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あまのじゃく、へそ曲がり、ひねくれ者、です。 [時事]

IMG_0217.JPG昨夜、家でテレビを観ていたら(私はかなりのテレビ好きである)、タレントが漢字の知識を競う番組を放送していた。漢字検定一級(漢字検定は、元理事長が私腹を肥やした団体が主催する有名な検定)の資格を持つ宮崎美子や、めざましテレビでお馴染みの大塚キャスターなども参戦していた。

30分くらい観ただろうか。なんとなく馬鹿馬鹿しくなってきて、チャンネルを替えたら、ボクシングのタイトルマッチをやっていて、こちらのほうは文字通り身体を張った真剣勝負で、漢検番組よりも圧倒的に面白かった。

人より漢字を知っているから、どうだというのだろうか。この番組に限らず、この頃、知識の量を単に競う番組が多くなっているような気がする。東大、早稲田などを卒業した「高学歴芸能人」がクイズ番組によく出てきて、知識のあることを自慢げに披露しているが、よく恥ずかしくないなと思う。放送局のほうも、こんなつまらない番組を作らずに、人間の情緒力を養うような奥行きのある番組、もしそうでなければ、無条件に腹を抱えて笑えるような馬鹿馬鹿しい番組を作ってほしいと思う。

さて、私は、あまのじゃく、へそ曲がり、ひねくれ者の類の人間なので、いつもこのブログでいちゃもんばかり書いているが、今日も一言。

昨日、菅総理が閣僚たちと休日返上で勉強会を行ったことがニュースになったが、「いまさら勉強なの?」と私は思った。勉強はもうすでに終わっていて、勉強して学んだ知識を上手く組み合わせて「アウトプット」する場が政治なのではないだろうか。これから勉強というのでは、国民の生活が豊かになる具体的な施策がいつ実行されるか、わかったものではない。

漢検番組やこの勉強会のニュースを観ていると、日本人は総じて、知識の詰め込みは得意であるが、学んだ知識の効果的な「アウトプット」があまり得手ではない、そんな感じがする。

写真は、今日夕方の新宿通り。

今夜はあなたにワインをふりかけ。 [時事]

naomi-kawashima-00141156.jpg民主党の代表選は結局、菅総理と小沢前幹事長の一騎打ちになった。いろいろ紆余曲折があったようだが、今回の一連の騒動の中で、主役を張ったのは菅総理でも小沢前幹事長でもなく、私には、鳩山前総理に思えた。「トロイカ体制」という古色蒼然とした言葉を持ち出したのも鳩山さんらしいが、ちゃっかり自分もその「トロイカ体制」の一人にカウントしているところが何とも面白いと言うか、傍若無人のような気さえする。なぜなら、鳩山さんは引退すると一度宣言したのだから、表舞台から去るべき人なのだから。

一時は「挙党態勢」で了解した菅総理であったが、小沢さんサイドから新内閣の「人事」話を持ち出され、菅総理は態度を一変させた。このあたりを見ていると、菅総理は実に甘い人だなと思う。なぜかというと、「挙党態勢」は何でもかんでも菅総理のために協力するという意味ではなく、協力するかわりに「それなりの閣僚ポストをくださいね」というのが真意であることは、我々素人でもわかる話だからだ。菅総理には「政治的カン」がないと評する人がいるが、なるほどなと思う。

会社やいろいろな組織で働く人の、最大の関心事は「人事」なのだ。そんなことは社会人になった経験のある人なら誰でもわかることだ。ましてや、日々権力闘争に明け暮れている政界にあっては尚更のことだろうと思う。まあ、いろいろあるが、小沢さんには「政治とカネの問題」というネックがあるのだろうけど、それを数百倍上回る政治的成果を出せるというのであれば、小沢さんに総理大臣をやってもらうのも国民の一つの判断ではないだろうか。

