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ジェロさん、正直に言うと違和感あります。 [芸術]

IMG_0263.JPG札幌は木曜日、金曜日と冷たい小雨が降り、今朝はちらちらと雪が舞っていた。こんなに札幌が寒いとは思わなかった。お陰で風邪が悪化した。コートを持って行かなかったのが敗因だ。さて、東京は昨日、桜が満開になった。私の家から10分ほど歩いたところにある中野通りは都内でも有数の桜の名所で、ソメイヨシノが2キロにわたって通りを埋め尽くしている(写真)、元気であれば中野駅北口で一杯やろうと思っていたのだが、こんな体調では酒も不味くなってしまうので、今日は断腸の思いで諦めた。

さて、話は変わるが、ジェロという黒人演歌歌手をご存知だろうか。先月、「海雪」という歌で演歌歌手デヴューを果たした。このジェロさん、生まれ育ったのはアメリカであるが、母方の祖母が日本人だったので小さい頃から演歌に親しんでいたのだそうだ。アメリカの大学を卒業後日本で就職し、その傍ら各地のカラオケ大会に出場してあるときスカウトの目に留まり、演歌歌手としてデヴューすることになったのだ。

テレビで彼の歌と日本語を一度聞いたが、見事なものだった。「でも」、と私は思った。こういう話をするとお前は料簡が狭いとか、人種差別とか言われるかもしれないが、私の正直な感想のようなものを書いてみたい。単刀直入に言うと「黒人の演歌には不自然さを感じる」のだ。これは日本語の発音が滑らかでないとか、歌が下手だとか、歌詞の意味をよく理解していないとか、演歌の心をわかっていないとかそういうことを言っているのではない。なかなか言いにくいことなのだが、「見た目」に違和感があるのだ。要は、ビジュアル的に「違う」のだ。

日本の演歌は日本人でなければいけない。このことの是非を議論しようと私はしているのではない。ただ、現実的な話をしようというのである。我々日本人はずっとこれまで、演歌は日本人のものだと思ってきた。普通に日本語を話し、黄色や白色の肌をした日本人が歌うものが演歌だと思ってきた。そう思ってきたところに、突然、黒い肌を持つ黒人歌手が演歌を歌いだした。「それ、違うよね」、と私以外の多くの日本人が口には出さないけれどもそう思っているに違いない。演歌と黒人がどうしても結びつかないのである。私は何を言いたいのかというと、「黒人が演歌を歌ってもヒットしませんよ。1曲くらいは話題性があって売れかもしれないが、その後はきっと長続きしませんよ」という、ジェロさんが売れるか売れないかに関する現実的な結論を言いたいのである。

少し話が飛躍するかもしれないが、「見た目」の問題というのは現実の世界ではとても重要な要素になっていると思う。イケメンと醜男、美人と醜女、黒人と白人その他いろいろあると思うが、これらのことはすべて「生まれながら」の違いである。だから、冷たい言い方かもしれないけれど、イケメンは一生イケメンだし、醜男は一生醜男であって、これが変わることはない(整形という手段はあるかもしれないが)。それでは、一般的に女性にモテルのはどっちだろうか。もちろんイケメンのほうだろう。これが残念ながら現実というものなのであるである。だからと言って、醜男のほうはいじけてはいけない。現実は現実として淡々と受け入れればいいのである。見た目のことは劣等感を持つことなくイケメンに譲り、違う部分で醜男は自分の持つ長所を伸ばせばいいのだと思う。

やっぱり鼻水が止まらない。身体もだるくなってきた。今日はこの辺までにして寝よう。

中野ブラザーズのタップダンス人生、表情です。 [芸術]

IMG_0218.JPGよく「この道一筋」というのがある。日本では、この道一筋に生きてきて社会貢献をしてきた方々に褒賞する制度がある。私の身近なところでも一昨年、北海道にある関係会社の方がこの褒賞を受けることになり、天皇陛下からお言葉をいただくために上京してきたことがあった。褒賞受賞ということで、彼は一躍町の有名人になってしまい、地元ではもう悪い事はできませんよと、苦笑いしながら彼は私に話していた。

私は正直言うと、この道一筋というのがあまり好きな方ではない。「この道」以外は他にやることがなかった、結果的に「この道一筋」になってしまった、こういう穿った見方もできるからだ。こういう見方をするのはへそ曲がりの私だけかもしれないが、現実には結構私の見方が当たっている場合があるのではないかと思う。

今朝上海のホテルでNHK総合テレビを見ていたら、タップダンスの中野ブラザーズが結成60周年記念公演を東京で行うまでの様子をレポートした番組が放映されていた。サンプラザ中野なら知っているが、中野ブラザーズは初めて聞いた。ブラザーズというくらいだからもちろん兄弟であるが、兄が72歳、弟が71歳という高齢の現役ブラザーズなのである。この兄弟、二人ともお元気なのであるが、兄の方は膝の痛みがあって不安を抱えたまま本番当日を迎えるのであるが、観客の大声援などに支えられて見事本番でタップダンスを踊り切り、記念公演は成功裡に終わる。

