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いきなり黄金伝説、白いご飯だけはお願いします。 [BOOKS]

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金曜、土曜と飲みすぎて、今日はどこにも外出せずに家にいた。ソファーに横になってボーッとしながらテレビを観ていたら、「いきなり黄金伝説」の名物企画、1ケ月1万円節約生活の再放送をやっていた。お笑い芸人、オードリーの春日が出ていた。

春日は結局、1ケ月の食費を8千円弱で済ませた(光熱費込み)。仮に8千円とすると、1日平均266円、1日3食とすると1食平均88円の食費だったことになる。

この番組を観て、何となく私は励まされた。贅沢をしなければ、1ケ月の食費は1万円か2万円くらいあれば、工夫次第でなんとかなるんだなと思った。肝心の料理の味のほうも、春日の言葉を信じれば、そこそこ美味しいらしい。食べ物に限ることではないかもしれないが、贅沢をすればキリが無いし、一方、節約すれば相当ギリギリのところまで切り詰められる、そんな感じがした。そういえば、ミシュラン三ツ星の銀座のお寿司屋さんは、おまかせで2万円だった。そういう世界もある。モノの値段、本当にピンからキリである。

食べ物の話が出たが、私はどんなに生活を切り詰めても、国産の白いご飯だけは食べたいと思う。今から18年前、100年に一度と言われたコメの大凶作があった。コメ不足を補うため、タイや中国から大量のコメが緊急輸入された。私も会社の近くにあった定食屋でタイ産のご飯を食べたが、不味くて閉口した記憶がある。当時一部の人たちから「コメがダメならパンを食べればいいじっゃないか。」と声高に主張する人たちがいたが、そんな単純な問題ではないと私はそのとき思っていた。

細菌学者の小泉武夫先生によると、日本人の身体には、ご飯を中心とした日本食に適合するような遺伝子(DNA)がもともと組み込まれているという。少し前までの一般的な家庭では、ご飯と味噌汁、焼魚か煮魚にお新香、これが朝食の定番だったわけだ。こういった日本独特の食習慣は先祖代々から今を生きる我々に脈々と受け継がれていて、日本人の「食のDNA」みたいなものを我々は生まれたときから所有しているわけだ。

だから、いきなりパンを食べろと言われても身体が受けつけない。また、食の欧米化ではないが、肉やコレステロールの高い食事を摂ることは日本人の「食のDNA」には馴染まないわけで、このような食事を長く摂っていると、我々の身体に一種の拒否反応のようなものが起こる。この身体に起こった拒否反応は、単に肉体的なものに留まらずに、精神的なものにまで影響を与え始める。忍耐力がなく、キレやすい日本人が増えていると言われるが、これはこのような食生活の変化が原因の一つと言われている。

エッセイストの勝見洋一さんに『ごはんに還る』という本がある。勝見さんは、古今東西、世界中の食を制覇された文字通り食通の方で、その方が最後に辿り着いた至福の食、それが「ご飯」だということがこの本に書かれている。美味しいご飯さえあれば、ちょっとしたおかずだけで満足した食事がいただける、そんなことを実感されている方は少なくないのではないだろうか。美味しいご飯がいただける、それだけで私は幸せである。

パンダ、パンダと、騒ぐじゃないよ。 [上野・浅草]

RIMG0031.JPG今から約40年前の1972年という年の出来事を、私はいくつかよく覚えている。なぜなら、記憶に残るような大きな出来事がこの年には他の年より多く発生したからだ。この年の2月、札幌冬季オリンピックが開催された。私は当時小学6年生で(釧路にいました。)、学校の教室にあったテレビで、「飛んだ、決まった」の名実況で有名な、ジャンプ・笠谷選手などの活躍を観た。

同じ2月、連合赤軍による、あさま山荘事件が発生した。巨大な鉄球があさま山荘を打ち砕く様子が延々とライブ放送され、その臨場感にドキドキしたものだ。9月、日中共同声明が北京で署名され、中国との国交が正常化した。時の日本側代表は田中角栄首相、中国側代表は周恩来首相だった。白酒(ぱいちゅー)を飲みながら、両者は何度も大きく腕を上下させて握手した。

その翌月、日中友好の証として、2頭のジャイアント・パンダ(リンリン、カンカン)が上野動物園に中国からやってきた。珍獣パンダの日本初上陸ということで、上野動物園はパンダ見たさのお客さんで連日ごった返した。