さて、赤坂飲食店で出すワインを選ぶために、夕方、試飲会をやった。私はワインの上手い、不味いが判断できないので、ワイン通を自認する社員数人に集まってもらい、判断してもらった。ただ、正直言うと、彼らの舌を絶対的に信じているわけではないのだが、どうにも決めようがないので、彼らが上手いというワインをお店で提供しようと思っている。それにしても、ワインというのは世界中に存在していて、幅が広く奥行きも深い飲み物だ。

明日午後から今週二回目の釧路に行く。土曜日に戻る予定になっていて、今度こそは、脂の乗ったサンマの塩焼きを釧路で食べてこようと思う。

芸能界のワイン通の一人として知られる川島なお美さん(写真)。今日の試飲会で、彼女が美味しいと薦めている赤ワインを飲んだが、私以外の全員が美味しいというので、結局、お店で出すことにした。

あの世のみなさま、おひまなら来てね! [時事]

IMG_0119.JPG今朝の産経コラム「産経抄」に「えっ、本当?」というように話が出ていた。アメリカでの話であるが、心臓移植を受けた40代の女性が手術後、食べ物の好みが変わり、性格が男っぽくなった。心臓を提供したドナーの家族を探し出すと、バイク事故で脳死になった18歳の若者の嗜好と一致していることがわかった。いわゆる「記憶する心臓」の一例だそうだ。

このコラムはもちろん、改正臓器移植法下で初めて実施された臓器移植に関連したものであるが、「記憶する心臓」の話は私には衝撃だった。この話が一般的であるとすれば、脳死によって心臓を提供するドナーの性格、食べ物の嗜好などの情報が、移植される患者に「引き継がれる」ということになるわけだから、そうなると、例えば、私が脳死して誰かに心臓を提供すると、私の心臓を移植された患者さんは、その後は私と同じような性格に変わってしまう可能性があるということになる。

私は実は前々から、脳死になったら臓器を提供するつもりでいた。でもこのコラムを読んで、今一度考えてみたくなった。だって、心臓を貰っていただくのはいいが、その後患者さんが、私のような自堕落でいい加減な人間に変わってしまうことは、いかにも不幸なことだからだ。それにしても、繰り返しになるが、「記憶する心臓」というのは凄い話だ。

お盆なので、今日は、人間の死について続けて書いてみたい。ご存知のように、日本中で今、所在不明老人のことが話題になっている。この件について石原東京都知事が「死んだ人間の死を報告もせず、弔いもしない、日本人は一体どうなってしまったのか。」というような趣旨のコメントをしていたが、もっともなことだと思う。

さて、このブログで何度も書いているので、もう飽きたという人もいるかもしれないが、しつこくまた書かせてもらう。私は「あの世」「来世」というものを信じていない。その理由は実に単純で、「あの世」「この世」を見たことも、誰かに見せてもらったこともないからだ。さらに、私は「幽霊」「魂」というものも信じていない。その理由も、「あの世」「来世」を信じない理由と同じである。

だからといって私は、身内の人間が亡くなったら、きちんと役所に届出をするし、弔いも行う。これは、「あの世」「来世」「幽霊」「魂」を信じるとか、信じないとかいう問題ではなくて、一種の「社会的ルール」「社会的儀式」だからである。「人間が死んだのに弔いをしなければ、死んだ人が化けて出てくるかもしれない。だから、人間が死んだらきちんと弔いをしましょうね。」というのは、その内容が真実であるかどうかはあまり重要ではなくて、「そういうもの」として日本では古くから人の死に関するコンセンサスになっている、だからそうすることが社会人として求められているのである。

さっきまで、テレ東で「懐かしの昭和メロディ」を放送していて、それを観ながらこの記事を書いていた。3時間特番で、亡くなられた懐かしい歌手がたくさん出ていた。これもお盆の時期ならではのことか。

写真は、若かりし頃の五月みどりさん。本当にかわいい。番組ではヒット曲「おひまなら来てね」を歌っていた。

これから人間活動します、でも、今までも人間活動ですが。 [時事]