中野ブラザーズはタップダンス一筋の人生を送ってきたのだが、タップダンスを始めるキッカケとなったのは若い頃映画で観たフレッド・アステアの華麗なタップダンスだったのだそうだ。この番組を見ていて、これまで兄弟に苦労はたくさんあったに違いないが、好きなタップダンスで一生を送る中野ブラザーズがとても羨ましく思った。

何が羨ましいと思ったのか。改めて自問自答してみるとそれは、タップダンスを踊っているときに見せる兄弟の生き生きした表情だったのではないかと思う。タップダンス人生を送る兄弟の生き方そのものを羨ましいと思ったのではないような気がする。自分はビジネスマンを24年やってきて、この兄弟のような表情をしたことが何度あったのだろうかと考えた。自分の表情のことは自分にはもちろんわからないが、多分、本物の生き生きとした表情というのはほとんどなかったのではないかと思う。

今はまだ人生を語らずという吉田拓郎の歌があるが、若輩者の私がいうのは僭越であるが、どんな人生、どんな仕事も楽しいことよりも苦しいことの方が圧倒的に多いに違いない。そんな人生において、どれだけ多くの生き生きとした表情を出せるかが人の幸、不幸のバロメーターなのかもしれないと思った。これはその人が経済的にリッチであるかプアであるかを問わない。リッチでなくても、いい表情で生きている人はたくさんいるに違いない。自分の生き方を今一度考えてみようかと思いながら、テレビを見ていた。

午後4時半頃上海からの飛行機は羽田空港に着いたが、それにしても今日の東京は暖かい。上海も東京と似た陽気で、コートを持って行かなくて正解だった。明日からはコートなしで出勤することにしよう。今日は中野ブラザーズの話をしたので、JR中野駅北口の写真を載せてみた(全然関係ないか)。

メイプルソープの男性器写真、やはり芸術作品でした。 [芸術]

メイプルソープ写真集をめぐる裁判が決着した。アメリカの写真家、ロバート・メイプルソープが撮った男性器が写っている写真集が猥褻(わいせつ)かどうかで争われていた裁判で、最高裁は今日、写真集はわいせつ書籍に当たらないとする判決を言い渡した。下級審である東京高裁では猥褻に当たると判決していて、最高裁の判決はこれを覆す結果となった。私は昨年11月、東京高裁の判決は不当ではないかという意見をここで述べたが(http://blog.so-net.ne.jp/karubi53/2007-11-14)、最高裁がメイプルソープの写真集を猥褻ではなく芸術作品だと認めたことはひとまずよかったと思う。ただ、今回の判決は裁判官4人の全会一致ではなかったことが残念だ。

もう一つ、判決文の一部に少しだけ気になる表現がある。判決文は、写真集が芸術作品としての意図を持って編集されていること、約400ページのうち男性器が写っているものは19ページにとどまることなどを総合的に考慮し、この写真集は性欲を刺激するような猥褻な書籍には当たらないと判断したと述べている。私が気になるのは最後の、「性欲を刺激するような猥褻な書籍」という部分である。この表現は、「性欲を刺激するものは猥褻な書籍」であると言い換えることができる。これはどう考えてもおかしいのではないか。写真集、絵画、小説、映画など、性欲を刺激する素晴らしい芸術作品はいくらでも存在するのではないか。暴論かもしれないが、芸術作品の目指す一つのカテゴリーは性欲の刺激なのではないだろうかと思う。例えば、性的な興奮を求めて谷崎潤一郎や吉行淳之介の小説を我々は読んできたのではないだろうか。

猥褻の定義は何かとか難しいことを言う人がいるが、すべての人が納得するような定義なんかありっこない。常識とか社会通念とかいうものを判断の定規にするしかないのである。この常識とか社会通念とかいうぼんやりしたものが、共同体のなかでは実に有効なツールなのである。それじゃ、常識って何と突っ込んでくる理屈っぽい人がいる。こういう手の人は本当に厄介だ。常識なんて簡単なことで、10人に聞いて、7人~8人が同じことを言ったらそれが常識だと私は考えている。でも、この常識は時間とともに変化することにも注意しなければならない。いつまでも古い常識にしがみついていると、だんだん常識ではなくなって非常識に変わることもある。

最高裁の裁判官は(裁判官でなくともその指示を受けた人が)、東京や大阪や名古屋の街に出て、メイプルソープの写真集を持って道行く人1000人くらいに「この男性器の写っている写真は卑猥に思いますか?」と聞けばいいのである。私は本気でそう思っている。そうすれば多分、800人以上の人は「猥褻ではない。」「奇麗だ。」「面白い。」と答えるだろうと思う。常識というものは、明晰な頭脳を持つ裁判官とか偉い方々が意識して作れるものではなく、世間一般の人たちが世の中の流れを感じながら自然と形成していくものである。裁判官だって、彼の写真集を見て少しは興奮したんじゃないですか。でも、それでいいじゃないですか。

