一方山崎はいわゆる戦争未亡人だった。この前の年、夫のある妻が他の男と情交する罪である「姦通罪」が廃止されている。夫と死別したとはいえ、貞操観念がまだ強かった時代の太宰治と山崎富栄の恋は「禁断の恋」であったと記事は書いている。

「不倫は文化だ」と名言(迷言?)を吐いたのは石田純一だったが、では、不倫とは一体なんなのだろう。手許にある国語辞典によると「男女関係が人の道に背くこと」とある。国語辞典は平気でこういうよく理解できない書き方をするから、結構私は好きです。念のため「人の道」を同じ辞典で調べてみたが残念ながら載っていなかった。「人の道に背くこと」とは想像するに、倫理的、法的に逸脱する行為のようなことを指すのだろう。でも、どうなのだろう。文学は真っ当な男女関係ではなく「人の道に背くような男女関係」を圧倒的に描いてきたのではないだろうか。そして太宰治と山崎富栄は小説を地で行った、そういうことなのだと思うが。

さて、この二人の死は「情死」と表現される。「情死」に似た言葉に「心中」がある。「心中」は辞典によると「相愛の男女がこの世で添えないことを悲観して一緒に自殺すること=情死」とある。この「この世で添えないことを悲観して」という表現はなかなかいい。「心中」は相愛の男女の場合だけではなく、親子が一緒に自殺するときも使用される(=「親子心中」。決して「親子情死」とは言わない)。そうすると、「心中」のほうが「情死」よりも幅広い意味を持つことがわかる。

「心中」と「情死」の関係について以前書いたものを再録してみる。「歴史的にみると、「心中」と「情死」の関係は多少複雑になる。日本文化に詳しい中西進さんによれば、「心中」はもともと男女の愛の誓いのことだった。江戸時代、遊郭で男女が、誓約書を書く、髪を切る、入れ墨をする、指をつめる、生身を傷つけるなどの方法で愛を誓う習慣が生まれた。これを「心中立て」と呼んだ。ところが、いくら「心中立て」をしても、生きている限り、誓いは破られる。そうなると、究極の「心中立て」とは、男女がともに命を絶つことしかなくなる。これが、「情死」である。つまり、「情死」とは、男女の愛を永続化するという意味を持つものだったのだ。」。

「男女の愛の永続化」。言葉は綺麗であるが、太宰治と山崎富栄が選択した「入水」という自殺手段は大きな苦痛を伴うものだったのではないだろうか。昨年3月、土浦で8人を殺傷した事件で殺人罪などを問われている金川被告は、死刑になりたくて殺人を行ったと述べ、死にたかったのならどうして自殺しなかったのかとの問いに対して「痛いから」と答えたそうである。自殺より死刑のほうが楽に死ねるのかどうかは知らないが、私は自殺は嫌だし、長期間病気を患って死ぬのもいろいろ意味で辛いし、やはり「ぽっくれ」と死にたいといつも思っている。

さて、昨日は若手社員に声をかけて有楽町のガード下で焼鳥を食べた(写真)。二のとも北海道出身で、焼鳥は北海道より東京のほうが断然旨いと話していた。私も同感である。

生ビールの中を2杯、レモンサワー2杯、赤ワイン2杯、国民酒場ではありえません。 [銀座]

IMG_0170.JPG関川夏央さんの『汽車旅放浪記』を読んでいたら「国民酒場」のことが書いてあった。第二次世界大戦当時、酒類は統制販売制であったが、酒類を管轄する当時の大蔵省は昭和19年、業務用酒類の一部を東京などの一般労働者に販売することを決めた。関川さんによると、昭和19年5月、東京では104か所の「国民酒場」が指定され、午後6時から午後8時の間に限り、一人日本酒一合かビール1本が供されたらしい。驚くほど少ない量であるが、この大衆酒場である「国民酒場」には毎日行列ができたという。

当時と今を比較してみようと思い、月曜日の夜、出張先の札幌ススキノでどのくらい酒を飲んだのか思い出してみた。一次会のジンギスカン屋では、生ビールの中を2杯、レモンサワー2杯、赤ワイン2杯。二次会のクラブではウィスキーの水割りを7杯か8杯。私としては決して少なくもなく多くもない、標準的な量だ。「国民酒場」の時代にもし私が生きていたら、日本酒一合だけでは収まりきらず、きっと「どぶろく」を隠れて作って飲んだに違いない。

養老孟司さんではないが、百年に一度の不況だと世間は騒いでいるが、第二次世界大戦のころの大変さに比べるとそう大騒ぎすることはないのかもしれない。食糧事情は関して言えば、昭和19年頃から急激に悪化したという。当時どんなものを食べていたのかよく知らないが、食べたくても食べ物そのものがなかった、そういう時代だったに違いない。それに比べると、今回はいくら不景気といっても、食べること自体に苦労しているわけではないし、衣料にしても、安くて品質のよいものは溢れている。そう考えると、第二次世界大戦の頃の悲惨さ、国民の苦労は、今回の比ではなかったのだろう。