それから約40年。パンダは日本人にとってもはや珍しい動物ではなくなった。ところが、ここ2、3日テレビを観ていると、約3年ぶりに上野動物園にやってくる2頭のパンダに関する話題が、菅政権の話題よりも先に報道されているではないか。いくら菅政権が末期状態にあるとはいえ、それはないよね、とうのが私の感想である。要するに、パンダについてテレビは少し「はしゃぎ過ぎ」ではないのだろうか、ということである。

最近よく思うが、スポーツ番組を観ていると、試合などが始まる前の「前段」があまりにも長くて、観ている方からすると、とてもカッタルイのである。幼少の頃から親子鷹の二人三脚で取り組んできたとか、大きなスランプがあったが不屈の精神で復活して今日を迎えているとか、試合直前に親を亡くしたがその悲しみを乗り越えて試合に臨んでいるとか、ハッキリ言うと、観ている方からするとそういったエピソードの類はどうでもいいのである。観たいのは、試合や競技そのものなのであるから。

「劇場型政治」という言葉がある。わかりやすいキャッチフレーズを作り、それを、メディアを通じて広く大衆に訴える大衆迎合の政治手法のことで、日本では、小泉純一郎元首相の政治手法をマスコミがそう称したことがあった。しかしながら、小泉政治を「劇場型政治」と命名したマスコミが今まさに、「劇場型政治」ならぬ「劇場型マスコミ(メディア)」に陥っているのではないだろうか。つまり、マスコミがあまりにも安易な大衆迎合路線に傾いているということで、その結果、菅政権の話題の前に、パンダの話題が来てしまうのである。ちょっと考えなおした方がよいと私は思うのだが、如何だろうか。

写真は今夜のアメ横。私の会社からは歩いて15分くらいのとくろにあるのだが、パンダが上野動物園にやってくると、その経済効果はアメ横だけで200億円以上あるのだそうだ。捕らぬ狸の皮算用、否、捕らぬパンダの皮算用である。

飲んで~、飲んで~、そして、飲まれてしまいました。 [新宿]

00000003.JPG私はいい加減で、図々しく、アバウトな人間なので、仕事のことでめったに落ち込んだりしないが、それでも、年に一回くらいは仕事のことで滅入り、打ちひしがれることがある。今日は、その年に一回のスペシャルデーだった。

どんなことがあったのかは書かないが(書く必要もないし)、とにかく、ガックリきたのである。人間、本当にガックリくると、静かに一人で居たくなるものである。ということで、今日は会社を出てから、一人で新宿に来て(ここまではいつもと同じであるが)、それから、おでん屋に行って、カウンターに一人座り一杯やった。

辛口の菊正宗を燗で4合、ほぼイッキ状態に近い感じで立て続けに飲み、一気に酔った。河島英五のように「飲んで 飲んで 飲まれて飲んで 飲んで 飲みつぶれて 眠るまで飲んで」と格好よく行きたいところであるが、明朝も早くから頭の痛くなるような会議があるので、今日潰れるわけにはいかない。

嫌なことがあると、ストレス解消を人間はするわけであるが、私の場合、それは、カラオケでもセックスでもなく、とりあえず酒のような気がする。でも、いくら酒を飲んだとしても、今日と違う明日は当然のようにやってくるわけで、所詮、酒は一時の「憂さ」を晴らすだけのものなのである。それでも人間は、酒の力を借りてでも、ウトウトしながら「浮世の憂さ」をほんの少しの間忘れようと努めるのだ。おー、なんと人間は、いじましい存在なのだろうか。

眠たくなってきた。酔ったので、今日は写真も撮っていない。なので、今日は先日大阪の戎橋で撮ったグリコを掲載する。それにしても、グリコのお兄さんはいつも元気だ。ストレスなのて、ないのだろうね。

おしまい。



結婚しない男性急増、無縁仏になってしまいます。 [時事]

RIMG0019.JPG 今日放送した「噂の東京マガジン」は特集で、結婚できない男性が急増していることを取り上げた。東京23区のなかで比較してみると、結婚できない男性の割合が一番高いのは、中野区なのだそうだ。私は住所的には確かに杉並区であるが、地理的には中野区の端っこのようなところに住んでいるので、この特集は他人事とは思えず、最後まで観てしまった。