くだらない話だが、メイプルソープというと、食べるほうのメープルをつい連想してしまう。高血圧にはよくないのは承知しているが、パンにマーガリンを塗って、その上からメープルシロップをたっぷりかけて食べるのが好きなのだ。そんなことを思いながら家の近くにあるデイリーヤマザキというコンビニに行ったら、この頃人気が出ているランチパックに、メープル+マーガリンというのがあることがわかった。さっそく購入し、明日の朝食べることにした。でも、朝からこの組み合わせは強烈かもしれない。ということで、一緒に脂肪分を落とす効果があるといわれているサントリーの黒ウーロン茶も一本買った。でもこの黒ウーロン茶、本当に効果あるんでしょうね。

写真は、メイプルソープの作品。


名曲喫茶バロック、ヴィオロン、こちらはうるさくありません。 [芸術]

哲学者の中島義道さんは、日本はうるさい国だという。どういうことかというと、電車やバスなどの公共交通機関に乗ると、電車が来るから白線まで下がってくださいとか、次は右折するので気をつけてくださいとか、とにかく四六時中何かアナウンスをして音を発している。また、商店街などでは広告放送の音が絶えない。こういうことは利用者などに対する親切心で行っていることだろうと思うが、中島さんにとっては余計なお節介、単なる騒音にしか聞こえないらしい。

東京のような都会に住んでいると、音が気になることが確かにある。中島さんの話とはちょっと異なるかもしれないが、私は幹線道路の音がとても気になる。昨年8月に引っ越しをしたマンションは早稲田通りという東京でも有数の幹線道路に面していて、一日中トラックやバイクが発する運転音でいらいらが続き、だんだん夜眠れなくなったのでもう限界だと思い、たった2か月で賃貸借契約を解約した。郊外に住むという選択肢もないではないが、通勤のことや生活利便性を考えるとやはり都心に住みたくなる。

都会に住む住民は落ち着ける静かな空間を渇望している。数日前の産経朝刊に、名曲喫茶が見直されているという記事が載っていた。記事は、吉祥寺にある「バロック」という名曲喫茶を紹介していた。私語禁止の喫茶店で、高級スピーカーから流れるクラシック音楽を聴きながら、ある人はただ目をつむって名機が奏でる最高の音にひたすら耳を傾け、ある人は読書をしながら音楽を聴いている。何時間お店にいても文句は言われず、なかには11時間ねばった猛者もいたらしい。同じ音でも、最高のスピーカーから流れるクラシックの名曲は、人の心にやすらぎを与えるということはあっても、決して騒音にはならないということだろう。私が大学時代に付き合っていた彼女とよく待ち合わせをした喫茶店の名前が「バロック」だった。これもなにかの縁かもしれないということで、さっそく私は今日、吉祥寺の「バロック」に行ってきた。

この年になると休日でも朝早く目が覚める。今朝も6時過ぎには起きてパソコンのメールなどをチェックした。新日曜美術館を見終わってから10時過ぎに家を出て国立に向かった。今日は中央線シリーズである。山村まゆ子さんというアーティストの個展が国立駅前で開催されていた。彼女の独創的な作品が好きで、新しい作品を拝見するために国立に行ったのである。

国立を後にして、いよいよ吉祥寺の「バロック」を目指した(写真)。「バロック」は現在、先代マスターの奥様が一人で店を仕切っている。12時10分頃着いたのだが、開店準備の真最中であった。それでも奥様は店の中に私を招き入れてくれて、おしぼりと水を持って来てくれた。店内は正直寒く、暖かいコーヒーが出てくるのが待ち遠しかった。10分くらいすると暖房も効いてきて、一杯800円ブレンドコーヒーもようやく出てきた。何時間いても800円だから、安いといえば安い。

店内を見ていただくとおわかりのように、一人掛け席がほとんどで、二人掛け席は少しあるが、対面ではなく横に並んで座るようになっている。これは、全員がスピーカーに向かって座れるようにするためにそうなっているに違いない。コーヒーを少し飲んだ後、いよいよレコードがかかった。巨大スピーカーが迫力のサウンドを響かせてきた。たまにプレーヤーの針を通してボツッボツッという古いレコード特有のノイズが入るが、これがまた名曲に何とも言えない味付けをしているようにも聴こえる。私も玄人を真似て、黙って一時間、名曲に耳を傾けてみた。

たまにこういう場所に来るのもいいなと思って席を立つと、奥様が、「もうお帰りですか」と言う。といっても、1時間いた。普通の喫茶店だったら30分もいると早く帰れと言うような素振りを見せるが、ここではどうやら1時間というのは短い方らしい。冒頭にも書いたが、11時間いた常連客もいたという。次の用事もあったので、後ろ髪を引かれる思いで、「バロック」を出た。