IMGP0095.JPG本日、風邪でダウン。朝起きたら、冷房がガンガン効いている部屋で、お腹を出して寝ていた。ヤバイと思ったが、案の定、会社に行ったら鼻水が止まらない。一時間もしないうちに、ゴミ箱はティッシュで一杯。結局、昼前に早退。風邪薬を飲んで家で静かに寝ていた。

夕方、少し体調が良くなったので布団から這い出し、パソコンを立ち上げたら、世の中では今日もいろいろなことが起こっていた。日韓併合百年にあたって首相談話が出されたとか、改正臓器移植法下、初の臓器移植が始まったとか、台風4号が明日、九州北部に接近するとか、今日もいろいろなニュースが報じられているが、私が一番興味を持って読んだニュースは、宇多田ヒカルの歌手活動休止宣言だった。

宇多田さんはしばらくの間「アーティスト活動」を止め、「人間活動」をするのだそうだ。彼女はブログで、自分は15歳から音楽活動ばかりやってきたおかげで、人として大事な部分の成長が止まっていて、アーティストとしてもっと進化するためには、音楽とは別のところで、人間として成長しなければならない、そう書いている。「人間活動」とはどうやら、音楽とは別のところで人間として成長するための活動、ということのようだ。

「人間活動」とは彼女らしいユニークな言葉だと思うが、天才アーティスト・宇多田ヒカルさんのことだから、「人間活動」終了後はもっと大きなアーティストになって帰ってくるに違いない。でも、そういうことが可能なのは宇多田さんが一種の天才だからであって、私のような凡人が同じようなことを真似しても、得るものはほとんどないし、もっとはっきり言えば、時間がムダになるだけである。

物事に行き詰って、「自分探しの旅に出る」というがよくある。今回の宇多田さんのケースもこれに近いと思うが、自分探しの旅と言えばなんとなくカッコいいが、普通の人は旅に出たくらいで自分を発見するのは不可能に近いと思う。そもそも、いくら深く考えてみても、自分のことは自分ではわからないものだ。「自分は人に優しい」「自分は公平な人間だ」「自分は仕事ができる」、例えばあなたがそう自己評価しているとしよう。でも、あなたの周囲の人々の評価はそれらとは異なるのがほとんどで(場合によっては、全く逆の評価だったりする。)、要は、あなたのことを一番良く知っている人間はあなた自身ではなく、あなたの周囲にいる他人なのである。

もしそうなら、自分をもっと客観的に見ればいいじゃないか、そうおっしゃる方がいるかもしれないが、残念ながら、自我のかたまりである人間にはなかなかそういう芸当は出来ないものだ。自分のことに関して他人の意見などを冷静に聞いているつもりでも、実は何一つ真剣に聞いていない場合がほとんどで、自分の評価、自分の考えていることがやっぱり一番正しいのだ、大体そう思っているものだ。


まだ少し熱があるようだ。風邪薬を飲んで今日は早めに寝ることにしよう。

写真は、一昨年の高円寺阿波踊りの写真。バックから撮った写真だが、私はこのアングル、艶っぽくて気に入っている。

食欲、性欲、金銭欲、物欲、われわれのことです。 [時事]

IMG_0100.JPG驚くような出来事が本当に毎日のように起こる。この世の中に平安な一日なんて一日も存在しないのではないか、そんな気にもなってくる。大阪では、23歳の母親(母親といっても、写真を見ると実に幼い感じがする。)が、3歳と1歳になる自分の子どもを放置し、餓死させた。また、東京では、民家で生きていれば111歳になる老人の白骨化した遺体が見つかった。実は30年前に亡くなっていたのではないかと見られている。