さて、今日は今月から経理部に来たニューカマーの歓迎会を東銀座の「羅豚」でやった。生ビール2杯にレモンサワーを5杯。当然勢いがついて、二次会に突入。銀座8丁目のクラブでウィスキーの水割りを10杯ぐらい飲み干す。へべれけで少し前に家に帰ったが、銀座は少し活気を取り戻しているような気がした。明日あたり、ひょっとしたら日経平均は1万円を突き抜けるかもしれない。そうなると、不動産も動きを活発化して、景気は全体的に盛り返してくる可能性もある。日本経済の復活を願いつつ、今夜も私は飲むのであった(こじつけね)。

写真は今夜の銀座。

ファウルボール注意、お弁当は顔を上げて食べましょう。 [銀座]

IMG_0110.JPG会社のOB会会長が夕方来社して小一時間歓談した後、近くにある行きつけの料理屋で会食した。体調がよくなかったので出来れば遠慮したかったが、社長がどうしても出てくれと言うので参加した(要は、私は会計係りなのだ)。会長さんは今年で81歳になるらしいが、とても元気で喋りもしっかりしている。ところが、会食が始まってしばらくしてからその会長さんが私に向かって「ところでね、××さんは何年入社ですか?」と聞く。ところが、××は私の名前ではないのだ。とっさに会長さんの隣にいたお付きの方が「会長、こちらは○○さんです」と訂正してくれた。元気そうに見えても人間、80歳くらいになるとこういうこともあるのかなあと感慨深いものがあった。

料理屋を後にして、私は一人歩いて銀座8丁目のバーを目指した。午後8時半頃に到着し、午前1時の閉店まで粘った。体調万全ではなかったが久しぶりの酒ということで、料理屋で日本酒を飲み過ぎ、勢いがついていた。こうなれば後は野となれ山となれ。行くとこまで行こうと決めた。閉店後、今度はホステスさん二人を誘い、近くにあるうどん屋で小腹を満たした。それから二人を家まで送った届け、私も自宅に戻った。時計の針はそのとき午前3時に届こうとしていた。あー、またやってしまった。

さて、プロ野球のセ・パ交流戦が今月19日からスタートする。私はこの交流戦が結構気に入っていて、去年は札幌まで行って日ハム・阪神戦を観てきた。今年も来月上旬に神宮で行われるヤクルト・楽天戦を観に行く予定で、チケットもすでに購入している。現在パ・リーグ首位を走る楽天の野村監督が古巣ヤクルトとどう戦うのか今から楽しみである。

ところで、球場の内野席に座っているとファウルボールが近くに飛んでくることがある。かなりの勢いで飛んでくるので当たると痛いだろうと思うが、みんな上手く避けている。なかには素手でキャッチする猛者もたまにいるが、普通は避ける。しかしながら、不幸にもファウルボールが身体を直撃することもある。

昨年5月、仙台で行われた楽天戦で、ファウルボールが男性の右目を眼鏡の上から直撃した。男性は病院に運ばれその後治療を続けたが0.3あった視力が0.03に下がったとして今般、楽天と球場を管理する宮城県を相手取り、4400万円の損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。

知らなかったが、日本の場合、ファウルボールによる怪我については基本的に球団には責任がない、つまり損害賠償はしないという決まりになっているが、ただし治療費だけは負担することになっているらしい。今回のケースでも、男性の治療費だけはずっと楽天が負担してきた。一方アメリカではどうなのかというと、こちらは観客の自己責任が徹底されていて、球団は治療費も含め一切負担しないことになっている。

この件に関してあるスポーツジャーナリストが面白い話をしていた。それは日本の弁当文化とアメリカのハンバーガー文化の違いという話だ。日本では、弁当、やきそばなどを食べながら観戦することが多い。箸を片手に持ち、もう一方の片手の上に弁当箱などを置きながらうつむき加減で食べる。突然ファウルボールが飛んでくるとこの状態では避けることができない。これに対してアメリカでは、ハンバーガー、ホットドック、ポップコーンなどを食べながら観戦する観客が多いが、両手を使って食べるにしても、試合の様子を観ながら食べることができる。したがって、ファウルボールが襲って来てもとっさに避けることができるというのだ。

なかなか面白い話ではある。私なりにもう少し考えてみると、弁当、やきそばなどは顔を食べ物のほうに近づけて食べるのに対し、ハンバーガー、ホッとドックなどは食べ物を顔のほうに近づけて食べるものだ。そういう違いなのかもしれない。

今日もまた詰まらない話になってしまった。

写真は、昨夜の銀座4丁目交差点、和光。

アラフォートリセツよりも、定額給付金トリセツが必要です。 [銀座]

IMG_0093.JPGトリセツ。なんでも省略するのが流行りであるが、トリセツは「取扱説明書」の省略だそうだ。このトリセツ本が今、巷でブームになっている、今朝の産経記事である。「アラフォー取扱説明書」「B型女取扱説明書」「ひとりっ子取扱説明書」「関西人取扱説明書」等など、なんでもありといった感じ。こうしたトリセツ本人気について精神科医の和田秀樹さんがコメントしている。