次の出没地は阿佐ヶ谷。次も引き続き名曲喫茶。少し前まで、中野ブロードウェイの近くに「クラシック」というこちらも名曲喫茶があった。私も何度か行ったことがあるが、惜しまれつつ3年前に閉店した。この「クラシック」に入り浸っていた常連の方が阿佐ヶ谷にオープンさせたのが名曲喫茶「ヴィオロン」である。こちらにある蓄音機は世界最大級といわれ、まるで生の演奏を聴いているような臨場感がある。コーヒーは一杯350円と格安。ここでも1時間ばかり瞑想にふけり、名曲喫茶のハシゴは終了した。

私も立派やアンブやスピーカーが欲しいと思ったが、いいものを買おうと思うと100万円単位の出費を覚悟しなければならない。それは到底無理なことなので、当分は中央線沿線の名曲喫茶で迫力のサウンドを楽しむことにする。


人間ドック、裸の私は無抵抗状態です。 [芸術]

久しぶりに土曜日の深夜から日曜の朝にかけて家で仕事をした。もともと私は若い頃から徹夜という芸当が出来ないので、夜の9時過ぎに一旦寝て深夜1時過ぎに起き、熱いコーヒーを淹れて眠気を覚ましてから朝の7時過ぎまでパソコンに向かった。若いころは集中力があったのでラジオをつけながらでも勉強や仕事が出来たものだが、この頃は年のせいか滅法集中力が落ち、ラジオの小さな音でも気になって仕方ない。

休憩タイムにテレビをつけると、ジャパネットタカタの通販番組をやっていた。東京に住んでいるとヨドバシやビックカメラのほうが若干安い感じもするが、ヨドバシなどがない地域に住んでいる視聴者にとっては、全国どこにでもすぐ届けてくけるジャパネットは重宝なのかもしれない。それにしても、他人が作った製品を安く売りますと宣伝して注文を取るだけで商売になるのだから、ジャパネットは笑いが止まらないだろう。これまでジャバネットを大きくしたのは、高田社長の強烈なキャラクター、一種のカリスマ性に依るところが大であろう。視聴者は彼が言うなら間違いないだろうと信じ込んで買ってしまう。彼は、視聴者を惹きつけると同時に安心感を与える雰囲気を持っている。ただ、これは高田社長というカリスマがいる間の話であって、彼が何らかの形でいなくなったときに、ジャパネットは真価を問われるような気がする。今は企業の絶頂期にあるだろうと思う。でも、企業も人間と同じで、アップダウンが必ずあるものだ。

さて、いい陽気に誘われて、午後から新宿に行っていつもの「面影屋珈琲店」でコーヒーとケーキを食べてから、総武線に乗って両国まで行った。両国の江戸東京博物館では今、葛飾北斎の特別展が行われていて、代表作である冨嶽三十六景などが展示されている(写真)。北斎は言わずと知れた江戸を代表する浮世絵師で、彼は日本の最も優れた芸術家の一人といっていいのだろうと思う。彼の描く絵の色彩、構図は素人の私が見ても見事だと思う。今日も外国人を含む多くのお客さんが来場していて、彼の人気の高さを示していた。

以前にもここで書いたが、北斎はさまざまなジャンルの絵を描いていて、春画もその一つであった。ひょっとしたら彼が描いた春画が見られるかもと期待していたが、残念ながらそれは一枚もなかった。エロオジサン、がっかり。ロビーに歌麿と北斎の春画ばかりを集めた本が5千円くらいで売っていたが、これだけ買うのは何となく恥ずかしくてやめた。店員さんが若い女性だったことも少し影響した。まあ、いずれにしても北斎は絵画の天才。彼がもし今の世の中に生きていたら、世界を代表する日本の画家と呼ばれていたに違いないと思う。

明日は人間ドック。前回は高血圧を指摘された。上は154。下も100以上あり、どちらかと言うと下の100以上というのが良くないと言われた。まあ、年だから身体のどこかにガタがくるのは仕方ないのだが、その原因を特定するのは多分難しいことなのだろうと思う。酒の量が増えたとか、ストレスだとか、睡眠不足とか、いろいろな要因が重なり合って症状が出ているのだろうと思う。

人間ドックに行くと、健診着というのを着せられる。男性はパンツ一丁になって着る。腹部エコー、心電図、内科診察などのときには健診着を脱いで医師などの前で裸になるが、私はいつもこのときに、医者と患者というはっきりした上下関係を感じる。裸の私はいわば無抵抗だ。医師はワイシャツ、ネクタイの上から白衣を着ていて、これは正装というか重装備だ。もし私もワイシャツとネクタイをして背広でも着ていたら、きっと医師と対等くらいの気持ちになれるかもしれない。でも、裸では医師の軍門に下るしかない。