驚いたことに、現在、50歳男性は6人に一人が未婚なのだそうだ(そう、私も今50歳、未婚です。)。20年後には、3人に一人が未婚になると言われている。結婚しない理由は「家庭を持つだけの資力がない」「一人でいるほうが楽だ」「やりたいことがある」などが主なものである。このように、結婚しない単身者が増え続けていく社会のことを、「無縁社会」と呼ぶのだそうだ。無縁仏をイメージさせる実に嫌な言葉だ。

国税局の調査によると、民間企業で働く労働者のうち、年収300万円以下の割合は42%、年収200万円の割合も25%に達し、民間労働者の年収は年々下がっている。年収300万円超であれば「勝ち組」であると言う人もいるくらいで、そのくらい民間労働者の年収は抑えられ、生活が追い詰められているわけだ。また、こちらは総務省の調査であるが、10代と20代に限ると、今や、男性より女性のほうが月収が多くなっているのだそうだ。

このような状況であるから、「家庭を持つだけの資力がない」「一人でいるほうが楽だ」などを理由に、結婚しない、もしくは、結婚できない男性が増えるのは当然と言えば当然なのである。「俺は絶対にお前を守ってやる」と男性がいくら意気込んでも、ある程度、先立つものは必要なわけだ。「三丁目の夕日」の時代ならば、その意気込みは給料アップという形でキッチリ報われたかもしれない。でも今の時代は、年収300万円の夢さえも実現することが難しい、実におかしな社会なのである。

先日の記事で私は、生活に苦しむ人たちが、リッチな人たちを妬む社会は嫌な社会だと書いた。一日1000円以内に食費を切り詰め、仲間と夜一杯やるときも全品一律250円の居酒屋でささやかに盛り上がるしかない人たちからすると(もちろん、二次会のカラオケはない。)、年収1000万円超のリッチな人たちは「同じ日本人」には見えないかもしれない。国に勢いがあるときは、他人の幸せ羨むことなく、すべての日本人が日本人としてのアイデンティティーを共有できるのだと思う。「日本は素晴らしい国家だ」「日本人は素晴らしい民族だ」「日本の経済は強い」、国民みんながそういう連帯感を持ったとき、国家も、そして個人も、幸福な状況になるのではないだろうか。

いずれにしても、日本人を幸福にするのも不幸にするのも、政府次第だ。「国民生活が第一」なんて標榜している政党があるが、私にはジョークとしか思えない。

さて、一昨日の金曜日、昨年11月に結婚した私の男性部下の「結婚を祝う会」を赤坂の店で行った。新郎41歳、新婦35歳、どちらも初婚。真面目な部下で、私も彼の活躍に期待している。結婚していない上司の私が、先輩面して「結婚とは何ぞや」と話す資格がない、そうスピーチしたら、会場から大きな笑いが起きた。でも私はちょっとだけ、寂しかった。

写真は、神谷町の高層ビルから先日撮った、東京タワー。東京タワーが出来た時代、それが「三丁目の夕日」の時代だった。

バブル到来、銀座高級寿司屋で、ゴチになります。 [銀座]

00000002.JPG北野武の『超思考』という本を読んでいたら、次のような一節が出てきた。
「残酷な話だけど、才能は誰にでもあるものではない。そもそも、誰にでもあったらそれを才能とは呼ばないのだ。」「眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。」。

全くそのとおりだと思う。私も以前から、世の中で才能のある人間なんて1%もいないのではないか、その他の99%以上は平凡な能力しかない。だから、あまり高望みしないで、みんなで生活の知恵を出し合いながら、普通の人は普通にそこそこ生きることを目指すべきだ、そうここで書いてきた。

北野武の冒頭の一説は、私の主張と大体符合する。このような考え方には夢も希望もないと批判する人がいるかもしれないが、現実なのだから仕方ない。我々は夢とか幻想を深追いして、現実の生活を疎かにすることはできない。今日もそして明日も生き抜くために、不味いパンかもしれないが、食べなければならないのだ。