貝原益軒は人間の基本的な欲望は、食欲と性欲だと言ったが、このような事件を見ていると、この世を支配しているものは悲しいかな、人間のギドギドした金銭欲、物欲といったものではないかとつくづく思う。東京のケースでは、老人が生きている前提で支給された年金などを、家族が使ってしまった疑いが持たれている。

金銭欲も物欲も、何も今始まったわけではない。でも、それらの欲望に基づいた異常とも思える事件が、どうして今の時代に起きるのだろうか。専門家の方々のいろいろな分析はあると思うが、私が考える原因の一つは、「多くの人たちにとって、今は夢のある時代ではない」ということだと思う。

「貧しくも美しく生き」という言葉があるが、お金がなくても、自分の欲しいものがすぐに手に入らなくても、ちょっとがんばれば先が開ける、未来がある、そんな時代ならば、我慢がきく。映画「三丁目の夕日」の時代は、まさにそういう時代だったのだろうと思う。今の時代はどうだろうか。才能ある人にとって、時代の変化は関係ない。才能で食べていけるからだ。でも、世の中の99%を占める我々凡人は、経済の微妙な変化に翻弄されながら生きている。とりわけ今の時代は、これまで日本が経験したことのない低成長時代で、給料が上がるどころか、下がってしまうような辛い時代であり、そこそこ生きることさえ「体力と知恵」が求められる。だから、あー、嫌になっちゃう、すべてが馬鹿馬鹿しい、そう思う人が出てきても全然おかしなことではない。

その他の理由として、「価値観の多様化、個性をあまりにも安易に許す世の中になった」「極端な勧善懲悪の世の中、綺麗事の世の中になった」こと等、いろいろな原因があると思う。いつの時代も、世の中の仕組みを変えるのは政治の仕事である。しかしながら、もし政治家まで金銭欲、物欲に翻弄されているとすれば、日本は本当に沈没してしまうかもしれない。

さて、今日はまたまた釧路に来ている。羽田からの便には多くの観光客が乗っていたが、ビザ支給要件の緩和を受け、これからは中国人観光客も激増することだろう。ところで、写真は今朝の羽田空港の様子であるが、中国語で「全日空」は、「終日、空席」という意味だそうだが、中国人観光客がたくさん来てもらえば、「終日、満席」になるかもしれない。



大阪、やっぱ好きやねん。 [時事]

IMG_0090.JPG昨日、休暇を取って大阪に行ってきた。大阪にはここ数年、年に一度か二度プライベートで行っているが、真夏のこの時期に行くのは初めてだ。ただ、今年は梅雨明け以来東京でも猛暑が続いていて身体が暑さに慣れていたせいか、大阪の暑さはそれほど辛くはなかった。

金曜日、昼前に出発予定の伊丹行きのJAL便が定刻を1時間10分遅れて出発した。出鼻をくじかれた格好になったが、急ぐ旅でもないので焦らなかった。午後梅田にあるホテルにチェックインして、斎戒沐浴ではないが、夜に備え熱いシャワーを浴びた。夜はまず午後6時から甲子園球場に行って阪神・中日戦を観戦し(写真)、それから梅田に戻り一杯やる、そういうスケジュールになっている。

まずは、甲子園球場。結果はご存知のとおり、阪神が3-2で中日を破り首位を守った。私はずっと巨人ファンであるが、甲子園球場での阪神ファンの熱狂的な応援が大好きで、彼らと一体になりたくて、ただそれだけの理由で年に一度甲子園に行っている。だから、私は「阪神」ファンではなくて、正確に言うと「阪神ファン」のファンなのである。

今回何度目かの甲子園に来て、阪神ファンにとって、阪神タイガースというのは生活の一部、もっと言えば、心の支え的な存在なのだろうとつくづく思った。甲子園に行く前、昼間暑かったので歩いても行ける距離のところをタクシーを拾い、悪いと思い私は運転手さんに「近くてごめんなさいね。」と言ったら、「お客さん、そんなこと言わんといてください。不景気ですから、短い距離でも助かりますわ。」(大阪弁、間違っているかもしれませんが、勘弁です。)と運転手さんが答えてくれた。この運転手さんもきっと熱狂的に阪神ファンで、阪神タイガースが活躍すれば仕事上の辛いことも忘れられるに違いない、そんなことを勝手に思った。