患者が裸になるのは診察のためというのが最大の理由であることは明白であるが、医師と患者にとってはもう一つの効果があるような気がする。それは、患者である自分の身体のことについては、すべて医師にお任せします、あとは煮るなり焼くなりしてくださいという、患者を一種の無抵抗状態にするという機能があるのではないかと思う。実はこのことは、医師と患者の間ではとても大切なことのような気がする。医師にすべてを任せてしまった患者と、医師を疑ったり医師に抵抗感を持ったりしている患者とでは、病気の治り方が違うような気がするのである。信じる者は救われる、病は気からという言葉があるように、患者は医師に信頼感を持って身を委ねたときに、治療の効果が最大限発揮されるのではないかと思う。

人間ドックから話が飛躍してしまった。お腹が少し空いてきたが、午後9時以降は飲食禁止なので何も食べられない。我慢、我慢。


メイプルソープ、男性性器は芸術です。 [芸術]

昨日、ある学生の面接を行った。来年3月卒業予定、某有名私立大学在学中の男子学生である。私は総務の仕事に携わって今年で10年になり、これまで多くの新卒学生、契約社員などの面接を行ってきた。面接時の思惑通り会社で活躍してくれた社員も多いが、残念ながらそうはならなかった社員も少なくない。

昨日面接した学生から次のような質問を受けた。「会社が新入社員にもとめるものは何ですか」。学生と面接するとこの手の質問がたまにある。これを聞いてどうするのかなといつも思う。ただ、聞かれるので一応答えることにはしているが、この質問に対してはいろいろな回答ができるのだろうと思う。ガッツのある社員になってほしい、チャレンジ精神を持った社員になってほしい、自分の考えをしっかり持った社員になったほしい、協調性を持った社員になってほしい、等々。

どの答えももっともだと思う。私はこの質問が出ると「好奇心のある社員です」と答えることにしている。すると学生は必ず「好奇心ですか。はい、わかりました。ありがとうございます。がんばります。」と覇気を見せるが、本当にわかっているのかなと思いながらいつも見ている。

私は、自分の世界を広げたり、物事を前進させたりする原動力となるのは好奇心だと思っている。この好奇心がなくなると、いろいろなことが停滞、停止して前に進まなくなる。これは何もビジネスの世界に限ったことではないと思う。

部下に聞くところによると、今の学生は就職テクニックに長けていて、上手な履歴書の書き方とか面接の受け方をかなり研究しているという。なるほど、たまに書店に出かけたときに就職コーナーの棚を見てみると、それらのハウ・ツー本がぎっしりと並んでいる。私が就職した頃にはこんな類の親切本はなかった。

冒頭の学生は、こんな質問もしてきた。「会社に入って、ステップアップ(どうやら彼は、出世のことを言っているらしい)するために必要なことは何ですか」。私は多少辟易してきて適当に答えた。どうして、会社の求めるものがそんなに気になるのか。どうして、会社に自分の形やサイズを合わせようとするのか。会社を自分に合わせてやるくらいの気概がほしいと、いつも思う。残念ながら、この学生には、不採用の連絡をその後行った。

さて、今日新聞各紙に、写真家メイプルソープの写真をめぐる「わいせつ」裁判のことが載っていた。私もソープの男性ヌード写真をこのブログで転載させていただいたことがあるが、彼の作品は個性が光る芸術作品だと思っていた(http://blog.so-net.ne.jp/karubi53/2007-02-20)。

彼の写真集を日本で販売するに際し、これはわいせつ物にあたるとして、東京税関が差し止めを行った。これを不服とした輸入元の会社社長が裁判を起こし、一審の東京地裁では「芸術作品」として勝訴したが、二審の東京高裁は、この写真集は男性性器が露骨に写っているなどの理由からわいせつ性があるとして、逆転敗訴の判決を行った。会社社長はこれを不服として最高裁に上告、これを受け最高裁は来年一月、口頭弁論を開くことになった。これによって、ソープの写真集が日本で販売される可能性が出てきた。

芸術かわいせつかという議論は、昔からよくある。今回の件でいえば、とにかく、ソープが撮った写真をよく見てみることだと思う。そして、みんなの意見をよく聞くことだと思う。なるほど、男性性器が写っている写真もあるが、私はその写真を見てわいせつだと思わなかった。バランスのとれた構図、隆々とした男性の肉体美、そして、見事な男性性器が写っていた。もし、男性性器がダメだといったら、絵画はどうなるのだろう。例えば、春画なんかは即取締りの対象になってしまうだろう。写真はダメで絵画はOKということなのだろうか。私にはよくわからない。

写真は、今夜の銀座。ディオールとアルマーニが競っている。


吉野家、カラ館、女性一人でも入れます。 [芸術]

先週行った名古屋は、日本で初めて地下街を作ったところだ。五つある地下街はどれも名古屋駅に直結していて、消費者からすると、ほとんどの用事が駅構内で足せるので便利であるし、店舗経営からしてみても、こんなに有利な場所はないということになろう。私も土曜日の朝、地下街のパン屋さんで朝食をとった。