さはさりながら、手の平サイズの夢くらいは欲しいのも人情というものだ。その、手の平サイズの夢さえも描けないのが、今の時代なのではないだろうか。

私が今の会社に入社してほどなく、バブルが到来した。私の勤務している会社はずっと貧乏会社であるが、そのときだけは違っていた。私のところは不動産業もやっていて、不動産の売買部門はウハウハ儲かっていた。今日買った1億円の土地が、1週間後には1.5億円になった。たった一週間で5千万円の利益が出る。そんな時代だった。

その恩恵を、20代の私もたっぷり受けた。毎日のように銀座で飲み歩いた。若手の我々でも、お店のツケがきいた。同伴というと、馴染みのお客さんがホステスさんを食事に誘い、その後一緒にクラブなどに行くことであるが、今でもよく覚えていいるが、何度か私はホステスさんに食事を誘われ、おごってもらい、それからお店に行ったことがあった。

当時、株で毎日10万円単位の利益を出していたホステスさんが少なくなかった。「好きなもの食べてね。」、そうホステスさんから言われ、私は遠慮なく大トロなどの高級な寿司を注文した。でも、彼女たちのことを私はあまり羨ましいとは思わなかった。なぜなら、彼女たちよりも私はかなり貧乏だったが、私なりに、会社生活が充実していたからだ。会社の業績はまあまあだったし、接待費も先輩に頼んでかなり使えたからだ。そして、何よりも世の中全体が明るかった。

行き過ぎたバブルは確かにいけないかもしれない。しかし、国民全体の生活水準を少し上げるくらいのミニバブルはあってもよいと思う。今の経済状況はどうだろう。どんどん生活水準は下がっていく。国民の不満は溜まる。一方で、こんな時代でも、リッチな人たちは存在する。ギリギリの生活をしている多くの人たちは、一部のリッチ層の人たちを妬む。ジェラシーが蔓延する世の中。嫌な世の中である。

難しい理屈はよくわからないが、消費税なんか上げたら、日本はもう貧乏な無気力国家になってしまうような気がする。政府はどんどんお金を使い、世の中にお金を回してほしい。金は天下の回りもの。お金を回すということは、一見無駄なように見えるが、みんながそれで少しずつ潤っているのだ。だから、政府はどんどん世の中にお金を供給したらいいと思う。


今日は少し暴走気味になってしまった。写真は一昨日の銀座4丁目交差点付近の様子。銀座は今閑古鳥が鳴いている。久しぶりに、ホステスさんにお寿司をおごってもらう時代に遭遇したいものだ。



桜は咲き、梅はほころぶ、なるほど、なるほど。 [芸術]

RIMG0009.JPG普段酒ばかり飲んでいるせいで、仕事が溜まってしまった。でも、月曜日からはまた飲みたいので、今日午後から会社に行って仕事をやつけてきた。会社は上野だが、帰りは当然、愛する新宿で途中下車。新宿通りのあたりをぶらぶらしていたら、「追分だんご本舗」の前を通った(写真)。写真の右隅に梅の木が見える。そう、今は2月、如月である。

如月の由来は、この時期、寒さで着物を更に重ねて着ることから「着更着」(きさらぎ)とする説が有力とされている。なるほど、なるほどである。

さて、昨日、大阪出張のことを書いたが、羽田・大阪間の飛行機はANAを利用した。その機内オーディオプログラムに、少し前から「オールナイトニッポンClassics」という番組があり、ANAに乗るときは必ずこの番組にチャンネルを合わせている。

番組進行役(DJ)は、深夜放送番組「オールナイトニッポン」の初代パーソナリティーの一人であるアンコーさんこと、斉藤安弘さんだ。御年70歳とは思えないほど、声がしっかりしていて発音もクリアーだ。そのアンコーさん曰く、「桜は「咲く」と表現するが、梅が「咲く」とはあまり言わない。梅は、「ほころぶ」と表現されのではないか。私は、このような日本語の繊細な表現力が好きだ。」。こちらも、なるほど、なるほどである。

「オールナイトニッポンClassics」は、60年代から80年代を中心に懐かしい音楽をかけてくれる。今回聴いたなかで私が一番嬉しかったは、カルメン・マキが69年に歌ってヒットした「時には母のない子のように」だった。

ご存知のとおり、カルメン・マキは17歳のときに、寺山修司の「演劇実験室 天井桟敷」に入団している。アンコーさんの話によると、入団試験のときにカルメン・マキは寺山修司の質問に一切答えなかったのだそうだ。そのユニークさが買われ、試験は合格となった。さて、「時には母のない子のように」は寺山修司が歌詞を担当した。一番の歌詞は次のとおりだ。