和田さん曰く「何をするにもマニュアルに頼る時代になっていて、マニュアルがないと不安になってしまう。物事にはグレーな部分が多いが、現代人は白か黒かをはっきり分けたがる。複雑な世の中を生きるには、マニュアルに頼らない発想も身に付けるべきだ。」。物事にはグレーな部分が多いというのはその通りで、グレーのままにしておくことで、みんながハッピーになれることは世の中にはたくさんある。物事を徹底的に詰めてしまうと、とても窮屈になるし、さらに言えば、知り過ぎることの弊害というのもある。

何でもかんでも白黒をつけたがる、善悪をはっきりさせたがるというのは現代人の困った性質の一つだろう。月夜の使者、月光仮面は昔正義の味方で良い人だったかもしれないが、みんながみんな月光仮面になって正義を振りかざす現代。正義、正義といっても、正義の名に恥じない生き方をして、正義を語る資格の本当にある人はどのくらいいるのだろうか。自分のことを考えてみると、これまで正義に劣ることばかりやってきたような気がする。月光仮面のように正義、正義といわれると、私はどっと疲れる。

やっぱり起きた、定額給付金に関するトラブル。家庭内暴力の夫から逃れるために住民票と異なる場所に住んでいる妻が夫の住む自治体に対し、夫への給付金支給を差し止めるよう求める訴えを裁判所に起こした。定額給付金は夫が妻を含めた家族の分まで一括して申請するようになっているため、別居している妻や子供の分までまとめて夫に支払われる。ところが今回のケースのように夫のDVが原因で夫婦が別居状態になっている場合は、妻や子供は給付金を受け取れなくなってしまう可能性が高い。

絵に描いたような模範家族というのは非常に稀で、普通は今回のケースのように、あまり他人には言いたくないような事情を必ず抱えているものだ。一方、定額給付金は極めて形式的に支給される仕組みになっていて、各家庭の個別事情を考慮することを想定しない。裁判所がどう判断するのかわからないが、今回の訴訟をきっかけに日本中で同様の訴えが広がる可能性もある。世界の喜劇王チャールズ・チャップリンは人生に必要なものはと聞かれ、それは勇気と希望と少しのお金であると答えたそうであるが、定額給付金という少しのお金が、家族の亀裂をさらに深める原因になるかもしれない、そんな何ともやり切れない話である。

写真は、今日の銀座4丁目交差点。名古屋の夜はキンサンであるが、東京の夜は誰が何と言おうと銀座に止めを刺す。

痴漢冤罪防止のパンティーはいてます。 [銀座]

IMG_0088.JPG会社にいると、毎日のように契約書を目にする。商品売買契約、業務委託契約、金銭消費貸借契約、リース契約など、契約の内容は様々だ。契約はもちろん会社間のものに限るわけではない。個人が銀行からお金を借りるときにも契約書を交わすだろうし、個人間の貸し借りのときも同様であろう。契約書はお互いが最終合意したときに結ばれるものであるが、ビジネスの世界では、合意に至る相手方担当者などとの面談経緯なども念のためメモで残す。

このように、契約書、メモとして記録に残す意味は、トラブルが何か発生したときに、お互い揉めないようにするためである。いわゆる「言った、言わない」の事態を避けるための行為といえる。ただ、契約書やメモがあっても揉めるときは揉めるもので、それはそのときの話である。

痴漢冤罪の話は「言った、言わない」の世界ではなく、「触った、触っていない」の世界かもしれない。防衛医大教授が電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして強制わいせつ罪に問われていた件で最高裁は14日、被告に逆転無罪を言い渡した。ただし、裁判官5名のうち3名が無罪、2名が有罪と判断、多数決でかろうじて無罪になったものだ。無罪とした裁判官のうち1名がもし有罪に回っていたら、被告は有罪になっていたわけだ。このことは、痴漢冤罪事件の判断の難しさを如実に示している。

周防正行監督「それでもボクはやっていない」は痴漢冤罪事件を取り上げた秀作であるが、では、なぜ冤罪事件が後を絶たないのか。それは一言でいえば、痴漢冤罪事件では物的証拠がほとんどなく、被害者とされる女性の供述だけが判断の材料になるからだ。供述が「信用できる」と判断されれば有罪、「信用できない」と判断されれば無罪、なんとも曖昧なのである。痴漢冤罪事件については「特に慎重な判断が求められる」と最高裁は述べたが、ハッキリ言えば「よほどの物的証拠がない限り、被告を有罪にしない」ということを言っているのだろうと思う。

痴漢事件が起きたときは警察の初動捜査が大切と指摘する専門家もいるが、能書きとしては立派だが、具体性に欠ける。こんなことを書くとまた顰蹙を買うかもしれないが、誰か触ったら指紋がくっきり残るパンティーやブラジャーを身につける以外、痴漢冤罪事件をなくする手段はないかもしれない。

さて、今日は経理部に配属になった女性新入社員の歓迎会を築地の居酒屋でやった。昭和61年生まれというから、私が会社に入った時には影も形もなかったことになる。それにしても酒豪の新入社員。飲み負けして、一人銀座(写真)をとぼとぼ歩いた。明日は、蝶々さんの個展を観に名古屋に行きます。

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