今日の産経朝刊は、東京都は鉄道事業者(JR、私鉄)に対し今月10日、鉄道事業者が駅構内で通勤、通学などの駅利用者をターゲットに商業施設を展開するビジネス(「駅ナカビジネス」というのだそうだ)に対し、固定資産税の見直しをした結果を通知すると伝えた。

これまで「駅ナカ」に対する固定資産税は、駅周辺の3分の1程度に低く抑えられていた。昔は、駅構内にある店舗といえば、新聞、缶ジュースなどを売るキオスクやブラックホームにある小さな蕎麦屋くらいのものであった。ところが最近では、「駅ナカ」の店舗が高層ビルに入居するケースが増えて商業化に拍車がかかり、もはや「駅ナカ」を税務上優遇する意義が薄れてきた。

これは東京都のケースであるが、同じことが全国の主要都市でもいえるのではないか。私がたまに出張で行く札幌の札幌駅も同様の状況だと思うし、今回訪れた名古屋駅もそうであろう。今後、「駅ナカ」の固定資産税が引き上げられれば、地下街にある店舗で売られる商品の価格アップにもつながる可能性もあるので、他人事ではないかもしれない。

さて、話は変わって、カラオケの話。私はたまに一人でカラオケに行くことは以前書いた。先週行った名古屋ではさすがにそれはやらなかったが、年末の宴会シーズンに向けて、これから何度がボックスに行って一人で練習するつもりだ。

私のような孤独な一人カラオケ族は少数派と思っていたら、どうもそうではないらしい。再び産経によると、一人でカラオケに行く人、略して「ヒトカラ」というのだそうだが、この「ヒトカラ」が増えている。

ある大手カラオケ店によると、平日昼間には講義の空き時間に来る学生や主婦など幅広い層のカラオケファンが一人でお店にやってくるのだそうだ。人によっては、4時間から5時間一人で歌っているという。私なんかは1時間半も一人で歌えば声帯がいかれてくる。5時間というのは兎に角凄い。

ところで、何故「ヒトカラ」族が増えているのか。大手広告代理店、博報堂の分析によると、「携帯電話やメールで常につながっている状態に疲れ、すべてを遮断して一人になれる空間を求める人が増えている」からだという。もっともらしく聞こえるが、はっきり言うと、「ヒトカラ」と携帯電話やメールの間には何の関係もないと私は思う。「ヒトカラ族」が増えた理由は、一人でカラオケに行くことが決して暗いことでも、恥ずかしいことではないという、世の中のムードが醸成されただけのことだと私は思う(それまでは、「ヒトカラ」は私のように暗い人間のすることと蔑視されてきた)。

別の例を挙げよう。吉野家に女性一人で入ることは少し前まではかなり勇気のいることだった。しかしながら、吉野家に少しずつ女性客が増え始めているという情報が流れはじめると、それまで入りたくても入れなかった女性は居ても立ってもいられず、お店に行って並盛とみそ汁を注文してみたくなる。そしてある日、羞恥心を捨てて店舗行きを決行する、ところが、食べ終わってみると、何故自分はこれまでこんな簡単なことを躊躇してきたのかと悔しい気分になる。その後は、食べたいときに一人で吉牛に行けるようになる。「ヒトカラ」もこの話と同じレベルのことだと考えればよいのではないだろうか。

さて、またまた違う話。夕方少し時間があったので、上野の東京都美術館に行ってきた。東京展という催しが行われていて、イラストレーターである石井三捺さんの作品を見てきた。和服を着た日本女性を描かせたら、石井さんの右に出る者はいないと思うくらい、彼女の作品はセンスがあって素敵なものが多い。石井さんの描かれた作品を私は二つ持っているが、気に入ったものがあればもっと増やしていきたいと思っている。写真は、東京都美術館前にあるオブジェ。ちなみに、球体の中心に写っているのが小生。


名古屋コーチン、男性天国「錦」、名古屋の夜はディープです。 [芸術]

午前11時15分、新幹線のぞみ81号は定刻通り名古屋駅に到着した。今日は1日だけ休暇をもらい、初めての名古屋にやってきた。新幹線に乗れば2時間もかからないで行ける名古屋なのに、私はこの大都市に一度も留まったことがなかった。

名古屋ど素人の私を、ブログで知り合った名古屋在住の美人画家、蝶々さんが案内してくれることになった。蝶々家には3匹の芝犬がいて、今日は3匹のなかでも一番やんちゃな良狗(りく、写真)が蝶々さんと一緒に私を出迎えてくれた。

尾張名古屋は城でもつ。徳川家康が命じて約400年前に築城した名古屋城(写真)をまず訪れた。私はお城というものを間近に見るのはこれが生まれて初めてである。名古屋城といえば何といっても金のシャチホコ。オリジナルは第二次世界大戦で焼失し、現在の金シャチは昭和34年に天守閣とともに再建された。城内では今、安土桃山時代に使われていた刀剣、火縄銃などが展示されている。北海道という歴史の浅い土地で育った私には、安土桃山時代とか江戸時代といっても全く臨場感がない。