時には母のない子のように  だまって海をみつめていたい
時には母のない子のように  ひとりで旅に出てみたい
だけど心はすぐかわる  母のない子になったなら  だれにも愛を話せない

正直言うと、昔から、この歌詞が意味するところがよくわからないのだ。「母」とは、寺山修司の母、ハツさんのことなのだろうか。それとも、何か別のことを象徴的に現した言葉なのか。そして特に、三行目の歌詞がわからない。なかでも最後の「だれにも愛を話せない」というのがわからない。要するに、チンプンカンプンなのだ。寺山修司に詳しい方、ご存知でしたら是非、教えてください。

それにしても、深夜放送って、懐かしいね。私は中学生の頃、毎日朝の5時頃まで深夜放送を聴いていた。そうするために、学校から帰ってきて夕飯を家族と食べた後、深夜0時頃まで仮眠していたのだ。ビジネスマンとなった今はこのような生活はできないが、中学生の頃のような生活スタイルに戻れたらどんなに幸せだろう。だって、私は、深夜という時間帯が今でも好きなのだから。

包丁一本さらしに巻いて 旅へ出る板前は もういないのかもね。 [BOOKS]

RIMG0007.JPG今週月曜日の北海道北見日帰り出張に続き、昨日は大阪に出張した。こちらは一泊したのだが、出張の目的は、今度赤坂店で出そうと目論んでいる北海道の食材を使った串カツの研究だった。

何とも羨ましい出張だと皆さんから妬まれそうだが、串カツといえば大阪ということで、赤坂店のメニューについていろいろアドバイスをしてくれている料理人の方と一緒に、梅田、道頓堀、新世界(写真)の串カツ店を食べ歩いてきた。

串カツの美味しい作り方について事前にいろいろ調べていったのだが、ブラックボックスはやはり、あの二度づけ禁止のソースだった。ウスターソースベースであることは大体わかるのだが、その他に何がソースの中に入っているのかがわからない。串カツの旨い不味いはソースの出来次第だと私は考えているので、私のような素人の舌ではなく、専門家の舌を持つ料理人を連れて行って、ソースの味を「盗み」に行ったのである。

結局、梅田のある串カツ店で出されていたソースが一番いいという結論になり、料理人にはそのソースの味の記憶を辿ってもらい、その味の「復元作業」をお願いした。もちろん完全に復元することは出来ないと思うが、少しでもその味に近づけ、北海道産のエビ、イカなどを使った串カツを完成させ、来月から新メニューとして出したいと考えている。

さて、さっきまでテレビ東京の「アド街ック天国」で大阪法善寺横丁が紹介されていた。本当に偶然であるが、私たちも昨夜、法善寺横丁に行ってきた。同行の料理人が大阪は初めてというので、大阪観光でここは外せないと思い、案内した。

00000001.JPG法善寺横丁の食べ物といえば夫婦善哉(写真)の善哉だろう。驚くほど少量なのに、驚くほど値段は高い、そんな感じの善哉であるが、「名物」なのでとりあえず押さえた。店内に小説『夫婦善哉』を書いた無頼派の作家、織田作之助の写真が飾ってあった。この小説は、ぼんぼんで何をやっても失敗する柳吉と、芸者あがりでしまりやで愛情深い蝶子という夫婦の物語で、しっかり者の大阪女性がテーマになっている。そういえば、大阪のことを詳しく書いたある本によると、織田作之助は、最も大阪人らしい大阪人なのだそうだ。この場合、「大阪人らしい」というのは、簡単に言うと、反権力主義、反東京ということらしい。

私たちの座ったテーブルの横に、昭和35年に発売された藤島桓夫の「月の法善寺横丁」のレコードとそのジャケットが飾られていた(藤島桓夫といっても、若い方はご存知ないと思うが)。店員さんによると、これはどうやら本物らしい。

包丁一本 さらしに巻いて
旅へ出るのも 板場の修業

「月の法善寺横丁」はこの歌詞で始まるが、この歌は要するに、板前が修業で旅に出るので、好きになった女性としばしの別れをしなければならない、その辛さを歌ったものだが、そのことを、私の前で甘い善哉を美味しそうにパクついている私より少し年少の料理人に話してあげたら「あー、そうですか」と実にそっけない。板前の世界も時代が変わったのだろうか、彼の反応を見てそう思った。