7回裏が終了した時点で、甲子園を出た。阪神電鉄に乗って梅田に戻り、「新梅田食道街」で一杯やった(「食堂街」ではなく、「食道街」というのが大阪らしくて面白い。)。甲子園で生ビールを2杯飲んで(甲子園のスタンドでは、アサヒビールしか売られていないの、ご存知でしたか?アサヒビールは、甲子園球場のオフィシャルビールなのだそうです。値段も1杯600円で、東京の球場よりかなり安いのです。)少しほろ酔い気味だったが、大阪に来たら串かつ(関東では、「串揚げ」と呼ぶのが一般的。)ということで、松葉本店で再び生ビールと串かつ数本をいただいた。

松葉本店で気付いたことが二つあった。一つは、中国人女性の店員が多いこと(去年来たときより増えている感じがした。)。もう一つは、角のハイボールを注文するお客さんが多いこと(今やっている飲酒店プロジェクトの参考になった。)。この二つである。ところで、以前にも書いたが、ご存知ない方のためにもう一度書くが、松葉本店では串かつの料金をどのように計算しているか。ポイントは、料金によって串の長さを変える、である。食べ終えると、取り皿に残った串を長さ別に手際よく店員が仕分けし、料金を暗算で出す。この速さは見事という他ない。ということで、〆て1200円を支払い、松葉本店を後にした。それから「食道街」にある居酒屋でタコぶつ、だし巻き卵などを食べながら一杯やり、本日終了とした。


IMG_0097.JPG今日午前中、阪急梅田駅(写真)で蛍池駅まで行き、そこでモノレールに乗り継いで伊丹空港に行き、空路、羽田に戻った。伊丹空港では大好きな赤福を買った。大阪に行っていつも思うが、気の利いた大阪のお土産って何があるだろうか?北海道の「白い恋人」、博多の「博多通りもん」、名古屋の「ういろう」、そういう類のものが大阪にはないような気がする。堂島ロールが有名になったが、お土産という感じではない。定番大阪土産というのを開発してはどうですか、橋下知事様、と、くだらない私の提案でした。

土用の丑は、土曜の牛、ではありません。 [時事]

IMG_0081.JPGさて、今年の土用の丑の日は今月の26日。土用の丑の日には鰻を食べると良いと昔から言われているが、私はもともと鰻好きなので、土用の丑の日にかかわらずよく鰻を食べる。よく食べると言っても、高級鰻専門店で食べるわけではなく、スーパー、コンビニ、牛丼店などの鰻を食べるのがほとんどだ。

小さい頃、「土用の丑」は「土曜の牛」だと思っていた。「丑」の「牛」間違いは論外だが、「土用」を「土曜」と思っていた人は結構いるのではないだろうか。「土曜の牛」だから、「ドヨウノウシ」は必ず土曜日に来ると思っていた。なのに、土曜日以外に鰻を食べているので、不思議で仕方なかった。

ここからはインターネットの完全な受け売りであるが、そもそも「土用」とは、中国の五行思想から来ている言葉らしい。五行思想では、すべての出来事は木火土金水の五つの要素から成り立っていると考え、四季についても、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と当てはめたのだが、そうすると土だけ余ってしまった。仕方ないので、土は春夏秋冬の前18日間(春であれば、立春の前18日間)に土を充てることにした(だから、「土用」は年4回ある。)。ちなみに「用」は、「はたらく」という意味で、したがって「土用」とは、「土が最もはたらく期間」のような意味になる。