昨年愛媛県の大三島神社に行った時に、嘘か本当か知らないが源平合戦で使用された刀などが展示されていて、「へーっ」と思ったが、そのときに似た感情を今回も持った。天守閣からは名古屋市内が一望できたが、遠くに見えるある地域が関ヶ原であると説明書きがあり、やっぱり「へーっ」と思った。本州(北海道人は内地という)は北海道と違い、やはり歴史の重厚感が違うなと改めて感じた。

夕飯は、鳥料理の老舗「鳥久」で名古屋コーチンの鍋料理を頂いた。この店の名物料理は名古屋コーチンの味噌鍋。黒く厚い鍋に脂を薄くひき、そこに玉ねぎ、長ねぎ、しらたきなどを入れて少し焼く。適度に焼けたら、白い鳥スープを鍋に注いでひと煮立ちさせる。そこに甘く味付けされた八丁味噌を流し込む。そのあとにいよいよ主役の名古屋コーチンが登場する。つくね、レバー、モモ肉などを豪快に鍋の中に放り込み、全体に味噌が具材にしみ込んだら出来上がり。八丁味噌の甘さが名古屋コーチンとよく合う。特につくねは絶品だった。明治に建てられた風情ある店舗の個室で食べる味噌鍋に舌鼓を打った。

蝶々さんとはこの店で別れ、私は一人、錦というバー、クラブ、キャバクラなどが密集する繁華街に繰り出した。初めての名古屋で夜のしきたりも知らない一見さんだったが、客引きのおにーさん達の誘惑を敢然と振り切って、私はあるキャバクラを選んで潜り込んだ。まあ、命まで取られることはないだろうと思い、思い切って入ったのだが、結果としては看板に偽りなしの良心的なキャバクラだった。名古屋弁丸出しの20歳くらいのホステスさんの話を聞いていると、今自分が名古屋にいることを実感した。

日中は暑かったが、夜はさすがに涼しい。錦からホテルまではタクシーに乗った。そのタクシーの運転手さんが、自分は巨人ファンだと言っていた。実は名古屋には巨人ファンがかなりいるというのだ。私はにわかに信じられなかったが、もしそれが本当であるならば、私は名古屋に対してもっと親近感を持てるのではないだろうかと思った。


闇の世界、版画家・ゾウのマーク・北朝鮮。 [芸術]

TBS系列で「岸辺のアルバム」という名テレビドラマが放映されたのは今から30年前だった。八千草薫、杉浦直樹などが出ていた。国広富之はこの作品でデヴューした。平穏無事に見える中流家庭の崩壊がテーマで、このドラマの脚本を書いたのが山田太一さんだった。それから数年後に大ヒットすることになる「ふぞろいの林檎たち」も彼の手によるものだった。

今日の「日曜美術館」で、その山田太一さんが版画家・濱口陽三について語っていて、なかなか面白かった。闇の中から出てくるような濱口の絵は、西洋印象派の眩しい光とは対極にある日本の感性であるとか、題材を日常にこだわっている点は映画監督である小津安二郎と共通点があるとか、脚本家らしい視点での解説に説得力があった。光と影(闇)、日常というキーワードは、山田さん自身の作品テーマでもあることは、番組が進んでいくと自然とわかってくる。

さて、午後から新宿に出た。高円寺に引越ししてから新宿が今まで以上に近くなった。実はまだ引越し荷物が完全に整理できていないのだが、そんな折、松本引越しセンターの社長が自殺したというニュースが流れた。私はこれまで引越しはずっとゾウのマークの松本引越しセンターに頼んできたので、この会社には少なからず親近感を持っていたので驚いた。自殺した社長は創業家の2代目で、まだ43歳と若い。激戦の引越し業界にあって、なかなか業績が伸びなかったことが自殺の原因といわれている。遺書には「私は弱い人間でした」と書かれていたという。何の不自由もなく育った創業家2代目の心の闇とは何だったのだろうか。

新宿「面影屋珈琲店」のカウンター席は一杯で、仕方なくテーブル席に座った。しばらくすると若いカップルが横のテーブルに座った。居酒屋や喫茶店で横に座ったカップルなどの会話に聞き耳を立てるのは、私の悪い癖だ。今日のカップルは知り合って間もない感じで、年はともに20代半ば。男性のほうがどうも落ち着かない。ストローを入れてあった紙袋を何度も結んでいる。会話が途切れ途切れで、突然、男性「この前の台風凄かったね」、女性「そうね」。会話終了。こんな感じだ。私が少し話題を提供しようと思ったが、余計なお世話なので止めた。でも、彼のもじもじとした姿が何となく新鮮に映った。