また大阪に行きたくなった。そんな出張だった。

正直は最善の策、角界の皆さん、諺にもありますね。 [時事]

RIMG0014.JPG角界が揺れている。力士3人が八百長を認め、それ以外にも八百長に係わった力士がかなりいるのではないかと見られている。昨年の野球賭博に続き、日本相撲協会は「災難」に見舞われている。

昨日あたりから、公益法人である日本相撲協会は解散すべき、世の中はそんな方向に流れているような気がする。もちろん、今回の騒動に関してはいろいろな考え方があると思う。ただ、「日本相撲協会を解散させるべきか否か」というセンセーショナルな議論ばかりに焦点を当てると、問題の本質を見逃してしまうような気がする。

問題の本質はズバリ、「日本相撲協会は本当の事を言う組織なのか、それとも、ウソをつく組織なのか」、その見極めだと思う。放駒理事長は「これまで八百長はなかった。あったとすれば今回が初めて」と話しているが、本当だろうか。

何年か前に、角界の八百長疑惑を掲載した週刊現代とその記事を書いたある記者を、八百長はなかったとする日本相撲協会が訴えたことがあった。裁判所は判決で「記事に書かれたような事実はなかった」とし、週刊現代及び記者に対して、日本相撲協会の名誉を傷つけたとして損害賠償の支払いを命じた。

週刊現代の記事は大変説得力のあるもので、多くの人が「八百長があったのではないか」と思った。そもそも角界の八百長疑惑は今始まったことではなく、かなり以前から存在していて、記憶に新しいところでも、元小結・板井が今から10年くらい前に、自分自身も含めて角界には八百長があることを告白したことがあった。

「物的証拠」はないとはいえ、「状況証拠」からすると八百長があったと考えるのは自然なことのように思う。それを前提に言えば、八百長に関して日本相撲協会はこれまで「ウソ」を言ってきたことになるし、裁判所も十分な審理を尽くさなかった可能性がある。当時の裁判に政治的な力(日本相撲協会を潰すなという力)が加わったとは思いたくないが、最近の検察不祥事などから考えると、法曹界も完全に信頼できるとは言えず、結構いい加減なところがあったのではと思いたくもなる。

大きく言えば、世の中のいろいろなものが変わりつつあるなかで、日本相撲協会はそれへの対応を求められているのだと思う。「ウソをつかないで正直に言う」、このなんとも単純なことが、今の日本相撲協会には必要なのであって、公益法人を解散して例えば株式会社化するといった単に形式的なことをやっても、多分問題は解決しないだろう。

さて、写真は新宿西口の思い出横丁。最近行ってないなあ。それにしても、「横丁」という言葉は温かくていいね。

沢尻エリカ、もう飽き飽きですが。 [時事]

RIMG0001.JPG私は芸能・スポーツネタが結構好きで、テレビ、スポーツ新聞などの芸能・スポーツコーナーをよく観るのだが、テレビ局などの報道姿勢のようなものにちょっと首を傾げたくなるときがある。

例えば、沢尻エリカ。ハッキリ言えば、沢尻エリカが離婚するかどうかなんて、どうでもいい話。それにしても、テレビ局などはどうして彼女をVIP待遇で扱い、持ち上げるのだろうか。まるで腫れ物に触る感じで、オドオドしながら彼女から「お言葉」を頂戴しようとする。おだてられた彼女は明らかに「図に乗っている」。まるで、女王様気取りだ。黙って、放っておけばいいのだ。タレントとして売れなくなりそうになったら、放っておいても彼女のほうからテレビ局などに擦り寄ってきて、「ねえ、聞いて、聞いて」と自ら口を開く、そんなものだ。

私のようにみている人は少なくないと思う。ここで改めてこんなことを書く必要はないのだろうと思うけど、あまりにも彼女に関する報道がしつこいので、ちょっと書いてみた。

次は、日本ハムの斎藤祐樹投手の話。高校時代、甲子園を大熱狂させた「大スター」であるから、彼の一挙手一投足をマスコミが追うのは当然なのかもしれない。「でも」、だ。ゴルフの石川遼選手もそうであるが、あまりにも彼を「正義のヒーロー」に仕立てようとしてはいないだろうか。