さて、土用の丑の日を目前に控え、鰻丼なども販売している牛丼チェーン各社が熾烈な牛丼安売り競争を展開している(吉野家、すき家、松屋のうち、松屋は鰻丼を販売していない。)。各社は、それぞれ期間限定ながら、牛丼並盛りを250円(すき家、松屋)、270円(吉野家)と、タバコ1箱よりも安い価格で提供することを発表した。

ただ、「牛丼並盛り」と一口に言っても、スペック(ご飯の量、牛肉などの具の量、牛肉産地などの仕様のこと)が各社異なるわけだから、価格だけで単純に高いとか、安いとかを決めるのは如何なものかと思う。それはさておき、安くなることは消費者にとって良いことかもしれないし、血眼になってコストダウンを図る企業の努力には敬意を払うものの、長い目で見ると、デフレ経済がどんどん進行してしまい、気が付いたら、牛丼は250円で食べられたはいいが、生活が一向に豊かになっていない、そんな状況になるのではないかと、私は少し危惧する。

話はちょっと変わるが、ムダ削減の象徴として民主党がマニフェストで打ち出した公共事業費の削減について、このところ変化の兆しが見えてきた。どういうことかというと、公共事業費を削減しすぎたおかげで、多くの地方経済が悲鳴を上げ始め、これを受け、公共事業費の削減はもうやらないという姿勢に変わってきたのだ。私の故郷である北海道は典型だと思うが、多くの人たちが、ムダと言われる公共事業で食べている。その意味で、ムダはムダではないのだ。

話が横道にそれたが、私が言いたいことは、コスト削減とかムダ削減とか、大切なことではあるかもしれないが、あまりやりすぎると、副作用のほうが大きくなるということだ。それに、そもそも、そういう方向感を目指す社会というのはギスギスしていて私は嫌いだ。適度に馬鹿げたこと、適度に滑稽なことがあるくらいのほうが、私たちの生活は快適なのだと思う。

さて、明日はまた釧路。ちょっとだけ避暑ができると思ったら、釧路は終日雨の予報。暑いのも嫌だけど、雨はそれ以上に嫌だ。明朝は午前4時半起きだが、今夜も新宿歌舞伎町(写真)でビール一杯だけ飲むことにする(きっと三杯くらいにはなってしまうかもしれないが)。

人生90年、私もあと少しで「衰退期」突入か。 [時事]

IMG_0053.JPGユニクロなどを運営するファーストリテイリングは先日、今年8月期の業績予想を下方修正した。「常勝ユニクロ」にも翳りが見え始めてきた。下方修正の原因は春先の低温などとファーストリテイリングは分析しているが、本当にそうなのだろうかと思う。

私も一時期、ユニクロの商品をよく買っていた。安いし、家の中で着るシャツなんかは使い捨て感覚のもので十分だったからだ。でも、この頃はほとんど買わなくなった。その理由は一言で言えば、「飽きた」ということなのだが、別の言い方をすると「商品に個性がない」ということになるかもしれない。

いまやスーパーや百貨店でも、そこそこ品質が良くて、かつ、安いという「ユニクロ的」商品を買うことが可能になり、ユニクロの「ユニーク性」(洒落ではありませんが)が薄れたことも販売が伸びなくなった一因になっているかもしれない。タンスを開けてみればユニクロの商品ばかり、いくら節約の時代とは言え、これでは誰もがウンザリしてため息が出てしまう、そうことなのではないだろうか。

「常勝企業」としてユニクロと並び称されてきたのが「餃子の王将」である。この「餃子の王将」を運営する王将フードサービスは今日、先月(6月)の売上高が、前年同月比4.1%の減少になったと発表した。このように売上高が減少したのは約3年ぶりらしい。