そんな初心(うぶ)なカップルの横で、オジサンはちょっとアダルトな本を読んでいた。『実録 北朝鮮の性』。韓国に脱北した著者が10年位前に著した本の文庫なのだが、日本に住んでいる私たちから見ると滑稽、異常としか思えない北朝鮮の性事情を垣間見ることが出来る。この国にはコンドームがほとんど出回っていない。もし結婚前に女性が妊娠した場合、中絶しなければならない。これは党の方針で決められている。北朝鮮にはラブホテルがない。では、好きあった男女はどこでセックスをするのか。一つは青姦。とうもろこし畑やわらの山で性交する。もう一つはトイレだそうだ。

少し前に、日本の厚労大臣が「女性は子供を生む機械」と発言して物議を醸し出したが、北朝鮮には特殊な任務を課せられた女性たちがいて、まさに人間機械と化している。彼女たちは「胎児生産組」と呼ばれるグループに属していて、党の勢力絶倫幹部に身を捧げ、妊娠すると子供を産むのではなく、中絶して胎児を取り出す。胎児は、精力剤や強壮剤に調剤され、金主席や党幹部に捧げられる。嘘のような本当の話と著者は書いているが、もし本当であるならば、この国はどうにかしている。闇だらけの国、それが北朝鮮なのかもしれない。

写真は、濱口陽三の作品「Bottle with Lemons and Red Wall」。


バッハの楽譜、北海道の地下保管倉庫にどうぞ。 [芸術]

私がよく行く新宿「面影屋珈琲店」や銀座「壹眞(かずま)珈琲店」のBGMはいつもクラシック音楽だ。クラシック音楽に造詣は深くないが、モーツァルトやバッハの有名な楽曲くらいは私でも知っている。珈琲を飲みながら聴くモーツァルトの曲はどれも心地よいし、バッハのバロック音楽は珈琲店のBGMとしては最も相応しい音楽のような気がする。札幌の学生時代、大通り公園近くにその名も「バロック」という喫茶店があった。その店では常時バロック音楽を流していて、当時付き合っていた彼女との待ち合わせ場所の一つであった。

さて、バロック音楽のバッハが今、地球温暖化の犠牲になろうとしている。今日の東京新聞は、ドイツにあるバッハ資料財団で、バッハが直筆で書いた楽譜などが暑さと湿気のせいで傷み、穴が開いてしまうものも多数出ていると伝えた。紙の保存には20度くらいが適温であるが、地球温暖化の影響でドイツでも30度を超える日が多くなり、空調設備が不十分な財団では保存している楽譜などに深刻な影響が出始めた。財団は対策として財団を1年以上休館させ、8億円を投じて空調設備を整備することにしたのである。

美術品もバッハの直筆楽譜と同様、温度、湿度に敏感で、昔冗談で、東京のような高温多湿の場所に美術品を保管するよりも、年中涼しい北海道釧路市あたりで、地下に保管倉庫を作ってそこに安く美術品を預かったらどうかと提案したことがある。私としては新規事業の一つとして提案したつもりだったが、当時賛同者は少なかった。でも今日の記事を見て、8億円の設備投資をするくらいなら、温度、湿度の年度変化が少ない天然地下倉庫で書籍、美術品などを保管したほうが圧倒的にコストが安くつくとのではと確信した(ただ、空調設備は地下倉庫でもある程度必要になる)。改めてもう一度地下保管倉庫の件、検討してみよう。

新規事業の話をもう一つ。実はカジノの研究も少しやっている。数年後、議員立法によるカジノ法案成立が囁かれていて、全国で多くの自治体が誘致準備に入っている。ただ、全国各地にカジノを作るということではなく、せいぜい2~3箇所といわれている。噂によると、沖縄、東京、北海道が誘致先有力候補とされる(飽くまでも噂)。

アメリカの大学でカジノを勉強し、実際にカジノで働いた経験も持つ中條辰哉さんの『日本カジノ戦略』によると、カジノは普通にやれば必ず儲かる商売だという。確率論としてそうなるという。ところで、ギャンブルには控除率というのがある。胴元が客の掛け金からある一定割合を控除する場合における、その割合のことを控除率という。バカラ、ブラックジャック、ルーレットなどのカジノゲームでは、控除率は大体1%~5%である。日本の場合、競馬、競輪、競艇などの控除率は25%、宝くじ、totoに至っては控除率は50%である。

先日、馬インフルエンザという聞き慣れない病気が日本中央競馬会(JRA)所属の馬の間に広がった。病気は拡大の様相を示していたが、JRAは1週間だけ開催を中止しただけで、次の週からレースは再開された。一説によると、1週間開催を中止すると100億円単位、1か月開催を中止すると1000億円単位でJRAは減収になるという。控除率25%のギャンブルであるから、開催さえすればガバガバ儲かる。JRAを管轄する農林水産省は減収を怖れて早期再開に踏み切ったに違いない。

よく言われることだが、ギャンブルは胴元にならなければ儲からない。日本の場合、公営ギャンブルは農林水産省、国土交通省、文部科学省などの国が胴元になっている。我々がギャンブルをして負けることは、国が主催するギャンブル事業の売上に貢献することを意味するのである。

写真はシャロン・ストーン。映画「CASINO」に出演していた。


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