思い出してほしい。一年前、当時のマスコミは東北出身で西武ライオンズに入団したある高卒投手に熱中だった。そう、菊池雄星投手。だが残念なことに、彼は昨年、故障などもあり一軍では全く活躍できなかった。その様子をマスコミはほとんどフォローすることなく、彼はもう「過去の人」のような扱いだ。彼を上げるだけ上げておいて、知らない間にハシゴを外す、そんな感じだ。

野球にとても詳しい人から以前聞いた話であるが、現在、楽天イーグルスで活躍する田中将大投手と斎藤祐樹投手を比較すると、プロで通用するのは明らかに田中投手のほうで、斎藤投手は確かに甲子園では活躍したが、それまでが限界で、体型などから判断するとプロでは通用しないだろう、そういう話を甲子園での激闘があった直後に聞いた。

斎藤投手と同じ評価をその方は菊池投手にもしていて、「多分、プロでは身体を壊すかもしれない」、そこまで言及していた。「そんなものかなあ?」と私は半信半疑であったが、彼の「予測」は不幸にも昨年は的中してしまった。

マスコミは、ヒーローに関して、良いことばかり、一面的なことばかりを書き過ぎる。そうでないことについても書いてあげないと、ヒーローはかえって可哀相だ。石川遼選手なんか、もう一生風俗店に行けないかもしれない。そういえば、ある大手生命保険会社のテレビコマーシャルを見て私は唖然としたが、何と「石川遼のような保険」を保険のキャッチ・コピーにしてしまったのだ。こうなってしまうと、石川選手は今後の人生において、聖人君主のような清廉潔白な生活をし続けなければならなくなる。それは悲劇でしかない。

仮定の話であるが、もし、石川選手が刑事事件を起こして実刑にでもなれば、「石川遼のような保険」はもう使えなくなるし、このキャッチ・コピーにつられて保険に加入した保険契約者からはクレールも出るかもしれない。「なんだ、石川遼のような保険とは、犯罪者の保険か!」。そうなると、保険会社は、保険契約者に謝罪することはもちろんのこと、ひょっとしたら、石川選手に「会社のイメージを著しく傷つけた」として、損害賠償を請求するかもしれない(あくまでも、仮定の話ですが。)。

ちょっと話が脱線気味であるが、ある識者が政治に関する報道に関して、マスコミは一方的な情報を流しすぎていて、バランスが極めて悪く、そのことが国民をミスリードしていると指摘していたが、このようなマスコミの「偏向的報道姿勢」とでも言うべきものは、何も政治だけに限ったものではなく、芸能でも、スポーツでも同じようなことが言える、私はそんな気がする。

写真は、今夜の新宿歌舞伎町。日中は暖かかったが、夜は風が出てきて寒くなった。



西村賢太と市橋達也に、天国と地獄を見た。 [BOOKS]

RIMG0010.JPG今週発売された新刊本を二冊読んだ。一冊目は、英国人英会話教師だったリンゼイさんを殺害した市橋達也の『逮捕されるまで』。2年7カ月という長期にわたる逃亡の様子を市橋自身が綴ったものだ。

この本は、警察の追っ手から必死に逃れようとする市橋の姿は克明に伝えるものの、肝心要である、リンゼイさんを何故殺害したのかという点については一切記述がない。それはさておき、この本を少し紹介してみたい。

自分の身分を隠し逃亡するために、人間は何を考え、どう行動するものなのか、そのあたりのことをこの本は生々しく伝えてくれる。市橋が福岡と名古屋の病院で整形手術を受けた話は逮捕される少し前から報道されていたが、実は、市橋は自分自身でハサミや針を使い、鼻と下唇を切っている。また、顔にあった二箇所のホクロもカッターで切り落としている。とにかく逃げたかった市橋は、顔を変えることにこだわった。

青森、沖縄、大阪、福岡、名古屋などを転々とした市橋であるが(やはり、寒い北海道に行くつもりはなかったようだ。)、途中、四国で遍路の旅をする。リンゼイさんが生き返ることを祈り始めた旅であったが、それは叶わないことだとしばらくして気づく。当然のことだ。市橋は四国を歩き続けながら「考えることは食べること、トイレのこと、眠る場所を見つけることの三つだけ考えた」という。食べ、用を足し、そして眠るという人間の「原始的欲求」に極まったわけで、一般的に人間の基本的な欲求の一つとされる「性欲」は、追い詰められた人間には後回しになることがわかる。