先日、私のいる会社の周年パーティーで、ある来賓の方がこんな話をしていた。それは、会社(事業)の90年寿命説という話で、最初の30年は創業期、次の30年は盛隆期、そして最後の30年は衰退期、つまり90年がワンサイクルだという説である。すべての会社や事業がもちろんこれにあてはまるわけではないが、調べてみると、ファーストリテイリングの創業は1949年であるから、今年で創業61年(上の説に従うと「衰退期」)、王将フードサービスの創業は1967年であるから、今年で創業43年(同様に「盛隆期)ということになる。

この二社はいずれも実力のある優良企業であるからこれからも伸びていくのかもしれないが、一方で、世の中というのは何が起こるか本当にわからないから、知らない間に90年サイクル説に巻き込まれていることだって、無いとは言えないのだ。

写真は、家の近くにある歩道橋から撮った夕方の空。遠くに晴れ間がのぞいている。

国技というより、国偽ですね。 [時事]

ai-tominaga-pua-indah-n04.jpgもう20年くらい前の話なので時効だから話してかまわないと思うけど、当時、大相撲の賭けをしていた社員がいた。「胴元」は別の会社で、毎日の星取表の結果で参加者をランク付けし(参加者は毎日、対戦表でどちらの力士が勝つか予想する。)、千秋楽が終わると最終ランキングが確定して、それに応じて配当が支払われるといったシステムだった。

そんなあるとき、「事件」が起きた。この「賭博」に参加していたある部長さんが酔っぱらって電車に乗り、うっかり鞄を車内に忘れてしまった。幸運にもその鞄は警察に届けられたのだが、まずいことに、その鞄の中に「賭博」の星取表が入っていたのだ。警察から詳しく事情を聞かれ、怖くなったその部長さんはすぐに賭博のことを「ゲロ」してしまった。会社にも警察から連絡があり、その部長さんは会社から厳しい処分を受けたようだった。

さて、大相撲の野球賭博問題で、協会が設置した「特別調査委員会」は昨日、賭博に関与した力士、親方などの処分勧告を行った。琴光喜関、大嶽親方、時津風親方の3名に「懲戒」、琴光喜関ら15力士に名古屋場所出場自粛(「謹慎」)、武蔵川理事長ら親方12人に「謹慎」の勧告を行い、大嶽親方については「除名」か「解雇」が妥当とした。また、これらの処分勧告を日本相撲協会が受け入れた場合、「名古屋場所は開催可能」とした。

一般の方に、「懲戒」とか「謹慎(きんしん)」という言葉の示すものが具体的にどんなものなのか、あまり馴染みがないかもしれない。私はたまたま会社で総務部門も担当しているので、これらの言葉の意味するところは了解しているつもりであるが、よくよく調べてみると、日本相撲協会の規定は一般企業のものと異なる部分が少しあることがわかった。

一般企業では、「懲戒」というのは、「譴責(けんせき)」「減給」「謹慎(きんしん)」「懲戒解雇」など、問題を起こした社員に対する会社としての正式な処分の「総称」として、就業規則などに規定されている。このうち「謹慎(きんしん)というのは、私の会社の例で言うと「始末書を提出させ、10日以内の出勤を停止すること。」とある。

一方、日本相撲協会の規定には、「懲戒」のなかに「謹慎(きんしん)」の規定がない。したがって、特別調査委員会が勧告した「謹慎(きんしん)」処分は、日本相撲協会の規定にない処分を勧告したことになる。この行為自体は「越権行為」で問題ありと批判する法律専門家もいる。また、「懲戒」が相当と勧告された琴光喜関、大嶽親方、時津風親方の3名のうち、大嶽親方についてだけ「除名」か「解雇」が妥当として特別に言及しておきながら、琴光喜関、時津風親方の2名については日本相撲協会に具体的処分は「お任せ」ということにした。ちなみに、日本相撲協会が規定する「懲戒」には、「譴責(けんせき)」「減給」「出場停止」「解雇」などがあり、日本相撲協会がどう対応するのか注目されるところだ。

もう一点私が指摘したのが、特別調査委員会の勧告を日本相撲協会が受け入れたなら「名古屋場所は開催可能」という点だ。うがった見方をすれば、「名古屋場所開催が前提」の処分勧告だったという臭いがする。もし開催できなければ賭博に関係していない力士がかわいそうという声もあるが、高校野球だって、部員の誰かが校則を破って喫煙しただけで、決まっていた甲子園出場を辞退するのだから、それに比べると数段も「悪質」に思われる今回の事態では、開催を取りやめるのは決しておかしいことではないと思う。

そもそも、野球賭博の全容が明らかになっていない。今回の処分対象者以外にも、賭博をやっていた人がいるのでは、多くの国民はそう思っているではないだろうか。大相撲が日本の「国技」というなら、それに相応しい毅然とした態度と勇気を我々に示してほしいと思う。


さて、写真はスーパーモデルの富永愛さん。聞くところによると、富永さんは大のいくら丼好きだという。いくら丼をいくら食べても(シャレです)、スーパーモデルが出来る、私はそんな富永さんに赤坂での第一号店オープニングセレモニーにゲストとして、是非来てもらいたいと思っている。

総理は、お熱いのより、「超党派」がお好き。 [時事]

IMG_0020.JPG堅苦しい政治の話はあまりしたくないけれど、昨日行われた9党首討論会の内容を読んでみると、どうしても一言言いたくなってしまう。4年間は消費税を上げないと公約して政権交代を実現した民主党であるが、菅政権になるといきなり「消費税率10%論」を主張。いくら心やさしい日本国民とはいえ、これでは「話が違う」ということになる。

ある調査によると、消費税率を5%から10%に引き上げると、平均的な世帯で年間約16万円の負担増になるという。今月から実施された子ども手当は、一人当たり月額1万3千円、年間で約16万円であるから、子ども手当の収入増は消費税率の引き上げによる収入減でチャラになる、そういう計算も出来る。

それ以上に私が不愉快なのは、菅総理が繰り返し使う「超党派」という言葉だ。今月12日に行われた所信表明演説において、「超党派」の財政健全化検討会設置を呼びかけた。そして昨日の9党首討論会でも菅総理は、年金制度改革について「超党派」の協議を呼びかけた。「超党派」といえば聞こえはいいが、要するに、「民主党単独では財政健全化も年金制度改革もできませんので、みなさんなんとか助けてください」と他党に泣きついたということだ。

会社に置き換えてみれば、会社の経営方針を具体的に経営陣が示さないで、「社員の皆さま、会社をどうするか我々と一緒に考えてください」と社員に泣きついたに等しい。なんとも情けない話だ。我が党は財政健全化についてこう考える、年金制度改革についてはこう考える、それについて野党の皆さんと徹底議論しましょう、政権与党の民主党はそう言うべきではないだろうか。

政治がこんな体たらくだと、日本の若者は日本企業を見限って、外国企業に就職してしまう、転職大手インテリジェンスが実施したアンケートでそうな姿が見え隠れしてきた。同社が関東、関西などに在住する25歳から34歳までのビジネスパーソンに「転職したい会社」を聞いたところ、第1位はアメリカの検索大手「グーグル」だった。アイフォン、アイパッドなどのアップルジャパンは前年の第33位から大躍進して今年は第11位にランクアップした。

国民の意識調査をすると、政権に望むことの第1位は「景気対策」である。私は経済学の素人だが、26年間のビジネスマン生活を通じて「肌で感じたこと」は、景気がよければ、政治も、経済も、社会も世の中の隅々まで結構上手く回るということだ。バブルまでとは言わないが、プチバブルくらいはあってもよいと思う。

さて、梅雨である。私の会社のある方が、気合いを入れて1万円以上する立派な傘を買ったそうな。でも、あんまり立派すぎて、どこかでなくしてはもったいないということになって、その傘は雨の日に活躍することなく、家の玄関に立てかけてあるそうだ。写真は、有楽町西武の雨傘コーナー。

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