市橋には文才があると思った。この本は、捕まってから書いた手記ではなく、あらかじめ練って書かれたシナリオのような感じがした。そのシナリオに沿って市橋は行動した、そんな感じさえ受けた、逃亡の経路がハッキリしているし、見たもの、聞いたもの、感じたことの描写が詳細で、抜群の記憶力だ。3年前に何があったのか思い出せと言われても、私なら全く思い出せない。その点市橋は、すぐれた記憶力を有している。

さて、二冊目は、芥川賞を受賞して今話題の西村賢太さんが著した『苦役列車』だ。中卒で風俗大好きの西村さんであるが、芥川賞の候補になるのはこれが三回目なのだそうだ。それではというので、受賞作の『苦役列車』を早々買って、読んでみた。

来月1日に発行される「文藝春秋」に、選考委員の選評が出るので、それも読んでみたいが、文学オンチの私にとって、この本はあまりドキドキ、ワクワクする本ではなかった(もともと、その類の本ではないのだろうけど。)。さて、西村さんは受賞の際に、「自分のことしか書けない」と述べ、『苦役列車』は「私小説です」と明言していた。

日雇い労働で生活する中卒の貫多(もちろん、西村さんのこと。)はある日職場で、同世代の日下部に出会い、孤独だった貫多にもようやく友達ができるのだが、恋人もいる日下部との関係は結局長続きせず、貫多は再び孤独になってしまう。そんな若者の閉塞感のようなものを描いたのがこの小説ということに一般的にはなるのだろうか。

私なりに整理すると、貫多=下層社会の孤独な青年、日下部=教養至上主義の下で育った恵まれた青年、という感じであるが、この図式は、先日ここで書いた、吉田修一さんの『悪人』や、黒澤明監督の「天国と地獄」に似た図式であるような気がする。結局、下層社会の孤独な青年は、救われず、ツキもなく、人生のババを引く、これらのどの作品も詰まるところ、そういうことを言いたかったような気がする。

市橋達也の実家は確か、医者だったと思う。本の最後のほうで市橋は「事件を起こすまで、僕は親や周りの人たちからたくさんのチャンスをもらってきた。でもそのことに気づかなかった。それが恵まれた状況だということを、僕は全然考えようともしなかった。」と述べている。下層の人間から見て「恵まれた状況」は、恵まれた人間にとっては恵まれたこととして映らない、そういうことなのだろう。

現実のことを考えてみよう。少し前までは、西村賢太さん=下層社会の孤独な青年、市橋達也=教養至上主義の下で育った恵まれた青年、だったはずだ。でも、今はどうだろう。西村さんは芥川賞を受賞して、これからは印税がどんどん入ってきてリッチになる。言ってみれば、地獄から天国に登りつめたわけだ。一方、市橋は全くその逆で、天国から地獄に堕ちていったわけだ。ここで私がとても興味のあることは、「自分のことしか書けない」と言った西村さんが、今後とも、自分のことだけを書く、つまり、自分のリッチな生活のことを書くのだろうかという点だ。

『苦役列車』の後半に、ようやく「苦役」の意味がわかる箇所が登場する。すなわち「自分の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくこを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。」とある。

このように、日雇い労働者(西村さん本人。)の閉塞感、劣等感だからこそ読者の心に響くわけで(どうやら、これまでの西村作品は「貧困」が大きなテーマだったようだ。)、ある日突然貧困を脱した西村さんが、今後どのようなテーマで作品を生み出していくのか、興味のあるところだ。そして、最後にもう一言だけ言わせてもらえば、生きるか死ぬかの2年7カ月を過ごした市橋達也の圧倒的なリアリティーの前に、いくら貧困な人生を送ったとはいえ、西村作品は市橋作品の前に、正直、平伏したような気がした。

さて、今日は最終便で釧路に来た。午後8時半頃、市内のホテルにチェックインした。それからすぐにマイナス5度以下の寒さのなか、繁華街に向かい、熱燗をやりながら食事をした。東京だったら軽く3人前はあるだろうと思われる、たちのポン酢などを鱈腹いただいた。

写真は幣舞橋のたもとに停泊する漁船の様子。手前に雪が見える。

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